エロイカより愛をこめすぎて 04 act.04 暗くなるまで待てない I can't wait until dark. From Eroica with too much Love
「ボーナム君助けてくれ。私はもう欲求不満で死んでしまいそうだ!」 「伯爵……確か数日前に外泊してましたよね」 ボーナム君は若干呆れ顔で、力説するご主人様にそう言った。 快晴のテラス。 風にはためく洗濯物。 *** 恋多き男、華麗なる泥棒貴族ドリアン・レッド・グローリア伯爵は、永年の片思いを成就して、 なんとあの難攻不落と思われた鉄壁の独軍少佐殿と某(なにがし)の関係を持つに至っていた。 その某をうっすら知っているのはボーナム君ともう一人だけだったが、大人なので (もう一人はお金にまったく関係ないので+少佐が怖いので)突っ込んで聞くような野暮なことはしない。 が、むしろ伯爵の方が、『悩み相談』的スタンスで、正直あまり聞きたくないことまでボーナム君に話してくる。 『悩み相談』も何も、伯爵以上に色恋経験の豊富な人間もいないはずなのだが、「他に打ち明けられる相手もいないのだろう」と、 どこまでも伯爵に甘々なボーナム君は、大抵の場合はいいように相槌を打ってくれた。が、真実を知っているだけにどうしても 冒頭のような身も蓋もないやりとりとなる。 「そんなに私はさわりたくならない男かね!?」 ボーナム君の赤面顔いっぱいに困惑が広がる。 「そんなこと私に訊かれても…」 *** 「特別な関係」になった。 と、少なくとも伯爵は思っていた。 しかし、少佐がどう思っているかは、正直伯爵にもさっぱりわからなかった。 ただひとつ、はっきりと言えることは、少佐は相手が特別(?)であろうがそうでなかろうがなんだろうが、 とにかく『ケチな男』である、ということだ(苦)。 好意を寄せられている、という自信もぶっちゃけ、ない。 ふたりで会っている間の少佐の伯爵への対応は、昔とほぼ変わらない。 (昔ほどは、むやみやたらと石を投げたり、 追い掛け回したり、殴ろうとしたりはしないが(苦)) ただ、以前と違って、『そういう時間』がなくはないから、200%嫌悪の対象…というわけではないだろう、というくらいだった。 だが、その『そういう時間』も、自発的に少佐にエンジンがかかるということはまずない。 さわりたくてしょうがないのはいつも一方的に伯爵の方で、表向きは隠しているが、実は毎度『犬ぞり犬も真っ青』という勢いの伯爵が、 百戦錬磨の手練手管を駆使して手を変え品を変え、いつもやっとこさこぎつける。 しかも真っ暗闇の中で。 そう、一切何も見えないのだ。 でないと少佐が怒り出すから(哀)。 *** 少佐の行動にはだいたいルールがある。 任務第一だが、それに応じたタイムスケジュールはだいたいいつも決まっている。 就寝までのトレーニングも就寝時間も就寝スタイルもだいたい固定だ。 これを邪魔するようなことをすると事態は伯爵の手に負えなくなるので(苦)、 その間伯爵はまったく少佐に干渉しないか、いい子ぶりっ子を貫き通す。 部屋の明かりが消えて、あとはサイドテーブルの弱い明かりだけ、というような親密な空気になってはじめて伯爵が世間話のように口にする。 「…今日は疲れてるかな?」 少佐はそこではじめて(なんだお前、いたのか)という顔をして伯爵を見る。 言い換えれば、それくらい大人しくしていないと、ここまで辿り着けない(苦)。 「疲れてるに決まっとる」 不機嫌そうにそんな嘘を言われても、こんなところでめげてはいけない。 この返事がデフォルトなのだ。怒っているように見えるがそう見えるだけなのだ。 (もちろん本当に怒っているときもあったが(苦)) 「一緒に寝てもいい?」 正直この言い方が一番難しい(苦苦苦)。 