一夜だけの約束? 9
一夜だけの約束? 9 Promise of One night only 花道はなんとか息を整えた。そして、こんなふうに考えたのをぼんやり思い出した。 『あの野郎』をスキなだけ味わって、そのカラダに飽きたら、「サイナラ」する。それなら安全。 なのに… 仙道はさっさと行ってしまうだろうと思った。 ヤツがなんと言おうと花道にはわかっていた。 仙道にとって花道の最大の魅力は、大抵のオンナノヒトと違って『カンタンになびかないこと』だ。 それを考えると、花道の眉間にしわが寄った。 なぜなら仙道がオンナノヒトにもたらす効果を何度も見てきたから。どのオンナノヒトもヤツを欲しがり―― いや、タブン全員がヤツと寝たのだ。末オソロシイ…。 花道は依然としてあんなヤツになびくつもりは、キモチ的にはこれっぽっちもないのだが、ゆうべのアレを一生の思い出? というかキネン? にして、同時にヤツの征服欲を満たす夜にするつもりだった。 ところが実際は、たった一回ヤッただけで……眠ってしまった。 花道はうめきながら目を閉じた。 たった一回ヤッただけで、あとは一晩中、同じベッドに、寄り添うように、裸のアイツが隣にいた。そう思うと、 すでにズタボロの頭脳が機能しなくなった。 「………」 とにかく、済んだことはもう取り消せないのだから、今後はヤツと一夜をともにしたことをダレにも知られないようにするだけだ。 もしミッチーにでも知れたら、何をされるかわからない。 センドーはビンボー長屋(違う)の経営をガンバってるし、オレにもスンゲー親切にしてくれたんだから、 オレ様のアヤマチの代償をヤツに払わせるわけにはいかない。 今何時だ? もう洋平が来る頃か? 新たな緊急事態に花道は急いで用を足し、顔を洗って髪を梳き、うがいをした。 ドアを開けようとして躊躇した。 何一つ身につけてない。 もちろん一晩中そうだったのだから、今更慎みなど無意味だしバカげてさえいる。だけどそれでも…… 仙道がドアをノックした。 「替わってもらえる?」 無言でほんのちょびっとドアを開け、狭い隙間からそぉ〜っとヤツを見た。 まだひとつも電気を点けていなかったが、明かりはそれほど必要なかった。 目の高さに胸があった。男の。たくましくて広い。きれいに筋肉のついた。 その下に腹。固くて平らで。 その下に…………… 「……………」 花道はドアノブを握り締めたまま、目を剥いてブルブル震えていた。 勃…勃… 「…桜木くん、きみ昔こうならなかった?」 見開いた目を無理矢理顔に戻した。ゆっくりと。なんとか息を整えながらだが。 仙道はほれぼれするような裸体をしていた。 背が高く、たくましくて。そのソレはともかくとしても、誰が見たって……… 仙道がドアノブをぐいっと引き、花道は引っ張られるままよろけた。そのまま仙道は花道の後ろにまわりお尻をペンとたたくと 失敬にもこうのたまった。 「ベッドで待ってて。裸のままでね。オレがおまえに何をするか想像しながら。すぐ行くから」 「オ…オ…オレに何をスルか?」 「そう。話をした後でね」 それだけ言ってドアを閉じた。 *** しばらくものも言えずにその場に突っ立っていたが、やがて花道はドスドスと歩いていった。 ハダカで待つ? 冗談じゃねえ! 箪笥の中をひっかきまわし、ようやく大き目のTシャツを見つけた。男用のLLサイズだ。袖は肘までかかり、裾は膝のすぐ上まである。 ベッドにもぐりこむと布団をあごまで引っ張り上げた。 時計を見るとまだ五時半。起きなければならない時間まであと一時間半。洋平が来て一緒に仕事へ出るまであと二時間ある。 仙道が言ったとおり、ゆうべはよく眠れた。 というか意識を失った。 凄まじい勢いで押し寄せる、気の遠くなるような快感のほかに、思い出せるものは何もない。 仙道に貫かれ、体中を愛撫されながら達する絶頂は、単なる快楽を超えた、とんでもない経験だった。 身勝手なのはわかっているが、………もっとしとけばよかった。朝の残りの時間を使って何回できるか。そのアトで、 キレイさっぱりヤツとオサラバすればいーのだ。 仙道が戻ってきた。 ベッドの中に縮こまって布団をかぶっている花道を見て、首を振ってこう言った。 「萎えた!」 そして方向を変えるとすたすたと歩いていった。 花道は慌ててベッドから出ると、あとを追った。 何もいますぐ帰るこたねぇじゃねぇか、いまはまだ。 コイツにはどんなことができて、自分にはそれがどんなにキモチいいかわかっているのだから。 だが、仙道は電話に向かっただけだった。 「…な、何してんだよ」 仙道が受話器を取ってどこかにかけている。 「ルームサービスを頼もうと思って」 なぬ!? 「こ…ここはテメェのホテルじゃねんだぞ?」 仙道は肩をすくめた。しつこいようだがヤツは素っ裸だ。大層気が散らされる。 「オーナーにはいろいろ役得があってね」 言い返そうとしたとき、仙道が静かに、と指を一本たて、受話器に向かって話しはじめた。 「もしもし? 仙道ですが」 からかうような笑みを浮かべたので、花道は歯噛みした。 「ああ、おはようございます」 花道はいらいらと仙道を見守った。 誰が出たんだ? オーナーを狙ってるのが見え見えのウェイトレスさんか? つか、どのウェイトレスさんが狙ってねんだ! 「誰かにコーヒーとドーナツを通りの向かいへ持ってこさせてくれません? そう、造園業の。助かります。ありがとう」 そして受話器を下ろした。 花道は恥ずかしさと怒りで火がつきそうだった。 「し…し…し…信じらんねえ!」 ぶるぶる震える花道を仙道が横目で見ながら通り過ぎ、居間へ向かった。 