世界フリースクール大会

 2000年、世界フリースクール大会が東京で行われた。
 元々はイスラエルとパレスチナのそれぞれの学校に通う子供たちが、大人たちの争いとは別に仲良くやっていこうという自由と平和運動を発端に始まったものである。テロが相次ぐ今では夢物語のような感があるが、毎年各国のフリースクールのある都市を巡回して開かれている。

 東京での世界フリースクール大会は、一人の東京シューレの子供「日本でもやりたい」という一言で始まった。そして7月、1週間の予定で、代々木のオリンピックセンター、千葉県印旛郡の青年の家にて開催された。

 参加国は、アメリカ、イギリス、ロシア、タイ、インド、韓国、そして日本などの十数カ国。だが、一口でフリースクールといっても様々で、それぞれのお国柄を反映している。

 韓国は受験競争も激しく、学歴社会でもあるので、日本同様に登校拒否が多い。韓国では不登校ではなく非校生というのだそうだ。そして、日本と違い、公費によって運営されるフリースクールがあるというなんとも羨ましい話だった。

 ロシアのフリースクールは社会主義の歴史が長いので、まずは自由というものがわからなかったのだそうだ。自由がどういうものなのか学ぶということから始まったのだそうだ。この話は日本に育った私にはとても興味深かった。
 
 タイやインドは未だに階級制度がある国なので、階級によって学校で学ぶ内容も違っている。そういう垣根を通り越して学びたいものを学ぶのがフリースクールのあり方なのだそうだ。
 
 こんな大きなイベントは私が東京シュ−レに入ってから初めてのことだし、東京シューレにとっても初めてのことだった。私は旅好きで外国に興味があったということもあって今回のイベントの手伝いに進んで参加した。だが、当然のように東京シューレの父母の手伝いだけでは足りない。通訳などは日赤のボランティアが大勢来てくれた。
 
 私は本部の手伝いの他に、2つのワークショップの記録係を受け持った。そのうちの一つはとても印象に残るワークショップだった。
それは最終日の千葉県の青年の家でのことだった。ワークショップのテーマは『学校や勉強は必要か』。テーマがこのようなものであったので参加者は当然のごとく日本人ばかりだった。

 本部では日赤の通訳のボランティアが不登校やフリースクールの認識がなくて通訳に手間取ってしまうという話が飛び交ったりしていた。

 ワークショップに参加した日本人はフリースクールの子供やその親、それに対する反対派として参加したのはそのボランティアの通訳の方々だった。通訳の方々は1週間に渡る作業の間、納得できない思いで通訳をしていたらしい。その思いの丈をこのワークショップにぶつけてきた。

 だが、その後の展開が興味深かった。世間では学校必要派が大半である。だがその場では逆転していた。学校不要派が多勢を占め、反対の意見を述べたのは通訳のボランティアの中年の男性と女性の2人だけだったのだ。当初当然のように勢いよく学校必要派の意見を述べた。

 だが、それはフリースクール関係者の「学歴と関係なく仕事をしている人がこんなにいる」という多数の声でかき消された。反対派の彼らには最初の頃の勢いはなくなっていった。30分か40分過ぎた頃、反対派の一人の男性が、その後もう一人の女性が席を立ってしまった。
白熱していた討論は一気に勢いを失った。
 
 このワークショップの発案者で司会をしていた東京シューレの高等部の男の子は、
「ずるいよ。急に逃げちゃうんだもんなー」といっていた。私もこの態度には疑問が残った。せめて最後まで討論に参加して欲しかったと思う。

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