北海道新幹線乗車記




          
          北海道新幹線        北リアス線         八戸キャニオン


   2016.10.21追記 297ton積みの巨大なダンプカー「930E


 かねてから北海道新幹線が、青函トンネルを通るようになったならば乗りに行こうと思っていた。開通前年の秋、平成28年3月26日に開通予定の発表されたときからその計画を練り始めた。

 始めは、以前と同じように高速道路で青森まで一気に走行して、新幹線に乗り、帰路に三陸海岸を仙台付近まで南下してから帰るコースを考えていた。ところが、年末に餅を届ける知人から「龍泉洞」のお土産をいただき、これは鍾乳洞だと気づいた。調べるとその近くに安家洞もあり、久慈へのルートにあることが判った。この為、この間で1日を費やすことにした。それなら逆に回って見たらと思いつき今回の行程に落ち着いた。結果、日程に余裕が出来たのは皮肉だ。

 旅の目的は、北海道新幹線に乗って青函トンネルを通ること、そして、八戸キャニオンに行くこと、三陸海岸を走ってみることなので、この目的をどのようなルートで回るかをおおいに悩んだ。上記の様に、三陸海岸を経て竜飛に行き、北海道新幹線に乗って、東北道経由で日本海に出て、帰ってくるコースとし、八王子の知人を訪ね、新宿に寄ってといくつかの旅の大義名分を掲げ、このコースと日程を決めた


行程の概略


平成28年5月30日〜31日
 東名、新東名、東名、圏央道、中央道で府中国立に寄り、新宿に入り、首都高を北回りから向島線で東京スカイツリーの横を南下し、レインボーブリッジを通り、東京湾アクアラインの海ほたるで休憩。ここから木更津に抜け、館山道、東関東道、圏央道を経て、つくばJCTから常磐道に入り、常磐道、三陸自動車道、国道45号線をひたすら北上し、龍泉洞のある岩泉町に。

平成28年6月1日
 龍泉洞、安家洞をみて、久慈に入りその日に久慈駅、譜代駅間を北リアス線で往復乗車

平成28年6月2日
 久慈から国道45号線を北上し、八戸キャニオンを目指し、八戸市内から国道454号で十和田湖に回り、国道103号で奥入瀬を抜け、八甲田山を越えて青森を通り、国道280号で竜飛迄。

平成28年6月3日〜4日
 竜飛から青森に戻り、青森駅、函館北斗駅間を北海道新幹線で往復し、夕刻から東北道、山形道を経由して新潟の村上温泉を目指す
 午前中に鶴岡市に在る加茂水族館を見て、日本海東北道をちょこっと走り、国道7号で村上温泉の宿へ

平成28年6月5日
 村上温泉から日本海東北道、北陸道、関越道、圏央道で八王子に戻り、往路とは逆むきに帰路に就く





平成28年5月30日(月)午前7時頃、この旅の途に就いた。

豊川ICから東名に入り、新東名を経て、海老名から圏央道で国分寺の知人国立府中IC付近で落ち合い、その後、中央道で新宿のお馴染みさんを訪ねた。

 ここから、首都高速の北回りルートを取り、向島線を南下した。
   
 東京スカイツリーの下を通り、                 箱崎JCTの判りにくさのおかげでレイボーブリッジを往復通るはめになり

   
 東京湾アクアラインの海ほたるで休憩し、木更津方面に抜けた。(海ほたるでUターンできるが、この時間に東京に戻ったら大変だ)


 東京湾を横断し、木更津から成田方面に向かい、つくばJCTから常磐道に入り、常磐道、三陸自動車道、国道45号線とひたすら北上した

 
 常磐道が間もなく終わる、鳥の海PA付近で夜が明け


 途中、案内があると立ち寄り、
    
  三陸復興公園 岩井崎                      龍の松(東日本大震災の津波を受け残された木の形が龍に見えるようになった)

     
  無線局のアンテナが見えたが、建物が痛々しい。どうしても興味を持ってしまう    岩井崎公園の案内
  たぶん、無線局があったのだろうか。 現在のグーグルの衛星写真からだとひょっとして通信科のある学校の跡かも

