外に向かって


 これまでNは小さくて中等部や高等部の大きな子が企画した行事に、親子でチョコチョコとくっついて参加するだけだった。Nが中等部、高等部になったとき彼らのように行動力を発揮することがあるのだろうか、と思ったりしていた。だがその時期は思ったより早くやってきた。

 ある時、用があって東京シュ−レにいってNを呼び出してもらうと、スタッフがこういった。
「Nくんはいかだの実行委員だからミーティングしてますよ」
『え?いかだ?実行委員?何それ、何も聞いてないけど・・・』

 夏休みに東京シューレの夏合宿があり、子供たちから猪苗代湖にいかだを浮かべる計画が出て、Nはその実行委員の一人だという。
 実行委員とは行事を企画運営する中心的存在である。

 いかだ担当のNたちは、今回は1週間の予定で福島に行くことになった。
 いかだを浮かべる企画の他に、会津若松や喜多方の町をグループに分かれて散策し、喜多方ラーメンを食べたり、白虎隊の博物館に行ったそうで家紋入りの刀を買ってきた。

 我が家へのお土産は真っ黒に日焼けしたNの姿だった。日焼け止めを持っていかなかったので帰ってきて数日経つとすぐに鼻の頭の皮がむけてトナカイのように鼻が赤くなった。通っていた歯医者さんが、
「皮がむけるほど無茶な日焼けをする人を久しぶりにみましたよ」というほどだった。

 「テントから食事をする建物まで5分も歩くんだ。毎日何往復もしたから夜はすぐ眠くなったよ」という。
「実行委員は大変だった。でもシュークリーム1個もらっただけだった」というNの言葉に私は噴出してしまった。
 たくましく成長しつつあるNの姿は1年前の親の心配していた頃に比べると目を見張るほどだった。

 その後も夏休みの後半に愛知県のほうで開かれる全国フリースクール大会にも行きたいと言い出したのだが、費用がかかりすぎるので考え直すようにいった。仲よしの子が参加しなかったからかそれ以上行きたいとも言わなかったのでこれは見送ったが、このころになるとNは外に向かって活動する子供になっていた。去年までのオタクのようNはどこかへいってしまったようだった。
 
 ティーンエイジャーの体内時計について興味深い報告を読んだ。思春期のこどもに唾液に含まれるメラトニンというホルモンを測定し、ある実験結果を得たという。それは幼少期には早く起きて早く寝るという睡眠のリズムであったのが、思春期に入ると子供は遅く起きて遅く寝るようになるという生物学的傾向があるのだそうだ。

そして実験時には34時間も続けて起きていたという。また、大人より長い9時間の睡眠時間を必要とするのだそうだ。Nはまったくこの実験結果の通りの生活になっていた。N自身も遅く起きると東京シューレにいる時間が短くなるので、なんで起こしてくれなかったのかと怒る。

寝ぼけたNは
「わかったよ。うるせーな、あっちへいけ」という。そういわれるとこちらも、
「そんなこというならもう起こさないから」となってしまいNは再び眠りに入ってしまう。親が起こすと甘えがでてうまくいかない。

 そこでNが考えたのは、友だちに電話で起こして貰ったり、泊まりに来てもらったり、泊まりに行ったりして起こして貰うのだ。
 中3になったころには、するとNは実験のケースと同様に朝まで起きているという手を使うようになった。あるいは行事がある時には数日前から少しづつ早起きをし、無理せず起きるということができるようになっていった。

 本人いわく「俺だって早く起きたいんだ。夜寝れないのもつらいんだ、テレビだってろくなのやってないし」といっていた。彼なりの言い分もあるのである。
 私はそれまでずいぶん文句をいった。このまま夜型のままなんだったらコンビニの店員か夜間のトラック運転手になるといい、とまでいってしまった。
 そんなころ先述の思春期の体内時計を知ったのである。

そういえば奥地さんは昼夜逆転している子供の相談をしている親に、こういっていた。
「バイトなんか始めるとね、ちゃんと自分で起きるようになりますよ」この言葉は本当だった。

 子供は親が手出しをしなくても自分で自分をコントロールしようとできるのだ。だが親はなかなかそれを待てない。つい先回りして手を出してしまう。つくづく待つことほど難しいものはないと思う。
  
