四 者 面 談

 6月のある日の午後、学校で校長と担任を交え面談することになった。Nは相変わらず家にいる。1時間ぐらいなら留守番できるかもしれないが、そんな時間で終わるとは限らない。何時になるかわからないのに、1年生になりたての子供を一人で留守番させるわけにもいかない。

そんな母子家庭の状況も考慮せず、自分たちの都合で平日のお昼過ぎを指定してくる学校側もどうかと思った。だがこの想像力のなさが原因の一つのような気もする。そんな人たちに何をいっても時間の無駄である。私はNを学童保育に預けることにした。

 学童保育とは親が働いている低学年の子供を下校後から夕方までの面倒を見てくれるところである。
学童保育の成田さんに鮎原先生とのいきさつを話し、明日話し合いがあるのでNを預かってくれないか、と頼むと、
「学童保育っていう所は本当は放課後の子供を預かるところなんだけど。そういうことなら特別にいいですよ。」と承諾してくれた。
 
 次の日、私は『話し合いいがうまくいきますように』とお守りにしているペンダントを握りしめて祈るような気持ちで家を出た。Nを学童保育室に連れて行ったとき、成田さんと少し話をした。

「Nくんは何がいやだったの?」
「廊下に立たされたり叩かれたりしたらしいです。」
「廊下にたたせるってのも体罰なんだよね」
「えっ?そうなんですか」
「で、ずーっとNくんはママと家にいるんだ。そういえば不登校の子が行く『東京シューレ』もあるけどね」
「聞いたことあります。でもよく知らないんだけど、そこはどんなところなんですか?」
「あそこはねNくんみたいな小さい子はいないみたいよ。中学生とか、せいぜい高学年以上とか」
「あー、それじゃあ友達もできなくてかわいそうですね。転校とかってできないのかな。」
「どうなんだろ・・・。確か前例があったような気がするけど、学務課にきいてみないとはっきりしたことはわかんないね。一度電話してみたら?これじゃあ仕事もできないでしょ」
「そうなんですよ。話し合いが終わったら後で電話してみます」
   
 緊張した面持ちで校長室に入ると担任と校長のほかに教頭もいた。『1対3とは不利だ』などと思いながら勧められた席についた。

私は校長に話を聞かせてくれといわれ、いい悪いの判断もつかないことを、説明もろくになく頭ごなしに担任に厳しく怒られたことで子供が深く傷ついていること、そんな鮎原先生のやり方は1年生向きじゃないと思うということを話した。

そして、そのようなやり方では子供を管理は出来るかもしれないけど、文部省のいう生きる力が損なわれると思うし、そんなことで個性のある子は育たないと思う。
 イタリア人の友人が『子供というのは自由な存在なのに、なぜ日本の学校では机の座り方まで教えるの?』といわれたこと。

 自分の意見を言わず黙っていることが必ずしも欧米では美徳ではなく、むしろ頭が悪いと思われるということ。けれども間違った答えをいう子を容赦なく切り捨て、子供に自由な意見を言わせなくするようなこれまでの教育の仕方では、世界に通用するような人間は育たないと思う、というような意見をいった。

 校長は黙ってこちらの話を聞いている。心の中で『この母親、なにいってんの』と思っていたかもしれない。教頭は最初にお茶をいれたあとはひたすら無言である。いつもは饒舌な担任は私の話したことを必死にメモを取っている。

担任は2度程私に話しかけてきた。
自分は、こういう文章をかけば先生に誉められるというのがわかって意図的にそういう作文を書く子供だったということ。けれどもそれはテクニックであって真の学びとはいえないという話をした時が最初で、担任はノートに向かっていた顔を急にあげ、
「え、おかあさんがですか?」と聞いてきた。

担任の反応に私は逆に驚いた。
 2度目は、私が通っていた進学校では、いい大学に行かせるためだけに先生も血なまこで、なぜ学ぶのかという問いに真剣に答えてくれる教師など一人もいなかった。まるで学校というより予備校のようだったということを話したときだった。
「あらすごいわー、その当時で東大に入る人がいる高校にいってたなんて」といった。
 
私はむしろ進学校での落ちこぼれであったが、彼らの価値観では国際的にどうかより、やはりいい学校にいくことこそがすべてである、と確信した。この人に私の考えをわかってもらおうとしても無駄かもしれないと思った。

 学校側はあくまでも話を聞くと言う姿勢で、話し合いというよりほとんど一方的に自分の意見を述べるだけで終わった。
教室に入りたくないなら校長室でも保健室でもいいからいつでも学校に来て欲しいということだった。区内に適応指導教室というのがあるのでそちらに通うこともできるということでそのパンフレットを渡された。

さっきから一言も発していない教頭に校長が
「教頭先生はどう思います?」と聞いたが、
「校長のおっしゃるとおりです」といっただけだった。
 
 かなり緊張して登校したものの、学校側の対応は穏やかだった。不登校が14万人を超えるといわれている。だがこの数字は公的に発表されているもので、教室ではなく保健室に通う子供や、時々出席している状態の子供をいれると、実際はもっと多いといわれている。

そのような現在では以前のような脅しや、無理に登校させるということは無くなったということを後で知った。

 適応指導教室というのは、行政が増加した不登校の対策として用意した施設である。今では各地域に○○教室というような名前で設置されている。学校に戻れるようになることが目的で、カウンセラーのような人がいて勉強も教えてくれるらしい。

 そのころ私が住んでいた地区の場合、家から遠く電車やバスを乗り継いでNが一人でいかなくてはならず、5、6年生しかいなくて同じ1年生は一人もいないとのことだった。学校に戻すことが目的では学校が変わっていなければ何の意味もない。私が仕事を持っていて送り迎えができないとなればここに行くのは難しいと思った。
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