手術後 (風船療法)
(薬物的不整脈治療)


 バルーンカテーテルが、通る


手術前
梗塞部
冠状動脈 #11

             心 筋 梗 塞 の 発作 !!!


           無事生還できた貴重な経験なのでここに紹介いたします



 平成15年3月12日(2003.3.12)午後11時20分頃、背中を指で「トン」と軽く突かれた様なショックを感じて、思わず顔を上げて、軽くのけぞりました。と、同時に額から冷や汗が滲みでてきて、軽い胸やけを感じるようになりました。お腹もぐずぐずする感じを感じました。そして、いくら深呼吸をしても咽のもやもやは治らない状態になりました。

 どうもすっきりしない状態なので、夜間救急に行こうか?、それとも夜明けまで様子をみてから病院に行こうか?と考えていると徐々に弱って行くような感じになり、起きているのが辛くなりなりました。どうもいつもと違う、こんな経験はないなあーと思い、「この電話番号が違っていたらどうしよう」と考えながら、ふとんに横になり知り合いのドクターに電話しました。彼は経過の説明を聞き終わらないうちに「ばかやろう! 直ぐ救急車を呼べ!」と怒鳴られ、私も何故か解りませんが、「循環器か?」と尋ねました。

 幸運なことに1.2キロメートル先に素晴らしい循環器科専門病院の「豊橋ハートセンター」が、あります。ほぼ、一年ほど前から高血圧の治療を受けて薬を貰っていましたので、救急車ではなく事情を説明してタクシーを呼び、11時30分頃病院に入りました。緊急に診察を受け、心電図の用紙が、一枚出るか出ないうちにドクターが「緊急オペ」と指示出しました。

 本人は、「何だろう? とにかくオペなんだ」と位にしか思いませんでした。直ちに車イスが用意されてきて「乗るよう」と言われたので、「自分で歩けますよ」と言ったところ、「だめです」言われ車イスにたたき付けられるように乗せられてオペ室に向かいました。(状態から言ったら歩くなんて!でしょう)
 病院勤めの経験からこの病院のすばらしさはある程度しっていましたから、手術室のオペ台に乗ってからも周囲をながめて素晴らしい設備だなあーと思いながら時計を見るとほぼ12時でした。Cアーム透視モニターの画面が、もっと見えないかなとも思いながら、下腹部で何やら手術の準備をしているなあぐらいにしか考えていませんでした。その後の状態は何も覚えていません

 本人は、心筋梗塞の発作などとはつゆ知らずにいました。どういう状態かは覚えていませんが、ドクターの「吐きたかったら吐いてもいいですよ」と言う声が聞こえていました。
 やがて、再びドクターの「胸が、熱くなりますよー」と言う声とともに左の鎖骨の付近から腰に向かってビー玉位の大きさの熱い固まりが体の中を下がって行くのを感じるととも楽になりました。しばらくして、右の太ももの付け根のお腹に強烈な圧迫が加わり、ドクターが、全体重をかけて押さえていました。(動脈からのカテーテル手術なので当然なのですが)そして、数キロの重さはあろうかと思える砂袋に代えられました。そして、右足は、「よしと言うまで絶対に動かさないで!!」と言われ拘束(縛られた)されました。

 時間は覚えていませんが、「手術室からICUに移動しますよ」と聞いたことは薄っすらと記憶にあるのですが、看護師さんの「静かにしてください!」との声で目が覚めたのはICUで朝の5時頃でした。他の患者が、若干の「ボケ」があるらしく術後にかかわらず歩きまわっている他の患者がいて注意している声でした。

 この時点でも本人は、心筋梗塞を発症したことは知りませんでした。(現在に至るまでドクターからは心筋梗塞を発症したとの宣告はありませんが?)

 10日間の入院で退院して、主治医のドクター(刈谷市の診療所)に発症場所などを報告したところ、「それならアメリカなら3日で退院だよ」と評価のしようのない返事がありました。主治医のドクターが、この「豊橋ハートセンター」の院長の友達だったは偶然でした。紹介状を持って、院長の診察を受けた時に関係を尋ねられ、「彼の所で受診しないんだ」と叱られましたが、ここから1.2kmの所に私の家があることを説明して納得して貰いました

 その後、今日まで何事も無く無事に過ごしていますが、勿論、体力は格段に低下している事を自覚しました。心筋梗塞を発症したことを肝に命じて運動をしています。そして、周りの同僚たちにも詳しい経過、発作時の感覚などをことある度に話をしています。

