親 子 の 危 機
東京シューレに通い始めて1年以上経ったころの秋、Nの帰りが遅い日が続いたことがあった。Nにそのことを問いただすと中等部や高等部の子たちとゲームセンターで遊んでいたという。
私はNはまだ小さいのだからそんなところに寄り道して帰りが遅くなるのは危ないでしょ、といって叱った。するとNは、
「うちになんか帰りたくない」という。
私はNの言葉に驚いた。
翌日も8時を過ぎても帰って来ない。初等部は5時には終わっているはずなのだ。東京シューレに電話をしてもとっくにこちらを出ているという。もう少し待ってみますといって電話を切った。
9時頃家のドアがあいてNが帰って来た。だがN一人ではなかった。高等部のマサくんがNの後ろに立っていた。遅くなったので家まで送ってきたという。私は、これから横浜方面まで帰るというマサくんに恐縮しお礼をいうと、
「Nくんのおかあさん、Nくんは家に帰りたくないといっているのでもう少しNくんのことを考えてあげたらいいんじゃないですか」といった。私は17歳の男の子に説教をされたことが何よりもショックだった。
東京シューレが楽しくて遅くなっているのだとばかり思っていたのに、先日のNの言葉といい、マサくんの言葉と言い、Nが家に帰りたくなくなる具体的な理由が思い当たらなかった。私は戸惑った。
そんなとき東京シューレのスタッフの石川さんからまた電話を貰った。高等部のマサ君からも先日の事情を聞いたらしい。奥地さんも小学生が遅く帰っているということで心配しているそうだ。
「私もNクンくんと2人で話ができる機会を見計らって話しをしてみます」といってくれた。
「私はマサくんにまで説教されてショックでした」といった。
数年経ってから、マサくんは東京シューレに通いはじめる前は、ずっと自宅にいて、自分の無価値観を感じ自信をなくして苦しんだことを知った。
東京シュ−レに通うようになった時、Nの面倒を見ることで自分が一人前に役に立つ人間であることを確認したかったのかもしれない。そして私に説教することでマサくんは自分の存在価値を認められるようになったのかもしれない。私はあの時の出来事をそう理解した。
石川さんは一度奥地さんも交えて話をしませんかというので、ある日の夕方Nとクミに留守番を頼んでシューレ出かけた。
石川さんがNに少し気持ちを聞き出してくれたようで
「Nくんにどうしておうちにもっと早く帰らないの?と聞いたら
うちに帰ってもつまらない、っていうんですよ。お母さん何か心あたりありますか?」
「具体的には思い浮かばないんですけど、Nはやんちゃなのでクミより怒られることが多いっていうのはありますね。怒っちゃいけないとわかっていても忙しかったりするとついつい怒り口調になってみたり・・・」
「いっそのこと怒らないって決めてはどうですか。親の劇的な変化って子供に効くみたいですよ」と奥地さんはいう。
「怒らないなんて無理です。私にはできません」きっぱりと言い切ると奥地さんと石川さんは笑った。
「Nくんが家に帰りたくないのには何か理由があるはずだからそれをなんとかしないとね」と奥地さん。
すると石川さんがこういった。
「ママは僕の話を聞いてくれない、っていってたんですけどその辺はどうですか」それには思い当たる節が大いにあった。
「そういえばNはまだ小さくて話の内容がまとまってなかったりするので、同時に話しかけられるとついついクミのほうに返事をしてしまうということは思い当たります」といった。Nは小さいので、
「ねえ、ねえママ」と繰り返すばかりで言いたいことがよくわからないうえ、話の内容もどうでもいいことだったりする。クミのほうが年上で高度なことを質問してくるのでそっちの方につい一生懸命答えてしまうというときがしばしばあった。
「とりあえず今後Nくんのいうことをよく聞いてあげるようにしてみてください。こちらでも大きい子に話をして、小学生は早く帰すよう働きかけますから」と奥地さんはいった。
私はNがシューレに通うようになって一安心し、Nへの注意が足りなかったことを反省した。
家に帰って私はNにこれまでの対応を謝りたいと思ってこういった。
「ママ、Nの話聞かなくてごめんね」
「ママは僕の話無視するんだもん」とNはいう。それから私は意識してNの話に耳を傾けるようにした。
それ以来Nが遅く帰ってくる事はなくなった。
木曜日の『いろいろタイム』でフジテレビを見学に行く日があった。
私は仕事の都合をつけNと一緒に参加することにした。これまでNへの注目を怠り、話しかけられても聞く耳をもたないで来てしまった自分を反省し、少しでもNと一緒にいようと思ったのだ。
「Nくん、お母さんがいるからはしゃいでるね」と、一緒にいったスタッフはいう。私には東京シュ−レでの普段のNの姿がわからなかったので比べ様もなかったのだが。
フジテレビの見学コースを見るのが終わり展望台に登るか、先に昼食をとかということをスタッフが聞いてきた。
「展望台、大勢人が並んでるからお昼食べてからにする?」と聞くと、
「僕は嫌だ」とNははっきり言っている。小さいくせにあまりにはっきり自分の意見をいうので私は内心驚いた。だが話し合いで展望台に行くことが決まるとあっさりとそれに従っている。
家では見ることの出来なかったNの東京シュ−レでの顔を見た。その日一緒に参加したことでNが話してくれる友達の名前と顔がようやく一致してきた。私は親子関係の危機も東京シューレによって助けられた。
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