フリースクールというところ

東京シューレができたのは1985年の6月、東京都北区東十条の商店街の一角のビルの一室でスタートした。フリースクールの中では最も古く、草分け的な存在である。

 主催者の奥地圭子さんは元小学校教師だが、自分の子供が転校を機に不登校になったのをきっかけに、1984年にできた『不登校を考える親の会』を発足、これが東京シューレの前身になっている。

その中で精神科医の渡辺位氏と出会い、子供はこれまで一生懸命に学校にあわせようとしてきたこと、これ以上登校させるのはむしろ子供を追い詰めることになるという、というカウンセリングの結果を受けた。

そして不登校は病気じゃなく、親である自分自身がむしろ学校神話に縛られていたのだ、ということに気づいた。そして、そのころの不登校の子供は自宅にいるしかなかったのだが、子供達の居場所が必要と考え、自ら退職して子供達の居場所としてのフリースクール『東京シューレ』を始めた。

その奥地さんのお子さんは、大学に進み、東京シューレで科学を教えていたこともあった。現在はアメリカで科学者をしている。

当初は不登校の子供達だけでは経営が成り立たなかったので夕方からは学習塾も兼ねていたそうだが、次第に不登校だけを受け入れる現在の形態に変化していった。不登校の増加とともにシューレも拡大し、現在は王子、新宿、大田、そして千葉県の委託による形で流山市の公共施設で週2日だけオープンする流山シューレ、在宅の子供向けのホームシューレもある。

東京シューレの最大の特徴は、傷ついた子供を受け入れることから始まっただけに子供の精神のケアを何よりも重要視することだろう。子供が精神的圧迫を受けたりすることがないよう、そのことが様々なシステムに現われている。

これまでの学校のあり方になれている人にとっては、東京シューレのシステムは信じられないほどばかげたものに思えるだろう。こんなに自由にしたら子供はとんでもない人間に育つのではないか、と多くの人が思うかもしれない。

しかし、このようなシステムは先ほど述べたように、子供の精神を傷つけない、必要以上に圧迫しないという根本的な心のケアから来ている。国益の為、経済理念のため効率優先で設立されたこれまでの学校とまったく違う。これは子供に対する究極の信頼であるともいえよう。

自由に育てると自分勝手で我儘な人間が育つのではないか、と多くの人が懸念を持つだろう。だがそれは疑念でしかないとはっきりといえる。ここにくる子供達は社会的に十分過ぎるほど打ちのめされており、心に傷を負った子がほとんどである。自分はマイノリティ、少数派であるという感覚を持つ子供が多い。

それは親である我々も同じことなのだが、その少数派だという思いが、自分達と同じ弱い立場の者に対しての共感を芽生えさせているような気がする。

私はむしろ子供の頃から優等生でエリートで育ってきた子供のほうが衝撃にもろいような気がしている。二十歳過ぎまでエリートとしてちやほやされてきて、社会に出て初めて、挫折を味わい精神を病む人も私は何人も見てきているからだ。

東京シューレは朝10時から始まり、曜日や部によって違うが6時頃終わる。なぜこのような遅い時間に始まるかというと、遠方から通ってくる子供が多いからなのだ。なかには新幹線で通学してくる子供もいる。現在は都内に3つのシューレがあるが自分で気にいったところを選ぶので自宅より遠いところを選ぶ子供もいる。

ここでは学校のような出席をとる点呼もないので、何時に来てもいい。狭い校内なので、自然とスタッフの誰かが子供たちと顔を合わせる。そういうわけでもちろん出席はちゃんとスタッフが把握している。

王子シューレは2005年現在、子供の数は約80人。だが月数回だけくる準会員の数も入っている上、全員が同時に参加しているわけではないのでそれほど多い感じはしない。

王子シューレの場合5階建てのビルなので、階によって初等部、中等部、高等部と分かれているが、新宿や大田シューレではそのような区別はない。だが階が分かれているといっても初等部は中等部には入っていけないということではない。自分がいたいフロアにいていい。大きな子供も小さな子供も一緒なのだ。

東京シューレには入学式はない。入会の手続きがすめばその日から入学である。卒業式もないがそれに相当するものとして、東京シューレを辞めていく子供達を送り出すお別れ会が3月に開かれる。一般の卒業式のような、何日も前から練習してオエライいさんの長―い話を拝聴するという堅苦しいものではなく、子供主体の歌あり、お菓子と軽食のミニパーティありの、いわゆる送別会のようなものである。

始業式のようなものもない。終業式に相当するものは『納め会』という日が各学期の最終日にあり、『納め会』の前には大掃除がある。

これでおわかりのとおり、東京シューレには学校に決まり物だった体育館やグランドまでぞろぞろ並んで歩いていって、揃って並んで校長先生や教頭先生の話を聞く朝礼や○○式という、ニイルいわく、ミニチュアの軍隊のようなことは一切ない。

また、東京シューレには学校の時間割のようなものもない。各部別の1週間の予定表というものはあるが、これも強制ではない。自分でやりたい講座を選べばいいのだ。

たとえば自分がフランス語を学びたいとして何人か同じ意思を持つ子供がいた場合、スタッフとの話し合いによってその講座を始めてもらうことも可能である。このような感じで予定表といっても流動的なものともいえる。

あと東京シューレでオリジナルな時間といえば、木曜日の『いろいろタイム』が挙げられる。これは子供達のミーティングによって決められる行事で、各部別に別れて行動するときもあれば、一緒のときもある。

これまでに行われた行事を一部挙げると、博物館に見学、何かを作る、料理をする、映画を見に行く、イチゴ狩り、海に行く、焼き芋大会、ボーリングやカラオケなんていうものもある。これらは子供達自身が提案し、話し合いによって決められるのだ。

それから『シリーズ人間』というものもある。これはいろいろな分野で活躍している人を講師に招いてお話を伺うものである。私も興味のある方の話を聞きにいったことがある。外部の人間でも一講座1000円で参加することができる。

あとは中学3年生を対象とした『イチゴミーティング』というものもある。イチゴとは15歳の1と5のことである。義務教育を終了し、進路を考える年齢なのでスタッフも交えて、相談しあい、皆で語り合う時間である。思春期の子供達には『性について』という講座もある。

東京シューレでは、普段はもちろん給食はないのでお弁当か外食になる。いろいろタイムなどで子供達の発案で料理を作る企画もある。このときは少しばかりのお金か材料を持って行く。家庭科の実習のようなものを想像していただければいいだろう。

過去には、子供達が王子シューレにゲーム機が欲しいというので、自分達でカレーを作って昼食としてスタッフや子供達に安価で売ったりして費用を作ったということもあった。

Nにはお弁当を持たせていた時期もあったが、中学ともなると友だちとコンビニで買い物したり、牛丼を食べにいくのが楽しいようでお金を持たせたりした。家でお昼を食べてから出かけるときもある。お弁当など残り物など工夫をすれば思ったほどでもないだろう。
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