  2020.06.24追記
  今になって、専攻科に無線科の有る旧気仙沼向洋高校の遺構で気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館として残されていることを知った


 国道45号線のいたる所にこのような表示がある(過去の津波浸水区間の始まりと終わりを表示してる)
  (過去とは、2011年3月11日東北地方太平洋沖地震の津波を指していると思う)
      
 Googleのストリートビューで地図上の位置を特定し、標高を調べると海抜13mだが。
   http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~

 国土地理院図電子国土Webでは、10.3mとある
   http://maps.gsi.go.jp/

 何箇所か撮影した他の場所の位置を特定できていないが、もっと高い所もあると思う。Googleのストリートビューと標高図を重ねて調べれば判るだろう

 小学校1年の時、近くの川の堤防が、台風で決壊した。我が家は、0m地帯だったので一ヶ月ほど水に浸かっていた経験もあるが、その比ではない。そして、ある日、職員室に呼び出されてアメリカ軍からのお見舞いだと言われて、脱脂粉乳の缶詰を幾つか貰って家に帰ったことがある。


 更に国道45号線を北上し、陸前高田、大船渡、釜石を通り、宮古に入った


   
 道の駅みやこで休憩し、近くの浄土ヶ浜に向かった       浄土ヶ浜は、遊覧船で海からだろう思った(いつの日か? )
2023.08.31
 北帰行の旅で訪問 宮古浄土ヶ浜遊覧船「宮古うみねこ丸」に乗船し、海鳥のうみねこと戯れ約1時間の回遊でたっぷり楽しんだ。
 隣にある「青の洞窟」も「さっぱ船」に乗りしっかりと観て来た
  www.maroon.dti.ne.jp/~ja2eib/hokikou/hokkikou.html


   
 近くの崎山にも潮吹き穴があるというので寄ってみた。潮時と気象条件によっては、20mほど吹きあがるが、めったに見られないのでほら吹き穴とも呼ばれるそうだ。

 ここまで来れば、龍泉洞のある岩泉町は近いので気を引き締めてハンドルを握って、今夜の宿を目指した。


  


  6月1日 岩泉町から久慈まで

 宿でゆっくり湯に浸かり、柔らかい布団で二日間走行の疲れを癒し、目的のひとつである北リアス線ある久慈目指して宿を出発した。

   
 龍河洞を観て(詳しくは、ここのホームページをを見て)



 20キロほど先にある
   
 安家洞(奥行2300mもあるそうだ)ただ、理由は判らないが、龍泉洞のように観光開発されていないので見学コースは十分に整備されていない。個人経営のように思われた。

 久慈に向かう県道7号線が、午後13時から15時の間工事通行止めになるとの案内があり、安家洞に12時を過ぎに到着したのでかなり焦って洞内に入った。一通りコースを見て出てきたのが、12時45分位だったので慌てて車に跳び乗った。5分ほどの所にゲートが在り、無事ゲートを通過できたので安心して久慈に向かった。

 これで、秋芳洞、龍河洞、龍泉洞と日本三大鍾乳洞と言われている鍾乳洞に入ったことになった。
鍾乳洞マニアではないけれど、この三大鍾乳洞の他かにここの安家洞、阿武隈洞、竜ヶ岩洞、関ヶ原鍾乳洞、備中鐘乳穴、嵩山蛇穴(豊橋)と結構入っている事に気づいた。
今回の龍泉洞と安家洞は、始めからの目的であったが、地元の嵩山蛇穴を除いて、近くを通った際に気が付いたので観にいったのだけれど





 久慈まで10キロ位の所にダムがあり、「海の見えるダム」とあったのでここで少し休むことにした
   
 こんな案内を見つけたので休む事に             確かに海が、見える!(小島の部分を拡大した)

 このダムを後にして、山を下りて行くと久慈琥珀博物館の看板に気づいたのでここにも寄ってみた。この博物館でここ久慈は、琥珀の日本一の産地であることを知った。

 いよいよ、久慈に入り、北リアス線に乗るべく久慈駅に向かった。少し時間に余裕があったので、今夜の宿のホテルにチェックインして荷物と車を置き、身軽になって再び駅に出かけた。

