2度目の足摺岬へ


 2019.7.19 午後20時頃出発


 1973年10月に四国を4分の3周、つまり鳴門から室戸岬、高知、足摺岬、道後温泉と回って以来の旅路。その後、高松から高知そして松山、逆方向に松山から高知で徳島に抜けているが、案内してくれる局に同行なので細かいところは、記憶の彼方に行っている。

 高知でのミーティング開催の案内状が届き、「さて、どうするか?」と考え、日程と相談して、「祖谷のかずらばし」、「龍河洞」、「桂浜」、「足摺岬」を回ろうと考えた。

 行程としては、淡路島から鳴門経由で徳島道の「吉野川SA」で仮眠を取り、ここから「井川池田IC」を出て、R32号で大歩危から祖谷のかずら橋に向かい、その後、龍河洞を経て、桂浜から高知市内の宿に入るコースとした

 全く同じ道を帰るのでは「面白くない!」、ならば、しまなみ海道の景色ををゆっくり堪能して観ようとの思いと宇和島の友人とゆっくり談笑し、疲れを癒す目的から宇和島での宿泊を計画した。

 この復路の高知、宇和島間は、約300kmと長丁場だが、高知、足摺岬間では途中に自動車専用道が約70km程ある。とすると、高知、足摺岬間の約150Kmは、一般道を含めて3時間程の行程と想像した。

 そして、足摺岬、宇和島間の約150kmの平均走行速度は、我が家の付近では一般道の平均時速30km程ではなく40km位の走行速度は確保できるであろうとの予測から約4時間と考えての計画を立て、「10時間位の走行になるのでは?」と想像してそれなりに走行した。

 出発前の大雑把な計算は、グーグル地図のプロットと高速道路の料金・ルート検索ページから考察した。

 いつもの事だが、こういったドライブの時には、コースの主だった交差点、高速道路のインター、ジャンクションをグーグルの地図とストリートビューを印刷してのナビゲーションに使っている。時には、数十枚も印刷して携えて行く。車のナビもあるが、こうすることによって事前にコースを覚え、主要な交差点などの順番や景色を記憶できるので小さな車のナビの画面の見ることなく、旅を続けられる。ナビのガイドで「次の交差点をアッチだコッチだ」と言われる前に対処できる。


 行程計画

 高速道路の深夜の長距離走行は、サービスエリアの休憩を含め、総走行距離と総走行時間で計算すると平均時速50〜40Kmとし、昼間では、70km位を見込む。一般国道での平均時速は、時速30kmを考えている(以下の行程表を考えるときの目安)

コース取りは、グーグルの地図とストリートビューをじっくり眺めて検討した(表の距離、所要時間は、概算の概算で目安)


2019.7.19 午後20頃 夜明けに徳島道吉野川SA到着を目標に出発

往路のコース
 R1,東名、伊勢湾岸、新名神、名神、新名神、山陽道、神戸淡路鳴門道、松山道、徳島道
 R192、R32、K45、K32、(かずらばし)
 K32、K45、R32、高知道、R32、K31、R195、K22、(龍河洞)
 K22、R55、高知東部道、K376、K14、K34、(桂浜)
 K34、K14、k376、K44 (高知の宿)

音羽蒲郡IC 距離 所要時間
357 10H
徳島
74
井川池田IC
R32 26 1H
道の駅大歩危
県45 13
祖谷かずら橋 1H
県45 13 2H
道の駅大歩危
23
大豊IC
21
南国IC
15
龍河洞 2H
27 1H
桂浜
11 0.5H
会場



2019.7.20 午前9時頃、足摺岬経由で宇和島を目指して出発

 復路のコース
 K44、高知道、R56、R321、K27、K347、K27、(足摺岬)
 K27、R321、R56、宇和島道、(宇和島の宿)

 宇和島道路、松山道、大洲道路、松山道、今治小松道、今治バイパス、西瀬戸道、R2、山陽道、中国道
 近畿道、西名阪道、名阪国道(針テラス)

 名阪国道、東名阪、伊勢湾岸、東名、R1

高知IC 区間距離1 区間距離1 所要時間 距離
高知自動車道 34 105 1.5H 310
須崎東IC
高知自動車道 27
四万十町中央IC
道の駅アグリ窪川
23
道の駅なぶら土佐佐賀
21
道の駅ビオスおおがた
R56 13 58 1.5H
四万十市
R56+R321 45
R321+県27
足摺岬 1H
県27+R321 30 70 2H
道の駅めじかの里
R321 40
道の駅すくも
R321+R56 25 77 2H
道の駅みしょうMIC
R56+E56 45
宇和島坂下津IC
県57 7
ホテル 7/21 泊
E56 12
西予宇和IC
しまなみ海道+山陽道 617
名阪国道++東名
音羽蒲郡




  
 予定より1時間遅れ(誤差範囲)で仮眠をとった徳島道の吉野川SA         

  
大歩危峡付近の吉野川の濁流            同じ位置と思われる普段の流れ(出典:googleStreet view)

おりしも5号台風が、朝鮮半島付近を北上中で梅雨前線を刺激していた。その為、向う目的地方向では、「大雨注意報」が出ていたが、行ってみるとピークは過ぎていて、川には濁流が残されていた。



祖谷のかずらばしに到着(1987年2月以来2度目)
 当時おもかげは、フイルム写真なのでどこかにしまったままで見つからない)。同じ道は、面白くないと話になり、お馴染み局の先導で更に奥に進み、R439号で山越えをした。この山越えの途中で急カーブを曲がった所に材木を運び出す索道のワイヤが在り、モービルアンテナの先端側のエレメントが衝突して折れてしまった事を昨日の様に」思い出す。