色っぽさが1ミクロンでも感じられたらアウトだ。 邪念や下心がチラリとでも見えようものなら、極寒の深夜であっても容赦なく部屋から追い出される。 そして少佐の答えは二種類だけ。 一つは駆け引きも一切何もなく明快に「断る」というもの。 もう一つは『黙る』あるいは「フン」と言ってさっさと明かりを消す、というものだ。 前者の場合は、嘘も偽りもなく少佐の気分が「そう」なのだから、基本的には引き下がらなければならないが (最近ではそれでもなお伯爵が食い下がってもつれこむこともある(苦))、後者の場合、やっと『今夜はOK』ということになる。 『OK』の場合、明かりをすべて消しさえすれば、基本的には伯爵のしたいようにさせてもらえる。 そっと、静かに同衾する。 伯爵の、大抵かすかに震えてのキスからはじまる。 『はじめて』でもあるまいし、と思われるかもしれないが、それくらい毎回緊張するし興奮するし、ギリギリいっぱいいっぱいだった。 まずは親愛をこめて少佐の頬辺りに。 やさしく、丁寧に。 少佐は抵抗せずマグロ状態だ。 「…………」 「…………」 こんなとき少佐がどんな顔をしているのか気にならないわけがないが、哀しい哉まったく何も見えない。 ただ、ふれた肌からも嫌悪感などは伝わらないから、伯爵もなんとか続けられた。 昔は『千のキス』などと言って相手をたぶらかす余裕もありまくりの伯爵だったが、少佐相手となるとそんな余裕は消え失せた。 少佐を愛していた。冗談抜きに。 そして恐れていた。厭われることを。 少佐にはもともとその気(け)はない。 いつでも、口づけはおろか、ふれられることすら嫌悪される可能性は十分ある。 だから、いつも全神経を集中して、できる限り、この愛が正しく少佐に伝わることを、そして伝わり過ぎないことを祈るように、真摯に、むしろ厳かに口づけた。 少佐の就寝スタイルは、季節を問わず『パジャマにアンダーシャツ』というものだ。 「着過ぎじゃない?」と伯爵は内心いつも思ったが、そんな厚手の生地の上からでも、少佐のたくましい男らしい身体つきははっきりとわかる。 男性でも女性でも、誰もが憧れずにはいられないような完成された身体。 誰もがふれることを許されるわけではないことも十分知っている。 それを今、少佐は私には許してくれているのだ。興奮しないわけがない。 緊張に指先を震わせながらも、伯爵は器用にパジャマのボタンを外していく。 伯爵の動きに『ベッドの相手』を不快にさせるようなものは何もない。 さすがそういうコトだけは人並み外れて重ねてきただけはある(苦)。 で、序盤はそのように比較的しおらしくはじまるが、伯爵も次第に盛り上がってくる。 ずっと恋してきた相手だ。 その体温。匂い。鼓動。すべて。 そのうち理性も忘れそれらに夢中になって少佐を愛していたはずの伯爵は、なぜか大抵すでに少佐に組み敷かれており(?)、 あとは二人ともほぼ本能に流されるままむさぼりあうことになるのだが…。 コトの間、ふたりが言葉を交わすことはまずない。 むしろ意地になっているかのように声の類は一切上げないが、キスだけでもおかしくなりそうな快楽に、ついに荒い息をついて、お互いの吐息を間近に感じる。 が、しつこいようだが一切何も見えない。 もしかしたら、今相手をしているのは少佐ではないかもしれないと思うほど(もちろん視覚以外の五感が、 そんなことはあり得ないことを教えてはくれるが)、本当に毎回一切何も見えていない(苦)。 それでも、恋焦がれてきた相手とふれあえるという奇跡に、悦びと切なさと嬉しさと悔しさが入り混じったような複雑怪奇な感情のせいで、 伯爵は必死に少佐の身体にしがみついてしまう。 もう、ふれあったところからすべて溶け合ってしまいたいくらいなのに。 信じられなくて。 