最後の北帰行



 2003.3.12の心筋梗塞の発症から無事生還し、「生きているうちでなければと、黄色靭帯骨化症の為の下肢の衰えを考えた時、体の動くうちでなければ」と思うようになった。その2年後、天の川ミーティングに参加すべく、九州の唐津へ旅をした。そして、何故か、高速道路ならば「24時間で1,000KM 走行出来るんだ」と根拠の無い自信を持った。

 それから20年、数えてみると九州へ4回、龍飛岬へ3回、四国へ2回を含みミーティングに参加しながら3・5MHzモービルでの旅をしている。始めからこうしようと思っていた訳ではないが、気が付いてみると「本州一周を完遂」に日本海沿岸の五所川原⇔鶴岡間300kmを残すのみになっていた。昭和47(1973)年に始めて3・5MHzモービルのロングドライブを経験し、今年で50年になる。北帰行の命名は、友人から私の竜飛岬への旅に命名してもらった。今回は、300kmを走るのに約2,800Kmも走るという事になる旅。

 大間崎、竜飛崎、にかほの海岸の夕陽の景色を満喫出来た事は、幸運だった。(恐山のご加護?)
          
   画像の青い線の部分が、未踏破部分の約300Km。
   ピンクの部分が、往路。トリップメータは、出発時3・1Km、竜飛崎では1,667・1Km。
   青と緑の線が、復路。トリップメータは、自宅に戻り庭先で2,800・0Km。
   こうしてみると全コースで本州の半分位の距離を走っている。
   日本海岸富山迄走り、東海北陸道を経由したならば、まさに本州を半周する。北陸道上越ICを起点として調べると、
   富山から東海北陸道経由で音羽蒲郡IC迄408Km、今回のコースの中部横断道経由豊川ICで415Kmでこちらの方が微かに遠い。
   両インターから自宅までの距離を考えるとその差は、もっと小さい!。

 この旅の計画は、3年前のコロナ過が始まった時には計画を完成させていたが、延期した事によって節目の年となった。龍飛岬の青函トンネル工事に参加したのが、ちょうど50年前の1973年10月、又、昭和38年8月にアマチュア無線のJA2EIB局を開局して60周年にもなる。そして、もうひとつ、50周年になるものもある。心筋梗塞発症から無事帰還して20年もある

 とまあ、大義名分をこじつけての北帰行となった。


  ***** 全行程 ****

 2023.07.29 午後2時出発 八王子で休憩 圏央道経由にて常磐道を北上
 2023.07.30 常磐道から三陸道 松島北IC(お馴染み局とアイボール)
         気仙の局へ50Mhz アンテナの配達  宮古の宿
 2023.07.31 宮古湾 浄土ヶ浜 うみねこ丸遊覧船 青の洞窟 十和田湖 奥入瀬 三沢の宿
 2023.08.01 県立三沢航空科学館 恐山 大間岬 下風呂温泉の宿
 2023.08.02 大間岬 仏ヶ浦 脇ノ沢港 (むつ湾フェリー) 蟹田港 龍飛岬 龍飛の宿
 2023.08.03 竜飛岬 五所川原 鶴岡間走行 帰路に
         R339 青K12 R101 秋田自動車道(能代東IC) 日本海東北道 秋K58 R7 日本海東北道 
         秋K348 R7 秋K208 日本海東北道 日本海東北道新潟区間 
 2023.08.04 北陸自動車道
         上信越道 長野自動車道 中央道 中部横断道 新東名 新東名引佐連絡路、東名(豊川IC)

 *********************


2023.07.29 出発(午後2時頃)

 新東名で3・5MHzのラグチュー仲間の近傍を通り、「行ってきまーす」としばしQSO。休むべき所で休みながら、新東名を120Kmで快適にクルージング。しかし、東名足柄SA⇔大井松田IC間事故渋滞為、足柄SAで出て、R246を大井松田IC迄う回したが、大井松田ICに着いた時には、登りの車が走っていたので時間短縮になったかは不明?。

 夜分にも拘わらず八王子の知人宅を訪問し、休ませていただき、午後10時半頃に出発。
 我が家を出発して約300kmの菖蒲PAで給油をして、圏央道から常磐道に入り、ひたすら北上 2度目なのでそれなりにゆとりが有った。