「一番目の空腹を処理してもらえないんなら、二番目のを満たしてやらないと。で、それにはズボンを穿かなくちゃ」 ジーンズを振って伸ばし、脚を通した。 どういうわけか財布が投げ出されていた。仙道は中身を拾い集め、なかに戻した。それから千円札を2枚、花道に手渡した。 花道はお札を見つめた。少し立ち直りかけていたけれど、またもや意表を突かれた。 「コーヒーとドーナツ用だよ。ゆうべのお手当てじゃないから」 そう言ってウィンクする。 「もちろん、ゆうべのことでお手当てがもらえる人間がいるとしたら間違いなくオレだけど。だよね?」 札を丸めて仙道に投げつけた。仙道が笑った。ドアをノックする音がして仙道が向かった。ダボダボのTシャツを 抱きしめるようにしながら花道は部屋の壁にへばりつくように覗いていた。 仙道がドアを開けて暖かく出迎える。 「命の恩人だよ、相田さん」 「あなたのためならなんでもするわ、仙道クン。知ってるくせに」 なぜか関西なまりだった。とにかく花道はオエっと顔をしかめ、その、仙道に対しあからさまに熱っぽい視線のお姉サンを見つめた。 「なんでも…ねぇ」 仙道が彼女の鼻の先をつついた。 「気をつけてくれないと、相田さんの彼氏に尻を追っかけられる」 はにかんだ、誘うような笑みが返ってきた。 「仙道クン。あなたのお尻はとっても魅力的よ。だけど私はともかく、彼はそんなことしないわ」 笑いながら、仙道は片手に器用にトレイを載せ、札を手渡した。 「ご苦労様」 「どういたしまして」 「悪いんだけど、二時間くらいで行くって福田に知らせてくれます?」 「かしこまりました」 にっこり笑って彼女が背を向けると、仙道はドアを閉じた。 花道はかんかんに怒って仙道の前に出た。 「テメェ今のヒトとも寝…寝…寝てんのか!」 花道の質問に仙道は驚いた顔をした――そして楽しそうな顔を。 「まぁさか。オレは従業員には手を出さないよ」 花道をよけて寝室に向かう。その後を花道がドスドス追いかけた。 「オ…オ…オレ様にだってちゃんと目はついてんだぞ」 「誤解だよ。ふざけてただけ。なんでもないって」 傲慢な態度にますます血が上ったが、そのとき仙道がトレイをベッドの上に置き、無造作にジーンズを脱ぎ捨てた。 とっさに目を逸らそうとしたら腕をつかまれた。そのまま引き寄せられ、Tシャツの裾をいじられる。 「…これも脱ごうよ。いいだろう?」 頭にきて、Tシャツを押さえつけた。 「てめぇ! マジメに話てんのに!」 低く荒い声のまま、仙道が答えた。 「オレだってまじめに、裸のおまえとベッドに入りたいって思ってる」 仙道の手をピシャリと叩いたが、向こうは花道の苛立ちなどどこ吹く風といった感じだった。 とにかく花道をからかったりふざけたりしたい気分のようで、ヤツの上機嫌には太刀打ちできなかった。 結局Tシャツの引っ張り合いで仙道が勝ち、気づいた時には素っ裸にされていた。自分を隠せるものとしてはもう自分の両腕しかない。 ヤツの視線があちこちにふれると、実際にさわられているような気がした。とりわけお腹に視線を注がれた時には。 「作業着姿もかわいいと思ったけど、裸はほんとに…」 低く口笛を鳴らした。 電気をつけていなくてよかった。 自分の身体に自信がないというわけではない。恥ずかしがったり気後れするいわれはない。 が、臆面もなく鑑賞されることに慣れているわけでもない。『女』として見られるのはもちろん、 仙道のような男に眺められるなどもってのほか。淡い光と長い影だけが、一心に見つめる仙道の視線から、多少なりとも花道を守ってくれた。 花道の腰にゆったりと腕をまわし、仙道が身体から顔へと視線を上げていく。影の中でも、瞳に宿った焔が見て取れた。 「さてと。オレをどやしつけるつもりなら、一杯飲んでからにしない?」 すっかりうろたえていたので、コーヒーを頭からぶっかけてやろうかと思った。胸の前で腕組をし、 足で床をトントンと叩いてヤツを睨むと苦笑とため息が返ってきた。 「あのね、おまえは何でもないことに妬いてるんだよ」 ヤツの思い込みに息を呑み込み過ぎて胸がつかえ、二倍もバカみたいな気分になった。 「テンメェ! オレは、妬いてなんかねえ!」 「そっか。妬いてない。怒ってるだけ。了解」 仙道は向きを変えたが、その前に浮かんだ小さな笑みを花道は見逃さなかった。 バカにしてる! キーーーーッと血圧がさらに急上昇した。 仙道はベッドの上に長々と横たわり、背中を壁にもたせかけ、足首を交差させて、腰の隣のマットレスを叩いた。 「来ない?」 花道は下唇を噛んだ。 うまく足が動かせなかった。 のどがカラカラになった。 服を着ていない男を見たことがないわけじゃない。男だった頃はもちろん、その後だってテレビも見るし雑誌も買う。 ただ、そういう男たちのそれは、仙道のような効果を花道にもたらさなかった。 しつこいようだが、仙道の身体は、本当に、なんというか、とにかく……スンバラしいのだ。文句のつけようがない。 その魅力に、誰だって目が釘付けになる。 花道が見つめているうちに、それは徐々に硬度を増し、やがて完全に勃起し、長く固く隆起した。口が勝手に開き、 胸の鼓動が、徒競走でもしているかのように速くなり、息もできなくなった。 あんなのがナカに入っていたのだ。 し…信じられない(泣)。 あんなのがあんな……もう目がぐるぐるまわり、頭上を小鳥がぴよぴよ飛んでいた。 仙道が低い声を洩らしたので、花道はパッと視線を顔に向けた。にっこりしていたが、表情はこわばっていた。 「…腹がペコペコの女の前に差し出されたごちそうになった気分」 手を下に伸ばし、自分自身にそっとふれる。 