このおかしくなりそうな不安を消してくれるのは、今この腕の中に確かめているこの存在だけだと知っているから。 そしてその伯爵の腕が必死過ぎて身動きできないほどになると、少佐は自分にすがりついている腕を静かに外し、ベッドにそれぞれ縫いつける。 力比べで伯爵が少佐にかなうわけはなかった。 どんなに力いっぱいもがいてもびくともしない強靭な少佐の腕。 こんなとき、少佐は一体どんな顔をして、見えない暗闇の中、自分を見下ろしているのだろう。 呆れているか。 あるいはせせら笑っているのか。 伯爵は悔しくてじれったくて歯噛みする。 そして、もうこれ以上耐えられない…と伯爵が震え出す頃、ようやくゆっくりと少佐が伯爵を味わい出す。 弱い首筋をたどられると、はじかれたように伯爵の身体がびくっと何度も跳ねる。 吐息はさらに乱れ、きつく眉間を寄せ身をよじる。それでも少佐はやめてなどくれない。 伯爵が観念するまで延々と嬲る。 「ふっ…あっ…少……佐っ…」 ついにこえらきれず、伯爵がなじるような声を上げる。 もう気持ちよすぎておかしくなりそうだ。 抵抗を封じる腕は怖いくらい強いのに、愛撫の指先や口唇は身悶えするほどにやさしい。 気の遠くなるような夜のはじまり。 *** というわけで、内容に不満があるわけではまったくない。 あのトーヘンボクは、実は、実にイロイロと心得ているし(どこで心得たんだかが腹立たしいが)ぶっちゃけ身体の相性もいい。 そもそも百戦錬磨の伯爵自身が、盛り上がるよう全身全霊こめてコトに当たっているのだ。よくないわけがない。 ただ、ひとつ、どうしても不満なことがある。 始終一切何も見えないことだ。 もう何度も重ねたが、いまだに伯爵は最中の少佐を見たことが一度もないのだ。 それどころか、寝顔を見たこともないし、素肌を見たこともない。 あり得ない! そしていつも、やりたい放題させてもらえるのは最初の数分だけで(しかも冒頭はほとんど遠慮している。 遠慮しなくなる頃にはすでに主導権が少佐に移っている!(苦))、 あとはだいたい少佐のペースだった。 少佐のペースにも最終的には不満は残らないのだが(『こうしてほしい』などとは伯爵は一切口にしたことはないが、 少佐はそういうコトに関しては的確に伯爵の願いをかなえた。いつも散々焦らした後にだが(苦))、伯爵だって男だ。 たまには伯爵だって自分のやりたい放題にやりたいのだ(苦)。 そしてキレた伯爵は、はじめてその旨希望を少佐に申し伝えてみたが、一笑に伏され、それが理由かどうかはわからないが、 結局その夜はろくに相手もしてもらえず(苦)、冒頭の愚痴につながったのであった…。 *** 「ええ?! 少佐に一服盛るんですか?!」 「ああ、象でも熊でも一発でコロッといくヤツを頼む」 伯爵は大真面目だ。ボーナム君も真顔で言った。 「…死んじゃいますよ」 「………」 伯爵が能面になって黙った。 (それは困るな)と顔に書いてある。が、 「いいからとにかく適度に意識を失うクスリを作りたまえ!」 「はいはい」 器用なボーナム君はさっさと作業場に駆け込んだ。 (一体何が不満なんだか。) 聞くのも恐ろしいボーナム君は、よからぬことが起こりそうな予感を感じつつ、大人しくご主人様の命令に従って作業に入った。 *** あの野郎、絶対何かたくらんでやがる。 少佐にはすぐにそれがわかった。 というか、実際伯爵が一切何もたくらんでいないときでも、基本的に少佐は「あの野郎は絶対何かよからぬことをたくらんでやがる」 と思っていた(苦)。正誤は問題ではなかった。 いつもとなんら変わらない。 久しぶりに会っても相変わらず派手でおめでたそうなうんちくたれだ。 (先ほどもここの街並みの美しさがどーのこーの言っていたが、少佐にとってはボンが最高に決まっていた(苦)) 少佐も昔から人目は引いたが、伯爵に比べればかわいいものだ。 