サマーヒルスクール との出会い

 
私と言う人間は凝り症なせいかNの学校探しをなかなかあきらめきれなかった。そして新聞記事のシンポジウムの案内の文字が目に飛び込んできた。

今となっては記憶があやふやだが『自由教育についての提言―新しい学校を作る会』とかいうタイトルだっただろうか。『自由教育』という言葉に惹かれなにも知らずに私はそのシンポジウムに参加することにした。
 
 このシンポジウムを主宰した堀真一郎氏は大阪市立大学でニイル研究をしており、現在第一人者といえる方である。 
 
二イルの作ったサマーヒルスクールは『世界で一番自由な学校』といわれている。そして自分の子供のための学校を、と和歌山県にニイルのサマーヒルスクールの日本版ともいえる『きのくに子供の村学園』という学校を作った。

ここの学校はテストも宿題もなく先生を名前で呼び、体験学習中心のユニークな教育をしていた。私はこのシンポジウムではじめてニイルという名前とニイルが作ったサマーヒルスクールのことを知ることとなった。

 1924年、前述のシュタイナーより新しい時代に、イギリスの二イルという教育者がイギリスのサマーヒルに作ったフリースクールが「サマーヒルスクール」という。

二イルは『学校は小型の軍隊ではない』と語り、学校に無理やり子供を合わせるのではなく、子供に合わせた学校をつくることを考えた。子供の自主性を尊重するというのがサマーヒルスクールの基本方針である。学校内の決まりにしても子供達との話し合いという場をもうけて決定していく。

 私自身、学校生活の中で軍隊にいるような息苦しさを感じたことがたびたびあった。たとえていえば炎天下で続く何日間にも渡る運動会の行進の練習。いったい誰のためのものなのかと疑問に思う卒業式の練習。授業がつぶれるのは嬉しかったがキレイに行進するところをいったい誰に見せるためにやっているのかと考えると納得いかず、北朝鮮の一糸乱れぬマスゲームなどと同じようなものだと思ってしまう。

学校の決まりにしても生徒会などお飾りのようなもので最終的には子供の意見など聞いてくれるわけもなく、決定権はすべて教師など大人にあり一方的に押し付けてくるのが常だった。

 VTRを見ると『きのくに子供の村学園』では教科書を使わず子供達がそれぞれ自分がやりたい作業別のグループに別れ、その作業の中から算数や理科や社会科で学ぶ内容を学んでいく。

たとえば『工務店』というグループを選んだ子供は小屋をつくる作業の中で算数を学び、理科を学ぶ。『うまいもんを作る』を選んだ子供は食べ物作りのことから社会科を学び、作る過程から理科や家庭科を学ぶといった具合である。
 
 公立小学校の教師をしている人が小麦からうどんを作る授業をした、という発表をした。研究発表会に集まった人々はとても熱っぽくこの新しい教育法を語っていた。このような自由な学校をもっと日本に広げていくのだという意気込みがひしひしと感じられた。
 
 私はそんな熱気にあおられ『私が子供だったらこんな教育を受けてみたかった』などと思いながら山のように貰ったパンフレットを持って家に帰った。『きのくに子供の村学園』は小学生から寮がありNも入れないわけではなかった。

だが授業料の他に寮費が必要になる。その上和歌山県までの毎週の交通費もある。またしてもお金が問題になった。それにNは少一で、とても寮生活ができるようには思えなかった。私はすぐにあきらめた。

 そんな時、シュタイナー教育の子供のオイリュトミー教室で同じように教師の暴言から不登校になった子供と出会った。その子は弟と共に『きのくに子供の村学園』に入学し寮生活を始めた。私はニイルの教育に興味があったのでそのおかあさんにニイルの本のシリーズを借りて読み漁った。
 
 シュタイナー教育も、サマーヒルスクールをモデルにした『きのくに子供の村学園』にしても、机の上だけの授業ではなく手作業や体験の中から学ぶということを取り入れている。今小学校の低学年で行われている生活科や最近よく聞く総合学習という授業に似ていることに気づきはしないだろうか。

総合学習にたいしては様々な意見があり、何を教えればいいのかわからない、準備に手間取るという教師側からの意見があったり、意味があるのか?効果が見えない、という意見が親側から出たりしているが、私は生活科や総合学習の出現になるほどと思った。

