du gewinnen!

「先生、勝負しましょう!」

 元氷室学級のエースであり、今は恋人となった彼女のその発言に、私は眉を少し上げた。
 私を『先生』と呼ぶ癖が未だ直らない彼女であるが、その事に眉を上げたわけではない。
 『今は恋人』といっても、ほんの二週間前までは教師と生徒の関係だったのだから、
 改まらないのも仕方のない話と言えよう。
 別に焦る必要は無い。
 恋人同士になったからといって、急に呼び方を変えるというのも何やら照れ臭い気がする。
 (私の方でも彼女を未だ姓で呼んでおり、それについて彼女から文句は言われていない。)
 もう卒業したのだからという考え方もあるが、
 前述したとおり、今すぐ改めたいという気持ちは私に無かった。
 これからずっとそうでは困る気もするが………。
 そう考え、あの卒業式から二週間が経つのだなと感慨に浸る。
 今、当たり前のように私の傍らにいる彼女。
 ほんの二週間前は夢だと思っていた事が現実の状景になっている。
 まるで、今この時が夢であるかのような錯覚さえ覚えた。

「勝負?またか?」

 春休みであり、大学が始まるまでのこの期間、
 彼女は毎日のように私のマンションに通って来ていた。
 そして、春休みといっても新学期の準備など種種の業務で休む暇など無い私の為にと、
 家の中の片付けや食事の支度などをしてくれていた。その事には非常に感謝している。
 そんな彼女が、持ち帰った仕事を自宅にて片付け、一段落ついた私に勝負を挑む。
 今まで読書をしていたらしく、彼女の脇には文庫本一冊と料理の本数冊が置かれていた。

(何故そんなに私と勝負をしたがるのだ?………)

 私が眉を上げたのは、彼女が『勝負』をしたがる事にあった。
 昨日の日曜日、ビリヤード場に連れて行った時も彼女は私に挑戦した。
 無謀にもだ。
「無理だ。私には勝てない。」と諭したのに、
 どうしてもするといって聞かない彼女に根負けし、申し出を受ける事になったが、
 結果は言わずもがなで、私の圧勝に終わった。
 目に見えた勝負であったゆえ、
 勝利を得た時にいつも感じる満足感と爽快感は微塵も感じる事が出来ず、それどころか、
 彼女の気落ちした沈んだ顔を見るに至り、
 愛する者に勝利する事の虚しさを知る羽目に陥ったのである。
 であるから、もう彼女と勝負をする気にはならなかった。
 わざと負けてやるなどという考え方は、私に無い。

「今度は絶対わたしが勝ちますから!」

 だが、彼女はやる気十分のようだ。

「……いったい何の勝負をするつもりだ?」

 ため息を一つ吐き、彼女に訊ねる。

「お料理対決です!!」

 確かにその勝負なら彼女に分があるな。
 私も作れないわけではないが、彼女の腕前に及ぶものではない。
 しかしそういう勝負となると

「公平な判定をする第三者が必要になるが?」

「あ……そうですね……。じゃあ、マスターさんに……」

「最も不公平なジャッジをすると思われる人物だな。」

 私の悪友は、当然、彼女の味方になるに決まっている。

「えー……それなら、紺野さんか藤井さんか有沢さんか……」

「同窓生を呼ぶのは頼むからやめてくれ。」

 彼女とこういう関係になった事を隠すつもりは無いのだが………
 生徒(たとえ元生徒だとしても)に知られる事に、恥ずかしさはまだ拭いきれない。
 特に藤井には、どんなからかい方をされるかわかったものではない。

「えーー。他に思いつかないんですけど……あ、尽。は、ダメでした。」

 彼女は自分の弟の名前を叫び、すぐに否定した。

「ダメとは?」

「今日は友達のお家に遊びに行っていて、いないんです。」

 たとえいたとしても、彼女の弟では、やはり公平な第三者とは言えないだろう。
 非常に姉思いの彼であるから、彼女に有利な判定をするに違いあるまい。

 そして、しばしの沈黙が流れる。

 私はもう一度息を吐いて言った。

「もともと勝負をする気は私には無い。そもそも何故君はそう勝負をしたがる?」

「それは、その……わたしが勝ったら先生にお願い事を聞いてもらおうと思って……」

 なるほど、そういうことか。

「それは何だ?」

「今は言えません。きっと聞いてくれないから。」

 そう言われると気になる。
 聞いてやれない彼女の願いとはいったいどんなものだ?

