佐多岬からの大海原の眺望
今年3月何回目かの御前崎灯台へのドライブでこの灯台から大海原を眺めての帰り、太平洋側の主だった岬の下田の石廊崎、紀伊半島の潮岬、四国の室戸岬、足摺岬の行ったことを思い出し、「本土最南端の佐多岬に行かねば」と思ったことが、始まりだった。
2019.10.11 追記
御前崎灯台 後日気付いた、日南海岸で見る鬼の洗濯板状の岩がある
都井岬へのページを参照して(この辺から九州まであるらしい)
そうなると志摩半島の大王崎か麦崎、房総半島の野島崎に立ねばとも思うが、東京を越えて行うとは考えない。志摩半島の大王崎か麦崎は、一日で走行可能なので近々に行ってみようとは思っている。
2018.1.27追記 各岬の位置関係(Googleマップより)
地図で見ないと位置が、判らないと言われた。この画像から都井岬にも行かないと?。
(四国の蒲生田岬、紀伊半島の日の岬も行った)
さて、今回の旅路の行程概略
2017年10月25日 午前8時 出発
自宅 ⇒ 熊本 (950Km)
10月26日 熊本 ⇒ 指宿 (175Km)
10月27日 佐多岬 ⇒ 内之浦ロケットセンター⇒ 鹿屋 (160Km)
10月28日 鹿屋 ⇒ 日南 ⇒ 津久見 (260Km)
10月29日 津久見の宿から復路へ (935Km)
カッコ内は、計画時にグーグルの地図上でルートをトレースした距離とNEXCO西日本の検索での計算値。
平成29年10月30日 午前8時30分頃 帰宅 (車の走行距離計は、2592Kmを表示)
本土最南端の佐多岬に立って大海原を観てみよう! ただそれだけで平成29年10月25日(水)午前8時に我が家を出発した。 コースは、途中モービル運用の兼ね合いでトンネルの数が、少ないとの理由で中国道経由とした。しかし、現実は、北からの電波と噂せれているノイズで非力なモービルは、悲惨だった。
中国道の美作IC付近を走行中、帰りに訪問する予定の宇和島の局と何とかモービルの電波を確認してもらったが、彼の所では今一つ弱く、このQSOを聞きつけた豊橋のローカル局の助けを借り、やっとの思いで現在位置を確認してもらった。コンディションのいたずらと言え、約600Km
離れた100Wの方が信号が強かった。約170qの宇和島の局は、1000Wだ。また、私のモービルの電波の了解度ども同様だった。
東名、伊勢湾岸、東名阪、新名神、名神、中国道、九州道を経由し、例によって全てのサービスエリアに入り、休憩、仮眠を取り、26日午前中に熊本に入った。 ここまでは、すでに経験のあるルートなので以前の記憶を思い起こしながらの走行となり、熊本市内で友人と暫しの談笑を楽しみ、指宿の予約した宿に向かってお昼に熊本を離れた。
10月26日午後 熊本 ⇒ 指宿
走行コース
九州道、指宿有料道路、国道225号、知覧道路、市道、(知覧特攻平和会館へ)、県道27号、霜出道路、県道27号、国道226号、県道238号、指宿の宿へ
途中、知覧の知覧特攻平和会館を見学したが、こみ上げてくるものがありすべての巡回コースを回ることは出来なかった。青春を謳歌すべき年齢の若人の胸の内は、とても推し量ることなどできないことを思い知らされた。
平和会館の玄関ではレンズを向けることができなかった。訪れた記憶にとここを離れる際に撮影
知覧特攻平和会館を離れ、指宿の宿への途中、夕暮れの開聞岳を見ることができた。