 給油は、走行距離300kmを目安として給油する事として、ロードマップを調べ、予定をして置いた。三陸道では、給油スタンドは無いから一旦インター出なければならない事も判っていた。それなりに地図を調べ、次は何処で給油するかを調べたら、宮古では宿の隣にGSがあり、ここで給油する予定とした。

 ロードマップから往復約2、400kmとなったから、給油を最低8回する事になる。実際には、菖蒲PA、南相馬鹿島SA、宮古市内、三沢市内、R339小泊、潟上市の昭和男鹿半島IC近く、黒崎PA、桂川SA予定通りの8ヶ所で給油した。復路のR7号は、夜になると営業していない事も考えられるから、必ず距離に関係なく、暗くなる前に能代から秋田の間で必ず給油する必要があった。



2023.07.30

 日付が、変わると疲れを感じる様になり、1時間を基準に途中のSA,PAで休憩、仮眠を取ってはの走行

 とんでも無い現象が、起きた

 道路のセンターラインが、二重に見える。右目と左目の視野が、一致しない!。気付いた時は、「アレッ?」という感覚だったが、やがて、ズレる量が大きくなった。5月に受けた左目の「白内障の水晶体再建術の影響か?」と思った。

  
  こんな具合に見えだした。二重にみる像の左側は、当然左目で、右側の像は右目で手術は受けていない。
  片目でみれば、それぞれ正常に一つの画像として異状なく見えている。


  うわー!!!。「こんな状態の視野で残りの旅を「運転しなくちゃいけないのか???」との不安が、過ぎった。

 深夜午前2時半頃、眠気は大した事は無かったが、「これ以上の走行は無理」と判断し、常磐道の田野PAで約3時間の仮眠を取った。東の空が明るくなり、覚めてこわごわ周りの景色を注視してみた。

   「良っしゃ!!。柱は、一本に見える!!!!。」。


 今後、視野に異常を感じたら走行を止め休憩を取ると誓い再び走行を開始!。

   走行開始してもセンターラインは、一本だ

 これで勇気百倍とばかりにアイボールを約束したお馴染み局の居る約250Km先の三陸道松島北ICに向った。

 予定より1時間ほど遅れたが、三陸道の松島ICに到着し、お馴染み局へ誘導してもらい暫しのアイボール

       
     何年か前のAALーJAミーティング以来        VHFのアンテナ
   彼の家の前の広大な田んぼには、1.・9MHz、3・5MHzの水平ループアンテナある
   おおよそ、一時間楽しいアイボールの時を過ごし、次の気仙沼を目指して出発した。


 気仙沼には二つの目的が、有っての立ち寄り。

 一つは、この旅の目的でもある「ジョイフル気仙沼松川前店」で休憩する事。「なんだそりゃ??」であるが、調べたところ、ここより北にはジョイフル店は、現時点では存在しなかった。2017年10月に九州先端の佐多岬を訪れた時に寄ったジョイフル指宿山川店が、九州最南端の店であることが地図から判った。ならば、最北端にある店に行かなければと思っての訪問である。

 このように南に有って、北にも同様な物があると知って訪れた所が、何ヶ所もある。

      佐多岬             大間崎
      高千穂峡           猊鼻渓
      吉野ヶ里遺跡         三内丸山遺跡
      西大山駅           三厩駅
      鹿屋航空基地資料館    青森県立三沢航空科学館
      秋吉洞             龍泉洞(少し強引か)
      ジョイフル指宿山川店    ジョイフル気仙沼松川前店

 そして、もう一つは、無線局変更検査申請の指導していただいた局から「気仙沼を通るなら、送ってもいいが、このアンテナをこの局に届けろ」と預かってきたアンテナを届ける為だ。

 「友達の友達は、友達」の諺通りの同じ趣味を持つ者通し、旧知の如くに話が弾んだ。彼の家の前でアンテナを手渡し、場所を目的のジョイフルに移して歓談した。彼には、ジョイフルに寄る話は、メールで打ち合わせをする際に伝えて置いた。

        
    始めてのQSO                       でっかいクワッドアンテナ
 
     
  北限のジョイフル (平成28年5月30日(月)北海道新幹線搭乗記の時は、うっかり通過してしまった)


