くらしに生きる星
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日々の暮らしのなかで、星が重要な役割を担っていた時代は終わりました。しかし、私たちが気づかないところ
で、星や月、太陽への想いが連綿と受け継がれているものも僅かながらのこされています。私たちは、宇宙を含め
た自然の恵みによって生かされていることにもっと感謝しなければとの気持ちから、あえて「くらしに生きる星」
というタイトルを付しています。 最近は、年中行事や昔話などに代表される伝承への関心が次第に薄らいでしまったようですが、先人の智恵や暮 らしぶりには見習うべきものがたくさんあります。このコーナーでは、そのような話題にスポットをあて、「星の 民俗」がさらに身近な存在として感じられることを願っています。
雑煮と団子
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南伊豆の三つ星和名
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静岡県南伊豆の下田市や賀茂郡地方は、星の和名(日本の星の名)が比較的多く伝承されている地域ですが、
『日本星座方言資料』〔文0167〕にはオリオン座三つ星の和名として以下のものが記録されています。
・サンゾロ(ボシ):ぞろりと出る様子にたとえたもの
このうち、サンドルボシについて野尻抱影氏は当初「三ドル星」のこととして珍重されていました〔『星座春秋』
文0094〕が、後にサンゾロ(ボシ)が報告されますと、これをサンドルからの転訛形とする考え方を示されていました
〔『星と伝説』文0210〕。ところが、その後の『日本星名辞典』〔文0168〕では「後に、岡山県八浜に〈さんダラぼし〉
があると聞いて、これも、下田の三ドルぼしもゾロリと出る〈三ぞろぼし〉の転訛ではないかと思っている」として、
それまでの見解を改めておられます。
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ミツダナのイメージ
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宵の明星のうた
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天体をテーマとした俚謡は多くの事例が知られていますが、そのほとんどは月あるいは太陽にまつわる唄です。
信仰や祭事、暮らしの伝承などにかかわりなく、単に「月」「太陽」「星」といった言葉が含まれるものを加えますと、
おそらく相当数にのぼるものと思われます。 星ではオリオン座の三つ星やおうし座のスバル、それにおおぐま座の北斗七星などが、仕事唄や教訓歌、わらべうた などに歌い込まれており、これらの星はいずれも人びとの暮らしにとって重要な存在でした。ところが、同じように親 しまれてきた金星の場合は、意外にも「うたの世界」では、これまで主役としてとり上げられる機会が少なかったよう です。そのような状況のもと、今回紹介するのは宵の明星を主題とした数少ない俚謡の一つです。 この唄は、はじめ1993年に埼玉県比企郡小川町で採集しました。当時80歳になる女性が、明治8年生まれの母親から 伝承されたものです。その後、すぐに同県北足立郡伊奈町でも明治40年生まれの女性から採集し、また1994年には、同 県所沢市で3例目を記録することができました。このときの伝承者の話では、子どものころ(大正の終りから昭和の初 めにかけて)に子守りをしながら夕空の一番星をみて歌ったものであるといわれます。唄の内容は以下のとおりです。
A〈比企郡小川町〉
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夕空の月と金星・木星
ところで、三人の伝承者に共通する項目として、 @伝承者が、いずれも明治の末から大正初期生まれの女性であること Aこの唄を子どものころに歌っていたということ などを指摘することができます。おそらく、かつては埼玉県以外でも広く歌われていたものと思われますが、今のとこ ろ手許にある既存資料では確認できていません。また、よく知られた「いちばん星みぃつけた、にばん星みぃつけた ・・・・・・」という唄とどこかで接点があるのではないかとも推察されます。 [2001年初稿]
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タケノフシと俚謡