国道226号でカメラポイントと案内のある駐車場は、草ぼうぼうで草を分け入って撮影を余儀なくされた。せっかくの場所なのでもう「少し手入れがされていたらなあ」
夕陽に染まる開聞岳をバックに 同じ撮影ポイントから東シナ海に沈む夕陽
8km程走って在ったのが、JRの鉄道駅で日本最南端の駅『JR 西大山駅』でしばしの休憩
プラットホームにも案内標識が立っているある たまたま列車が、出発して行った
この日は、指宿温泉の民宿に泊まり、陽もとっぷりと暮れた時間に到着したが、目の前にある砂蒸し温泉の営業時間に間に合い砂蒸し温泉を堪能した。
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10月27日 佐多岬⇒内之浦ロケットセンター⇒鹿屋の宿へ
走行コース
県道238号、国道269号、フェリーなんきゅう、国道269号、県道68号、県道566号(佐多岬)
県道566号、県道68号、国道269号、県道562号、国道448号 (内之浦宇宙空間観測所)
国道448号、県道561号、県道554号、県道73号、県道539号、県道68号、市道 (鹿屋での宿)
まずは、佐多岬へ
宿からフェリーなんきゅうの山川港フェリーターミナルに向かい、山川港発午前8:00出航の第1便に乗船
到着した根占フェリーターミナルから佐多岬へは、約40kmだが、道路事情から同じ道を往復した
佐多岬は、指宿のある薩摩半島の対面にある大隅半島の先端なのでこのフェリーなんきゅうで渡る為に第一便を予約しておいた
乗船開始姉のフェリー桟橋 途中、もやの中に桜島がかすかに見えた
フェリーなんきゅう根占港から約40kmで佐多岬。国道269、県道68、県道566とつないで佐多岬ロードパークの終点の駐車場まで車で入れる
現在、周辺整備の工事中だが、御崎神社へは、補強工事中のトンネルを通ってお参りに行ける。公園の完成は、平成30年度中に予定されているそうだ。
佐多岬ロードパークの入り口で有料だった時代の名残りかな? 佐多岬灯台
駐車場展望台からの大海原、これが観たくて! 駐車場にある巨大なガジュマロの樹(本土最南端 佐多岬とある)
御崎神社を詣でることは出来る 駐車場直前にある北緯31度線のモニュメント
**************** 北緯40度のモニュメント ****************
そう言えば、三陸の北リアス線譜代駅の駅前広場には、北緯40度線のモニュメントがあった。また、東北道でも見た覚えが、あったのでGoogleのストリートビューで探したら、548.5Kmポスト付近に在った。この表示から北京も北緯40線上あるのか。
佐多岬から根占フェリーターミナル付近に戻り、県道562号と国道448号で約50Km先の内之浦ロケットセンターを目指した
内之浦ロケットセンター
入場は、無料だが受付で氏名、住所等を記載し、入門証を受け取り、 構内にあるロケット開発の父と呼ばれる糸川英夫先生の銅像
車のダッシュボードの運転席側に表示しなければならない。
あいにく台風22号の接近の影響の雨模様で車からの施設見学となった。
日本初の人工衛星「おおすみ」も1970年ここから打ち上げられた。このパラボラは、直径34mで10分程で垂直から水平に方向を変った。
マイカーを並べて 後方のパラボラが、上の画像のように方向が変わった
直径20mのパラボラ。 物騒な警告がある 一体何ワットなのだろう(近くの大学の衛星中継用は、200wと言ってたが)
こんなアンテナもある以外に長い波長を観測する?