 そして、彼に別れを告げ、今夜の宿のある宮古を目指して、120Km 程のドライブに再びハンドルを握った。



   



 2023.07.31

 今日は、宮古から三沢への移動

 道路上の距離で約150Kmなのだが、弾丸ドライブを諫められていた事から、以前に訪れた時に感じた浄土ヶ浜の遊覧船を楽しみ、山の景色をと十和田湖、奥入瀬を回り、三沢へ。

    
 前日到着した時、トンボの歓迎を受けた       宿の前で
 電波を出してみようか?と思ったが、野暮な事をと思い見守った。

   
 以前に休んだ道の駅みやこ              みやこ浄土ヶ浜遊覧船桟橋にて
 後の建物の青い線の所まで高さの津波に襲われた。

 道の駅みやこ(シートピアなあど)は、北海道新幹線乗車記の際に立ち寄り、浄土ヶ浜は、遊覧船でゆっくりと楽しむ所と思ったことを実現できた

   
 遊覧船 宮古うみねこ丸                うみねこが、並走して飛び交う


   
 餌付けされているので乗客の手から餌(パン)を摘まんで行く
 切れ端が、小さいと指を摘ままれる

 おおよそ1時間遊覧船でうみねこと戯れ、近くに在る「青の洞窟」を楽しむべくさっぱせん乗り場に向かった。
 駐車場から岸壁まで歩くとしたら、この足では無理かなと考えていたが、ネットで障害者は車で入れるとあったので、駐車場の係員に障碍者手帳を提示して、お願いしたところ、所定の手続きの書類にサインして入れていただけた。

     
  青の洞窟入口                      洞窟内部 潮の満ち引き天候でその色合いが変わる


 ちょうど昼になったが、次の三沢に向う為に三陸道宮古中央ICにモービルを向けた。

      
    道の駅併設の三陸鉄道普代駅で休憩        ここは、ちょうど北緯40度線が通る
    (以前、久慈からの三陸鉄道北リアス線で訪れいる)
   
 階上ICを過ぎ、八戸に向かう途中、前も見えなくなるじゃないかと思う程の豪雨の中を1時間程走行をさせられた。ほどなく雨も小やみになり、八戸に入って時間をみるとたっぷりと余裕がある。余裕が、有れば、「真夏の奥入瀬路を」と考えていたので、八戸西スマートICを出て、国道454号線で十和田湖に向かった。この時、スマホのナビを使ってみようと余分な事を思い着き、スマホのグーグルマップに十分に調べず十和田湖付近をセットした。これが、災いの基となったが、結果オーライの形にもなった。もっと正確にピンポイントで「指示すれば、これは無かった」と大いに反省した。
 コースは、R454、R102で十和田湖、奥入瀬経由で十和田市に出て三沢に向かった。

     三陸道から十和田湖、奥入瀬、三沢のコース
     
     出典:グーグル地図
 三戸群五戸町豊間内大沢前から国道454号を右折する指示でグリーンロード(多分農免農道?)に回された。私は、以前の経験から国道4号に一旦出て、その後、覚えのある交差点を左折するものと思っていたが、そうでは無かった。そして、国道454号の北側を走っていると信じていたが、これも全くの勘違いで南側だった。しかし、対行2車線で十分に広く、何よりも信号が無かった。(グーグル地図で確認した) R454の赤い丸の地点から青い丸の地点まで緑の線の様にほぼ並走する。

 しかし、ピンポイントの指示をしなかった悲劇が待ち受けていた。事故をした訳でないが、三戸群新郷村戸来上河原付近で一周6Kmのループに入り込み、ナビは交差点を左へ左へ左へ左へと誘導しだした。幸い、一周したところで気付いたので大きなロスは無かった。左折を4回は、一周を意味する

 ナビは、正確にピンポイントで指示しなければならない!

