変化

 Nはその後もたまに友だちとの関係でイライラして私に当ることがあった。だが前のようにキレて暴力を振るうことは少なくなった。そして自分のホームページを作り、次第にインターネットを通じて全国に友だちが出来ていった。ゲームの大会があるといっては、友だちと家から2時間の神奈川県の茅ヶ崎まで何度も出かけていった。

 またある時は、ゲームの曲の交響楽団による演奏会があるといって上野の東京文化会館にいった。帰って来たNは生まれて初めて聞いた生の交響楽に、家に戻るやいなや、
「ママ、コンサートすごかったよ」と感動した声でいった。

そしてオフ会だといっては、あちこちのゲーム仲間の家に出かけていくようになった。
「ママ、○○ってどこにあるの?」と聞いてくる。
「○○県だよ」と答えると
「そこ行けるかな?」と聞く。たいていは近隣なので日帰りで気軽に行くことができた。

 そして夏休みを間近に迫った日、Nはついに、
「長岡京ってどこにあるの?」といい出した。京都の長岡京市でオフ会があるからいってもいいか、という。最初の話では高校生の友だちとJRの『青春18切符』で一緒に行くといっていたので許可した。
 
 だが土壇場になってその友だちは行かないことになってしまった。Nは一人ででも行きたいという。
 私は京都まで乗り換えの必要のない夜行バスで行くことを勧め、念のために京都の友だちの家の電話番号を教えてもらった。その友だちの家は京都駅から電車を乗り換えなくてはならず、しかも夜行バスは早朝に着く。

「オフ会が始まるまでどうやって時間つぶすの?」と聞くと
「カフェとかで待ってる」という。東京弁しか話せない中学生が早朝一人でうろうろしていると家出少年と間違われるのではないか、と思うと心配でしかたがなかった。

 「駅員さんになにか聞かれたらおばあちゃんのところに行く、といいなさい」といっておいたが、結局、朝バスを降りたら最寄の駅まで行って、そこの駅まで京都の友だちに迎えに来てもらえることになり、私の携帯電話をもたせNを送りだした。

 心配でNに何度か電話をしたが「今忙しい。ゲームの最中だから」と切ってしまう。そろそろ帰りのバスが出発する時間なので無事にバスに乗れたのか確認したくて電話をしたのだが繋がらない。帰りの夜行バスの中なので電源を切っているようだ。

 ちゃんと帰ってこれるのか心配だった。だが、迎えはいらないといったとおりNは親の心配をよそに予定通りに朝ひとりで家に戻ってきた。
 なぜ電話に出なかったのか聞くと、
「だってバスの中では携帯の電源を御切りくださいっていうでしょ」と当然のような顔で言う。この一人旅はNにとっても大きな自信になったようだ。
 親子ともに貴重な経験だった。
 
 その後、年上の友だちは携帯電話を持ち始めた。それまではお互いに携帯電話をもってなかったので、すれ違いながらも時間をかけて待ち合わせを重ねてきた。

 だが公衆電話から友だちの携帯電話に電話をするようになるとなるとすぐに100円玉がなくなってしまう。ただでさえ少ない小遣なのに、やりくりするためにお昼を減らしたりするようになった。
「お金がすぐなくなるんだ。腹が減ってしょがないんだよ。携帯買ってくれよ」

 クミが携帯電話を持ったのと同じ年まで我慢させようと思っていたのだが、育ち盛りのNがお腹をすかせていると思うと不憫で私は負けてしまい携帯電話を買ってあげてしまった。

 そして中学2年になるころ、友だち関係に変化が見えてきた。Nの口から出る友だちの名前は初めて聞く名前ばかりになり、家に連れてくる友だちも今まで一度も家に来たことのない子ばかりで、中にはNより年下の小さな子も混じっていたりするようになった。

 ある時、いつも遊んでいる友達とは別の子と神奈川県川崎市のお祭りにいくという。それまでゲームに関すること以外の場所に行こうともしなかったのでめずらしく思った。

 川崎大師に行くというので電車の乗り換えなどを教えてあげた。
 帰ってきたNは、
「セクハラ祭りだった」と大はしゃぎしている。買ってきたお祭りの飴をみると男根の形をしている。川崎大師の祭りというのはどうやら男根をかたどった神輿で練り歩く祭りだったようだ。

 携帯で取った神輿や友達の写真を見せてくれた。初めて見る友達と映るNの笑顔がそこにはあった。
 少ない友達とだけ密に関わっていたのが友人関係が広がっていった。
 それと共にNは次第に私の話かける言葉に素直に返事をするようになっていった。

 それまでNの仲良しの友だちは年上で、自分より色々なことを知っていたので教わることも多かったようだ。友だちについていこうと思うあまり我慢することが多くなり、そのストレスのはけ口が私に向かっていたのだろうか。
友だちの待ち合わせに遅れたのは私のせいだといって物をなげつけたり、怒鳴られたりということが何度もあった。

 ある時、
「友だちに気を使いすぎなんじゃない?」というと
「そ、そうかな・・・」と口篭もっていたことがあった。
Nにしてみればそこまでしてもついていきたい大事な友達だったようだ。

