高等部 進級

Nは2005年4月高等部に進級した。その前日まで、親子で実家に帰省していたのだが、午後に東京についてからでは歓迎会に間に合わないから、とNだけ一日早く帰宅した。

 春休み中も恒例の花見があって、皆と顔を合わせているはずである。東京シューレは普段から縦割りで、さまざまな年齢の子供が入り混じって活動している。田舎の分校なんかを思い浮かべると想像がつくだろう。小さな規模だからほとんど毎日同じメンバーと顔を合わせている。

中等部から高等部に上がったからといって、むしろ他の学校にいくなどで人が減ることはあるにしても、4月早々不登校で入ってくる人はいない。だからこれといったメンバーの変化もないはずなのに、交友関係も行動範囲も広がったNの張り切りぶりは不思議なくらいだった。

音楽という夢中になれるものを見つけたNは、これまで以上に張り切って楽しげに東京シューレにいくようになった。

実家にいた時、将来何になるの?と姉に聞いている祖母の言葉に反応し、Nは私の顔をちらりと見て、
「俺は音楽をやっていく」といった。あまりに思いがけなくて『エーッ』といいたかったが、そういう私もイラストレーター。好きな道を歩んできたので人のことはとやかく言えない。音楽なら学歴いらないや、と中等部のころの、『高校どうする?』は一気に吹っ飛んでしまった。学びたいといったらそのとき考えようと一気に開き直った。

Nには、高等部になったらアルバイトをするように言っていた。私の収入だけでは子供2人の小遣いの面倒を見切れないのだ。我が家はお手伝いをするとお駄賃をあげることになっているのだが、Nは、
「そろそろお風呂掃除も終わりかな」なんていいながら家事を手伝っている。

アルバイトをやる気はあるようだが、コンビ二でやってみたい、牛丼屋は嫌だとかなんとかいい、やはりあそこのコンビ二はいつも行くから気まずいからやめておこう、などとなかなか決まらずNは重い腰を上げようとしなかった。

私自身も、姉のクミに、
「おこづかい少ないから、しょうがなくバイトした」といわれてしまったので、あまり強く言ったらかわいそうかと思い、黙っていた。

そんなある日、5月連休の最初のころだ。フリースクールも休みで、あいかわらず暇で家でゴロゴロしているNと、ささいなことで言い争いになった。頭にきた私は、外で頭を冷やそうと自転車でふらりと出かけた。

Nがやりたいといっていたコンビニに求人の張り紙がしてあったので、店内に入り新高校生でも使ってくれるか、聞いてみた。従業員は気さくな感じだな、と思いながら、コンビ二とファーストフード店の両方の電話番号をメモし、帰宅した。

 家に戻ってNに、
「どうせ暇しているんだったら電話しなよ」とメモを渡していった。Nは、
「なんていえばいいの?」と聞いてきた。

「アルバイト希望のものなんですけど、新高校一年生で15歳なんですが使ってもらえるでしょうか?って聞いてみたら?」というとめずらしく素直にそれにしたがってファーストフード店に電話をしている。部屋から出てきてこういった。「あさってに面接に来てだって」意外にあっさりOKだ。

それからは親の私が大慌てだった。履歴書を用意し、漢字の書けないNに付きっ切りで書かせた。学歴の欄には学籍のあった小学校と中学校の名を書き、現在東京シューレ高等部に在籍中、と書いた。

普段はキーボードを打つことばかりで字なんかきれいに書けない。大きな文字と小さな文字が入り混じった履歴書に、少しでも字がきれいに見えるよう線を延ばしたり、上からなぞったり、なんとか見られるように仕上げて準備した。面接の日は時間の10分前につくようにいった。

 Nもやる気がなかったわけではないようだ。シューレのスタッフも、
「バイトをしたいとはいってるんだけど、だれか友達がやり始めないとやりにくいかもしれないですね」といっていた。だが、ただこれまできっかけがつかめなかっただけかもしれない。