 やがて、覚えのある「道の駅新郷」に着いた。ここで暫しの休憩をとり、十和田湖に向かった。

 道の駅新郷から約20kmで十和田湖畔に着き、ここでも適当に休みとり、奥入瀬の緑のトンネルへ
     
   十和田湖畔で                       右これより奥入瀬


     
   濁流の奥入瀬!めずらしい              雨の後の奥入瀬

 しかし、木漏れ日の漏れる森の緑は、きれいだった。季節が違うのか、行き交う車の数は少なかった。

   
   交差点を右に取って奥入瀬川沿いに三沢まで。左へは、前回に通った八甲田山越えで青森方面へ。


   
 夕刻、明るいうちに三沢の宿に着いた(宿からの夕焼け)


   


 2023.08.01

 今日は、青森県立航空科学館見学から恐山経由で大間崎の手前にある下風呂温泉迄

   
  青森県立航空科学館の碑               F104のコクピット
  鹿屋の鹿屋航空基地資料館、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館は、行っているのでどんなんだろうと楽しみだったが、

 このF104に居た見学者の事を一切無視して話す事しかしない能の無い説明員の態度に唖然となり、興味が失せてしまった。
 鹿屋、各務原とは違い、ここの説明員は、最悪、最低だ。、一方的にまくしたてるだけなのだ。いない方がよっぽど良い。

 見学者の話を聞け。そして、親切に答えろ

 楽しみだったが、後味の悪い見学になった。まっ、ホンダジェットがせめてもの救いだった思うことにした。

   
  ホンダジェット、これが有るとは思わなかった。

 エンジンパイロンを主翼の上にセットするという規定概念を破った方式だ。しかも、エンジンがパイロンからオフセットされている。パイロンは、単純な形状では無く、機体側にカーブしている。空力的な分析の基に決定された形状であることは、想像に硬くない。この形なら、パイロンとエンジンの中心を揃えたデザインになると思うが、よりベターにそして、より柔軟にとの考えかたからこのエンジンの位置、パイロンの形状となったのだろう。勿論、風洞実験から確信をえた結果だろう。

   
 構内を半周するモノレールが、有る。体を水平に吊り下げて周回する空中遊泳の体験モノレールだ

 と、がっかりして、青森県立航空科学館を後にした。少し遠回りになるが、上北自動車道の六戸三沢ICに向い、途中土産をと思い三沢駅に立ち寄ったが、現在の駅ではもう土産は望めない事が判った。道の駅にも期待したが、農産物が主だった。


 気持ちを取り直して、約130Km先の恐山をめざして走行開始。途中、ほぼ中間点の「道の駅よこはま」で休憩。

   
  霊場恐山の門 三途の川まで約1・7Km


   
  恐山太鼓橋 この橋の下を三途の川が流れる

 この付近に近づくと硫黄の匂いが、はっきりと感じられるようになる。ここは、火山だ。


   
  奪居衣婆と懸衣翁像                  柳の木

 平成15年3月12日(2003.3.12)午後11時20分頃に発症した心筋梗塞でこの川の一歩手前まで来たらしい。これで、「戻らなかったら電気ショックです」伝えられ、XYLは書面に捺印している。


 20年前、私は、衣類をはぎ取られる事もなく、追い返されたらしい。そして、今まさにこの旅を満喫している。


      
      詳細は、各種のホームページを参照 いっぱいある


    
   恐山山門                        六大地蔵
  山門を通り、境内に入りたかったが、私の足の具合から山門からのお詣りで済まさせてもらった。


  
  南の方角に見えた超現代的な構造物(レーダードームか?)
  グーグルのストリートビューでも映っている


 午後3時半頃に今夜の宿のある下風呂温泉に向って、ハンドルを握った。

 走行時間2時間30分程で午後6時過ぎに宿に入れた。まだ、明るい、大間の夕陽時間はと調べると、午後18時55分頃と有る。ここから大間迄は、約20Km! 間に合う。食事を帰ってからにお願いして、再び車中の人となった。

 LINEでお馴染み局に3.571Mhz 付近を聞きながら大間崎まで約40分程走行する旨を連絡し、ワッチしながら大間崎に向かった。やがてローカルの声が聞こえたが、こちらの電波状態は良くなかったらしい。それでも、諦めず呼び続けて、「聞こえたぞ」声を受信した。ローカルは、良く聞こえたが、もう一人のお馴染み局は少し弱かった。しかし、30分程の時間経過で夕方のコンディションが、揚がって来てこちらの声もばっちり取ってもらえた。帰宅して、判ったが、もう2局ローカル局がいたとの事だったけど、残念ながら確認は出来なかった。

     
   間に合った 大間崎の夕焼け。ここは、日の出、日の入りと見える貴重なポイント


   


 2023.08.02

 下風呂温泉からもう一度大間崎に立ち寄り、仏ヶ浦を経由し、災害で通行止めのR338を途中からう回し、K253+K46でR338に戻り、脇ノ沢港からむつ湾フェリーに乗船、蟹田港に上陸して、R280+R339で龍飛岬まで

   
  宿の前で                         イカ釣り船?

