(卒業式は刻一刻と迫っていた。
 彼女との別れの時だ。
 私は既に諦観していた。
 所詮は教師と生徒である。
 その均衡を崩す事を恐れた。
 彼女は私を「先生」として慕ってくれている。
 尊敬してくれていると言っても良いだろう。
 もし、私が彼女を
 「生徒」としてではなく「女性」として見ていたと知ったら、どう思うだろうか。
 私を嫌悪し、軽蔑するかもしれない。
 その時の彼女の顔を思い浮かべると、私は踏み出す事を留まらずにはいられなかった。)


 卒業式の前日、帰宅した私は、気が付くとピアノの前に座っていた。
 マンションだが、防音設備は完璧に施している。
 憶えば、子供の頃から、気鬱になるとピアノを弾いていた気がする。

 譜面を見ずとも指が勝手に動き、音が紡ぎ出されていく。

(車を運転するのと同じ気分だ。)

 機械の如く、完全な旋律を刻み込む己の十指の動きを見るのが好きであった。
 よどみ無く無機質に、機械的な流動さで鍵盤上を滑る指。
 一分のミスも無く、完璧な演奏をする事に自負を感じた。
 そうする事で、気持ちを落ち着かせる事が出来た。

 自分が、完全な人間に成り得た気がして………。

 不意に、私のピアノが好きだと言った彼女の言葉が耳に響いた。
 そして、私の演奏を、学園の音楽室の戸口で聴いていた彼女の残像が瞼に還った。

 指の動きが止まる。

 彼女との3年間が止めようもなく蘇っていった。
 入学式の時まで、そして、より以前の……
 私が、はばたき学園高等部に生徒として在籍していた時分に知り合った、
 幼い少女との思い出にまで。

 そうか。初めて会った時、何故彼女の貌に懐かしさを感じたのか、ようやく解明した。
 似ているのだ。彼女はあの少女に。

 その幼い少女との出逢いは、14年前まで遡る。
 下校途中、学園裏に建っている教会の前を通った際、そこで泣いている少女と遭遇した。
 4歳か5歳程の、泣き止もうとしないその少女をどうにも放っておけず、
 背負って家まで送り届けた。
 正確には、少女の言葉では家の所在地を突き止めることが出来ず、
 交番まで行こうかと思っていたところに、
 運良く少女を探す母親に出会い、引き渡したのであるが。
 それで終わりだと思った。
 しかしその翌日、同じ時刻に教会の前を通ると、少女がそこにいた。
 今度は泣いておらず、そして、私の姿を見つけると、一目散に駆け寄って来たのである。
 天真爛漫な笑顔というのは、こういうものを言うのだなと感慨深く感じた事を思い出す。
 その様は、本当に彼女に似ていた。彼女が少女に似ていると言うべきだろうか。
 それからしばらくの間、少女の遊びに付き合った。
 私は一人っ子であったので、兄弟というものに多少なり憧れていたふしがあり、
 歳の離れた妹を持ったような気分で少女に接していた。
(そんな私を、益田は何を勘違いしたのか、
「子供はやめとけ……な?」と真顔で忠告して来たなと余計な事まで思い出した。)

 しかし、少女は何も告げずに私の許から消えた。

 ……そういえば、少女の名前を憶えていない事に気が付いた。
 聞いた記憶はある。だが、憶えていない。忘れるなど、この私が?……

 ビーンという鋭い音が、部屋全体を震わせ、浮遊していた私の思考を躯に戻らせた。

 無意識に再びピアノを弾いていたらしい。
 そして今、ピアノの弦の一本が悲鳴を発して切れた。
 音は壁に吸い込まれて消え、部屋は静寂に包まれる。
 私は立ち上がり、鍵盤蓋をゆっくりと閉め、その上に手を置いた。
 ひやりとした感触が掌から脳に伝わる。

 彼女と幼少女は同一人物だろうか…。

 いや、それではあまりに出来過ぎている。
 確かにあの幼かった少女も、今では彼女位の年齢になっていようが。

 しかし、少女の事を思い出したお陰で、合点がいった事があった。
 それは、私がどうしても、
「彼女が私から去って行く」
 という予感を持ち得てしまうという事に対してである。

 予感(第六感を含む)というものは、決して霊的でも非科学的なものでもない。
 いわば、統計的確率から算出された結果の問題である。
 今までの自身の経験、知識により脳に蓄積された過去の事例から、
 現在進行している事象と似通った例を検出し、組み合わせ、
 確率から予測されるとする(その時の)過去の結果を映し出すのである。
 そこに、多々想像が含まれる事もある。
 そして、その計算は脳が瞬時に行う為、
 あたかも結果のビジョンのみが予感として浮かび上がるという形をとるのである。

