フリースクールというところ2

等部、高等部には制服はもちろんない。姉のクミを普通の学校に通わせた経験から考えると学校も結構お金がかかる。しかも東京シューレはすべての行事が選択制なのに対し、学校は体操着にしても、卒業積立金にしても強制的である。

Nが中等部に入ったとき制服も体操着も水着や選択科目の武道着も買わないで済む事に正直ホッとした。10万円ぐらいは浮いたかもしれない。体操着、水着などどう考えても3年間しか着ない。

しかも安い中国製ジャージなどが1000円ぐらいで市場に出回っているというのに上履きにしても指定の高い物を買わなくてはいけないのだ。とにかく「うちだけ違う安いものにします」というわけにいかない。

毛髪のカラーリングはダメ、ピアスはダメなどの外見への規則もない。Nが東京シューレに入った頃はカラーリングが大はやりの頃だったので、色とりどりの髪の色をした子供もいた。

緑色の髪のちょっと年上の男性がいたので『あれ?彼はいったい何者?』と思ったらなんとスタッフだった。今はもうスタッフをやめてしまったが、元々バンドをやっていた人だそうで高等部の音楽好きの子供達にはずいぶん慕われていた。

東京シューレに職員室のようなものはない。王子シューレの事務のスペースの奥の一角には畳が敷いてあって、そばにある大きな水槽にはのんびりと魚が泳いでいる。その畳のスペースに座卓があってお昼時には食事の場になる。なんとも家庭的な雰囲気だ。

東京シューレではスタッフをあだ名で呼ぶ。本当の名前がなんなのか時々わからなくなる。スタッフと親や子供の間に垣根は全然なく、スタッフは子供たちの、まるで親戚の兄や姉のようにそばにいて、親にとってはよき相談相手でもある。

これも少人数制だからできることなのかもしれないが、学校のように子供に目が届かないということはない。むしろ目の届かないことはスタッフにとっては恥ずべきことかもしれない。このようなきめ細かい対応があるので開室当初から、自閉症、ADHDなどの軽度の障害のある子供も通っている。

東京シューレのスタッフはボランティアから始めてスタッフになった人、自分自身が子供の頃東京シューレにいた人、子供が東京シューレに通っていたという人、奥地さんと同じように元教師だったという経歴の人、卒業生の親だった人、難関大出身という学歴無駄遣い(?)人もいれば、英語ペラペラのキャリア無駄遣い(?)のスタッフもいる。

年齢も経歴も様々だが、学生ボランティアも多く、彼らは子供の年齢に近いので年上の友人のように慕われ、スタッフの手のとどかないところを埋めてくれている、とてもありがたい存在である。

東京シューレ卒業生のアンケートをまとめた小冊子が2005年に発行された。それによると、約8割の人が東京シューレに在籍することで変わったと思うことがあり、9割の人が役に立ったことがあると回答している。

『自身の不登校に対する評価』という問いには、
肯定的評価 62.7%
どちらともいえない 25.8%
否定的評価 10.1%
無回答 1.4%

意外に思われるかもしれないが、年齢別でみていくと、小学校低学年で不登校を始めた人の76.2%が肯定的評価だそうである。東京シューレ入会時期で見ても、小学校低学年での入会者は83.3%が肯定的評価だったということだ。学校以外の場所で育ち、学校神話に触れずに育つことによって自己肯定がなされるという結果だろうか。

 また、不登校中に親から肯定的な理解があった人は、自分自身の不登校に対する評価が69.2%と高く、否定的な評価をしている人は6.5%という極端に低い結果が出たそうだ。このことからも親の理解というのが、子供の自己評価への大きな影響があることがわかる。

 多くの大人たちが懸念しているであろう、その後の進路についてだが、二〇代前半はアルバイト、フリーターが大きな割合をしめているが、二〇代後半以上では正社員・契約社員・自由業などが多くなっているそうである。

アルバイト・パート・フリーター
按摩マッサージ指圧師(接骨院)、食品製造業での出荷担当、郵便局での小包担当、コンビ二勤務、電子部品の梱包、パソコン関係、クレープ屋、事務、ラーメン屋、焼肉店調理、玩具販売店、販売員、障害児の介助、塾家庭教師、フリースクールスタッフ、イタリアンレストラン調理、結婚式・パーティでのサービス業、中華料理店勤務、書店事務など。

勤務としては
フリースクールスタッフ、障害者生活ホーム、新聞記者、カステラ工場、保育士、ブライダルプランナー、国際公務員、不動産営業、

自営業、フリーランスでは
コンピューターエンジニア、ダンサー、ショーの演出、カフェの営業、俳優、モデル、芸人、NPO法人事務局員、ライターなど多岐にわたって活躍している。

本来であれば学歴偏重主義の壁にぶつかるはずの職業に、就いた人々の話はまるでドラマを見ているようでとても興味深い。

 東京シューレ編の書籍にも書かれているが、東京シューレ在学中から国内のほとんどの鉄道路線を制覇し、卒業後、世界中を旅して回ったあと、旅行会社の大卒者募集に中卒で応募し、それまでの旅行経験や列車についての類まれなる知識を買われて就職した男性がいる。大卒者募集と書いてあるのに応募する度胸も凄いと思うが、その面接時の様子もとてもおもしろい。

また、このような男性もいる。シューレ卒業後、南米を放浪、メキシコでスペイン語を学んでいる間、現地の反政府ゲリラや貧困生活者と出会い、政治や経済に興味を持ち、日本の大検でメキシコの大学に進もうとしたが、認められなかったため、母国語で日本のことをしっかり学ぼうと二〇才で日本の大学を受験、多くの人に貧困と差別の現実を知ってもらおうとジャーナリストの道を進むことにし、現在は新聞記者をしている。

またある女性は、東京シューレ在学中から、日本に住む路上で店を開く外国人に興味を持ち、ひいては難民の存在を知ることとなった。そして難民のボランティア活動を始め、そのためにはちゃんと国際法を学ぼうと米国の大学院に進み、現在は国連難民高等弁務官事務所職員として働いている。

彼女の話は直接私も聞いたが、東京シューレでスタッフが自分の辛い気持ちを聞いてくれたことや、不登校=マイノリティとしての自分の体験が、同じマイノリティの難民への共感に繋がっていると話してくれた。

また彼女の話では、長いボランティア経験が買われたのだろうということ、今の職場も、仕事がきついという理由でやめていく人が結構多いのだそうだ。好きでなければ続かない、といっていた。

 このような事例を聞くと、いい高校、いい大学と、それだけを目的にこの小さな島国の内側だけを見て、机の上にしがみついてきた『できのいい生徒』より、はるかに多くの経験に基づいて今の職業を選択しており、そういう深い経験から考えると、仕事を通じて、一般社会に与えるものも比べ物にならないぐらい大きいことだろう。

特に前述の彼女がいったように、国連難民高等弁務官事務所をやめていく人が多いということは、ただ優秀であるというだけでは、やっていかれないということの表れではないだろうか。

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