   
  途中、こんな建物が有った。             大間崎灯台
   津軽海峡の中央は、公海だ。外国船も通過できる
 これは、海峡の密漁などの監視用の建物

   
  来ました                         「まぐろ一本釣の町 おおま」石像

   
  本州最北端の地の碑                 本州最北端の地で


 昨日夕陽を観に来た時にも駐車していたキャンピングカーの方と思わず話し込んだ。リタイア後、ご夫婦でキャンピングカーを家がわりに日本全国を気の向くままに旅をされているのだそうだ。私は間もなく一周を達成すると話したら、本州はもう3周くらいしていると言っていた。

 出会いの楽しい一時を過ごさせていただき、大間崎を後にして仏ヶ浦に向う。


   
  仏ヶ浦駐車帯に着いた。ここは、仏ヶ浦の展望台 仏ヶ浦の全景。スズメ蜂が、飛んでいた。

   
  仏ヶ浦駐車場入口と物騒な案内の看板の横の道から海岸へ降りられる

 仏ヶ浦の地形は、国土地理院の地図から下図の様になっている。このコースを私の足では、高低差100m海岸まで600mを歩くのは、無理!と諦めて、展望台からの景色を目に焼き付けた。仮に歩いたしてもフェリーの時間に間に合う様に帰って来るのは不可能と判断していた。全体のコースを逆回りで日本海側から回っていたならば、フェーリーの時間を気にしない日程を組めただろう?。

       
         仏が浦の駐車場から海岸線への高低差の断面図

   参考に袋井市の法多山の南側駐車場付近から本堂までの地形図。ここは、往復2時間程でお詣りをしている。
     
       法多山の山門から本堂への高低差の断面図 (高低差グラフの倍率が、違うので注意)
 2つのグラフから仏ヶ浦で海岸まで降りられると判断していたが、フェリーの出港時間から諦めた。

 「海岸に降りたい」思いに蓋をした、午後2時前に仏ヶ浦を後にした。


 青森県下北郡佐井村長後のR338とK253の交差点は、本来なら右折して南に向えば20Km程で脇野沢港なのだが、5月の集中豪雨の為に通行止めとなっていた。これは、出発前から道路情報で確認していたあり、迷わず直進し、休憩の予定した道の駅かわうち湖を目指した。河内町で陸奥湾に出てR388を西進するう回路をを目指した。三角形の2辺の和は、他の一辺よりも必ず長い定理の通り、約20km程遠回りとなった。

  
  道の駅かわうち湖で暫しの休憩をし、陸奥湾の川内町にあるR338との交差点を目指した。

 それなりの道路だったので走行速度を確保でき、フェリー予約時間の40分程前に脇ノ沢港に到着した
   
  脇ノ沢港で                        このフェリーに載りました

   
  私は、この船尾から乗って               船首から降りました


 龍飛まで約60KmR280を海岸線に沿って走行、今別町を通って、いつの間にか道路はR339に変わり、日の入り前に龍飛に到着し、夕陽を観に高台ある灯台の広場へ

  
  竜飛岬の夕陽
  この竜飛を過去3回訪れているが、一度も雨に遭わず今回を含め全て夕陽を堪能している。

   
  始めて気が付いた青函トンネルのレリーフ  真下約150m位の所を列車が通ると点滅する

 私が、50年前に仕事をした所は、海岸から500m、海面下250m位の先進導坑内。三相3000Vを引き、440V,400V、200Vの仮設変電所置き、75KWもの電力を使った国内初の油圧削岩機の性能試験だ。残念ながら、その性能は今一歩だった。もし、求める性能だったら、そのまま、担当エンジニアで常駐駐在員として、残留となる事になっていたことを後日に知った。

   
   50年前は、小学校、アパートと建物がいっぱいあった。見えている駐車場が、小学校だったはず?
   ホテル龍飛の道路に面した2階建ての建物は、当時の建物と思うが?。