 さらなる変化の兆しは2003年に入ってすぐに現われた。
 NがNHKBS放送の公開テレビ番組に参加するという。
 それまでのNは東京シューレに取材のカメラが入ると映らないようにさけることが多かったのだそうだ。
 あんなにテレビカメラを嫌がっていたNがどうして?と思って不思議だった。

 放映を見ると、東京シューレのスタッフがパネリストに1つ2つ質問していた。カメラがそちらの方を向くとNは後ろの方の席におとなしそうに坐っていた。収録のときの様子を訊ねるとフリースクールに関する話題の時は興味ある話題だったのでよく聞いていたけど、それ以外の時は退屈でしょうがなかったそうだ。

 Nは小さな頃こそ外遊びの好きな子供だったが、中学の頃にはゲームだけなってしまいインドア派の子供になっていた。
 それまで東京シューレの行事などには興味がなかったのか、ほとんど参加することがなかったのだが、この年の春休みに「一度も行ったことがないから」といって長野にあるログハウスでの合宿に初めて行ってみたいといいだした。

 フリースクールの行事はすべて実費なので我が家には結構な出費だったが、ここに来てようやく外の世界に目を向けたNの行動が嬉しく、喜んで送り出した。
 
 インターネットのゲームサイトにはまってからは夜型になってしまうことが多く、朝の集合時間に起きる自信がないから朝まで起きているという。私は行きのバスで眠れるもののログハウスの生活についていけるか心配だった。
 初日は朝食の時間に起きれず食べ損ねたそうだが、数日過ごすうちに昼型に戻って帰って来た。

 中学2年になり、教科書を受け取るために中学に連絡をした。近所の田宮さんは夏の終わりにお母さんが体調を崩したことをきっかけに一家で沖縄に戻ってしまっていた。
 
 私は一人で中学に出向いた。Nの担任に挨拶をし、教科書を受け取って帰ろうとすると、
「お母さん、もしお時間があったら校長に会っていただけませんか?」という。
 今年から新しい校長になったのだそうだ。
 校長室に出向いてNが小学校で不登校になった理由、東京シュ−レにはほとんど毎日行っていることを話した。

 校長は、
「それはわかりましたが、困りましたね。東京シューレの出席日数はこちらに報告が来ていますが、こちらでは欠席扱いになってしまいますよ」という。
「いいえ、都や文科省のほうではフリースクールでの出席は学校の出席と同等の扱いと認めているはずです。東京シュ−レでは皆さんそうなっていると聞いていますが」というと、
「あー、そうでしたか。それは知らなかった。こちらの勉強不足でした。だったら大丈夫です」という。物分りのいい校長でよかったとほっと胸をなでおろした。

 担任は、熱血スポーツマンタイプの先生でNの進路のことを色々心配して助言をしてくれた。そして
「ときには学校のように我慢も必要ですからね」といった。私はその言葉に、
『また、この言葉か。フリースクールの子供だって十分我慢してるよ』と思いながら中学をあとにした。

 『我慢は必要』学校肯定派の人がよく使う言葉である。
 まるで不登校の子供は我慢をしていないかのようないい方である。確かに勉強ややりたくないことを強制されることはない。だがかなり遠くから通って来たり、お金が足りなくてお昼やおやつを買えずにお腹が空いているときがあったり、まったく我慢の体験がないわけではない。

 強制されてやりたくないことをやらされている時の我慢は苦痛以外の何者でもないが、不思議と人は自分でやると決めたことをやっている時の我慢は苦痛が半減してしまう。そんな経験は誰にでもあることだろう。

 その後も5月の埼玉県秩父でのキャンプにも参加した。キャンプは、Nの叔父がアウトドア好きなたので、小さな頃何度も連れて行ってもらっていた。だが東京シュ−レでのキャンプは初めてで、何度もスタッフに持ち物の確認の電話をし、スタッフはNはキャンプ自体が初めてなので心配なんだと勘違いしたほどだった。

 出発前日、長さ1メートルほどの太い青竹を持って家に帰ってきた。
「それどうするの?」と聞くと、料理に使うので皆が一本ずつ持たされ、明日のキャンプに持っていくのだという。
「まいったよ。昨日家まで持ってくる間、坂道で青竹を落としちゃって、コロコロ竹が転がって落ちていって大変だったよ」といった。

 私と買い物に行って腰が悪いから重い荷物を持ってといってもなかなか持ってくれないくせに、
「こんなの持って電車乗るのマジやだよー、チョー恥ずかしいよ」といいながらもパンパンの大きなリュックの他に長い青竹を持って、朝のラッシュの時間帯に電車に乗り集合場所に向かった。

 キャンプの最終日は雨だった。Nはずぶ濡れになって帰って来た。
 キャンプから戻ったNは、
「すごく楽しかったよ。川で魚を取った。川で濡れた服をそのまま乾かしたら臭かったよ」などと報告してくれた。
 ポケットに入れた、買ったばかりの携帯電話は雨の湿気を受けてすっかりダメになってしまった。
TOP        続く