 現在のモービルアンテナカプラの実験中でコイルとバリコンをプラスチックのケースに入れていた。そこで、折れたエレメントの代用でセンターコイルの上端から車のセンターピラーに通した絶縁碍子もどきの紐にビニール線を引っ張ってエレメント替わりにして、バリコンで同調を取り直して高知からモービル運用して帰った。この事からこのアンテナカプラの有用性を実感して、現在の形となり、運転席からのプリセットチューン形式に発展した。

 
 こちらは、渡り切った出口側

  
 祖谷の駐車場の粋な料金箱             料金所がある側の一方通行の渡り口

  
 足元を濁流が流れる                  普段はこんなもんらしい(出典:Wikipedia

 私の黄色靭帯骨化症からの下肢の衰退を考えると将来再び訪れたとしても渡れないだろうと感じた


 早朝にも関わらず、大陸系の騒がしい観光団に閉口しながら、かずら橋を後にして、72km程の距離にある鍾乳洞の龍河洞を目指した。



 この龍河洞は、1973年10月にも来ていて2度目になる。昭和初期から試しに置かれている「神の壷」を見るのが楽しみだった。その時は、まだ壷の下地が見えていた思い出がある。

 

  

  

  
 鍾乳石から落ちる滴を壷に落としての実験

 入口から入ると出口は、80m程の上に出ることになり、さすがに私の足は悲鳴を上げかけた。 出口にある休憩所は、大学生が運営しているそうで、ここの学生と暫しの雑談が楽しかった。


 龍河洞を後にして、坂本竜馬の像を観に行きたいとのリクエストで桂浜へと約1時間のドライブ。
 
 

 桂浜に下りたかったが、すでに私の足が悲鳴を上げていたのでここだけにして、約10km程先にある高知インターの近くの宿に向かった。
 宿には、すでに半数以上のメンバーが集合していて、「遅い!」の掛け声も聞こえた。。


 一年ぶりの再会の宴を大いに楽しみ、アイボールQSOでのラグチューの花を咲かせた


 これまで気が付かなかったが、私が最後の仕事をしていた会社の担当営業の方の知り合いでJA4局が、このミーティングに古くから参加していたことが4月に判明し、改めて世の中の狭さを二人で語った。




 一夜が明け、いよいよ46年ぶりの足摺岬に向けて宿を発った。


 なんだ、かんだといっても約150kmの行程。宿を8時過ぎに出て、11時30分頃にほぼ計画通り足摺岬灯台の駐車場に到着した

 この足摺岬にも1973年10月に来ていて2度目になるが、この時は、ジョン万次郎の関係の物は無かったように思う?

 


  
 灯台前の案内                      駐車場からの灯台

  
 灯台への小道の日陰に猫の親子がいた。


  
 展望台からの灯台(覚えのある景色だ       反対側の崖の断層が目に付いた。


 12時50分頃に足摺岬を後にして、去年も訪ねた友人と会うべく今日の宿のある約150km先の宇和島を目指して再びハンドルを握った。
 予定通り約4時間の走行時間で宇和島に入り、友人と連絡を取り、宿で待機した。昨年に続き、楽しいひと時を過ごさせていただいた。


 翌朝、9時頃に宇和島の宿を出発し、帰路に着き、「しまなみ海道」経由で豊橋に向けて走行を開始した。

 伊予灘SAで小休止し、来島海峡SAで来島海峡の景色に疲れを癒した。快晴とはいかなかったが、海峡全体を見渡せた。
  
 来島海峡大橋(この時だけ、こんな具合に見渡せた) 橋に使ってあるロープで直径60cmとあった

 しまなみ海道を晴天で景色を想像しながら、時々降る小雨の中を走行し、やがて山陽道に入った。昼間の3.5MHzのモービルでも何とかQSOができ、山陽道から新名神に入る往路を逆に走る帰りのコースを近畿道から名阪国道経由にと急遽変更して、名阪国道「針テラス」でお馴染み局とアイボールをすることに話がまとまった。そして、山陽道の西宮名塩SA付近の大渋滞、吹田から近畿道に入ってまた渋滞となり、我慢の子での走行だった。

 日のとっぷり暮れた午後7時30分頃に何度も訪れ、勝手知った道の駅針テラスに到着でした。

 ラーメン店に入り、以前からラーメンサミットと称したアイボールを楽しんだ。「土産だ」と五球スーパーのキットの段ボール箱を託された。作れということかとに帰宅後に開封してみると肝心の電源トランスが無い。「ヤメ・・商会」と別名を持つ彼に即、電源トランスが無いと電話したことは言うまでもない。(後日、在るのでいずれ送るとの連絡があった。ほどなく、トランスが送られてきた)


 

 ここで約1時間程過ごし、我が家に向けて彼と別れた。


 ここからは、名阪国道は慣れた道のりだが気を引き締めてそれなりに走行し、東名阪の御在所SAで十分休憩を取り、一路我が家を目指した。昨夜までは、娘がいて猫の世話をしてくれていた。しかし、今朝になり、彼女は帰って行ったので彼は、不安な一夜を過ごすことになっているはずで、日付の変わる2分前つまり23時58分に無事我が家に戻った。

 
 2018.04.30撮影(我が家に居候して8年目)


  総走行距離1,619.5kmの旅のエンジンストップとなった。


  途中モービル運用でQSOしていただいた各局に感謝いたします。





                                  
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