    
   50年前と変わらない工事基地の看板      50年前の様子ちょっと見にくいが山の稜線で確認できる

 50年前の思い出、そした、これまでに来た3回の思い出に浸り、坑道内の景色が目に浮んだ。何年も青函トンネルで働いた方は、なかなか帰りの自動車に乗らないそうだ。

 参照:.http://www.maroon.dti.ne.jp/~ja2eib/Recollections/seikan/tappi/tappi.htm



   



 2023.08.03

 この旅の主目的の 五所川原⇔鶴岡 間の300km走破が、残っている。あわてる事も無いので、ゆっくりと起床し、朝食を取って宿をチェックアウトした。

   
 ホテルの玄関                      竜飛崎灯台

   
 津軽半島竜飛崎とある                 彼の有名な階段国道339号

   
 風の岬 龍飛の碑                  津軽海峡冬景色 「ごらんあれが竜飛岬北のはずれ」と2番から


   
  自衛隊の車両がいる。初めて遭遇した。専用の駐車場に見えた
  龍飛名物と言える「たっぴの母さん」の車 相変わらず元気だ。思わず、お土産を買ってしまった。

   
  駐車場にほぼ同時に着いた豊橋ナンバーの方と

 彼は、豊橋にあるFM豊橋の関係の方で青森の「子供ねぶた」を取材とボランティア活動で来られたそうだ。
 「お互いに豊橋の方ですよネ」と確認し、豊橋から直線で770Kmもの北の端での出会いにある面感動した。人との出会いの楽しさ、面白さを感じながら話をさせてもらった。彼は、私がこれから帰るコースの日本海側から来たと言っていた。一般道あり、無料の自動車専用道あり、有料の自動車道あり、しかも連続していないので大変だったと言っていた。

 私は、50年前に青函トンネルの工事でここ龍飛に来ている事、これから帰る日本海側のコースの事を話した。彼はこれから訪れる青森のねぶた祭りへの参加、取材等の事を話してくれた。30分近く楽しく談笑させていただき、この上ない旅の思い出を胸に、お互いにこれからの旅の安全を祈念し、私は龍飛崎を後にして、帰路に着いた。

 龍飛から五所川原へのR339は、今年の5月に災害で通行止めなっていたが、開通している事を旅の出発前に確認しているので安心してつづら折れの続くR339を五所川原北部の一三湖に向かった。このコースは、2005年に逆方向に走ったコースで、所々で災害復旧の工事をしていたが、以前のイメージは払拭され、しっかりと整備されていた。

 十三湖からグリーンロードと名打った多分農免農道を走行し、二か所もある直線4Kmの道を体験した。豊橋近辺には、全く無い直線道路だ。

   
 この地方であちこちでみる地吹雪防護柵。文献に寄れば色々な形式の物が有ると紹介されている。
 花巻、遠野でも形式こそ違うがよく見た。

 帰路は、ただひたすらひ走るのみだが、適当な道の駅で休みながらの走行。


 途中、この地形ならと思い、7MHzをワッチしてみて、お馴染み局のQSOを確認した。そのQSOが終わるのを待って彼をコールした。日本海沿岸を走っていて、龍飛からの帰路で有ることを告げた。それなりの電波の強さで届いていたらしい。彼こそ、私の弾丸ドライブを諫めてくれた局だ


 恐山参拝で清められていたので、大間の夕陽、竜飛崎の夕陽を観られた。家路には夕陽の時間に日本海の沿岸を走りたいなあと思っていたら、霊験あらたかで、R7号にかほの「道の駅 象潟ねむの丘」に到着したのが、18時20分頃だった。日の入りは、18時55分位なので大急ぎでカメラを用意し、海岸の堤防に走った。

    
 道の駅 象潟ねむの丘の夕陽


 この道の駅 象潟ねむの丘で約1時間程の休憩をとり、モービルのアンテナを3・5MHzに切り替えて出発した。

 道の駅あつみでも休憩し、R101を南下した。能代に入る手前の秋田県山本郡八峰町峰浜目名潟と言う所で左折する能代東ICの案内が有った。ひょっとしてと安全な場所に停車して調べると、約18Kmを郊外の走行で能代市街に入ることなく通過出来る事が判った。今度は、スマホのナビにピンポイントで能代東ICをセットしてインターを目指した。快適に走行でき、迷うことなく能代東ICに到着できた。