文科省はさすがにこれまでの机の上だけの暗記に頼る詰め込み教育の弊害と限界を知っていて、様々な欧米の教育法を研究し、このような教科を作ったのではないかと思った。

 むしろこれを何を教えればいいのかわからないと答える教師の方が勉強不足なのではないか、これまでのやり方に慣れすぎて新しいことをやるのがおっくうになり、子供の気持ちから遠く離れ、頭が固くなり好奇心のカケラもなくなっているのではないかと思ったりする。おもしろいと興味を持ったことほど人間の記憶の奥深くに刻まれるものはない。子供が興味を持つものは山のように転がっている。そこから学びは広がっていくのではないだろうか。
 
 現に学力世界一となったフィンランドでは日本と同様の詰め込み教育をしていたのだが90年代に方針を替え、体験学習に重点を置き始めた。そうすることによって子供の考える力がアップしたということをテレビ番組で見た。

先生が一方的に教えるより子供が自発的に答えを導き出すことが自ら考える力を伸ばすのだそうだ。このようなフィンランドの方針の転換は産業界からの要請であり、自ら考え、企画、創造する人材の育成が求められたという背景があるのだそうだ。
 
 ある学者が言っていた。江戸時代の寺子屋はもっと自由で今の学校とは全然違っていた、と。そういえば子供達がいたずらをしたりして遊んでいる寺子屋のポンチ絵が残されている。

概して日本人は生真面目といわれるが明治以降の教育がそのように枠にはめて作ってきたのであり、しかも今の形態の学校は明治政府がヨーロッパの軍隊を真似て作ったもので、いわばそこまで厳しくしないと統制が取れなかったともいえるということだった。

意外にも江戸時代はいわばラテンの人たちのような気楽な社会だったともいわれている。ならば私の中の江戸以前からの血が自由を求めて騒いでいるのだろうか。 

 だがまた、別のテレビ番組で戦後の学校教育を調べていくうちにこのような教育の仕方を戦後すぐの1945年ごろに取り入れていたことがわかった。

当時は算数の教科書に色々な形の家の絵が載っている。家の形から図形の理解へと授業が展開していくという総合学習に近い形だったらしい。ところがこの方針はわずか2,3年で終わってしまい、今私達が知っているような暗記重視の教育法に変わってしまった。

 このころ同時に教育指導要領ができ、全国テストが始まり文部省が教育の管理を強めていった。その理由はいわば国の方針だった。敗戦した日本は一日も早く復興し欧米の先進国に追いつく必要があった。

そのためには教育レベルをあげ、手っ取り早く確実に優秀な人材を世に出す必要があった。その効果的な方法が詰め込み教育をし、できる子供とそうでない子供を選別することだったのだ。

このような教育策は後進国によくあることだという教育学者の説明だった。そういう意味ではフィンランドのほうが日本より先に後進国的教育から脱却したといえるのかもしれない。
 
 世の親たちは現在ゆとり教育の弊害ばかり嘆くが、自分たちがそのような政策にまんまと乗せられていたことに気づいている人は少ない。このような歴史的背景も知らず自分たちが受けてきた教育こそが正しいと語る。これは無知以外の何者でもない。私は時に文科省のほうが教育に関してよく研究していて先進的であるのに世間一般のほうが余程遅れているのではないかと感じるときがあるのはそのせいかもしれない。

 ゆとり教育にしても、80年代の校内暴力、90年代からの不登校などから、今までの学力偏重詰め込み教育の行き過ぎた弊害にあったことを文科省はよくわかっていてゆとり教育を提唱したのに、親や教育現場の無知のせいで、意識がそこまで至らず反対の声のほうが響いているような気がする。親もこれまで自分が受けてきた教育こそが正しい、そうでなくてはならない、という考えを捨ててもいいころなのではないかと思う。

 ただの丸暗記ではなく、もっと楽しく興味をもって学べる方法、より深く身につき考える力を伸ばす勉強法というのがこの世にはあるのだ。そろそろ国の方針のために闇に葬り去ってしまった教育法を取り戻してもいい頃ではないだろうか。もうすでに戦後の日本は十分すぎるほどの発展を遂げることが出来たのだから。

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