様々な行事

私達親子が参加した主な東京シューレでのいくつかの行事について紹介しよう。1998年には毎年行われる全国大会が、東京シューレの地元の東京晴海の「ホテル浦島」を借りて行われた。

大人達向けには、精神科医や弁護士、カウンセラーのかたのお話や懇談会、子供達向けには劇、スさまざまなスポーツ、巨大な紙飛行機の製作、パソコンの解体、自分の思いを自由にしゃべる「しゃべり場」などのプログラムが用意されていた。私は初めての全国大会の参加で、昼間は大人向けのシンポジウムなどに参加していた。

そこでは私と同じような立場の親の様々な体験が語られたり、専門家によるメンタルな面からの対応の仕方などを学ぶことができた。 様々な親の体験を聞く時よく思うことなのだが、まるでカウンセリングやセラピーの現場に居合わせているようである。

人が、これまでの価値観に縛られていたことこそが、自分達自身を苦しめ、呪縛していた原因だったと気づいた瞬間というのは、強烈な気づきの体験となり、これというのは、『悟り』というものによく似ている気がする。

しばしば人は『目から鱗が落ちる』体験をし、自らを閉じ込めていた固定観念という氷が溶け、心が大きく広がり、精神の自由、寛容を感じていく。

 現実は一歩外に出ると不登校を巡る冷たい風が吹いている。だがこの会場にいる限りにおいては、私達は不登校を許容するという同じ価値観で存在している。まるでこの世が同じ価値観でいるかのような居心地のよさを感じることができた。まさに我々にとってそのとき「ホテル浦島」は竜宮城だった。

夜、ちょうどよく東京湾花火大会があるというので、ホテルの屋上に子供達と出向いた。屋上の剥き出しのコンクリートの上に寝転ぶのは最初抵抗を感じたが、思い思いに横になっている子供達やスタッフを真似て横になってみると、私達の頭上で花火は夜空に大輪の花を咲かせる。

それは立って見るのと違い、他の人の姿が視界に入らず花火をひとり占めしているような感覚を味わえた。また一つ自分が自由になれた気がした。

1999年には近くの廃校になった学校を借りて運動会が開かれた。これまでは学校嫌いになった原因が運動会にあった子供もいたりして、どちらかというと敬遠されていた行事なのだそうだ。

廃校とはいえ、元学校だったところが会場になるということでスタッフは心の傷が蘇るのではないかと心配したそうだが、
「学校の運動会のやり方が嫌だっただけ」
「建物だけで、学校という中身がないのであれば別にいい」
「自分の学校じゃないからいい」という意見が出てスタートしたそうだ。私は子供達のこんな言葉を聞くといかに自らの学校での体験が辛いものだったのかと切なくなる。

運動会とはいえ、子供も小学生から高校生までと幅広いのでフリースクールならではの遊びのような競技が多かった。親だけでなく、おじいちゃんおばあちゃんも見に来てアットホームな雰囲気で行われた。

最後は校庭のジャングルジムで記念撮影。この日、私はスタッフの奥地さんがふともらした言葉を忘れられなかった。
「この学校、壊してしまうならシューレに貸してくれればいいのにね」実感のこもった一言で胸にズンと突き刺さった。

ここは近々取り壊され、区のテニスコートになることが決まっていた。休み時間になると子供達が校庭にかけていって外遊びが始まる、それは学校ではあたりまえに見られる風景である。

だが東京シューレの中では卓球ぐらいしかできない。子供達がスポーツをやるときは近くの公園を借りたり、体育館を借りたりする。そして子供達はそのために時間をかけて歩いていったり、時には電車に乗ってわざわざスポーツをしにいかなくてはいけないのだ。

わがまま、我慢が足りないとしばしば槍玉に挙げられる不登校だが、数分で校庭に出られる子供に比べ、フリースクールの子供達はこのように十分我慢を強いられている

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