宇宙科学資料館には、いろんなロケット、衛星の紹介、関連の器機、資料の展示がされていた。
ここにも「おおすみ」の模型が展示されている(小っちゃい)
昔の器機の一部 使ってあるトランジスタ、抵抗、コンデンサ、基板の実物(今では、懐かしい部品だ)
これらは、1970年「おおすみ」打ち上げられた頃の部品で、現在では懐かしいと言うしかない。
今日の見学は、ここでおしまい。明日の鹿屋航空基地資料館の見学の為に36km先の鹿屋の宿に向かう
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10月28日 鹿屋 ⇒ 津久見
走行コース
市道、県道68号、国道269号 (海上自衛隊鹿屋航空基地史料館)
国道269号、県道68号、国道220号、宮崎有料道路、東九州道、延岡道路、東九州道、(津久見の宿へ)
今日は、ゆっくり宿を出て鹿屋航空基地資料館の見学に
目当ては二式大艇だ。しかし、台風22号影響は、昨日よりも雨、風ともに強くなっていて車内から見ることで諦めた。戦前の傑作機で機体の昭和18年製造とあるそうだ。ドームで覆い風雨に曝されないようにして永久保存にしてもよいだろうと思うが。
ここも特攻の基地だったので知覧と同様の展示があった。しかし、展示されている同じような手紙を読み、展示品を見ても知覧とは違った感覚を覚えたのはなぜなんだろう。
二式大艇(以前は、東京の船の科学館に展示されていた機体) 資料館2階からの二式大艇の正面の姿
当時世界最高の傑作機として評価されいたと、小沢教授から授業で聞いたことを思い出した。
二式大艇の内部の様子 撮影距離の兼ね合いで3枚を合成した(真ん中に立って撮影した為、距離が変化してしまった。平行移動する必要があった)
全長 30m 全幅 28m 最大出力 1,850馬力×4 航続距離7,153km(偵察過荷重)
庭には、同じ水上機のUSー1やP-2J等のいろいろな実機が展示されている。かがみはら航空宇宙科学博物館で展示されている機体も幾つか在った。 しかし、かがみはら航空宇宙科学博物館が、川崎重工関係なので零戦は模型で簡単に説明されているだけ。リニューアル会館する平成30年3月23日から、知覧特攻平和会館に展示されていた川重生まれの「飛燕」が整備され展示されるそうだ。
資料館2階の展示品は、撮影禁止だが、なぜか? 零戦だけは撮影しても良いですよと案内された。
零戦
P-2J
USー1(二式大艇と同じメーカーで現在の新明和工業製) HSSー2A
外に展示されている機体をじっくりと観たかったが、台風22号接近で横殴り気味の風雨なので資料館2階からガラス越しで我慢した
資料館入り口の碑 旧日本海軍の魚雷
鹿屋航空基地資料館の見学を終えて、次の宿泊する津久見に車を向けた。
台風の影響下を日南海岸沿いの国道220号で太平洋の荒波を横目にひたすら北上した。おかげで景色を楽しむなんてとんでもなく、大荒れの太平洋の波浪を眺めるだけ
こんな景色が、日南海岸沿いに約30km程延々と続いた
日南海岸は、広大な大海原を横目に観ながら走るはずだったが、写真のごとく白波荒れ狂う大荒れの海だった。(これは、思い出になると思うことにした)
宮崎から東九州自動車道、延岡自動車道、再び東九州自動車道の無料区間と乗り継ぎ津久見の宿に入った。
この区間のトンネルの多さには閉口した。夕刻の空のコンデションが、良い時間なのでモービル運用して、2、3の局とQSОしたが、「トンネル!」、「トンネル!」と叫びぱなしだった
この宿は、2度目の宿泊となり昭和45年代の写真のアルバムがあることを知っていた。カウンター越しに「古い写真のアルバムは、まだありますか?」と尋ねたら係りの方が「えっ」とびっくりされ、カウンターの壁に2冊立てかけてあるアルバムを「あれでしょうか?」と指差された。早速、見せて貰い「これです!、これです!」と叫ぶように見させて貰い、係りの方に写真の内容を説明した。
前回もそうだったが、このアルバムは現在の東九州道路の津久見インターのある所が水晶山と呼ばれ、小野田セメントの石灰鉱山跡の昔の姿であることを知らなかった。今、インターの横にある水晶山採掘跡が、私が行った頃は海抜150m程あり、採掘終了時には海面下50m迄採掘されているはずと話したらびっくりされていた。多分、私が再び訪れることはないだろうとは思いつつも、貴重な写真のアルバムなので大切にしてくださいとお願いしておいた。
10月28日(土)から30日(月)の台風22号の予報コース(台風が、もう一日早いか、遅ければ)
