もみじ饅頭の由来の研究 |
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「伊藤博文さんともみじ饅頭」のいわれは作り話? 一説には、次ぎのように言われています 明治時代に伊藤博文公が宮島を訪れた時(※1)、[※2]娘さんの可愛い手を見て[もみじのようなかわいい手・・・疑問3]と言ったそうです。 概略としては、このようになっていますが、細かなところを探してみると疑問がわいてきました。 ※1、伊藤博文公はこの頃何度も来られたみたいです ※2、伊藤博文公 が言われた言葉 意味は同じようですが、娘さんが差し出したのは、お茶か?日本酒か?それとも何かな?
※3、伊藤博文公が言われた言葉、
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・ 伊藤博文(1841-1909) 初代総理大臣 山口県出身 (もっと詳しくはインターネットで調べましょう。) | |||
高津常助(たかつ つねすけ) |
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最初にもみじ饅頭を焼かれた高津常助さんのお孫さんが、宮島口にお住まいということを知り、お話を伺ってきました。 お孫さんは、宮島口で多加津堂(酒類販売・食料品等)としてご商売をされています。 焼き型 お孫さんは、古いもみじ饅頭の焼き型をお持ちでした、しかし、これは明治40年当時の型ではなく、高津常助さんが、昭和25・26年ぐらいまで焼かれていた型であろうとのことです。 当時の高津常助さんの店は、厳島神社の裏、現在の消防署の近くにあり、そのもみじ饅頭は次の日でも柔らかく美味しく食べられると評判でした。(当時、東京まで、蒸気機関車で丸1日以上かかったでしょう。) 常助さんの死後、奥様が1・2年焼かれたそうです。しかし、その製法は誰にも受け継がれず、書面にも残されていないので謎になっています。高津さんの店はその後、次男の昇(のぼる)さんに継がれ、もみじ饅頭は焼いてはいませんでしたが、おみやげ物や、夏場の海水浴客相手の店などをされていました。 宮島は神様の島で、宮島の人のお墓は対岸の宮島口にあります。多加津堂(宮島口)のすぐ近くに小高い丘がありますが、そこは宮島町民の墓所になっています。高津常助さんのお墓もその丘にあります。 焼き型部分、縦横とも16cm 全長 53cm 重さ2.56kg もみじ饅頭の形 もみじ饅頭の形は2種類出来て、左側は左右対称に、右は少し傾いた形になります。 保管状況もよく、今でも焼けるように保管されていて、2001年3月にNHKの取材で実際に焼かれたそうです。 商標登録證 お孫さんは、「紅葉形焼饅頭」の商標登録證をお持ちでした。登録日は明治43年7月18日、左の写真は高津常助さんです。 この商標登録證を見ながらお孫さんは、「(高津)常助さんも、もみじ饅頭が宮島のお土産として有名になり、宮島にお客さんがたくさんくる事を、喜んでいると思いますよ。」といわれていました。 商標登録證の、もみじ饅頭図の部分をアップしてみました。 この絵から最初のもみじ饅頭を想像すると、鹿の絵柄がついていたのか 宮島のお土産で有名な杓子がありますが、その杓子には必ず「鳥居」「宮島」の焼き印が押してあります。お孫さんの話の中で、「焼き印を作る職人さんが、高津常助さんに頼まれて、鹿の焼き印を作った」というのがありました、最初のもみじ饅頭には鹿の焼印が押してあったのかと想像しています。 最初のもみじ饅頭を作ったきっかけですが、岩惣の女将が岩村栄子さんの頃、高津さんは岩惣にお茶菓子を納めていました。仲居頭の「おまん」さんに言われたのがきっかけとなりもみじ饅頭を作ったという話です。お孫さんは、伊藤博文公の話は聞いたことがなかったそうです。 岩惣女将−おまん−高津常助 (USACO説) 高津常助さんの自慢は「高松宮様から頂いた書き付け」だったそうです。高松宮様(明治38年〜昭和62年)が宮島に来られた時にもみじ饅頭を差し上げ、それにたいしてのお礼状の様な物を頂かれたらしいのですが、残念ながらその書き付けは行方不明になっているそうです。 多加津堂さん長時間に渡りお話を聞かせていただきありがとうございました。 USACO(2002.5)
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後日、多加津堂さんから上の焼き型で焼いたもみじ饅頭をいただきました。 |
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【追記】2009年、
多加津堂さんは高津堂としてもみじ饅頭の製造販売を再開されました。 |
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制作中もみじ饅頭
年表 |
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高津常助さん最初のもみじ饅頭を作る | |||
1910年 明治43年 | 紅葉形焼饅頭 登録商標 | ||
19 | |||
もみじ饅頭製造に関して問題が起こる | |||