 まだまだ、明るかったが、次の川辺JCTは予想より近く、「アレッ」と思った時は、時すでに遅く通過してしまい、次の協和IC迄走行し、戻ってくると言う失敗をしてしまった。そし、川辺JCTを日本海東北道を由利本庄・酒田方面に取り、元のコースに戻った。

 そして、酒田市内に入った所で、自動車道は工事の為に上下線とも通行止めで一般道に回された。酒田みなとICで降ろされ、R7号を経由して、荘内空港ICで日本海東北道(山形区間)にもどった。この時も、先の徹を踏まないようにとナビにピンポイントの庄内空港ICをセットして、ナビの指示に従い庄内空港ICから日本海東北道に復帰した。

 鶴岡JCTでは、失敗しないように左車線を走行して分岐に入って、日本海自動車道(山形区間)鶴岡JCT料金所に向かった。休憩の立ち寄った「道の駅あつみ」は、午後9時30分頃となった。
   
  道の駅あつみにあるお土産店 すでに営業時間を過ぎていた。
  ここは、以前にも来ているので休む事のみとした。

  新潟県に入ると、間もなくR7号は海岸線から離れ、迂回して山中の沢沿いに日本海東北道の朝日まほろばICに向かう。以前、村上温泉でのオールJAミーティングに来た時は、夕刻前だったので日本海側の海岸線を水平線を右手に見ながらR345号で村上温泉に向かった。

 朝日まほろばICから日本海東北道に入れば、もう豊川IC迄一般道を走ることは無い。

 3.5MHzを聞くと覚えのある局のQSOが、聞こえて来た。くしくも往路でアイボールした局と岡崎のお馴染みさんとのQSOだ。早速、ブレイクをした。コンディションも在るが、一発で聞き取ってもらえ、無事新潟の村上温泉を過ぎて新潟に向かっていることを報告した。その後、暫くQSOさせていただき、北陸道黒崎PAで休憩をする事を伝えて、トランシーバーの電源をオフとした。

 竜飛岬から走行距離約500Km程の黒崎PAで給油後、1時間程の休憩を取り、100Km先の米山SAに向った。この米山SAで午前一時頃から四時半位まで仮眠をした。上越JCTから上信越道に入り、長野道の梓川SAで朝食ともに夜明けのコーヒーの休憩を取った。

 定番は、長野道の岡谷JCTを西に取り、中央道を名古屋方面に向かうのだが、今回は、違った景色を観て観ようとこの岡谷JCTを東京方面に舵を取り、双葉JCTに向かった。

 途中、中央道八ヶ岳PAで休憩し、双葉JCTから中部横断道に入った。ここは、ほとんど対抗2車線で無料区間を含んでいる。無料区間には、ほとんどSA、PAは無く、一旦、ICから出た所に道の駅がある作りになっている。そして、清水JCTに残り20Km程の所に有る「道の駅なんぶ」は、南部IC出口と案内があった。

    
 道の駅南部                          ここにある南部三郎光行像 
 奥州の雄として戦国時代を生き抜き、近世大名として明治維新まで存続した南部氏の始祖だそうだ


 我が家迄は、この道の駅なんぶから残り約165Kmで自動車道走行区間は、約140Kmだ。清水JCTから浜松いなさJCTは、走行速度120Km 区間となっているから計算上3時間はかからない。実際には、約2時間半だった。

 もう一息と気持ちを引き締め、清水JCTから新東名を快適に120Kmで快走し、浜松いなさJCT、三ケ日JCTを経て、近いが、新城PAで少し休み、豊川ICからR151,K31、R23で我が家に無事帰宅した。

 意図とした訳では無いが、新東名沿いにいるお馴染み局を出発時、帰路と彼のシャックと最短位置の新東名を走行しながら「行ってきます。無事に帰りました」とQSOできた。


        PM14時頃帰宅 総走行距離2,763.9Kmを無事走破して無事に帰宅
        トリップメータの表示は、出発時3,1Km 帰宅時2,800kmだった


      今回は、人とのめぐり合いの素晴らしさ、その偶然を大いに楽しめた旅となった。


     モービル走行中にQSOしていただいた局に感謝します。



                        

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