待望の鉱山見学会




                  
                     届いた案内状 値打ちは私にしか゚解からない



   
 津久見市ふるさと振興祭の立看板    鉱山見学会の受け付け        コーラス

 翌朝、小雨に煙る津久見湾を眺め、見学会が中止にならないことを祈った。受付時間の来るのが待ち遠しく、受付を済ませた。見学者名簿から私が1番の申し込みになっていた。電話での確認時に住所から、「愛知県豊橋からですか??!」と感心された(呆れたのかも?)。受付で返信のはがきを提示すると「本当に豊橋からですか?」と改めて尋ねられたので胸を張って「そうです!」と答えた。

 会場は、宿の隣の公園だったので宿の窓から見渡せた。
 コーラスの子供達が、練習していた。しかし、雨足が強くなった為、別な場所の屋内会場に移動して行った。


   
 鉄砲伝来 長篠の戦い等説明があり   鉄砲の試射               おお筒の試射
         2枚とも銃口からの閃光が、バッチリ写っているのを見て、一人悦にいった。

 バスの出発を待つ間、ふるさと振興祭会場を見て回っていたら、火縄銃の試射が演じられていた。司会者から長篠戦いで鉄砲が活躍し、織田信長が武田信玄に勝利したとの話も聞こえ、まさかこの地で地元の三河、「長篠の戦い」の話を聞くとは、夢にも思わなかった。
 いわゆる大砲ではないが、おお筒と呼ばれる、戦国時代に最大の口径の鉄砲の発砲音は、観客から「オー」と歓声が出るほどに迫力満点だった。 参考 http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,0,118,664,html
             http://bungohinawajyu.giving.officelive.com/default.aspx


   
  展望台にあるパノラマ写真      ガスに煙る採鉱場             勢揃している重機

 マイクロバス3台に便乗し、津久見鉱山に入った。鉱区は、ヘルメット着用区域なので入り口でヘルメットを被るようにとの案内があった。そして、この津久見鉱山の概要を鉱山の方に紹介されながら、標高600mほどの砕石現場より高い所にある展望台まで登っていった。登坂中は、マイクロバスの補助席に座ったので窓の外を撮影できなかった。たまたま、取材の新聞記者の人が乗っていてさすがというような質問をされていたので楽しく解説を聞くことができた。マイクロバスの隣に席の方は、これで3回目だが、雨模様は2回と言われたのを聞いて「うーん」うなるしかなかった

 あいにくの雨模様で津久見湾は、ガス(霧)の向こうで昔見た景色を思い出すにとどまった。それでも下方にある採鉱切羽は、辛うじて霧の合間に見ることができた。私が、覚えている水晶山は、すでに-30mまで採掘され、すでになくなっていて、現在は、東九州自動車道の津久見インターチェンジができている



 採鉱切羽には、90トンダンプ、タイヤローダーが勢ぞろいして出迎えてくれた。その大きさに圧倒されながらマイクロバスを降り、近づいて更にその大きさを認識させられた。当時は、50トンダンプだったと記憶しているが、作業中、タイヤローダーの後部に装備されているラジエーターのホースが、外れ大きな音と共に水蒸気が立ち上ったことを鮮明に思い出した。この時、責任者の方にこのタイヤローダーを見学させていただき、その運転席にハシゴで登り、エンジンの大きさと泥が乾いて付着していることにもっと驚いた。つまり、エンジンからオイル漏れが全く見えなかったことだ。




   
  掘削機(自走式?)         ベンチカットの様子          ベンチ高さと重機の大きさ

 掘削機(自走式?)は、私たちが開発していた自走式クローラ鑿岩機の油圧バージョンと思う。その、イメージはそっくり!。当時、油圧鑿岩機が、ドイツで開発されたとの話を聞いた頃で、主流は、圧縮空気だった。(運命か、後に青函トンネルでの性能試験の為の油圧装置を設計し、性能試験に参加した)

 係りの方に水晶山の頃、DCD100と言う自走式鑿岩機の開発でここにきていた事を話しながら、現在の様子をお話しいただいた。このDCD100は、当時、標準的にクローラドリルがコンプレッサーを引っ張りながら作業をしていたが、いっそコンプレッサーをクローラドリルに搭載し、エンジンを走行にも使い、小回りのきく機械にしようとしたもので、それだけでは、あまり値打ちがないので、油圧式の自動ロット交換装置(私が、担当)を装備していました。 油圧シリンダーでロットを掴み、回転用シリンダーで回転させるというものっだた。ロットの長さは4mで、窄坑深さ15mとするには、4本をつないで掘ることになる。これが、打撃回転型(ビットを打撃しながら、回転させて掘る形式)で特殊なネジ形をもったネジでつないでいるのである程度強引にまわさなければ緩まないので、えらくゴツイ物になってしまった。このネジ継ぎ手をハンマーで叩くとたちまち緩むのだが、ロッドを掴んで回転させるのはなかなか大変だった。また、走行用には星型油圧モーターで個々に両側のキャタピラーを駆動するようになっていた。

 展望台からの採鉱場
  写真の様に一段15mの階段状に掘鑿していく(ベンチカットと呼んでいた)。3台の重機が右中央の斜面の所に見える ぎりぎりで拡大してみたので3台の重機と高さを比べれば、ベンチの高さ判る。




   
 タイヤローダーのバケット(容量20立方m) 90トンダンプ    見学会に参加していた坊や(縁故はないが)
 記念写真をということで90tonダンプの前に集まったが、係りの方のカメラが不調の為、私が写真屋さんに変身した。
 ダンプカー タイヤローダーもタイヤの直径は、2.5mから2.7mで時価価格でタイヤ一本数百万円! パンクでもしたら涙もの
 

   
 タイヤローダーの勇姿           続いて90トンダンプの勇姿        ガーとすくって
 作業のデモンストレーションへ (一年に一度の晴れ舞台 がんばるぞー!)


   
  積むぞー、後は任せた          この縦坑へ

  タイヤローダーから石灰岩を積み込む
   採石した石灰岩をこの縦坑からある程度に砕ける事を考えて落下させる。縦坑内に数1000トン蓄え、粉砕機にてそれなりの大きさのに砕いて、最下部からコンベアーにて搬出し、工場に送り出す。 ホッパー(縦坑)の様子 落ちたら取り返しができない


   
  定位置に着いて            それーと縦坑に投入              完了

 水晶山の頃は、崖からブルトーザーで押して落下させていたはず(?)。がんばったブルトーザの運転手がいて、ブルトーザまで落としたそうだ。当時、この残骸を鉱山に入って見かけ、係りの人にどうしたのか尋ねたら、「石灰岩だけにすればいいものをブルトーザまで落としたオペレータがいた」と教えてくれた。(ゆったりと落ちて行ったのでオペレーターは、無傷で無事だったそうだ!)

 このデモンストレーション作業終了で下山し、無事見学会終了となり集合したつくみん公園に戻り 解散


  私達は、九重夢つり橋に向け、津久見を後にした



                     前のページに戻る