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●暮らしのなかの竹 竹は、日常生活ばかりでなく信仰や行事などとも深いかかわりをもつ植物です。季節の食材としての利用は現在もな じみ深いものですが、かつては農山漁村のそれぞれにおいて、生業や暮らしを支える用具類の重要な素材のひとつでし た。 日本に自生する主な竹・笹類は11属27種ほどあり、マダケ、モウソウチク、アズマネザサ、ヤダケ、メダケ、スズタ ケ、クマザサなどがよく知られています。このうちモウソウチクは稈が太く、マダケと並んでもっともポピュラーな竹 ですが、元来は中国原産で1736(元文1)年に薩摩藩に初めて伝えられたものといわれます。 木本の竹類では、地下茎によって毎年新しい稈(茎)を出して増えますが、よく手入れされた竹林は景観的にも見事 です。しかし、近年は里山の荒廃に伴って放置されたままの竹林が目立つようになり、野生化した竹が付近の樹林地に 侵入して植生の混乱を招くなど新たな問題も顕在化してきてます。これらはモウソウチクやマダケの竹林でよくみられ ますが、マダケの場合は1960年頃を中心に各地で一斉開花する現象が確認されており、これを契機として、いずれの地 域でもほとんど全滅にちかい状態で枯れてしまったという話をときおり耳にすることがあります。 ところで、信仰や年中行事などで竹が使われる事例は意外と多いものです。竹を神の依り代とみたものでは、現在で も四方に4本の竹を立てることが一般的に行われています。七夕の竹も、本来は同じ意味合いをもつものと考えられ、 こうした場所は神聖な領域を示していることになります。さらに、竹がもつ呪術的な役割については、ひとつの流れと して古い時代から竹の霊力に強い関心がもたれていたようです。これは、生長の速さや節と空洞をもった稈の構造、旺 盛な繁殖力、それに植物体の各器官に含まれるさまざまな薬用成分の効用などが大きな影響を及ぼしているためでしょ う。竹をめぐる多彩な民俗は、日本ばかりでなく東南アジアなどでも広く伝承されています。
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モウソウチクの竹林
歴史的にも民俗的にも身近な存在である竹が、星や月や太陽とどのようなかかわりをもっているのかということは、 日本の天文民俗を考える上で一度は整理しておかなければならない課題といえます。太陽信仰や七夕など、民俗行事に おける竹の存在については別の機会に譲るとしまして、ここでは日本の星の名にとり入れられた竹の側面についてふれ てみたいと思います。とはいいましても、竹にまつわる星の名は数えるほどしか報告されておりません。その中でもっ とも代表的な星の名が今回の「タケノフシ」です。 タケノフシ(あるいはタゲノフシ)というのは、オリオン座の三つ星を竹の節とみた呼び名で、青森県八戸市を中心 に三戸郡、上北郡地方、さらには津軽海峡を隔てた北海道の一部にも伝承されています。『日本星名辞典』〔文0168〕 には、似たような見方として富山県中新川郡地方のタケツギボシ(竹継ぎ星)が紹介されていますが、伝承地は特定の 地域に限られています。また、竹に関連する星の名前を拾い出してみても、サオボシ(竿星)やタカミボシ(竹箕星) などわずかです。 生長した竹の節間を三つ星に見立てることは、ごく自然の成り行きであったと思われますが、この場合、東から直立 して上る姿がもっとも相応しいのではないでしょうか。八戸付近では、かつてタケノフシがイカ釣り漁において重要な 役星(目あてにする星)のひとつであったことが聞きとり調査で確認されており、おそらく当地のイカ釣り漁師らは、 東の海上に立ち上がる三つ星に勢いよく伸びる竹のイメージを重ねあわせていたものと思われます。 この星名が、海峡を越えた北海道でも一部の地域で伝承されてきたことはすでに述べましたが、その背景にはイカ釣 り漁を介したタビ漁民の存在が深くかかわっているものと推測されます。それを裏付ける事実として、積丹半島におけ る聞きとり調査の記録をみると、積丹町の美国でタケノフシを伝承していた漁師は紛れもない八戸出身者だったのです。 さて、星の名前から少しはなれますと、もうひとつ気になる話題があります。それは、八戸地方に伝わるタケノフシ が詠い込まれた盆唄の存在です。いったい、このタケノフシの正体はどのようなものなのでしょうか。
●「竹の節」の解釈をめぐって
♪ 土地がかわれば 風変る
引用文献である『多摩ふるさとの唄』〔文0120〕によりますと、「この唄は炭を焼くときもうたったが、牛や馬の背
に炭俵を積んで運ぶときもうたった。多く、西郡檜原地方でうたわれたものである」とした上で、炭焼き唄のタイトル
がつけられています。八戸の盆踊り唄と比べると第一節の文句と全体で第四節まである点が異なるものの、第二節につ
いては言いまわしが丁寧なだけで本質的には同じフレーズとなっています。いずれの唄も、ところで変るものは多いの
に「竹の節」はどこに行っても変らないことを強調した内容で、一種の教訓歌としてとらえることができるでしょう。
根本的な違いは、一方が盆踊りの唄であるのに対し、他方はいわゆる仕事唄として伝承されている点です。おそらく、
