20周年祭

ルバイトを始めて一ヶ月ほどたった、2005年の6月。東京シューレの20周年祭が東京新橋のヤクルトホールで開かれた。

Nはギター講座のメンバーとしてステージでギターを演奏することになっていたが、アルバイトのシフトをちゃんと出さなかったせいで、リハーサルの日にバイトが入ってしまい、バイト終了後、大急ぎで駆けつけることになった。

休みたいなら代わりの人を見つけるように言われたそうで、まだその頃、バイト先に親しい人もいないNは、終わり次第、自分の出番に間に合わせるようにいくことにしたそうだ。本番の日はちゃんと休みを取るように言い聞かせ、大急ぎでリハーサル会場に出かけた。

 そして20周年祭当日、Nは王子シューレのギター講座のメンバーとしてステージに立っていた。曲目はビートルズの『ア・ハーディズ・ナイト』スタッフの石川さんがいつの間にか私のそばに座っていた。
「おかあさん、見て見て、Nくんですよ。」と少し興奮気味にいってきた。

「もう親ばか丸出しです」と私もうわずった声でいい、大慌てでカメラをステージに向けた。
「最初はストロークって何って感じだったのに、すごい上手になりましたよねー」小2からNの世話をしてくれた石川さんも半分親のような気分だったかもしれない。

 これまで参加した○周年パーティというのはほとんど子供たちだけで行われていて、こんな大掛かりのものは初めてだった。大きなイベントに参加しても、Nは小さすぎて、遊びに行くとか見に行くといった感覚だった。

Nがステージに立つを見るのは小1の学芸会以来。しかもそのときは踊りが上手に踊れなくて先生に注意され、それ以来踊りは苦手だといっていた。目立つことは避けていたので、まさかと思う晴れ舞台だった。

20周年際にはかつての東京シューレ卒業生も多数参加し、東京シューレのあの本に出ていた○○さんとはこの人だったのか、と思い感慨深かった。

Nと同じ時期に入ったサノくんやサノくんと仲良しでいつも一緒だったトビくん、小1から不登校でシューレ育ちのNより3つ年上のコロちゃんの姿も見つけた。3人とももうすでに東京シュ―レは卒業している。

「N、大きくなってかっこよくなったねー」と声をかけてきた。そういうサノくんもトビくんもチビと呼ばれていた昔の面影はなく、ぐーんと背が伸び大人っぽくなっている。サノくんは大学の理工学部、トビくんは大学で福祉の勉強をしているという。コロちゃんは近所のパン屋でアルバイトをしているそうだ。

そういえばサノくんは東京シューレにいたころからコンピュータを分解したりしていた。当時からそういうことが好きだったのだろう。トビくんはというと、東京シューレの職業体験で保育園に行き、毎日のように成長し変化する幼児の姿に感激していた、とスタッフに聞いたことがある。それが福祉の道に進むきっかけになったのだろうか。

コロちゃんは、近所のパン屋さんでのアルバイトをし、夏に大検を受けだそうだ。大検って以外に簡単だよ、という東京シューレの年上の友人たちに聞いたことがきっかけになったそうだ。

コロちゃんのバイト先には、時代の変化か、他にも高校中退の子も何人かいて、中卒の履歴書でも特に問題がないどころか、いつの時間でもバイトに入れるので今ではすっかり重宝がられているのだそうだ。

自分に不安を持っていたら自分からバイトを決めてきたりしなかっただろう、とお母さんがいっていた。20周年祭を見たあと、お世話になったスタッフの石川さんの誕生日のプレゼントを渡していた。きっとみんなでお金を出し合って買ったのだろう。

みんな一人前のやさしい青少年へと立派に成長していた。世間の人々はこれでも不登校は負け組だというのだろうか。それではあまりに料簡が狭いのではないのだろうか、と私は思う。

夏休み、恒例の全国合宿が栃木県鬼怒川温泉で開かれた。Nは当日直前になって実行委員を申し出たらしく、朝の9時半までに栃木に行かなければならないという。私に、鬼怒川温泉駅で野宿が出来るかな?と聞いてきた。スタッフの話によると、同じことをスタッフにも聞いていたらしい。

また、あるときは

「おじさんは自分探しの旅にいった?」と私の弟について聞いてきた。『自分探しの旅?』なんのことかと思いながら、
「あー、大学の頃、北海道にバイクで一人旅にいったね」と答えた。自転車旅行や野宿をしてみたいという気持ちがでてきたのは、これもまた『ハチミツとクローバー』という漫画の影響らしい。自分も『自転車で自分探しの旅』にでたいのだという。

野宿は寒くなる前にどうしても経験してみたかったらしく、夏の終わりのある晩、

「近くの公園で野宿してくる」といって出かけた。警察に捕まらないといいが・・・と思いながら送り出したら、ぽつぽつ雨が落ちてきたといって数時間で帰ってきた。結局野宿は未遂で終わったというわけだ。

 夏の全国交流合宿は、始発に近い時間帯に電車に乗って一人で出かけた。初めての場所で初めての路線に乗りかえるというのに、友達もいないし、眠って乗り過ごすのではないかと心配で何度もメールしたが、「ちゃんと着いたからもうメールするな」と返事が来た。親の庇護の元から離れようとする自立心は確実に育っているようだ。

また、この頃のNはおしゃれにも気を使うようになり、バイトの給料が入るとすぐに買い物に出かけて洋服を買っている。鏡の前にいる時間も長くなってきた。年頃なので色気もでてきたようだ。

スタッフの話では2006年に向け、今度はNが発案者で、韓国フリースクールとの交流旅行をミーティングに提案しているそうだ。スタッフの林さんが言うように前回の韓国旅行はNにはとても強い印象を与えたのだろう。次回のIDEC世界フリースクール大会がオーストラリアで催されるというので参加してみたいといっている。

我が家の家計ではこれまで海外への参加は無理だったが、今はアルバイトもしているので、自力で行くことだろう。普通の学校ではできない経験をたくさんして欲しいものだ

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