序章

2004年新春、嬉しいニュースが飛び込んできた。
「小学校から不登校してた子が芥川賞取ったって」バイト先の同僚がそう声をかけてきた。その瞬間、私の頭の中で喜びのメロディが駆け巡った。

 ヤッター、ヤッター、ヤッター♪やっとうちらの時代がやってきた!あぁ、これで生き易くなるー!
 息子のNが不登校を始めたのは1996年、小学1年生の4月の時だった。90年代後半、日本はその後の厳しい不況の波が来ることも知らず、まだまだ従来の学歴社会が支配していた。住んでいた地域の閉鎖性もあって私は肩身の狭い居心地の悪い思いをしてきた。

息子が不登校であることを親の私は肯定的選択としていたものの、おおっぴらに口にすることは憚られた。世間的には不登校のイメージは悪く、自らそのことを言おうものなら傷口のかさぶたを無理やりはがされるような痛みを伴うのが常だった。まさに私とNは北風の逆風の中を歩いているようなものだった。

 だが21世紀を迎え、日本経済は悪化をたどり、有名企業の倒産が相次いだ。いい学校、いい会社、それが安定したいい人生という図式が崩れ始めた。それはその図式を信じてきた人々にはゆゆしき事態である。相次ぐ企業の倒産は経済の危機的状況に陥った。

だが私は心の中で『これは何かの始まりかもしれない』と予感した。これまでは、まるで永遠に続くかのように見えた学歴社会。
 
世の中はプラトンのいうように、常に変化をする。古いシステムはおのずと死ななければならない。そして何かが終わる時必然的に何かが始まる。戦後の日本人は、豊かさを手にした今やっと生きる意味や喜びや幸せを考え直す時が来たのかも知れない。

私はいいたい。子供たちの選んだ道は負け犬の道ではなく、ちゃんとした一つの生き方であるということを。

 学校に行かないと子供は長い長い自由時間を手にすることができる。そのとき人は思う存分好きなことに没頭できる。その結果が冒頭の女性の芥川賞につながったのだろう。

私は絵を描く人間であるが、21世紀の現在、レンブラントやミケランジェロのような凄い作品を描く人がなぜ出てこないのだろうと考えた時、彼らは子供の頃からただひたすら毎日絵を描き続けていたからではないか、という考えに行き当たる。

たとえそれが職業としての絵描きであったとしても、私たちが学校で教育と称した、もしかしたら自分に向きもしない、役に立たないかもしれない事に多くのエネルギーを奪われている年頃に、ただひたすら描きつづけたのではないか、と。
 
嫌いなこと、やりたくないことを無理やりやらされることは組織に入る人間には有効であったかもしれないが、そうでない人間にとってはやはり時間とエネルギーの浪費なのではないだろうか。

 不登校はダメなものでも卑下するものでもない。ましてや直したりするものなんかじゃない。新しい生き方である。たとえ子供であっても厭なものは厭といっていい、そういう選択の自由があってもいいじゃないか。


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