多摩地方の炭焼き唄のほうがより元唄に近い形態を残しているのではないかと考えられます。
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炭焼き窯(左)とその煙(右)
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星の餅・日月の餅
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日本人にとって、餅は永い歴史をもつ食物です。今では餅といえば糯米を搗いたものをさすのが一般的ですが、各地の
餅をながめてみると実にさまざまな種類があり、その食材、つくり方、形態などたいへん興味深いものがあります。餅は
単なる食物としてばかりでなく、生活の節目節目で各種の行事と深いかかわりをもち、日本独自の多彩なモチ文化を築き
あげてきました。
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正月の鏡餅(オソナエ)
また、正月の鏡餅(オソナエ)や他の行事に関連した餅では、「ほし餅」と同じような重ね餅タイプのものが京都府 以外にも存在しています。『月ごとの祭』〔文0131〕をみると、鏡餅の上段の餅を「星」と呼ぶことが示されています。 ここでは、普通の丸餅にごく小さな餅を載せたものが各地でつくられていることがわかります。山陰の出雲地方にも 「星の餅」と呼ばれるものがありますが、京都に伝承された「ほしの餅」と同様に正月の鏡餅の上に子餅を三つ載せた 形態をしており、ワオキともいうそうです〔『神去来』文0044〕。これらの「星の餅」がどのような意味をもつのかは 明らかでありませんが、身祝いの餅や仏教の星祭りなどとの関連が考えられるでしょう。 別な事例では、岩手県気仙沼市において新造船の船下ろしを行う際に作られる餅があります〔『船』文0199〕。これ らは三つ重ねのオソナエ一組、丸餅(太陽)、半円形の餅(月)、小さく捻った9個の餅(星)からなっています。供 え方の詳細な説明がないので推測の域を出ませんが、最後の9個の星餅なるものは、九曜を表現したものではないかと 思われます。九曜曼荼羅には厄除けの意味があるほか、この九曜から生まれたクヨウノホシは、おうし座プレアデス星 団の方言として知られており、農山民だけでなく漁師や船乗りにとっても重要な星でした。新造船の進水にあたり、海 上の安全や豊漁に大きな影響力をもつ太陽・月・星を餅に託してオフナダマに捧げることは、自然の恵みを生業とする 人びとの素直な心象の表れとみることができるでしょう。 ところで、山の神行事でも星や月の餅をみることができます。山の神は、猟師や樵、炭焼き、木地職人などの山を生 業の場とする人たちばかりでなく、農民たちにとっても重要な信仰の対象でした。それは、山の神が春に山から里に降 りて田の神となり、収穫を終えた秋には再び山へ帰って山の神になるという伝承が各地にのこされていることからもよ く理解できます。しかし、山の神の実態は地方・地域によりさまざまな形態をもっており、一般的に東北地方や新潟県 などでは「十二講」あるいは「十二神」信仰として祭られている場合が多いようです。その日はだいたい12日が主です が、他の地方、たとえば東京都の西多摩郡や山梨県の北都留郡などでは17日が山の神の日でした。これらの地方では、 山に入ってはじめて炭を焼くときに、竹の筒に松の葉と御幣と藁をさして山の神に供えていました。 さらに、『餅』〔文0257〕には、秋田県由利郡鳥海町で、年に4回、お膳2枚に月の餅4個と星の餅28個をつくり、 一つの月の餅の四周に7個の星の餅を配して供えたことが紹介されています。この配置から思い当たるのは、陰陽五行 の考え方です。それは、日月五星の運行の目標とした二十八宿の星座を東西南北に七宿ずつ配分し、ここに十二次をあ てて天体の運行から吉凶を占うというもので、太陰暦では恒星に対する月の運行は一日に一つの宿を移動することで示 されます。これは月の見かけの変化である朔、上弦、望、下弦の四つの区切りに対して、それぞれ七つの宿が割り当て られることを意味しています。つまり、秋田の「星の餅・月の餅」は、月の朔望変化が二十八宿をめぐる現象を表現し たものではないかと考えられるのです。 このように、各地の「星の餅」にはそれぞれの特徴があり、太陽や月との関連性が深い事例も少なくありません。最 終的には、「日月星」を祭る基層文化の信仰に結びついていくのではないかと考えられます。
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餅つき風景(左)と素朴な丸餅
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