「言いなさい。
 今日は3月14日、ホワイト・デーだ。先月のバレンタインのお返しがまだだったな。
 私に出来る事であるなら、その願い事とやらを叶えよう。」

「本当ですか?」

 彼女は一瞬顔を輝かせたが、すぐに疑わしそうな目つきで私を見た。

「本当だ。だから早く言いなさい。」

「それじゃ言います。わたしを今日、先生のお家に泊まらせて下さい。」

「ダメだ。」

 何を言い出すかと思えば。
 即座に却下すると、彼女は頬をぷうと膨らませた。
 そして「そう言うと思いました!」と言い、そっぽを向く。

「ダメに決まっているだろう。」

「嘘つき。」

「出来る範囲でと言った。嘘はついていない。」

「なんで出来ないんですか?
 先生のお部屋こんなに広いんですから、わたし一人泊まるくらい……」

「そういう問題ではない!君は嫁入り前だろう。単身住まいの男の部屋に泊まるなど……」

「じゃあ、今すぐ先生のお嫁さんにして下さい!今の時間ならまだ役所も開いてますし。」

「……君はもう少し頭の中で思考を練ってから発言するように。」

 突拍子もない事ばかり言う彼女に呆れ果てる。

「先生、考え方古いです……」彼女の方でも私に呆れたようにそう呟く。

「これが私だ。君も私の恋人ならそれを受け入れて欲しい。」

「それを言うならわたしの考え方も受け入れてくれるべきじゃないんですか?」

「う…む……」

 それも一理だが、これではいたちごっこにしかならない。

「とにかく、君のご両親の手前もあることで……」

「わたしの親は止めませんでしたよ。
 わたし、今日出かける時に、先生のお家に泊まるからって言って来ましたけど。」

「なっ……」

 そうか、今日の彼女の荷物がやけに大きいと思った。
 着替えを持って来ていたのか……

「だって、この間先生が挨拶に来てくれた時、
『娘をお願いします』って言ってましたでしょ?うちの親。」

 卒業式後の最初の日曜日、
 私は彼女のご両親のところへ挨拶に行き、確かにそのような事を言われはしたが……

「そ、それとこれとは話が別だろう。
 ……その、ご両親だけではなく、君の弟君の手前もある。」

 彼女の弟は、来月4月に中学校に上がるという年齢で、
 そのような思春期の少年に悪影響を及ぼすような行為は断じて……

「それも大丈夫です。
 尽は今日、遊びに行ってる友達の家にそのまま泊まることになってますから。」

「…………………」

「母が、『じゃあ、今晩は夫婦水入らずね』って喜んでたんですよねぇ。
 わたしとても家に帰れません。先生のところに泊まれなかったら、どうしよう……。
 夜の街を彷徨って、悪い人に襲われたりしたら………」

 困った素振りをして、上目遣いに私を見上げる。

「……用意周到だな。」私は三度目のため息を吐いた。

 さすがは、元氷室学級のエースというところか。 
 へへ。と肩を縮めて笑みを浮かべる彼女。茶目っ気たっぷりに。

 私の目にいつも天使のように映る彼女は、時折小悪魔にもなる。
 そこが魅力の一つでもあるのだが。

「まったく君は……」

「だって……わたし、先生とずっと一緒にいたいんです。
 先生の隣で眠って、朝、目が覚めた時は先生が横にいてくれて、
 それで先生に朝ごはんを作ってあげて………
 先生とお別れする時、いつもすごく寂しく感じるんです。
 なんでこのまま一緒にいられないんだろうって。
 このまま、先生の腕の中にいたいのにって…………」

 頬を朱に染めて俯きながらそう告げる彼女。

 それは私も同感ではあったが………

 照れ隠しに「コホン」と咳払いをしてしまう。

「どうしてもダメですか?」

 顔を近づけ、上目遣いに私を見つめる彼女の大きな瞳。
 眉根を寄せ、小さな口は下唇を少し噛むように引き結ばれている。
 こういった彼女の表情に私は弱い。

 白く柔らかい手が私の膝に置かれ、そこから彼女の体温を感じた。
 このまま腕の中に抱きしめたい衝動に駆られ、心がそぞろに乱れる。

(理性を保つのにも一苦労だ。)

 まったく敵わない。
 そう、私は彼女に負けてばかりいる。
 だが、こういうのも悪くない。

(負ける事を何より嫌う自分であったのにな………)

「君の勝ちだ。」

 嘆息するようにそう告げると、彼女の顔が得意満面に綻んだ。

 気分は悪くなかったが、少々癪に障る。

 彼女の得意げな鼻をつまみ、
 そして、
 既にもう幾度も口付けた、愛して止まないその唇を奪い、溜飲を下げるとしよう。

先生と主人公キス

ende

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またもや間に合わせる事が出来ず、二日も遅れてしまったホワイト・デー記念小説です……。
しかも激甘に書きなぐってしまいました(^^;)
最初は三人称で書いてみようと思ったのですが、主人公の名前を出さないでというのはやはり
私には無理でしたので、結局、先生一人称になってしまいました。
先生が自身の呼び方を「私」としていますのは、きっと文章や行動記録(日記ではなく笑)等、
文字にして綴る場合は「私」を用いるだろうと思いましたのと、
わたくし東が、「私」を一人称にする人が好きだからであります。
打ち解けた相手への先生の「俺」は、萌え対象になるのでしょうけれど……。
でも、まだ二週間ですしね。……やってることはやっちゃってますが。(^^;)
あ、でも私が元々持っている先生のイメージは、「この人は婚前交渉すらしないだろう」です。
と云いつつ、また描いてしまいますけど(えへへへへ……)。

タイトルの「du gewinnen!」は、「you win!」の単語をそのままドイツ語に置き換えただけですので、文法的にはおそらく誤っていると思われます……。

2005.3.16UP

挿絵とおまけSSをアップしました。(2005.3.28UP)
 おまけSSは主人公サイドで、少しエッチです。(というか、初エッチしております^^;)
 直接的な描写はございませんが(多分)、一応
『15歳未満の方は閲覧禁止』とさせて頂きます。

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