孤 独 な 戦 い

学校に行かない間Nは一人で遊んだ。ときに一緒に料理をしたり、通信教育のワークブックをしたり、ろうそく作りなどやったりした。だが午前中一人で公園に行かせてもすぐ戻ってきてしまう。
「なんでこんなに早く帰って来るの?」と聞くと、
「だってちっちゃい子しかいないんだもん」という。ついこの前までの保育園の帰り道、いくら帰ろうと誘っても一人で遊具で遊んでいたのに、ちっちゃい子と遊んでもつまらないなんていつのまにそんなに大きくなったんだ、と成長したNを思いながらもなんだか切なかった。

 平日のある日、電車に乗って地下鉄の博物館に行くことにした。
途中電車で隣り合わせになったおばあさんに飴をもらった。
「ありがとう」とお礼をいうと、
「僕、幼稚園?」と聞いてきた。
「ううん」と言いながらはなんと答えようかと、私の顔を覗き込んでいる。
「それとも学校?学校はどうしたの?」
「今日はお休みして親子でお出かけなんです」と代わりに私が答えた。はっきり答えないNの姿に、あっけらかんとしているようだが意外と学校を休んでることを気にしているのかな、と思った。
 
 Nはいつも皆が帰ってくるのを待ちかねるように友達に電話して遊びに行くのだが、あるとき公園で遊んでいると他の子に『ずる休みしてる』と言われ「何もいえなかった」ことをあとで聞かされた。いつの時代も子供というのは無邪気さゆえになのか、容赦のないことばを浴びせるものだ。

 地下鉄博物館は平日だったせいもありガラガラだった。幼児をつれた親子連れしかいない。
本物の運転席を真似た装置があってスクリーンの電車の画面を見ながら実際に運転のシュミレーションが出来るコーナーがあった。人が少ないこともあり、係りのおじさんに教えられNは何度もやってみた。

「坊や、大きいから幼稚園じゃないよね、学校は?」とおじさんが話しかけてきた。
Nは黙っている。
「休んでるんです。先生の体罰がひどいので学校行きたくないっていうんで・・・」私は休んでいることを避難されるのではないかとドキドキしながら答えた。
「そう。それは大変だね。でも親が守ってあげないと、子供は行き場がなくなるからね」
 私は意外な言葉に驚いた。
「うちの子も友達にいじめられたことがあってね。親が避難場所を作ってあげないと。こんなとき親は切ないよね」とおじさんは自分の体験を話し始めた。我が家の体験をわかってくれる人がいる、と思うとなんだかこみ上げてくるものがあった。

 ある日の朝、呼び鈴の音がするので出てみると、トールくんとそのお母さんがたっていた。
「一緒に学校にいかないかなー、と思って」という。
どうやら親切心から登校を誘いに来てくれたらしい。

その場は引き取ってもらい、あとで電話で心配りに感謝をし、せっかくの申し出だがこちらにも考えがあることを説明した。鮎原先生とのいきさつを話すと、
「そういえば・・・」とトールくんのお母さんが話しだした。

Nが学校に行かなくなった今、ハジメくんという子が最近先生によく注意されているらしいのだがトールくんの家に遊びに来たとき、
「トールくんのおかあさん、僕死ぬのかなー、なんか唇が冷たいんだ」と言っていたという話をした。6歳の子供が死を口にするなんて、と私は空恐ろしくなった。Nがいなくなって今度は別の子が鮎原先生のターゲットになっていると思った。

 Nが学校に行かなくなってから1ヶ月が経とうとしていた。私は日中毎日Nと過ごしていたのでまったく仕事ができなかった。自分の中にあせりが出てきた。このままでは生活が成り立たなくなる。Nを受け入れてくれるところはないのだろうか。

 学童保育室の成田さんの言葉が頭に浮かんだ。
『転校できるかもしれないよ。前例があったような気がする。区役所の学務課に聞いてみるといい』という言葉を思い出し、思い切って電話をしてみた。

 事情を説明し今は学校を休んでいること、転校できるかどうか聞きたいということを説明すると、
「ちょっと待って下さい、今『指導室』に電話を回しますからもう一度その話をしてください」という。
 『指導室』ってなんだろう、と思いながら電話の相手にもう一度説明し、こういう事情なので転校出来ないかどうか聞いてみた。

「わかりました。そういうことでしたら教師の体罰ということで転校できると思います。ところでその前に一度こちらに来てお話しを聞かせてもらえませんか」という。

 思いがけない展開に驚きながら成田さんにこのいきさつを知らせると、
「おかあさん、指導室って教育委員会のことですよ。それにしてもよかったですね」といった。
私は何も知らずに教育委員会というところのえらい人と会う約束をしてしまったのだ。


      
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