 昔、彼女とよく似た少女が私から去って行った。
 だから、彼女も私から去って行くだろう。そう考えたわけか。

 いや、実際去って行くのだ、明日の式が終われば、私の掌から飛び立って行く……。

 前に彼女から、私が彼女を子供扱いし過ぎだと責められた事を思い出す。
 はっきり言われたのは、大学受験の会場に私も付き添おうかと持ちかけた時だ。
 彼女が電車に乗り遅れたり、会場を間違えたり、迷ったりするのではと心配したからなのだが、
 確かに子供扱いだな。それも少女の面影を見ていたからなのだろうか。
 違う。
 私が彼女にそうしてしまうのは、彼女には私がいないと駄目だと思いたいが為の……
 もしくは思わせたいが為の所為であったのだ。
 彼女を手の焼ける生徒と見立てることで、
 傍らで指導することの、共にいることの必然性という名目が欲しかったのだ。
 彼女にとっては迷惑で理不尽な扱いだったかもな。
 社会見学と称し誘い続けたことも、教師としての矜持や恥ずかしさを隠す為というよりは、
 教師の立場を利用して、彼女にそれを強要していたに過ぎない。

 本当に欺瞞だな。

 彼女が自分を尊敬してくれていると思うのも自惚れで、錯覚のような気がしてくる。
 だが、もうこれ以上は考えたくなかった。少なくとも今日は。
 明日一日だけでも教師という自分を保って、彼女を……卒業する生徒達を見送りたい。
 一人前の、独り立ちも可能な大人に成長した事に対し、その事を誇りに思いながら。

 淋しさを感じることが拭いようもなく、私は自嘲的に笑った。そして頭を数回振った。

 別の事に気持ちを向けようと、私は益田に電話をかけた。
 春休み期間中の小旅行の件だ。
 毎年、私の趣味である鉱物収集に付き合って貰っているのだが、
 今年の奴の予定を聞いておこうと思ったからである。
 4度目の呼び出し音の後、奴の快活な声が聞こえた。私が用件を述べると、
誘う相手、間違ってないか?」という軽口を叩き、電話の向こうで笑った。
 私は沈黙を返した。
 その沈黙に気付き、どう捉えたのか笑いを収め、
「……大丈夫か?」と真に戻った声で聞いてくる。
 問題ない、とにかく予定しておいてくれと言い、返事も聞かずに電話を切った。

 結局、自分は変わっていないのだとその時実感した。

 壁など取り払っていない。

 だが、その事実に安堵している自身も感じていた。
 私は変わっていない、だから……彼女の存在が私の傍から無くなったとしても、大丈夫だと。
 今は、彼女というファクターが表面的に作用を及ぼしているだけで、
 私の本質は何も変わっていないのだと。

 私は一人で生きていける。これまでもそうであったのだから。

 再び、少女との思い出が脳裡に還った。

 少女との付き合いは4週間にも満たなかった。毎日会っていた訳でもない。
 それでも少女が去った後、私に『淋しい』という感情の興りはあった。
 だが、それもやがては消えた。消えて忘れるのだ……。

 私は一人でも生きていける。

 そう仮定でもしなければ、とても明日の卒業式を冷静に迎えられそうもなかった。

 彼女が居なくても……。

 目を閉じ、自分の立てた仮定が証明される事を願った。以上。

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はい、暗いですね。(笑)
 誰ですかね、この暗い人は?……
 しかも読みづらい(下手な)文章で申し訳ございません。
 以前発行した同人誌(誰がために鐘は鳴る2)に載せた氷室先生一人称モノローグ的小説もどき。
 できれば、全部書き直したいです。
 でも書き直したって良くなるわけでもないので、もう諦めました……
 自分の技量は把握してます。(泣)
 ただ、ここ最後のくだりにどうしても恩師を登場させたく、
 加筆修正を施しアップさせて頂きました。
 マスターに対しての呼び方も「義人」から「益田」に改めました。
 本を発行した当時は、なんて呼んでいるのか判らなかったので「名前呼び」にしたのですが、
 「苗字呼び」なんですよね……。
 小学校からの付き合いで、マスターは「零一」って呼んでるのに……。
 「よっちゃん」「れいちゃん」だっていいくらいなのに、先生は苗字呼び……。
 ほんとに心閉ざしてるんじゃないのか?と思ってしまいましたよ。

 なお、この文、最後が「以上」で締めくくられておりますが、
 同人誌にはもう1頁分続きがありまして、そこで本当の「了(おしまい)」になっております。

 この話は一応、主人公サイドの『卒業の日』と対応した作りになっておりますもので、
 主人公サイドの方も読んで頂けると嬉しいです。m(_ _)m
ぺこり

2005.2.11UP