「おまえのそばにいるあいだじゅう勃起してるのには慣れてきたけど、これ以上その貪るような視線を注がれたら恥をかいちゃいそうだ」 自分の脈の音が耳の中に響く。 ヤツを見つめた。どうしたらいいのかわからなかった。 どうしたいかはわかっていた。 『セックス』。 ヤツからもらえるのはそれだけだし、ミッチーがうろちょろしているとあっては、これが唯一のチャンスかもしれない。 仙道がもう一度ベッドの隣を叩いた。 「来いよ桜木。大丈夫だって。ちょっとは信用してくれ」 なだめるような声に花道は折れた。ほとんど麻痺した状態でのろのろとベッドの反対側にまわると、布団の中にするりと入った。 布団を引き上げ裸体を隠す。そしてただじっとしていた。言うべきことが見つからなかった。 仙道がコーヒーをカップに注いで差し出し、そのまま待っているので、花道もようやく布団の中から片手を出してカップを受け取った。 慎重に一口すすると、仙道がこちらを向いた。 「まずは重要なことから。相田さんはオレをベッドに連れ込もうとしない数少ない従業員のひとりだよ」 さっきより落ち着きを取り戻した花道は、仙道を一瞥した。 「…ちゃんと見た。あのヒトはテメーにゾッコンだ」 仙道が肩をすくめた。 「好意をもたれてるのは知ってるよ。でもそれだけだ。彼女は本気じゃないし、オレだってそうだ」 何かせずにいられなくなり、花道はトレイの上のドーナツに手を伸ばすと、ガブリと噛み付いて仙道と下手な言い訳を積極的に無視した。 こんなヤツ欲しくねえ。欲しくねぇったら。 少なくとも『長期的』とか『シンケンな相手』としては。 だったらヤツが雇ってるオンナノヒト全員と寝てたとしても、何が気になるってんだ。気にならねえ。なるわけがねえ。だけどそれでも、 くやしいことに、どうしても ……気になった。 「だいたい相田さんは婚約してる。幸せいっぱいさ」 花道のあごをつかんで顔を向かせる。 濃い瞳はとても真剣そうだった。まるで花道に信用してもらうことが大事だと思っているかのように。 「相手にも会ったよ。前の職場の上司だって。全体的に丸い感じでいい人そうな人だった。とにかくふたりは愛し合ってるんだから、 オレとふざけあったとしてもなんの意味もないし、それはお互いよくわかってる」 「…なんでチガイがわかるんだよ。『本気じゃねえ』とか」 驚いたことに、何の前触れもなく仙道が手を伸ばして布団の中に突っ込み、中指で乳首にふれた。 そのままとても集中した熱心な顔でそこを転がされ、その部分がすぼまる様をシーツの隙間越しに見つめられて、 花道の背中をゾクゾクするものが駆け上がり、あとから熱い波が押し寄せてきた。身をよじりそうになる。 「わかるんだ」 花道の、すでに潤んだ視線をとらえてじっと見つめる。 「かなり本気であの手この手を尽くしてきた娘も何人かいたけど…」 指で身体を這い上がり、あごにふれる。 「だけど、前にも言ったとおり、オレは従業員とは寝ない。絶対だ。わかった?」 普通に息ができるようになるまで、少し時間がかかった。 仙道がカップをテーブルに置いて、カチッと明かりをつけたので、一瞬目がくらんだ。 「さて、話をしようか」 その言い方が気に入らなかった。そのままスルんだと思っていたが、あんなに焦らしたりふれたり熱い視線を注いだりした割には、 そういうつもりはまったくないらしい。 「…シゴトにでかける支度をしねえと」 「時間はあるだろ?」 手を伸ばし、花道のカップを取り上げる。ドーナツの最後の一口まで奪って、トレイを床に下ろした。再びベッドに身を起こしたときには、 ヤツはすっかり事務的になっていた。 その皮肉には驚かされたが、おもしろくはなかった。 花道はすでにひとりで興奮して緊張して焦れていたから、おもしろがるどころではなかった。ブツブツ不満そうに言った。 「…したいのはハナシだけかよ。信じらんねえ」 「話『だけ』? まさか。だけど話し合わなくちゃいけない大事なことがあるだろう?」 花道の首筋を撫でる。 「話が済んだら、オレのかわいそうな身体を好きなようにもてあそんでいいから。な?」 色っぽい約束なんかに惑わされるわけにはいかなかった。 「話し合うことなんて何もねえ」 仙道がイライラとため息をつく。 「観念しろよ桜木。状況が変わったのはおまえだってわかってるだろ? オレにはいくつか質問する権利がある」 「………オレと寝たからかよ」 「そのとおり」 いつもはからかうような雰囲気が、いまは真面目すぎて花道は落ち着かなかった。 「だけどそうじゃなくて、おまえの別れた旦那のこと、オレが昨日あることを目撃したって事実もある」 ドキッとした。 「テメェには関係ねぇことだ、センドー」 花道の仕事を破滅させようと思ったら、三井には間違いなくそれができる。仙道のホテルに害を及ぼすこともできる。 万が一そんなことになったら自分が許せない。 「なに言ってる」 つぶやいた口調はきつかったが、あごをすくう手はやさしかった。 「信じてくれって言ったよな、桜木。大丈夫。信じてる。おまえはバカじゃない。おまえが大抵の状況にひとりで対処できるのもわかってる」 「どんな状況にも、だ」 仙道の声が低くなり、眉根が寄った。 「昨日のあれがなんだったのかを知りたいし、あの男が一度でもおまえを傷つけたことがあるのかどうかも知りたい」 やめてくれ。 花道は逃げ出そうとした。 こいつに頼ってはならない。打ち明けてはならない。 洋平を危険にさらしているだけでもつらいのだ。もしセンドーまで……ダメだ。人生がややこしくなるだけで、何も楽になりはしない。 思いを行動に移すより早く、仙道に二の腕をつかまれ逃走を阻まれた。半ば身体を引きずり上げられ、顔と顔を突き合わせられた。 