学 力 と 生 き る 力

Nは2年生から東京シュ−レに通い始めたので九九もろくに暗唱できていなかった。
 
 東京シューレは子供の自主を尊重するため、何時に行ってもいいし、勉強の強制もしない。学校で受けた心の傷が深すぎて、中には教科書を見ただけで学校を思い出し、気分が悪くなってしまう子もいるのだ。午前中は勉強の時間が設けられているが、しなければ何もしないですごせてしまう。

 私たちが受けた教育はまったくの詰め込み教育で、なぜこのような結論や公式が導き出されたか、などの説明もなく結果の暗記だけ を強要された。

私は勉強することとは暗記するしか方法がないのだと思っていたので、子供が自ら答えを導き出せるように教師が導いていくという、シュタイナー教育に出会ったときはこんな勉強もあったのか、と頭を殴られたようなショックと感動を受けたものだった。

納得できる説明もろくになく、むやみやたらに暗記ばかりさせられたものは忘れるのも早い。だが自分で見つけ出し、考え出した答えは決して忘れることはなく、深く記憶の襞に刻み込まれる。前述のフィンランドの教育方針に似ている。

 私はNにあえて九九の暗唱を覚えさせるのではなく、九九の理論を教えた。子安美智子さんの『ミュンヘンの小学生』の本を参考にし、皿にビー球を並べて2の段、3の段などを教えた。

Nは暗唱なしに結構早いスピードで数字を足していって答える。7×8などはどうしているのかと聞いたら7×10=70、と出しそこから7を2つ引くといっていた。そのスピードは『しちにじゅうし』から順番に暗唱するクミよりはるかに速いくらいだった。

 2年生の時の担任との個人面談のとき、暗唱だけの九九には学びの深さは感じられない、まず掛け算の理論を教えるべきではないか、というと担任は、
「でも5年生ぐらいになって3桁、4桁の計算のときに九九の暗唱のほうが速いんです」といった。
 
 Nは最初は漢字もろくに読めなかった。だが東京シューレは近隣の埼玉県や千葉県、茨城県からも通ってくる子供が多く、友達になった子も遠くから通っている子だったりする。始めは友達の家に遊びに行くのに親がいちいち送り迎えをしていたのだが、次第に子供も自分で道順を覚え、一人で電車に乗って遊びに行くようになっていった。
 
 そこで必要になったのが駅名の漢字を読むということである。始めは最低料金の切符を買って降りたところで清算するように教えていたのだが、漢字を読めないと不便だということが身を持ってわかり、自ら覚えるようになった。
 
 そのころ東京シューレの父母会に出たときに、小学4年生から東京シューレに通っている中学生の子供のお母さんがこういった。
「学校にいかないで勉強を強制されないで長年いると、不思議と知的なことに興味を持つみたいよ。うちの子は『三国志』という漫画を読んで漢字がずいぶん読めるようになったわよ。大人と同じく新聞も読めるぐらいにね」私はそれを聞いて安心した。

 そういえばこんなエピソードもある。ある時押入れに入り込んで遊んでいたNが、しまってあった教科書を見つけ、
「何これ!こんなものうちにあったの?」と感嘆の声をあげたのである。学校で厭というほど教科書を見せられつづけ、むしろ退屈な思い出しかない私とクミはそのNの様子を見て大笑いした。
「それ、あんたのだよ。だれもそんなもの欲しがらないから」とクミはいった。Nの目には教科書は宝のように映ったのだろうか。

 4、5年生ぐらいの頃だっただろうか。Nは出かけた先から、一人で帰ることとなった。
 山手線で一本だから帰れると思ったらしい。
 帰りが遅いと思ったら、環状線になっている山手線を家のある方向と反対の方向を教えられて乗ってしまい、1周して帰って来たのだそうだ。

「おばさんに聞いたら大塚に行くっていったんだよ」確かに行けないことはない。
「おばさんってあまり電車に乗らない人もいるから、背広を来たサラリーマンに聞きなさい。おばさんよりずっと詳しいはずだから」と、教えた。

そしてある日、友達の家から帰ってきてこんなことをいった。
「西武線で帰るとき池袋で乗り換えないで銀色の電車に乗ると早く着くってサラリーマンの人が教えてくれたよ。そしたらホントに早かったよ」

 私でさえ東京の交通網は年々複雑になっていて良くわからない路線もあるというのに、Nのほうが楽々と乗りこなしていた。Nは確実に生きる術を身につけていった。

 また、NはNHK教育テレビに夢中になって午前中ずっと終わるまで見ていてなかなか東京シューレに行こうとしない頃があった。どうやらテレビ番組で算数や理科、社会科などの知識を得ていたらしい。

そういえば私も子どもの頃、休みの時に教育テレビを見ていると、先生が教えるよりずっとおもしろくてわかりやすかったという思い出がある。引越しの荷物を整理しているとき学校でもらった理科の教科書などをパラパラめくって、
「この本はいらない。教育テレビで見て全部知ってるから」といったことがある。

 そして何より学びの助けになったのはパソコンである。我が家にパソコンがきたのはNが小4の時である。それまでにもすでに東京シュ−レでパソコンでお絵かきなどさせてもらっていて、私はマウスの使い方もわからなかったほどパソコンオンチだったので、最初はNに教えてもらったほどだ。

 インターネットはあっという間に子供たちを夢中にした。Nにはローマ字は26文字だけ覚えればいいから、路線表示や駅名などはローマ字でも表記されているし、読みの複雑な漢字を覚えるより楽だろうと以前から壁にローマ字表なども張っていたのだがいっこうに覚える気配がない。だが自分のパソコンを欲しがるようになり、ローマ字変換の文字入力でチャットを始めるうちにあっという間に覚えてしまった。そして漢字や難しい言葉使いもインターネットで覚えてしまった。
 
 最初のころは路面電車で東京シュ−レに通っていたNも1,2年経った4年生のころには、友だちの間で自転車通学が流行っていたこともあって、自転車で通うようになった。

路面電車はスピードが遅いので自転車で通っても時間はほとんどかわらない。片道約20分往復40分を毎日通った。帰りが雨でもずぶ濡れになって帰ってくるので心配したものだったが、本人は結構へっちゃらなようだった。

今私が同じ道を走ってみると結構交通量が多い。こんな道をこれまで小さなNが毎日よくも無事に通っていたものだと、神に感謝したくなる。

TOP       続き