なにしろ前回の友人のカレー屋の手伝いじゃなく、ちゃんとした就労なのだ。バイトの面接では土日に出てくれるなら採用するといわれ、3時ぐらいまでならできるといってその場で採用が決まったのだった。

 私は飛び上がるほど嬉しくて、その晩はお寿司でお祝いした。姉のクミには「大げさ」といわれたが、履歴書の文字の汚さを見て、不採用になるのではないかと思っていたのだ。よく考えたらファーストフード店としては、店の忙しい時間帯に出てくれて、週5日も出てくれるなら大助かりなわけだ。

 こうしてNのアルバイト生活は始まった。見知らぬスタッフでも全員に挨拶をきちんとすること、わからないことがあったら、自分の勝手な判断でやらずに必ず先輩スタッフに聞くこと、時間は絶対守ること、失敗したら言い訳する前にまず謝ること、などをいいきかせた。

驚いたのは生活時間の変化だった。それまで起きるのがお昼すぎだったのが、朝ガバっと起きだす。
『バイトなんか始めるとね、朝ちゃんと起きるようになるわよ』という奥地さんの言葉をまた思い出した。

初めはシフトがよくわからなかったようで、週5日出るといったのだからと、シフトが入っていないのにバイトに行ってしまった、ということが2回ぐらいあった。

 でもそのおかげでまじめな子だと思われたようだった。次第に慣れてきた2ヶ月後、朝早いシフトに入っていいかと聞いてきた。そうすると朝5時の起床になるという。内心『えーっ5時起き?!』と思って、

「なんで早朝にするの?」と聞くと、
「昼間は暑いし、早く終われば10時から東京シューレに行けるから」という。

翌週から朝5時起きになった。起こしてくれと頼まれるので、起きてはいるがNが頑張ってると思うと、早起きがきついとはとてもいえない。これまでのぐうたらに見える生活から一転して、朝はバイト昼はフリースクール、夜遅くまで友達とギターの練習やスポーツ、という多忙な生活になった。子供はひとりでに脱皮する。時がくればちゃんと自ら変わるものなのだ。

バイトはほとんど遅刻なしで、遅刻しそうになると、大慌てで飛び出していく。こんな姿を見るのは生まれて初めてかもしれない。責任感はちゃんと育っているようだな、と安心した。

バイトを始めて3ヶ月後には最優秀アルバイトクルーに選ばれた。実家の祖母にそのことを伝えると、

「やっぱりねー、あの子にお手伝いさせるととてもきちっと仕事するのよ。この子はきっとできる子だと思ってたわ。」と祖母はいう。だが、
「学校に行っていれば、さぞ、優秀な子になったかもしれないのに、惜しいことしたね」と、いう言葉が付け加えられてはいたが。

 バイト先は住まいに近いので、在籍していた中学のことで、「○中だったんでしょ、じゃあ○○先生ってまだいる?」と聞かれたことがあったそうだ。なんと答えたのか聞くと、
「わからない」っていったそうだ。
「だっていると思う、とかいったら、また何か聞かれるかもしれないじゃん」といっていた。

東京シューレの子供たちが世間からの攻撃をさける方法をそれぞれ工夫しているように、彼なりに世渡り術を身に着けているようだ。

9月にはNが在籍していた、地元の中学の生徒が、職業体験として何名か、ファーストフード店にきたのだそうだ。

「それでNはどうしたの?」と聞くと、親しい人には、中学も東京シューレに行っていたことをすでに話しているので大丈夫だったそうだ。

 アルバイト経験が、本人に社会でやっていけるという自信をつけたのかもしれない。そして私自身も親として、フリースクール育ちでも大丈夫だ、社会で立派にやっていけるという自信を得ることができた。

学校が社会に出て働くために必要な教育機関だとしたら、もうNはすでにそれができているのだから無理強いする必要はない。特に対人関係においては、年長者にもかわいがられているようで、小学校入学したてのとき担任の鮎原先生にいわれた「社会性の欠如」はまったくの的外れだった、と痛感した。

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