 先日もNが髪を切りに行くのについていくと、美容師のお姉さんがNにいろいろ質問しているのが耳に入ってきた。
「どこの中学校?」
「○○中」
「じゃあ高野くんって知ってる?」Nはなんて答えるのだろう、助け舟を出さなくてはいけないのではないか、とはらはらしながら聞いていると、
「本当は籍だけそこにあって王子にある東京シュ−レというフリースクールに通っているんです」とNは正直に答えている。
「ふーん、そうなんだ。じゃあヘアワックスとかつけていってもいいんでしょ。つけたほうが髪がまとまるからつけておくね」と美容師のお姉さんはいった。私はほっとした。フリースクールに行っているとさらりと答えていたNの態度にも感心してしまった。

 中2の秋のことだ。Nのほうの部屋はクミの部屋より狭いことに日ごろからNは不満を持っていた。こんな狭い部屋じゃ友だちを少ししか呼べないとこぼし、事あるごとに部屋を交換してくれといっていた。最近クミは部活やアルバイトで家にいないことが多く、それに反しNはしょっちゅう友だちを家に連れてくる。

 何年おきと区切って部屋を交換するのもいいかもしれないといったら、Nはいきなり勝手に部屋の荷物を移動し始めてしまった。翌日友だち2人を部屋に泊めるのだという。
 
 そして意気揚揚と友だちを引き連れて、広くなった新たな自分の部屋でゲームなどしてくつろいでいるところにクミがバイトから帰ってきた。
 狭くなった部屋に山のように荷物が積まれている状態を見てクミは怒りだした。遅く帰ってきて、明日は学校だというのに片付けないことにはどこに何があるのかさえわからない。

 半べそをかきながら片付けていたクミは、Nが友だちを連れてきていて反論できない隙をついてNにむかってガンガン文句をいいはじめた。
「なんで友だちを泊めるからって、いきなり急に今日部屋をかえちゃうわけ?友だち帰ったら部屋を元に戻してよ!バカ!」

 Nは最初クミの前にいって小声で文句をいっていたが、逆に大声で反撃され、つかみあいのケンカになってクミが泣き叫びはじめたので私のところに訴えにやってきた。

「クミは友だちが来ているのに聞こえるように文句をいうから、友だちの手前気まずくなってしまった。クミを黙らせてくれ。友だちがもう家に来なくなってしまうかもしれないじゃないか。」
「でもクミの許可もなく勝手に部屋の荷物を運んだあなたも悪い」というと、Nはぽろぽろと涙を流し、
「明日東京シューレにいったとき、友だちに今日のことで何かいわれるかもしれない。これでからかわれたりしたら、どうすればいいんだ。友だちに仲間はずれにされたらどうしてくれるんだよ」という。

 私は久々にみるNの涙に驚きながらもホッとするのを感じていた。
 近頃のNはこの年頃の少年らしく口数が少ない。自分の気持ちなど素直にいうことはなくなっていた。去年のNはまるで触るといつ破裂するかわからない腫れ物のようだった。心の中に苦しみを抱えていたのに、外からはまったくそれがうかがい知ることが出来なかった。

 だが今回は自分の気持ちを正直にいってくれた。
「気まずくて友だちの待っている部屋には戻れない」と悔し涙を流していうので、
「友だちが遊んでくれなかったら他の友だちを捜せば?」というと、
「ばか、ばか、ばか」と泣きながら掴みかかってくる。軽くものをいってしまったことを反省しながらも、先ほどの言葉を聞くと去年の出来事がNには相当堪えたのかと思うとなんだか親として切なかった。

 それと同時に自分の中学時代のときの感覚が蘇ってきた。
 私もあのころは友だちとの関係が何より大切だった。
 母が買ってきてくれた、裏地がチェックで艶のある生地のコートが厭で、家を出ると脱いで小さく丸めて持って歩いていた。

 みんなと同じ普通のスクールコートだったらよかったのにと思っていた。
 思えば母のセンスが感じられる、洒落たコートだったのに。
 大人になってからは人より目立つ格好をして平気で闊歩する私だが、あのころは友だちと同じというのが一番安心で仲間意識を感じられた。 友だちにどう思われるかがすべてだった。

 人は皆同じような道を通って成長する。けれども大人になるにつれて繊細で傷つきやすかったあのころを忘れてしまう。

 そう思うと教育現場で不足しているのは思春期の子供への配慮と理解のように思う。教師は高齢化して、子供との年齢がどんどん離れていっているそうだ。そんな教師が現役で頑張っているおかげで子供の年齢に近い若い教師はなかなか採用されないのだとも聞く。教育の現場では経験が浅くとも子供と年齢が近い若い教師の存在は重要だと思う。
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