「桜木、いい加減に――」 仙道につかまれたところから、腕全体に激痛が走り、花道は驚いて身を固くした。その瞬間仙道の手から力が抜け、 花道を仰向けに寝かせると、上からのぞきこんだ。が、その表情は非常にこわばったものだった。 「…いまのは?」 ゆうべ三井に手荒なマネをされたことは、ちょっとした残忍さで腕に痣を付けられたことは、決して言うつもりはなかった。 どんな男と結婚したかを白状するのが恥ずかしいだけではなく、仙道の同情などいらなかった。仙道の干渉など断じていらなかった。 いるのは……セックスだけだ。 花道は顔を背けた。 ふたりのあいだで沈黙が脈打った。仙道の両手が肩を撫で下ろし、二の腕をさすって、探って――恐ろしい静けさが仙道を包むのがわかった。 「なんてこった」 ヤツが何を見つけたのか、見なくてもわかった。 痣ができやすい体質だし、三井はいつもどおり、痕が残るようにわざと強く握り締めたのだから。 仙道の指先が羽のように軽く、そのあざにふれた。 仙道には肉体的に傷つけられていないけれど、精神的には粉々にされた気分だった。ひどく暗い声で、仙道が訊ねた。 「…あいつがやったのか?」 こみ上げる感情を呑み込んで無頓着な声を出すのは容易ではなかった。が、やるしかなかった。 「たいしたことじゃねぇ」 ふれれば治せるとでも言うように、仙道の指はやさしくさすり続けた。身体から緊張感を漂わせ、かすれた声で言った。 「それは…」 とてもやさしい声だった。 「あんまり何度も同じようなことをされたから、もう気にならなくなったってこと?」 花道は無理矢理仙道の方を向いた。 「テメェには関係ねぇってコトだ」 しっかりした、感情を隠した声で言い、きっぱりとはねつけたことで仙道が怒りだすだろうと半ば予測した。 ところがヤツは前かがみになって、口唇に軽い、謝罪のキスをした。瞳をじっと見つめた。ほんとうにやさしい表情で見つめた。 「ごめん、桜木。今度だけは…無理だ」 その声に潜む決意にハッとして起き上がろうとしたが、仙道に上からのしかかられ、両手だけでなく、両脚まで押さえつけられていた。 その圧倒的な力に、花道は鋭く息を吸い込んだ。 その存在に、腕も、痣も、ミッチーのことも、すべて頭から消え去った――仙道が口を開くまで。 「今度だけは…」 仙道が囁いた。 「関わらせてもらう」 *** 見つめ返す花道の顔には緊張がみなぎっていた。ほとんど顔面蒼白で、目は澄んでいた。 「…どけよ」 仙道は決意を固めた。 花道の心に到達しなければ。何としてでも。 「オレは……傷つけたりしないよ」 あごに、首筋に、そしていまでは感じやすい場所だと知っている耳に、そっとキスをする。花道の脈が上がると、 そこに舌でふれて湿った部分を残した。 花道を大事にしたかった。そのためには手始めに花道の心を和らげなくては。 簡単だったことはない――いつも、努力させられる。 そして仙道が花道の秘密にたどり着く道は、やはりたったひとつしかないようだ。小さく繊細なキスを、 敏感なところすべてに降らせながら囁いた。 「絶対に傷つけたりしない。もう、わかってるはずだ」 「そりゃ…でも…」 新たな感覚に花道の声が震えた。 ありがたい。簡単に興奮してくれる。少なくともオレには。 湿ったキスで肩から腕まで這い、醜い痣を口唇で癒して、こんなことをした男をとっつかまえたいと本気で思った。八つ裂きにしてやる。 憤怒を抑えるのは容易ではなかったが、いまの花道が必要としているのは、まったく違うものだということはわかっていた。 身震いする花道に訊ねた。 「おまえに何をしたいか、わかる?」 視線を泳がせて、花道が小さく首を振った。 息遣いが速まる。ごそごそ動いて身体を浮かせてくる。 もう、押しのけようとしていなかったから、仙道は少し脇へ移動して、片手を平らなお腹の上に載せた。耳に直接囁く。 「身体じゅうにキスしたい」 花道の息が詰まり、止まった。 目が閉じる。繰り返す短い吐息。 興奮しているのは花道だけではなかった。仙道を動かしているのは非情な決意だったが、花道にふれたりキスしたりしていれば、仙道自身、 夢中にならずにはいられなかった。 花道は仙道にとってすごく大切な、特別な存在で、強情で意地っ張りで自立心が強い。花道の心に到達するにはセックスを利用するしかない。 だから、花道の想像が及ばないくらい最高の快楽をくれてやる。 「ここは?」 身体を指先で撫で上げながら胸まで戻り、くるくるとその突起をなぞる。ぴくっと弾んだ花道が、さらに息を詰めて震えたまま目を閉じ、 必死に小さくうなずいた。 「ここ……吸われるの、好き? 熱くなる?」 息も絶え絶えに花道が見上げた。すでに瞳が潤んでいる。真っ赤になったまま下唇を噛む。 「知…知ってんだろっ…」 「じゃあ吸っちゃおう」 その、すでに勃ちあがった固い感触を確かめるようにのんびりと弧を描き続ければ、そのままに花道の身体がビクビクと跳ね続ける。 「…もうちょっとあとで」 花道が焦れた声でうめいたので思わず満足げに見つめた。 言うことをきかせるために興奮させておかなくてはいけないなら、その点は問題なさそうだ。 「じゃあここは?」 開いた口唇にくちづける。深いキスではない、軽い、かするような焦らすキス。 「う…ん」 吐息が仙道を捕らえようと追ってきた。下唇を舐めて甘噛みし、ちょうど花道が不満そうな声を洩らしはじめたとき、 ずっとやさしくこすっていた乳首を摘んだ。 「あっ……」 ビクッと大きく花道がわなないた。 「気持ちいい?」 指の力をちょうどいいくらいに保ち、少し引っ張って、転がす。 