 久慈発16時08分の宮古行きで普代駅まで乗り、この譜代駅で、宮古から来る普代発17時31分を待って 久慈着18時05分で戻って来た
   
  北リアス線 宮古行の出発                  普代から乗り、戻って来た列車

    
  久慈駅                             譜代駅
 これで北リアス線、南リアス線に乗ることができた 


 2016.10.27追記
 私が、この竜泉洞を訪れた3ヵ月後に東北に上陸した台風10号の風雨の為、地底湖の水があふれて内部の通路が冠水し、入り口から水が溢れ出すという被害を受けた事を知った。ネットで入り口から水があふれ出る画像を見て愕然となった。岩泉町も甚大な被害を受けたことを知り、呆然とした。
 久慈の町が、洪水で浸水したニュース画像も何ともいえない気持ちになった。

 私も小学校1年生の時、床上浸水に遭い、一ヶ月ほど友人の家の倉庫で過ごした経験をまざまざと思い出した。
 一刻も早く復旧されることを祈ります。



  



  6月2日  今日は、八戸キャニオンに向かい、青森を経由して竜飛崎までの旅


 久慈から国道45号で階上町まで上り、県道で八戸キャニオンに向かった。
   
  90トンダンプのタイヤ(直径2.67mとある)         手前は、町を走っているダンプ 後は90トンダンプ



 
 オープンカット(露天掘り)の八戸キャニオン

 ここには320トン積みのダンプカーがあると聞いてきた。このダンプカーを見たくて遥々走ってきたが、どこにいるのか見えず、走っていたのは90トンダンプだった。再深部は、ー170mということなので見えている遥か下方の掘削現場だろう。

 現在、露天掘りで海抜ー170mも掘り下げられている。見える段差は、ベンチカット工法で採掘された跡で一段15m位の高さのはず
 90トンダンプが、右下4分の1の部分に何とか2台見えている



   


  ************************* 2016.10.21追記 *************************

  320トン積みのダンプカーと云うのは、私の思い込みで297トン積みだった。国内でこのような巨大なダンプカーが稼動したことは無い事を知った。
  後継機の「960E」が、327トン積みなのでこちらを思い込んでいたかも知れない。いずれにしてもでっかい!!!
  コマツ製作所の「こまつの杜」に「930E」いう巨大なダンプカーの実機が、展示されていて実際に運転席に座れる時間のあることを知り、居ても立っても居られなくなりました。(見学時間の詳細は、:http://komatsunomori.jp/930e/index.html

 秋の日、ルートを東尋坊、こまつの杜、白山白川郷ホワイトロードと巡って、こまつの杜を訪れて堪能してきた。

     

     

     

   諸元:(出典 930EminiBOOK)

     最大積載量 297トン 車体重量202トン
     全長:15.32m  全幅:8.69m  全高:7.32m (ベッセル上昇時:13.99m)
     機関:コマツカミンズ製 出力:2,700HP 総排気量:60,000cc シリンダ数:16気筒
     燃料:軽油 タンク容量:4.542リットル
     駆動方式:ディーゼル電気推進方式(ディーゼルで発電機を回し、電気モーターで駆動)

   展示車両の経歴
      製造:2000年(アメリカ ピオリア工場)
      稼動股間 アメリカで約4年 チリで約6年 走行距離:120万Km 走行時間:60,000時間
      2010年、こまつの杜へ(日本で1台!
       タイヤは、ブリジストン社から新品をプレゼントされて履いているそうです。その為、ひげが生えていました

  ちなみに「930」というのは、総重量「930,000LBS(ポンド)」から来て、「E」は、電気駆動式(Electricity)を表しているそうです
  この展示機は、有人仕様ですが、現在の930Eは、GPSで位置を検出し、無人走行システムで24時間稼動できるそうです。

  930Eの正式な呼び名は、(きゅー・さん・まる・ いー)と読み、(きゅーひゃくさんじゅういー)ではありません

      参考:http://komatsunomori.jp/930e/index.html

 蛇足
  説明していただいた係りの方に「この930E」を見たくて、未明3時に出発して豊橋から来ましたと話したらものすごく喜んでくれた。
  この「930E」の積み込むホイールローダー(WA1200-6? )と一緒に展示されてればと思ったが?
  野暮な推測で価格を想像 数億円ということから目方で トン200万円X200トン=4億円超えか?(昭和40年代でトン100万として概算していた)