このホテルに着くまでのほんの数分でも、楽しげに少佐にうんちくをたらし続ける伯爵を、通り過ぎる人間の半分近くが振り返った。 悪目立ちにもほどがある。 もうこいつと外で会うのはやめよう。 よく、伯爵のことを『美しい』とか『うるわしい』とか『美人』とか言っている外野を五万と知っているが、 こいつをそんな形容で表現する気はまったくない。 少佐にとって伯爵は『見た目はまずくはない。それがどうした!』 という認識であり、それ以上でも以下でもなかった(苦)。 ふたりきりで会うとき、伯爵は極力少佐を怒らせるようなことはしなくなった。 もともと頭は悪くない。 鈍くもない。 そんなこと十分知っている。 少佐の居心地のよい空間を作ることくらいわけないことなのかもしれないが……。 会う気がなければこんなところで会ってない。 伯爵だってそれくらいなことわかっていそうだが、こうなってから妙に遠慮しているのも知っている。 特にアレだ。 変に慎重に、神妙に、むしろ恐る恐る迫ってくる。 今更一体なんだと言うんだ。 伯爵の『思い』なんか、もううんざりするくらいわかりきっている。 でなければこのおれが相手なんかするわけがない(男だぞ!?(怒))。 それを毎回毎回この阿呆は……… 実際、伯爵のふれ方は不快ではなかった。 むしろよかった。 だからこそじれったくなった。 ぶっちゃければ内心もう『さっさとやっちまえ! グズ!』とさえ思っていた(苦)。 そうして、いつまでもぐずぐず・たらたらとまどろっこしい進め方をしようとする伯爵に代わって、 しびれを切らした少佐が自ずと主導権を握る流れになっていた。 …なんて回想はおくびにも出さず、眼窩に広がる街並みを眺めながら少佐はバルコニーでタバコを吸っていた。 ここはドブロブニク。人よんで『アドリア海の真珠』。 オレンジの屋根に青い海。 美しいとか美しくないとかはどうでもいいが、タバコはまずくないから悪くはないんだろう。 「食事の用意ができたよ。私はもうおなかがぺこぺこだ」 伯爵が中から明るく声を掛ける。 食事はだいたいホテルでルームサービスだ。 本当にいつもとなんら変わらない。 伯爵の話題も、口調も、雰囲気も。 そこが実にクサかった。 「…」 そして一口でわかった。 何か仕込みやがったなこの野郎。 この味は……睡眠系? 実にいい仕事だが(おそらくヒゲだるまの作品だ)、オレの味覚は騙されん。 情報部、嘗めるなよ。 ………ということは一切顔に表さず、少佐は食事を続けた。 *** 「………」 伯爵は片手で口を押さえ、『信じられない』という顔で、横たわる少佐を見下ろしていた。 怖いくらいボーナム君特製の睡眠薬は効いた。 昼食後三十分もすると、少佐はコロッとソファで寝てしまった。 あの少佐が? 昼食後三十分に? ソファで? 寝る? どれも通常なら絶対にあり得ないことだ。 「少佐ー。まだ寝るには早いよー」 「ズボンが皺になるよー」 「KGBだー」 等々、何度か恐る恐る小声で声を掛けてみたが、この呼吸は完全に………寝息だ。 伯爵は、もう興奮のあまり叫び出したくなるような、部屋中を駆け回りたくなるような、なんとも言えない感情に支配された。 しかし、ハッと我に返る。 (まずい! 落ち着かなくては! ここで私が我を失ってどうする!) 生唾をひとつごくりと呑み込んだ。 少佐の寝顔。 明かりの下では、スウェーデンのサウナ以来か? あの時は外野が山ほどいたが、今は完全独占状態だ。 いまさら周りを見回す。 当然部屋には誰もいない。 開け放したバルコニーの窓から爽やかな風。 外に広がるのは世界的に有名な美しい街並みと海。 こんなロマンチックなところで意識のない少佐とふたりきり! 逆に猛烈にドキドキしてきてしまった(苦)。 