「あっ…やっ…」 すがるように仙道の首を抱こうと両腕を掲げたとき、痣の痛みに顔をしかめたのがわかった。仙道がくすぶる怒りに目を細め見つめたままじっとしていると、 観念したように涙声で花道がねだった。 「も…ヤ…だ、はやく……ちゅー…」 瞳に浮かんでいた表情を消し、笑顔で目を閉じ花道の方にかがんだ。 「おまえがしてほしいなら、何でもするよ」 長くゆっくりと深いくちづけを交わしながら、乳首をいじり続けた。花道の必死の舌がもつれ、息がからまる。 仙道の手は胸を離れ、次はお尻を撫ではじめた。 「ここにもキスしたい」 口唇を重ねたまま言う。 「おまえの肌は、どこもすごくやわらかいからおかしくなりそうだ。それからここにも…」 太腿の内側にふれる。小さな輪を描きながら少しずつ付け根に近づいていく。 花道が甘い声を上げて身をよじる。 軽いタッチのまま巻き毛を指に絡ませる。 「ここにも」 「…ンド…ッ…」 太腿のあいだに手を当てたまま、顔を見ようと身体を起こした。花道の目はとろんとして温かく、頬は朱に染まっていた。 「脚を…開いてくれる?」 すぐにおずおずと従い、震える太腿を広げた。 視線で押さえつけたまま、そこを指で広げ、中指をゆっくりとうずめた。内側の筋肉が締め付けてくる。逃がしはしない、といわんばかりに。 「おまえが心配なんだ、桜木」 花道が息を呑んで目を閉じ、もっと深く誘い込もうと腰を浮かせた。仙道は押しとどまった。 「オレを見て桜木。おまえが見たい」 少し時間がかかったが、ようやくまぶたが上がった。 「いい子だ。目を逸らすな。オレから逃げないで」 ゆっくりと指を動かした。花道を見つめ、反応を見ながら。手の付け根を丘に当て、ゆっくりとこすりつけつつ、中指をじわじわ出入りさせる。 花道は熱く、一秒ごとにますます熱くなり、息遣いはどんどん早くなった。 指を引き抜いて繊細に膨らんだ襞をいたぶり、蕾の方まで刺激して花道に息を呑ませ、また上に戻って深く挿しこむ。 花道が喘ぎ、また目を閉じた。耳元で囁いた。 「想像してごらん。おまえにふれて、這いまわって、なかに滑り込んでるのが、オレの舌だったらどんな感じがするか」 思わせぶりな自分の言葉に、身体がこわばった。 大変だ。気をつけないと、オレの方が我を忘れてしまう。 花道を味わいたくてたまらなかった。 切ない喘ぎを聞き、激しい反応を感じながら、口で女を悦ばせるのは昔から大好きだった。 女の身体はやわらかくて甘い。 だが相手が花道だと、その馴染みの欲望はいや増した。なぜならただのセックスではなくなるから。花道だから。花道はオレのものだから。 花道がうめき、仙道にまわした腕に力を込めた。 「…やく…ンド…も…入れ…」 「あとでね」 入らずにいられようか。こんなに誰かを求めたことはいまだかつてない。 ゆっくり、じっくり、指を挿し入れ、いたぶり、繊細な部分を訪れて、後退する。花道が身をこわばらせる。 「ここだよ、…なみち」 荒れた指でぷっくりとふくらんだクリトリスをこする。 絶頂に達しないよう、長引かせるよう、気をつけながら。 いまの花道は、ぼうっとして、昂ぶって、この上なく熱くて、きれいだった。 「ここにキスする。舌を絡ませて」 花道の途切れがちな息遣いがますます激しくなり、全身から熱が溢れ出す。悩ましげな瞳は仙道の目を見つめ、まるで逸らせないかのようだった。 口唇に口唇でふれ、囁いた。 「しゃぶってあげる」 かすれた悲鳴とともに花道がもう少しで果てそうになった。仙道は急いで指を離し、すりよってこようとする花道を押さえ、なだめた。 「シーッ……」 髪を撫で、耳に口付ける。 「楽にして。オレが心配だって、言ってくれ。桜木」 仙道の肩に爪を食い込ませ、胸に当てた口唇を開く。戸惑ったように涙声で訊ねた。 「…んで、んなこと…すんだよっ」 「しゃべってること? それともさわってること?」 花道の呼吸は乱れ、身体はわななき、解き放たれるのを焦れるほどに待ち望んでいた。 「両…方…っ」 「さわってるのはおまえを悦ばすため。高まって高まって、そのうち我慢できなくなるよ」 耳の穴に舌を挿しいれ、そのまま耳たぶを口に含む。 「嘘じゃない」 「も……も…オレ…欲し、い…っ」 お腹が腹筋をこすり、やわらかな胸が押し付けられる。震える涙声。 「ガマン…できね…」 奪いたい誘惑と戦った。 仙道を包もうとして下へ向かった花道の両手をつかまえた。そこをつかまえられたら、自制心など吹き飛んでしまう。 「オレが心配だって、言って、桜木」 花道が首を振る。 「ヤ・だ…っ」 「言ってくれ」 「ンドー…っ」 「言って」 片手で花道の両手を頭上に押さえつけ、もう片方の手で身体を撫で下ろした。脚が開いたので、親指と人差し指でクリトリスを挟み、 ほんのちょっとだけ力を入れて、ただふれる。そこで脈打つ鼓動を感じた。 花道が必死で泣き声を上げ、頭を振った。 「桜木?」 ほんのわずかに力を加える。花道が身も世もなく身悶える。その凄まじい快楽にぶるぶると震え、ついにくず折れた。 「…うだよっ」 必死のあまり声が荒かった。涙を散らして言った。 「テメェが心配だっ」 仙道は肩を使って花道の身体をベッドに押さえつけると、片手を太腿のあいだに当てたまま、じっと花道の顔を見つめていた。 「…あいつに手を上げられたんだろう?」 突然仙道の思惑を悟って、花道の目が丸くなった。 「おめぇ……」 おっと。気を逸らせるわけにはいかない。 決意のもとに無情になって、中指と薬指をずぶりとうずめた。 喘ぎ声とともに花道が首を反らし、身体をこわばらせ、狂おしい快感に洗われて怒りが和らぐさまを、仙道は見つめた。 追求しなくては。知らなくては。 