入学早々登校拒否

ママ、学校行きたくない」
『え?今なんていった?』息子のNは3日前に入学式をすませたばかり。
『うそ、入学早々登校拒否?』私は耳を疑った。

とっさに、
「保育園のお友達のシュンちゃんもヨウくんもいるでしょ。行ったほうがいいんじゃない」といってしまった。その時の私には学校でどんなことが起こっているのか検討もつかなかった。Nの担任は50代のベテランの先生。入学式の時の話しぶりではちょっと厳しい先生という印象だった。

Nはその後しばらくの間4年生のクミと一緒に何事もなく毎日学校に通った。しいて言えば学校を終えた後に学童保育に通っていたのだが、親が迎えに行くまで門の中で待っていなければいけない保育園のころと違い出入り自由なので、学童保育に行かずに家に帰ってきてしまうことが何回かあった。

学童保育の先生はN君は籠の鳥っていうのが嫌みたいね。と笑っていた。Nは小学校で新しい友達を次々作っては毎日夕方までよく遊んだ。

Nは好奇心旺盛でじっとしている時のないほど活発な子供で、自我も強く、納得しない限り人のいうことを容易に聞かない。それに物怖じしないところがあり、私はそんなところが好きだった。

イタリアに行ったときにイタリア人の子供たちのパーティに行ったのだが、
「僕、あの子と遊びたい。ママ、遊ぼうってイタリア語でなんていうの?」と聞いてくるのだった。小3の娘は笑顔を作りながら首をかしげている。娘が話し掛けられてももじもじしてうつむいているのと対照的だった。

5歳ぐらいまでの年の子供を見ている限り、イタリア人の子供と日本人の子供はそれほど違いを感じない。だが3年生になっている娘は完全には完全にシャイな日本人になってしまっている。私は学校教育が何かそのカギを握っているような気がしていた。

イタリア人の友人は90年代、イジメの報道が相次いでいるのを見聞きして、日本は学校にいる時間が長すぎるからではないか、といっていた。イタリアでは午後1時には学校が終わり、子供たちは家に帰って家族と昼食を取る。学校の友人と放課後の友人とは別なのだそうだ。

そういえばイタリアを旅すると真昼間から子供たちが外で遊んでいるのが不思議だったが、そういう理由だったのだ。

午後は学校の友だちとは別の友だちと遊ぶことによって深刻な問題にならないで済むのではないかといっていた。
そういうイタリアでも今は不登校の子供が通う教室があるという。

私自身、学校生活が好きだったか?と問われると素直に『はい』といえないところがあった。

あれは小学校1年生のころだ。理由ははっきり覚えていないが、教室にいるのが嫌になって『お腹が痛い』、と嘘をついて保健室に行ったことがある。保健の先生は症状を詳しく聞くでもなく、おでこに手を当てて熱のある無しを確かめると優しい声で、
「ベッドに寝てなさい」という。

ほっとしてベッドに横になったが目を閉じても一向に眠くならない。なにしろどこも悪くないのだから。しょうがないので薄目を開け天井や壁に張られた人体解剖図をながめてみる。だがそれもすぐに飽きてしまった。

しだいにベッドに寝てるふりをするのが退屈になってきた。嘘をついて寝たふりをしているのも元気な子供にとってしんどいものである。次の時間にはお腹はよくなったと言って教室に戻った。

私は中学の英語の先生が嫌いだったので授業を受ける意欲がわかなかった。大人になるまで自分は語学が苦手だと思っていた。だが今私はイタリア語を話す。語学に対する劣等感の原点は中学の教師だったというわけだ。こんなことが有益な教育といえるだろうか。

高校生にもなると『なぜ勉強するのか』という哲学的なことに想いをはせるようになった。
「最近そんなことを考えるんだよね」と、
登校途中の電車で隣り合わせたクラスの子に話した。その子は、
「なぜ勉強するのかなんてことを考えていたら受験に勝てないって先生がいってたよ」とすずしい顔をしていう。

『はあ?何それ、答えになってない。あの先生、有名大学を出て長年教師をやってきてそんな年になっても子供にそれしかいえないの?しかもそんな納得のいかない答えにあんたは何も疑問を持たないの?』無邪気な彼女の横顔を眺めながら彼女とその教師を軽蔑した。

その日以来興味のない教科の勉強をやめた。そのころの私は漫画家を目指していたのでいい会社も安定した給料にも興味のなかった。

まるで予備校のような進学校の教育。その頃はやりの青春ドラマに見るような涙と友情と感動はかけらも見当たらなかった。

中間テスト、期末テスト、実力テスト、業者テスト、月に一度はテストがあるので、嫌でも通学中に勉強せざるをえなくなる。他の高校にいった友人に、「なぜあなたの学校の生徒はいつも電車の中で勉強しているの?」といわれたりした。

幼かった私は高校というものはそういうものなのだろうと思っていた。そうじゃないとわかったのは、娘のクミが高校に入ってからだ。

『なんだ、もしかして他の高校の人たちは青春してたんじゃない?』
テストの度にクラス分けするほどではなかったが、学年が変わるたびに成績でクラス分けされ、毎月恒例の実力テストでは各科目の上位50名が下駄箱のある玄関の正面に張り出される。

たった一度だけ私の名前がでたことがあった。それほど好きな科目ではなかったので自分でもそのことに驚いた。
教室に入り、関につくやいなや、前の席に座っている、さほど仲のよくない子が、いきなり後ろを振り向いてこういった。
「トモコ、すごいね。どうやって勉強したの?教えて」
「そんな・・・勉強なんてしてないよ」

これは本当だった。
だが『ぜんぜん勉強していない』これはうちの学校の女子の間では慣用句だった。そういいながらも彼女らはいい点数をとるのだ。『ぜんぜん勉強していない』そんなの嘘に決まっている。

皆がライバル。そういったら大げさかもしれない。だが競争、競争と押し付けておいて、心の教育というほうが難しいことかもしれない。なにしろそう簡単には本音をいわないのだから。競争と心の競争は一致しない。大人になった今、そのころを振り返るとそう思う。

『学校っていったい何の為にあるの?』学校教育というものに疑問をもったまま大人になった。

Nの登校拒否は心のどこかで私が予期していた出来事だったのかもしれない。Nの良いところを守りたいという気持ちと自分の経験が登校拒否を容認したというのは紛れも無い事実である。

         
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