「………」 もちろん少佐は寝顔も完璧に素敵だ。 思わず心臓を鷲掴まれるような愛しさに、くっとわずかに眉根が寄る。 もともとハンサムなのに、サド目でいつも無駄に不機嫌な場合が多いから、おっかない印象ばかりが強いが、寝顔はいつもよりちょっとかわいく見える。 (いや、いつも怒っていても十二分にカワイイが(病)) 伯爵は、何度か深呼吸をして呼吸を整え、あらためて少佐が転がったソファのすぐそばの床にちょこんと正座すると、 数秒その顔をじいいいいいいっと見つめた挙句、赤面してパッと顔を逸らした。 (な、何をやってるんだ私は! 少佐は眠ってるんだぞ。心行くまで眺めていていいのに! なんでこのチャンスを活かさない?!) と内心どんなに自分を鼓舞しても、どうしても少佐の顔に焦点を合わせられない。 ――なぜだ!(汗) ついには仕方ないので諦めて、ごまかすようにその手を取ってみた。 「………」 (…大きい、な) やっぱりドキドキしっぱなしの自分の心臓の音は終始無視して、その少佐の片手を両手に包み込んで自分の顔のそばまで寄せてみる。 今はもう知っている。 この手がどんなふうに私にふれるかを…。 どんなふうに私を……… と具体的に思った途端ボッと赤くなり、その手をボトッと落としていた。 (何をやってるんだ私は! 手も握れないのか!?) 必死の思いでぷるぷると頭を降り、気分を改めて、ふんっとひとつ荒く鼻息を吐く。 そして力強く決意した。 『もう服を脱がしてしまおう!』と!(苦) ネクタイを外すのも、服を脱がすのも、ベルトを外すのも、ズボンを脱がすのも、もともと大好きだし大得意だ! これなら相手が少佐だろうがなんだろうがこの私にできないわけがない! 私のスケベさを嘗めてもらっては困る! 少佐の裸なんか見たいに決まってる! そうだ! まずはネクタイから! *** 指を器用に入れて難なく緩めていく。 難しいことなど何もない。 (何人にこうしてきたと思ってるんだ!) 結構なところまで緩めると、ワイシャツのボタンを上からひとつひとつ外してみた。 少佐は微動だにしない。 もう大コーフンだ! 楽しすぎる!!! 第二・第三あたりまでくつろげている姿は、これまでにも見たことがある。 アンダーシャツが少し見えるくらいだ。 そしてこれからが『未知との遭遇』だ!!! …と、そこでぴたりと伯爵の動きが止まった。 どうしても、そこから先に進めない。 なぜだか自分でもわからない。 けれど、しばらくすると、自分で元どおりに、ボタンを下からひとつひとつはめなおし、ネクタイもきっちり元の状態に戻してしまった。 「………」 少佐の顔のすぐそばに腕を突く。 真顔だったはずの伯爵はかすかに苦笑した。 少佐のことを『きっとキスがすご〜く下手なんだよ』と言った誰かさんが昔いたが、 別に少佐はキスが下手なわけではない。無駄にはしないだけだ。 やる気がないときは完璧にマグロか、でなければ即刻暴れ出す(苦)。 でも本人にやる気さえあれば、それこそこのまま喰われるんじゃないかと思うくらい… ぞくぞくぞく!!!! 終盤、まるで激しく求められているようなあの錯覚。 思い出すだけで身震いする。思わず我が身を抱きしめた。 あんなの…単に乱暴なだけだ! と何度も思おうとした。 でもダメだった。 乱暴なだけ…………ではないし。 拗ねたように伯爵は、自分の服のリボンの端をいじる。 結局どうされても感じてしまうのは……原因は少佐ではなく、私の方か。くそ。 『千のキス』 少佐が私に千回もロマンチックにキスをしてくれる、というのはちょっと想像しにくいが、私はもちろん千回でも二千回でもいくらでもしたい。 いつだって。 そう思いながら切なさを噛み締めるように、そっとその頬にくちづけてみた。 