「アイツに酷い目に遭わされたから、なんらかの方法でオレまでそういう目に遭わされるのが怖いんだな?」 花道がギュッと目を閉じ、首を振り、答えるのを拒んだ。 花道を突き崩し、口を割らせる。何としても。 今ではすっかり濡れて、寸前まできていて、媚肉はふくらみ感じやすくなっている。指を挿入したまま、もう一度親指の腹で、 すでにこりこりのクリトリスをいたぶり、撫で、転がす。 「言ってくれ桜木」 背中が弓なりになって口唇が開く。ひくひく震えながら胸を突き出す姿勢になったので、仙道はこらえきれずぷつんと勃った甘い突起を一瞬愛しげに口に含んだ。 やさしく吸い、舌で翻弄すると花道がさらにビクビクと震えた。 「ふぁっ」 「言って」 「やっ…あっ・あっ・あっ!」 指をしゃぶるように切なく締め付け続けていた筋肉が急激にこわばり、今度ばかりは仙道にも止められなかった。 口唇を奪い、花道の興奮を味わい、荒々しく危うい悶え声を呑みこんだ。花道が絶頂を迎えた瞬間、濡れた熱が指を洗い、内側の筋肉がきつく痙攣するのを、 解き放たれた余韻のさざ波を、感じた。 花道が途切れがちな悲鳴をあげ、快感にすべてを忘れ、何度か大きくわなないたあと、がくりと弛緩し仙道にしなだれかかった。 徐々に花道が落ち着き、しまいにはじっと横たわるばかりになった。仙道は花道を半ば身体の上に引き上げると、胸に抱き寄せてあやすように揺すった。 ちくしょう。思ったとおりに運ばなかった。 花道に打ち明けてもらいたかったのに。 信用してもらいたかったのに。 そろそろと、花道の指が仙道の胸の上で開いた。やはりゆっくりと、顔を上げて仙道を見た。赤い髪が、汗に濡れ顔にかかっている。瞳はまだ潤んでいる。 紅潮したままの頬。口唇はバラ色に腫れていた。 仙道はただ待った。 花道が何をするのかわからなくて――自分も何をしたらいいのか、わからなくて。 仙道の口許を見つめて花道が言った。 「ケッコンして一週間後に、ミッチーに殴られた」 *** 仙道の身体は硬直した。 わかっていた。そうとも。わかっていたはずだ。 が、花道があまりにも何でもないことのように言うのを聞いて、胸が引き裂かれそうになった。 花道がひとりでくぐり抜けたことに胸を痛めながら、震える両手で花道を抱きしめた。花道が身震いした。 仙道から滑り下りて頬を肩に載せ、楽な姿勢を取ろうとすり寄ってきた。仙道には隠れたがっているように、 顔を向かい合わせて告白するのを嫌がっているように思えた。 乗り越える手助けをしたい。 恥ずかしがることは何もない。オレから隠れる必要など決してない、そうわからせたい。 「二度とやらないとは言わなかった。謝りもしなかった。一度ぶったら、ぶっちゃいけねぇ理由なんてないと考えたみてえだ。 オレがぶたれるようなことをしたと思ったり、腹が立ったりしたときは…」 「結婚する前に手を上げられたことは?」 深いため息をついて、花道はかぶりをふった。 「ミッチーとはじめて会ったのは、オレがこんな身体になっちまったあと。湘北を転校して、ちょうど前々から言われてた、 叔父サンとこで暮らしはじめてすぐの頃だった。ヤツははじめて会ったときからグレてたけど、オレはもともとそういうヤツの方が…… よくわかるっつーか、なんつーか。まあミッチーのことだって……別にキライじゃあなかったんだ」 遠い昔を眺めるように、花道が言った。 「なんかショーホクのこと、知っててよ。オヤジ(安西先生)のことなんかも。オレが話すたんびに、懐かしいような、つらいような、 ヘンな顔してた……とにかくそんなんもあってオレらはちっとずつ親しくなった」 目を伏せたまま少し笑った。 「…最初は思った。乗り越えてくれんじゃねえかなって」 「何を?」 「オレらの……状況を。別れるわけにはいかねかったし」 「…妊娠…してたから?」 その可能性に全身がこわばった。 花道が情けなさそうに笑った。 「…オレたちがなんでケッコンしたか、わかるか?」 仙道が思いつめた表情のまま首を振った。 「チツケイレンだ」 仙道の表情が固まった。 「ウソだ。つか正式にはそうは言わないらしい。けど実際オレらは救急車で運ばれた」 仙道もその言葉は知っている。どういう状況かも聞いたことはある。が、正式にはどう、ということなどは知らなかった。 「オレは、めちゃくちゃ痛かったことしか覚えてねえ。相手も相当イテェらしいけど。でもオレは…その直前までのことはあんま覚えてねんだ。 酔っ払ってたし。でもはじめっからムリなことをしたんだろな。ミッチーはオレが誘ったっつーんだけど、ホントに……なんも思い出せねんだよ」 花道は寂しそうにため息をついた。 「小さな町だったからな。一晩にして町中に知れ渡った。オレもそうだがミッチーは、男として『ヘタクソ』の烙印を押された」 花道が首を振った。 「オレの叔父サンてのが、その町でイチバン有名な進学校の教頭でよ。すごく……ものすごくマジメなヒトだった。やさしいとかいうのとは、 ちょっと違ったけど…」 いろんな表現を呑みこんだ言い方だった。 「当然だけど、叔父サンはひでーショックを受けた。特に世間体とか…ダイジなヒトだし、な」 花道が目を伏せた。 「もともと関係はうまくいってなかった。けどその一件で堪忍袋の緒が切れたんだろーな。オレは昔から、かあちゃんはいなかったし、 とーちゃんも中坊ん時に亡くしちまってた。だからわざわざ遠い、たったひとりの身内のその叔父サンっつーののとこに行ったんだけど。 結局、『おまえの尻拭いをするのはもううんざりだ』って、追い出された。『おまえが犯した間違いなんだから、自分で責任を取れ』ってな」 花道が少し悲しそうに笑った。 