  こんな感じ
  
  これは、津久市のふるさと振興祭鉱山見学会で見学した津久見鉱山での90トンダンプHD785とホイールローダーWA900

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 ここで30分程過ごし、いよいよ竜飛崎を目指してエンジンスタート。


   
 八戸から国道454号で十和田湖に入り、      奥入瀬のせせらぎを新緑に包まれての快適なドライブ

   
 海抜1040mを越え、                 八甲田山では、雹が降っていた(TVニュースで流れたらしい)


 青森市街を抜け、竜飛崎を目指して走行した

   
 竜飛崎での夕陽を堪能した。

 ここで、八戸から奥様の車中泊の訓練で今夜ここに車中泊するという方から声をかけていただいた。彼は、この夏に北海道の実家まで車中泊をして旅をする計画があるのでその為の車中泊の訓練と教えてくれた。私は、明日北海道新幹線に乗って青函トンネルを通ることを目的に愛知県の豊橋から走って来たことを話した。一言二言話したら、なぜか親しみに包まれ,新幹線に乗って通りたいのか、これまでの旅の話になどに花が咲きました。



  



 6月3日 北海道新幹線で青函トンネルを往復

 一夜が明け、岬をゆっくり見ようと来てみたら、彼は奥様と帰り支度をしておられ、岬で記念写真を撮り、お互いに旅の安全を祈念して、私は北海道新幹線に乗車すべく青森に向かい車を進めた。

   
  国道339号の階段の前で                 風の岬龍飛 「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと…」と2番の歌詞が流れる」


 途中、青函トンネル入り口公園に立ち寄ったところ、30分位の間でトンネルへ上下の列車が出入りする時刻を示す掲示板があったのでカメラを構え、待機した
 上り線側に駐車場が整備され、下り線側にこの写真を撮った展望デッキが出来ていた(2005年は、草ぼうぼうの単なる広場だった)
   
 トンネルに入る(下り)                      出てきた(上り)
 
   
 トンネル銘板は、「青函隧道」 時の中曽根総理大臣の筆らしい  物騒な警告


    
 狭軌道の列車も走るからレールは3本          この路線専用の電気機関車EH800 20000V,25000Vの両用 


   
  新青森駅         函館北斗駅                      函館北斗駅の回り まだ何もない!


 
 到着した列車 と 出発する列車    よく見ると


 トンボ帰りで青森に戻り、夕刻に東北道青森インターにから、途中で新潟の村上温泉で一泊しての帰路に就いた。

 せっかく、青森、函館迄行って「北海道新幹線に乗って青函トンネルを通っただけ?!」と言われる。
 しかし、私はそれが目的の旅でこの気持ちを積極的に説明し、理解してもらおうとは考えていない。
 若かりし日の思い出なのだ。



 東北道、山形道で日本海側の鶴岡市を目指した
 
 鶴岡市にあるくらげ水族館と言われている加茂水族館でクラゲを見て


 次の日の夕刻前に村上温泉のホテルに入り、オールJAミーティングで無線談義に花を咲かせました。


 明けて、各局に別れを告げ、我が豊橋に帰るべく、関越道から圏央道に経て、再び八王子に戻り、二人目の知人を訪ね、

   
 彼の案内でケーブルカーに乗って高尾山に登り、木々の切れ間から八王子を展望した

 しっかり、休息を取り、やや遅くなった午後10時頃、彼に別れを告げ、我が家目指しての走行となり、圏央道、東名、新東名を走る

足柄、静岡サービスエリアで仮眠をとり、6月6日(月)の未明午前2時半頃、娘と猫の待つ我が家に無事もどった

    
 トリップメータは、総走行距離 2800.1Km を示した     相変わらずG5 の上からちょっかいを出す(5才にになった)



 途中、モービル運用でお相手をしていただいた局に感謝申し上げます




                                        
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