1928年 昭和 3年 | 和解 「もみじ饅頭」 | ||
1941年 昭和16年 | 第2時世界大戦 | ||
1945年 昭和20年 | 第2時世界大戦 終戦 | ||
19**年 昭和 年 | 企業合同 (材料入手困難のため、代用食) | ||
1953年 昭和28年 | にしき堂 (広島市で製造) | ||
1958年 昭和33年 | プロパンガス使用 普及する | ||
1961年 昭和36年 | 機械化に向けすすむ | ||
1980年 昭和55年 | 10月 B&B もみじ饅頭 全国区に!! (漫才ブーム) | ||
2001年 平成13年 |
もみじ饅頭製造現在調査中 この表の信頼度は20%です =現在製造している店 |
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時 代 |
店名 | 製造開始(年頃) | 製造期間 | 備 考 | |
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明 治 l 大 正 |
高津常助 | 1907年(明治40年) | |||
岩村もみじ屋 | 創業90年 | ||||
紅葉堂 | 創業明治45年1912年 (竹内紅葉堂) |
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大 正 l 昭 和 |
吉川七浦堂 | 創業80年(2002年時点) 店頭の看板は毎年書き換えられているらしい |
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1925年 (大正14年) | 創業大正14年 | ||||
勝谷 | 192?年 (大正??年) | 創業大正??年 昭和?年 | |||
戦 前 |
藤山鶴亀堂 | ||||
やまだ屋 | 1932年(昭和7年) | 創業昭和7年 | |||
木村屋本店 | 1933年(昭和8年) | 創業以来65年 | |||
昭 和 中 頃 |
博多屋 | 江戸時代、物産店として創業 | |||
坂本菓子舗 | もみじ饅頭は、昭和30年代初め頃から | ||||
にしき堂 (広島) |
1953年 (昭和28年) | 創業昭和26年10月・28年12月製造開始(広島市) | |||
佐々木八重子 の店(宮島) |
創業 慶応 4年 1868年 | ||||
後藤製菓 | 創業、大正7年 (広島市大手町)昭和8年(宮島に移転) | ||||
B & B 漫 才 ブ l ム |
菓子処きむら | 1985年(昭和60) | |||
かめ福 | 1985?(昭和60?) | 嘉永元年創業 (2004 閉店) | |||
有もと | 1990年(平成2年) | 昭和49年創業(ホテル) | |||
平安堂 梅坪 (広島) |
創業大正7年 会社設立昭和27年(広島市) | ||||
国 内 旅 行 |
モーツアルト (広島) |
2002年(平成14年) | 創業1974年10月10日(広島市) | ||
高津堂 (宮島口) |
2009年7月18日 (平成21年) |
高津常助氏の孫によりもみじ饅頭製造販売を復活 | |||
現在の店と、以前あったと思われる店( 島の屋 松屋 藤田 藤朝 たていし 横山 ) 現在調査中です 情報求む | |||||
時代は、時代背景にあった物です、一部USACOの推測・想像のところもあります |
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その他資料 |
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商標登録情報 現在調査中 |
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まだあると思います、知っている人教えて!! |
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もみじ饅頭の焼き型(手焼き) |
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調べている途中で、気になったお菓子の話 |
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B&B(ビー アンド ビー) 島田洋七(広島県出身) |
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洋七(広島県出身)・洋八(岡山県出身)とのコンビ、漫才ブームで有名に、洋七さんの「もみじまんじゅう」のギャグで、もみじ饅頭を全国的に有名にしてくれた。 | |||||
その他元祖編 |
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※一部、敬称略させていただきました。 |
この他の情報、存じの方おられましたら、どんな情報でもかまいません。
また、お気づきの点はがあれば、お知らせください
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