 私が、救急車でなくタクシーで病院に行った事に対して、このホームページを見ていただいて、「もっと強く救急車だ!」と言わなかったからタクシーで行ったと思われていた事が、2016年にお逢い出来た時に叱られました。しかし、当時の豊橋市の救急体制であれば、まず、豊橋市民病院の救急センターに搬送され、心臓カテーテルができるドクターが当直している確率は非常に小さく、もっと深刻な状態になった可能性があって、この「豊橋ハートセンター」に直接受診した事が、最良だったことを説明しました。

 彼に退院後に顛末を報告した際に「まるで病院の前で発作を起こしたような経過で、心臓カテーテルを施術できるドクターが常駐している病院は、全国でも幾つもないぞ」と言っておられたのを昨日の様に思い出しています

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              心臓CT画像

リアルな画像になるので縮小するとともに画像処理を施して、拡大画像は控えた

心臓CTの検査結果 (平成21年4月16日撮影) 2009.6.8 追記

 発作から7年を経過し、この疾病の自覚症状の後遺症と呼べるものは、スタミナが格段に低下した事言を思い知らされているくらいです。とは言え、おろそかにするわけにもいかない世に言う5年生存率の統計期間を超えている事と考え、検診の意味を含めて心臓CTを撮影した。

 「発作当事と比べて、加齢を考えても大きな変化は見られない」との所見を言い渡されたので「一安心」しましたが、懇意にしている主治医といえるドクターは、4枚目の画像に「?」部分があるけれど何も言われていなければ「大丈夫」との返事でした。
  造影剤を体内に注入する事は変わりないけれど、血管にカテーテルを挿入して行うカテーテル検査に比べ、体への負荷も軽く、予約がいるけれど普通に診察に行くのと変わりなく検査してもらえた

 手術終了時の画像と、6ヵ月検診、22ヵ月検診の写真を見ても大きな変化は起きていないようです。但し、梗塞位置の#11狭窄とOPに伴い発見された#6の狭窄は、50%程になっていますが、悪化していないようなのでとりあえず安心しています。

 流体力学からの知識では、管路の流量は、、管路の太さが20%位まで細くつまり直径が減少すると、その流量が50%位に減ります。
 このことから、直径50%減であれば、流量(血液の)かなり確保できていると信じられますので、細くなった事は事実なので油断できませんが、このことに留意した生活をすれば良いと思っています

 追記:ここにある透視写真は、ドクターからノートコンピュータの画面を見ながら説明を受けた時に物は試しと「この画像データをいただけませんか?」お願いしたところ「いいですよ。でもプログラムはありませんよ」との返事でした。ここの院長と私の主治医は友達なので何とかなるとの考えからの言ってみたものです。データをいただき、アプリケーションを入手してこの画像を作りました。
 「こんなものを貰ってどうするんだ」と言ってしまえばそれまでですが、今では、希望すればCDのみで画像再生できるデータをいただけるようです?。


22ヵ月検診


6ヵ月検診
退院後、電話をしたドクターにお礼と経過の報告をしたところ、「小説みたいな話だ。心臓カテーテルを実施できる病院は、たくさんあるが、カテーテル操作のドクターが24時間待機している病院はそんなに無いぞ」と言っていました。まるで、病院の玄関で倒れたのと変わらないじゃないかとも言っていました。

 よく聞く話で、明るい方から「こっちにいらしゃい」と呼ばれて、一歩進もうとした時、後ろから名前を呼ばれたので振り返ったら、目がさめて家族の顔が目の前にあった。
 私には、このようなことは無かったが、先にも書いたように手術の途中から何も覚えてはいません。また、この事ですでにかなり以前に細い血管に梗塞を発生し、バイパスが構成されていることも判明しました。思い出してみると10年位前に「いくら深呼吸をしても咽のもやもやは治らない状態」があり、原因がわからないままで2ヶ月くらいで消えたことを思い出しました。


 何人かの知り合いのドクターにこの話をしたところ、「額からの冷や汗は、体内に重篤な異常が発生したとの知らせ」で、軽く考えず直ちに病院に行かなかればならないと全員のドクターが言っていました。
 手術の終わりごろには、不整脈からこれ以上薬で治らなければ「カウンターショック」しかないとの説明で妻は書類にサインをしていたが、カウンターショックを受けてはいいませんでした

 でも、あの世とやらの一歩手前まで行った事には変わりなく、後遺症も無く、無事に帰ってこれた事はいくら感謝してもしきれるものではありません。(正確には、後遺症は若干ある