「叔父サンはもともと神経質でゲンカクで、オレと合うハズもねんだけど…。それにしてもオレはことあるごとに反抗した。思い出すと、 なんであんなにぶつかったのかわからねえってほど。どうしていつも苦しめようとしたのか。その頃は、もうたったひとりの…身内だったのに、よ…」 花道が仙道を見た。とても悲しそうな、諦めきった顔だった。 「そんでとうとう叔父サンまで死んじまった。オレが町を離れてすぐだった。過労とか言ってたけど、最後はオレのせいで信用も自信も失ってた…… 何もかも失っちまった。けど、オレにはもう、謝る方法がねえ」 花道のまなざしに篭る苦悩に、仙道の胸は張り裂けそうになった。 「『髪が赤い』。『言葉遣いが悪い』。それに『男好き』」 短く笑う。 「明らかに『まちがった男』がな。叔父サンは知らねかった。説明すんのもメンドーだったし、わかってもらえるとも思えなかった。 もともとオレがオトコで、オレ自身がどっちかってーと『まちがった男』の部類だってことも。オレは今でもオンナノヒトがダイスキだけど、 もともと男なんだ。その頃親しくなるのは、トーゼン男ばっかりだった」 思わず花道にまわしていた腕に力を込めすぎてしまった。花道が仙道を撫で、仙道を慰めようとした。続く告白は、もうむしろのんびりとした口調だった。 「ミッチーのとーちゃんてのがまたエラい警察のヒトでなぁ…。ちょうど選挙の年だったか。ミッチーのとーちゃんがいよいよ市長にリッコーホ… っつー年だった。だからミッチーのとーちゃんは絶対に譲らなかった。『正しいこと』をしないならカンドーする、ってな。何年かしたらリコンすればいい、 ミッチーのとーちゃんが市長んなって、オレが成人して、オレらの恥ずかしい事件が町中の人たちから忘れられた頃に…」 「おまえは結婚…したかった?」 花道がまた笑った。 「ほかにどうすればよかった? 身寄りはねえ。金もねえ。行くところもねえ。選択肢は……なかった」 選択肢。 仙道は目を閉じて、自分も花道から選択肢を奪おうとしていたことを思った。 花道は自立を望んだ。自立してしかるべきだ――それなのにオレは拘束しようとした。 仙道の個人的な苦悩に気づかないまま、花道が先を続けた。仙道は感情で胸が詰まりそうなのに、花道はあいかわらず淡々とした口調だった。 「ミッチーと暮らすのは、叔父サンと暮らすよりかはマシかもしれねぇって、何度も自分に言い聞かせた。もしかしたらミッチーも、多少、少しくれぇ、 ホンのちょびっとは、改心するかもしれねぇって、な。ホント、バカだった」 「若かったんだよ、桜木。それと、もしかしたらちょっと世間知らずだったかも。でも絶対バカじゃない」 花道は笑った。 他人から『バカバカ』言われるのには正直慣れてるが、「バカじゃない」と力説されるのは……逆に新鮮すぎてこそばゆい。 でも仙道のやさしさはじんわり染みた。 「ミッチーは間違いなく、オレをバカだと思ったようだぜ? オレがアイツの人生をめちゃくちゃにして、何もかも悪くさせたんだって言ってたな。 町中がミッチーの噂をしてるって。まあ確かに、ケツの穴の小せえヤローには耐えらんねえよな」 うわのそらで花道のすべすべした背中を上下にさすり続けた。 花道は今や『強い女性』だ。けれど、それでもやはり華奢で女性的だ。花道がひとりでくぐり抜けてきたことを思うと、胸が痛んだ。 「離婚はおまえから?」 「ああ。ホントは待つつもりだった。ミッチーのとーちゃんが言ったように。けどオレには……待てなかった。最初にリコンを切り出したとき、 ミッチーは怒り狂った。気が済んだらこっちから離婚してやるが、それまではゼッテー許さないって。八方ふさがりって感じだった」 「旦那の暴力のこと、叔父さんには…」 「叔父サンも知ってた。つか町で知らねぇヤツはいなかった」 新たな怒りに震えが起きた。 『たったひとりの身内』と先ほど花道は言った。が、たったひとりの身内であるその未成年の女の子が、虐待されていると知っていて、 教育者でありながら助けようともしなかったのだ。 「…痣のせいで?」 「ああ。けど……赤の他人からも哀れみの目で見られるっつーのはたまらねぇぜ? いや、深刻なケガはさせられたことねえけどよ」 「殴ったんだろ?」 「大抵は平手打ちって感じだ。痣ができて、口唇が切れたり、目のまわりが黒くなったり……。 昔のオレのケンカに比べりゃどれもかすり傷みてぇなもんだったが、一応『オンナノヒト』が常にそういう状態ってのは、まあ確かに目立つからな」 仙道の緊張を感じ取ったのだろう。花道は起き上がってそのつらそうな顔を見つめ、力なく笑いため息をついた。 「…だから言いたくねかったんだ」 「いいから。おまえのことを全部知りたいんだ。ただ、その場にいたかったと思って。おまえがそんなことを、 たったひとりでくぐり抜けずに済んだらよかったのに…」 仙道の方が、傷ついたように震える腕で花道を抱きしめていた。花道が腕の中で安心したように力を抜いた。小さく笑った。 「ひとりじゃねえぞ。しばらくして急に洋平から電話があったんだ。どうやって調べたんだか。でもオレは電話口じゃなんて言っていいのか、 なにを言ったらいいのか、わかんなくてなにも言えなかった。なのにアイツは勝手に自分でオレの住所を探り出して、次の日には玄関に立ってた。 アイツ見た途端、自分でもびっくりするぐらい涙が出た。けどお陰でミッチーの脅しにも負けねぇで、やっと出て行く決心が着いた」 笑顔が消え、また仙道に寄り添うと、しっかり腕をまわした。 「洋平は昔となんにも変わらなかった。いつもそばにくっついて、いつもオレの味方をしてオレを守ってくれた。