つまり、10/28(土)の午後には台風の強風圏とは離れている。そこで、台風がコース予測の中心線を通ると仮定するとしてみると、フェリー乗船時は、豊後水道沖300km位南なので完全に強風圏に入って、豊後水道には、台風のうねり、大波が強風と共に押し寄せてきている事になる。実際、10/29(日) 津久見を出発するときには荒れてはいたが、北上する走行にはそんなに大きな支障はなかった。
佐賀関から対岸の三崎へ九四フェリーで四国に渡る計画は、九四フェリーを含め他のいずれのフェリーも終日の欠航となってしまった、四国宇和島で人に会う楽しみは、海の藻屑となってしまった。10/28夜ノイズの中、せめてもと思い電話ではなく、モービル運用でフェリーが欠航となってしまったので、四国に渡れない旨を伝えた。
そして、10月29(日)(土)復路
走行コース
東九州道、大分道、宇佐別府道路、東九州道、九州道、後は往路と逆に走行
九州の東海岸を東九州自動車道を経由して北上し続け、中津インターを通過する際、45年ほど前HONDA H1300を駆って、関門橋開通の一週間ほどまえだったので橋を通れず、関門トンネルを通って九州に入り、中津から耶麻渓青の洞門を経て、国道212号経由で阿蘇山見物に向かう途中「これが国道か?」思いつつ走ったことを思い出した。この時は、YAESUのFT-101を搭載してのモービル運用だった。
休憩した東九州道のサービスエリアでこんな車を見かけた。大分車椅子マラソンが、台風22号襲来で中止になったので早々に東京に帰る途中だろう。どうもこの手の車に興味をそそられるのは、習性としか言いようがない。AUDIOとあるので中継時に音声の集中制御をするのだろうか。
関門海峡は、高速道路なので思い出の関門トンネルを通らず、往路と同じ中国道に入った。この復路は、時間を気にすること無く、それなりの巡航速度で走行し、眠くなれば後部に作ってある簡易ベットで1時間、2時間と睡眠をとり、10月30日午前8時半頃に留守番の娘と猫のまつ我が家に無事帰宅し、往復2592Kmの旅を終えた。
出発時のオドメータとトリップメータの表示 帰宅時のオドメータとトリップメータ表示
現実にはトリップメータは、2回転している。しかし、オドメータの計算値とは、違いがある。メータの歯車の精度から生じたのだろう。
最近は、我が家の出発時および帰宅時のメータを撮影すると共に各地での停車時、出発時にメータを撮影して走行記録としている。
こうしておけば、撮影した画像の場所を簡単に特定できるし、その場所までの走行距離を記録できる。デジタルカメラでこそできる事である。勿論、撮影データにも年月日時刻が、含まれていることは承知の上での作業。
我が家で待つ猫、でっかくなった。現在、7歳で体重7kgオーバー!
座っているダンボール箱の幅は、34cm
蛇足
走行距離 200,000Kmを達成した記録画像
2017.10.9 PM15:53 国道151号阿南町早稲田トンネル内
1km以内でトンネル出口横の広場に停車し、撮影したもの
スマホのデザリング機能の利用
今回の旅では、スマートフォンのデザリング機能を使い、携行したノートPCにWiFi接続して休憩時に使って見た。スマートフォンでもかなりの便利だが、何といっても歳の所為で小さな文字はとっても見難いし、拡大すれば読めるが、全体が見えない。スマートフォンのデザリングでは、速度はそれなりの速度でしかないけれど、ネットを見て旅の情報を得るのならば十分に使えると思う。
では、その逆があるので「Vysor」なるアプリをPC側にイストールして、USBケーブルでPCと繋ぎ、スマートフォンをUSBデバックモードとして試してみた。どうもスマートフォン画面サイズをスマートフォン解像度で画面を送るらしい。その為、PCのモニターにフル画面で表示されない。当然といえば当然で、この結果からデザリング機能を使う事にした。スマホは業務用なのでスマホ側に画面リピートのアプリは入れられない事情もあり、PC側で試した次第。ただ、スマホの電池消耗は激しいので、車にはインバーターを搭載し、PC,スマホ共に走行中でも充電できる準備はしておいた。
その後、会社からデザリングの禁止令が発令された為、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアで無料で利用できる(Wi-Fi)を利用することに変更
道中、モービルでのQSOをしていただいた各局に感謝します
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