「………」 もちろん何の反応もない。 それでも少佐の様子を慎重にうかがいながら、そのままやさしくその顔中にキスの雨を降らしてゆく。 愛しているよ少佐。 君が大好きなんだ。 こんなに君を好きになるなんて、思いもしなかった。 ずっと思っていた。 少佐は私にキスをさせている間、いつもどんな顔をしているのだろうと。 私はちゃんと上手に君にキスができている? 君はちゃんと『気持ちいい』って感じてくれてる? もちろん今は眠っているのでなんの表情も期待できないけれど。 そしてそのままその勢いで、無反応の少佐の口唇に自分の口唇を重ねようとした。 「………」 できなかった。 どうしてもできなかった。 *** 少佐の顔の両側に腕をついたまま、伯爵はうつむいて口唇を噛んでいた。 少佐は、わかっていてあの食事を食べた気がする。 ――どうして? *** 自分が嫌になった。 少佐はいつも嫌なことは嫌だとハッキリ言う。 でも、そうでないことはちゃんとしてくれるではないか。 こっちがびっくりするぐらいやさしく。 なのに、どうして少佐がそこまで嫌がることを、私はこんなにしたがってるんだろう? そうやって、意識のない少佐になんか、何をしてもちっとも愉しくないし、してるときはまだいいかもしれないが、 その後少佐が意識を取り戻したらどう思う? 少なくともいい気持ちはしないはずだ。 昔だったら、絶対こんな考え方はしなかった。 純粋に120%そのイベントを愉しめたはずだ。 でももう知ってしまったのだ。 少佐のやさしい腕を。 それを失ってまで得たいものなど何もない。 そうして伯爵は愕然としていた。 どこまでこの男に「手なずけ」られてしまったのかと…。 *** そろそろ少佐の意識が戻る頃なのはわかっていたが、少佐の胸の上に頭を載せて、その規則正しい鼓動を直接耳に感じながら、 伯爵はぼんやりと、昔子供の頃に読んだ『星の王子さま』のワンシーンを思い出していた。 確か、きつねが王子さまにそんなことを言っていたのが思い出されたからだ。 『……だけど、あんたが、おれを手なずけると、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。 あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ……』 「………………」 自分の記憶力のよさが恨めしい。 いまさら『星の王子さま』か! この私が! 頭痛で眩暈がしてきた。 恋をした。 数え切れないほど多くの恋を。 その大抵を、そのときなりに真剣に、あますところなく堪能した。 恋の戯れも恋の切なさも十分知り尽くしたはずだった。 だけどこんなにも甘美な苦しみを、直球で与えてくれる相手はいなかった。 もう、少佐でないと何もかもが間に合わない。 もう、少佐に会う前の自分が、どうやって息をしていたのかもわからないし、この先少佐がいなくなったりしたら、 多分一秒も生きていかれない。一体全体どうしてくれるんだ! なのに少佐ときたらいつでもどこでも相も変わらずトーヘンボクで………!!! *** 「…何をしとるんだ、おまえは」 「うるさい。黙れ。トーヘンボク」 伯爵は、意識を取り戻した少佐の方など見もせずに冷たく言った。 少佐がしばらく黙った。 少佐にとって想定外の伯爵の態度だったからだ。 床に座り込んで、他人(ヒト)の身体を枕代わりにしているヤツの後頭部しか見えない。 「…なんなんだ。うっとおしい。どけ」 伯爵は少佐の言葉を無視した。 むしろさらに若干少佐の胸に頭を擦り付けた。 「…おい」 「君の鼓動は心地いい」 伯爵がひとつため息をつく。 少佐にはこの一連の流れ、『頭にくる』とか『不快』とか以前に、まったく理解できなかった。 (…こいつはこんなことがしたかったのか?) 