教 育 委 員 会

 話すべきことを紙に書き、何度も読み返して自分の考えを頭の中にしっかりと叩き込んだ。息子の入学式にあわせて買った一張羅のスーツを着込んで校長と面談をしたときのお守りを握り締めて約束をした日時に私は学務課に向かった。
 
指導室の担当者は窓の見える席に私を案内した。
「どういうことがあってお子さんが学校に行きたくないといっているのか状況を聞かせてください」といった。
 
指導室というからにはどこか別室に通されるのかと思うぐらい何も知らなかった私は、まわり中に話の内容が聞こえてしまうのが少し気になったのだが話しを始めた。
 
Nが担任の先生に叩かれたり立たされたりきつく怒られたことで学校にいくのがつらくなり登校途中で帰ってきてしまうようになったこと、Nは早生まれで6歳になったばかりである。保育園では保母さんが子供の目線まで下がって言い聞かせてくれるのに、担任の指導は頭ごなしにしかりつけてまるで高学年の子に対するような厳しさで接している。
現に先生の叱る態度が怖くて教室に入れないお子さんもいる。1年生の担任にはふさわしくないと思う。

授業参観ではNの友達がまるで嫌がらせとしか思えないような指導をされているのを目撃した。保護者がいても平気でそのようなことをするのだから保護者のいないところで子供にどれほどのことをしているのか想像できる。

あのままの状況が続いては子供のいいところが損なわれてしまうと思うと、安心して子供を学校に通わせることができない、あのような授業のしかたでは文部省の掲げている、生きる力を育てるどころか生きる力を損ねてしまうのではないかということを話した。
 
指導室の担当者はじっと私の話をきいていたが私が話し終えるとこういった。
「お母さん、お子さんの登校拒否は低学年に見られる典型的なパターンです」といった。
 意外な言葉に私は驚いた。

「私はこれまで東京都の方で不登校の問題を担当していたので、たくさんのケースを扱ってきたのですが、低学年にはまさに息子さんのようなケースで不登校になる子が多いんですよ。息子さんは先生からの体罰という理由で別の小学校に転校することができると思います。こういう理由なら早い方がいいでしょう。夏休み前に転校できたほうがいいですよね。早速手続きをしましょう」
 
私は教育委員会の人なのだから『時には子供には我慢も必要です』などと説教されるのではないかと思い覚悟をしてやってきた。あまりにも理解のある対応に全身の力が抜ける思いがした。  
 
なんというスピード。いとも簡単に転校を認めてくれるという。
「体罰というのはどうことをいうのですか?廊下に立たせるというのは授業を聞く機会を奪ったということで体罰になるときいたのですが、教室内なら立たせても体罰にならないのですか」と聞くと
「われわれが体罰というのにはこれが体罰でこれが体罰ではない、という具体的な線引きはないんです。子供の心が傷ついたとなれば言葉も体罰になります」

『そうだったのか・・・』私は、親というのは子供を学校に毎日預けておきながらこんなことすら知らないなんて、なんという無知な存在なんだろうと思った。
いやむしろ知らされてなかったというべきなのかもしれない。

担当者は学校側から話を聞いて後日転校の手続きについて連絡をします、といった。
その1ヶ月ほど前、文部省はしかるべき理由があれば学区域外の転校を認めることにしたという記事が新聞に載っていたことを後で思い出した。Nは本当にギリギリのタイミングでそのケースに当てはまったというわけだ。
今では学校選択のできる地域が多く生まれてきているのは、このような前例が数多くあったからだろうか。

 その後担任や校長が週に1回などの規則的なペースで電話をかけてきた。あるとき担任がクラスの子供たちの手紙の束を持って我が家にやってきた。

手紙にはあきらかに担任の指示であるかのように一様に『早く学校にもどってきてね』 などと書いてある。学校に行きずらくなったのは誰が原因だというの?と苦々しく思いながらも手紙の束を受け取ると、担任はこういった。
「このごろはNくんもいい子になってきたからみんなも遊んであげてね、学校に来てねといってあげて、とみんなにもいってるんです」
『はぁ?いい子になってきた、ということは今まではNのことをどんなふうに悪くいっていたのだろう?』と思うと担任の言葉に空いた口がふさがらなかった。

校長はいつでも学校は受け入れる準備できているので保健室でも校長室でも来たくなったらいつでも来て下さいといった。
これは不登校児に対する学校側の常套句である。
不登校児にはこのように対応するようにというマニュアルなのである。
 
 1週間後私は学務課に呼ばれて区役所にいった。いよいよ転校の手続きである。転校願いの理由の欄になんとかいたらいいのか担当者に聞くと、
「『担任の体罰によって』と書いてください」という。
『ほんとにそんなふうに書いていいんだ』と感心しながら署名をし、判を押した。帰ろうとしたときふと見覚えのある女性とすれ違った。
校長だった。

その日は梅雨の終わりのどしゃ降りだった。
校長は雨でびっしょり塗れたレインコート姿で花柄の傘からはしずくがポタポタと流れていた。
なぜか私はそれを見て哀れを感じた。

学校内の最高権力者で私の前で王のように胸を張って立っていた校長も、所詮ピラミッドの中間層にすぎないのだ、という見てはいけない事実を見てしまったような気がした。

      
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