本当の新人類

私が学校で学んだのは、学校とは学歴があれば幸せになれるというなんだか一方的な幸福論を押し付けるところだということだった。だが発展途上の国というのはそういう傾向があるという調査結果がある。

ある時テレビ番組で中国とアメリカの学校のルポルタージュを観た。中国の学校は40、50年前のかつての日本の姿そのもののように見えた。教師は「父を超えろ!仕事も収入も地位も父を超えるためにいい学校に入るんだ!」と教師は子供に向かって叫んでいた。

生徒の両親は地方からの出稼ぎで漬物を売ったりトラックの運転手をしたりしている。母親の子供にかける期待はすさまじい。まさに孟母、あるいはかつての教育ママと呼ばれた日本の母親の姿そのものである。そんな姿をみると私はふと思う。40,50年後の中国には登校拒否が現われているかもしれない、と。

次に登場したアメリカのチャータースクールはヒスパニック系の移民の子供たちが多く通う学校だった。教育の目的は一つ。いい学校に入ること。そのことで良い職につくことができ高い給料を得ることができるのだ。ある少年の両親はメキシコからの移民でやはりトラック運転手や野菜を売って生計を立てている。貧しさから抜け出すには高い教育を受け給料の高い職業につくことしかないのだ。

戦後の日本人のほとんどは同様に貧しかったのだろう。より高い給料を求め、両親は子供に高等教育を与えた。それがあたかも幸福への神話のように。

 父の権威がなくなったといわれて久しい今の日本であるが、「お父さんのようにはならないように」と「仕事も地位も給料も父を超えろ」と母親にいいきかされたのでは父の権威が失墜しても当然であろう。

私の親であり、Nにとっての祖母などは不登校でフリースクールなどまったく理解できないらしく、なぜ親の私がもっと頑張って学校に行かせなかったのかという。しかも孫のNに会うと『大学に行かないと会社に入れないんだよ』と教え込んでいる。

私はいちいちそれを打ち消すようなことを子供たちにいわなくてはいけない。大学をでても希望どおり就職できないのが今の現実だったりするのだから。東京シューレの他の親からも同居している祖父母の理解が得られない、という話をよく聞く。世代間の価値観のギャップは大きい。

祖父母の時代は戦後の混乱で十分な教育を受けられなかった世代でもあり、進学をあきらめなくてはいけなかったケースも多かったという。だがその親に育てられた私たち世代はその反動か高等教育を受けることを親に強く望まれた。

これまでは学歴による勝ち組みと負け組みの歴然とした収入の差があった。私などと同年代の60年代、70年代に義務教育受けた親は偏差値と言う言葉を生んだ最初の世代であり、詰め込み教育を受け、偏差値で輪切りにされ学歴で人間を判断された世代である。

この自分の体験から子供にも同様の価値観を当てはめようとする親になるか、私のように否定的になるか世の親達は両極端に進んでいる気がする。もちろんその狭間で揺れ、偏差値や学歴社会は変わりつつあるとは思いつつも慣習に従って子供を学校に行かせている親が大半だろう。

Nと同じように低学年から不登校になり、一時期東京シューレに入っていたとしても、小学校は自由にしていてもいいが中学は学校にいってもらいたいという親の考えで学校に戻る子どももいるし、金銭的にゆとりのある家庭の子供は、前述の『自由の森学園』などの私立校に移ったりする。

それは東京シューレが学校と認められていないのに対し、教育内容や方針が似ていても『自由の森学園』は正規の卒業証書がもらえるからかもしれない。だが現在東京シューレも構造改革の波に乗って法人の学校へと認可に向け申請をしている。

Nの父親には私は長いこと会っていないが、中等部の頃、Nがクリスマスに会ったとき進路について何かいっていなかったか聞いてみたら、高校に行けとは言わなかったらしい。たぶん同じ世代なので詰め込み教育のせいで学校を楽しいとは感じなかったのだろう。

以前はNも幼すぎて、やめていく子に対する感傷もあっさりしたものだったが、
「○○くん東京シューレやめるんだって」と何か含みを持った言い方をしてくるようになった。自分のこれからのことを考えているようだ。それぞれ家庭によって教育に対する考えも違うし、家計への圧迫というのも大きいことだろう。

だが、東京シューレ、これはそんなに悪くない選択だったんじゃないか、と思うようになってきた。クミの学校での生活は私の体験とも重なりどういうものか容易に理解できたが、私はNをフリースクールに通わせることによって学校では出来ない様々な体験をさせてもらったような気がする。

Nと同じく低学年から東京シューレに通い、高校年齢までいた子供のお母さんは、こう語ってくれた。小さい頃は自分が普通の経験しかしてこなかったので、不安は今より大きかったが、子供と供に自分も成長してきたと思う。

子供は10代を楽しく過ごせてよかった、人としてちゃんと成長しているのがわかったので、何も心配しなかった。父親も昼夜逆転にもうるさいことは言わなかったし、途中まで不登校をしていてもある程度のところで追いつくのではないか、ということは望まなかったのがよかったかもしれない。

今では祖父母もよかったね、といっている。これからどう育っていくのか楽しみにしているそうだ。Nはクミに対し、
「クミも東京シューレに行ったらきっと好きになると思うよ」といっていた。

親も子もちょっとしたことすらなんでも相談できる雰囲気は今の学校にはない。あのまま学校に行かせていたら、思春期の無口でエネルギッシュな男の子を母親一人で私はどこまで理解することができたか、いささか自信がない。

「体育の時間?そんなのあったっけ?」というN。きっと彼はラジオ体操も知らないことだろう。戦後60年の画一的な教育制度からはみ出たまさに新人類である。学校を知らない子供はどのような夢を描くのだろう。
TOP            続く