「……誰でも同じだろうが」 伯爵は少佐の言葉なんか聞いていなかった。 ひとりで身を震わせていた。実は屈辱に。 「こんな……こんなので満足してしまうなんて、私も安くなったものだ!」 自分に腹を立てているような言い方だった。 ん? そういえば… 意識を取り戻すなり、不信感に満ち満ちた目で伯爵の様子ばかりを窺っていた少佐だったが、不意に気づいた。 この阿呆、一体何をたくらんでやがるんだ…と思っていたが、これといって何もされた形跡がない。 「なんだおまえ、何もしとらんのか。おれがわざわざ騙されてやったのに…」 (やっぱり。) さらなる屈辱で伯爵は全身の産毛が総毛だった気がした。 「うるさい。黙れ。トーヘンボク!」 セリフは繰り返され、声はさらにややヒステリックになった。 なんだこいつ。 何をひとりでへそを曲げとるんだ。 驚きと呆れで自分の胸の上の金髪巻毛を眺める少佐。 そのまま片肘だけ少し後ろについてテーブルに手を伸ばし、タバコとライターと取ると一本くわえて火をつけた。 なんか知らんが失敗だったらしい。 いい気味だ。 「……だいたいなんでこんなことを明るいうちからやりたいのかおれにはさっぱりわからん。みっともない」 そう言うと少佐はタバコの煙で輪を作って遊びだした。 ついに伯爵ががばっと身を起こした。 ようやく伯爵が少佐に顔を向けた。 (え? 泣いてたのか? こいつ…) 「みっともない!? 愛しあう姿のどこがみっともないんだ! 太古の昔から芸術の一大テーマだぞ!?」 心の底から呆れたように、少佐は伯爵を凝視した。 いい年してむしろ半べそでそんなことを叫びだした伯爵に、感動と嫌悪感が入り混じる。 「…知るかんなもん」 少佐の完全にバカにしたような言い方に、ついに堪忍袋が切れたように伯爵がわめきだした。 「だいたい君はケチにもホドがある! 真っ暗にならないと、指一本ふれさせてくれないなんて!」 だだをこねるように少佐を非難しだした伯爵とは裏腹に、妙に落ち着き払った少佐は、ソファに長々と寝そべったままタバコを指に挟むと口から外した。 「んなもん決まっとる」 「君がケチだからだろう! そうに決まってる!」 伯爵は拳を振り回して力説している。 少佐は長く煙を吐きながら、タバコを挟んだままの指先でこめかみのあたりを掻いた。 「…そのほーがおれが興奮するからだ」 (えっ?) 「……………………………………………………………」 「……………………………………………………………」 変な無言の空気と間が、部屋中に充満する。 伯爵は膝立ちで拳を固く握り締めたまま真っ赤になって固まっており、 少佐はソファの上でエラソーな態度で伯爵を見返したまま、しれっとタバコを吸い続けている。 「…………………(コーフン………してたん…だ。)」 「フン」 *** 「で? やるのかやらんのか」 「……………………………」 伯爵は、へたり、とあらためてその場に座り込んでいた。 しばらく片手で顔面を覆ってモロモロを呑み込もうとしているようだったが、「はーっ」とひとつ盛大なため息で呼吸を整えると、 きっぱりと顔を上げ、口を引き結び、気を取り直すようにすっくと立ち上がった。 遮光カーテンをぴっちり閉めるべく伯爵はつかつかと窓辺へ向かい、振り向きながら少佐に言った。 「待ちたまえ。今、暗くするから」 FIN
エロイカより愛をこめすぎて
act.04 暗くなるまで待てない I can't wait until dark. From Eroica with too much Love
ニ0一0 三月三日
サークル 群青(さみだれ)
おまけ:『ボーナム君の受難』につづく→
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