金も貸してくれた。 そのうち叔父サンが死んで、オレは叔父サンの財産とか貯えとかをソーゾクした。多くはなかったけど、生活費を切り詰めればなんとか この土地を買うことができた。それでいまは、……シアワセだ」 花道の赤い髪を撫で、頭のてっぺんにくちづけた。 「…途中をたくさん飛ばしたな」 「ああ」 またため息をつく。 「たくさんな。けど今はようやくリコンもできたし、だから何もかも過去に置いてきた。もうカンケーねぇ。オレには。もちろんおまえにも…」 「『オレたち』には?」 一瞬息を呑んだが、首まで赤くしながらそのままほんの少しだけコクンとうなずいた。 その小さなしぐさがかわいかった。嬉しかった。ふたりは事実上の『ペア』だと、花道自身がようやくかすかに認めてくれたことが。 花道のうしろ髪を指先で梳きながら、囁くように仙道が言った。 「でも…あいつがまだつきまとってるなら、本当に終わったことにはならないな」 「センドー」 うなるように言い、花道が顔を、やや身を起こした。胸の上の胸の丸みが実にたまらなかった。 「オレが頼まねぇ限り首を突っ込むなっつったダロ」 冗談だろう。真顔で答えた。 「ああ、口ではそう言った」 花道の目が細まった。 「もう何人ヒデー目にあったと思ってんだ」 「だから?」 「だからテメーまであのヤロウに足をすくわれてほしくねえんだよ」 「わかった」 足をすくわれたりしない。倒れるまでぶちのめしてやる――そのふたつはまったく別のことだ。 こぶしでドンと胸をたたかれて、仙道がはっとした。 「おいセンドー!」 怒ってる。かわいい。けど怒ってる。 いまは争いたくなかったので、花道を仰向けに押し倒した。 ひとつになりたい。 もう一度わがものにしたい。 花道はオレのものだと、自分にも花道にも証明したい。そんな欲求がどんな感情にも勝った。 「シーッ。約束したことは覚えてるよ、桜木。オレに打ち明けたことを後悔させたりしない。だけど二度とあいつに手を上げさせるわけにはいかない」 花道が首を振り、ダメだ、と拒もうとしたので、仙道は耳元に囁いた。 「そういえば今日はオレ、たくさん約束したよな?」 こそばゆさに身をすくめながら花道が不満そうにつぶやいた。 「…何のハナシだよ」 「セクシーな約束のこと。で、これから…」 首をひねって時計を見る。 「ふたりとも出かけなくちゃならないときまで、たっぷり一時間ある」 二の腕の、色濃い痣がきれいな肌にくっきりと浮かんでいる部分にふれた。 「…大丈夫? 腕は痛む?」 「いや」 信じなかったが、花道のプライドは仙道にとっても大切だったから、問い詰めることはしなかった。 「よかった。じゃあ貴重な一時間を愉しんで過ごすってのはどう?」 『楽しんで』ではなく『愉しんで』というニュアンスは、鈍い花道にも伝わった。お陰でイエスともノーとも返事ができなくなった。 仙道の手がそっと花道の胸を包んだ。たちまち花道の鼓動がトクトクと伝わる。 「『いい』って言わされるんだぞ」 花道の目がゆるゆると閉じ、望みのないため息をついた。真っ赤になって顔を逸らしうつむくと、口唇を尖らせて言った。 「…知ってる」 にっこりして、自分も胸をドキドキいわせながら、仙道はキスで身体を這い上がり、言葉では伝えられないことを感触で伝えようとした。 「おまえの胸、大好き。かわいくてやわらかくて気持ちいい…」 花道の苦しそうな笑い声に嬉しくなった。 「あんまホーマンじゃねえぞ?」 「完璧だよ」 やわらかい丸みをゆっくり揉んで、可憐なピンクの突起に舌を絡ませ、吸う。 「セッ…あっ…」 びくっと震え、悩ましげにきつく眉根が寄る。 「ああ、かわいくてたまらないよ。ほら、ここは特に。すごく敏感で、甘くて、オレをいっぱい感じてくれて…」 「あっ…あっ…やっ…」 激しく舌先で嬲っては慎重に口唇ではさんで引っ張る。ちゅ…ちゅぱ…と繰り返される湿った音とその愛撫の感触に花道の四肢がこわばるが、 仙道はやすやすと押さえつけ、小さなあらがいの声も無視して、舌先でその突起を繊細に翻弄し続ける。 反射的に逃げようとする花道を抱きしめて、言った。 「オレは押しのけられたりしないよ、桜木。絶対に」 そして、きつく眉を寄せ、ふたつの丸みをはげしく揉みしだきながら、その甘い突起を深く吸い込んだ。 花道が切なく身悶え息を呑む。 仙道は反対の胸にも同じ待遇を施した。刺激する度に花道が下でビクビクと震えながら、指で仙道の髪をわしづかみにする。 用心しながら花道の両手首をつかむと、腕を頭上に掲げさせた。 「痛い思いをして欲しくない。手は上」 「…ンド…」 すでに息も絶え絶えの喘ぎで仙道を呼ぶ。 「やって桜木。オレを信じて」 不安をたっぷり浮かべたまま、花道は頭の上付近のシーツをつかんだ。全身がこわばり、未知のものを待ち構えていた。 「な…なにすんだよ…」 「乱れさせてあげる」 両手で撫でまわす。 肩からすべすべした腕の内側へ、胸へ、お腹へ。そして太腿へ。全身なめらかで、つややかな花道。オレのものだ。 花道がやるせなくなじった。 「も…もうとっくに乱れてるっ」 「まだまだ」 仙道がお腹をチロチロと舐め下りながら、意地悪な舌に筋肉が痙攣する様を眺める。そのまま舌をおへそに挿し入れる。 「おまえのお腹が好きだ」 たまらず花道が腰をくねらせるので、つかまえて押さえつけなければならなかった。 「無駄な抵抗はやめろよ」 「じゃあイジメんのはやめろ」 仙道はにんまりした。 「我慢ってものを教えなくちゃいけないようだな」 つづく
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