3 星の名の伝承 〈2023/03/25〉

 日本で生まれた星の名には、いくつかのタイプが知られています。
 @ ほぼ全国的な分布を示す星名
 A 全国で散発的に発生した星名
 B 一定の広がりをもつ地域に伝承された星名
 C 特定の利用方法により伝播・伝承された星名
 D 局所的な地域で発生し、伝承された星名
 E その他、外国の呼称などに由来する星名
 また、一つの標準的な星名に対し、微細な転訛を伴う事例が多く認められるのも際立った特徴といえます。そのような 転訛形を含めると、日本の星名は1000種類を超え、埼玉県では 130種余りの記録があります。現在の星空は、全天を88の 星座に区分して体系化されていますが、日本の星名にはこうした捉え方はありません。一部の漁業において、冬空の星の 連なりを一体化した利用事例がみられますが、総じて各地に伝承された星々の関連性は希薄です。
 埼玉県内で星名が記録された星座は、おおぐま座・からす座・さそり座・こと座・わし座・こぐま座・ペガスス座・カ シオペア座・おうし座・オリオン座の10種で、この他に惑星である金星と木星・流星・彗星・その他不特定の星となります。 ここで紹介する星名は、基本的にカタカナ表記とし、一部全国的な標準和名については「三つ星」や「北斗七星」「北極星」 などの表記を併用しました。

お お ぐ ま 座
 北の空を廻る星といえば、北斗七星を連想する人が多いことでしょう。この7個の特徴的な星々を有するのは、多くの人に 馴染み深いおおぐま座です。星座の形をみると、北斗七星は熊の背中から尾の部分に相当し、日本では標準的な星名として広 く定着しています。もともと中国で生まれた星の名が伝わったもので、星座の名前よりも普及しました。
 県内では、ホクトシチセイのほかにホクトセイやホクトナナセイなどと呼ばれますが、日本で発生した星名としての記録は、 主として星の数によるものと星の配列を身近な用具に見立てた二つの系統が存在します。

【 ナナツボシ 】
 北の空を代表する北斗七星は、7個の星が特徴的な配列をもつことでよく知られています。星の数を呼び名とすることは自然な 発想で、特に7という数字は陰陽でいう陽数(奇数のこと)のなかでも尊ばれてきました。この星名は古くからみられ、新村出氏 は『南蛮更紗』〔文0156〕において、平安末期から鎌倉・南北朝期に七つ星を詠んだ和歌をいくつか紹介しています。
 このように、日本では全国的に標準化された星の名で、県内においてもほぼ全域で伝承されています。類似の呼称として、秩父 郡東秩父村ではナナツノホシ[七つの星]・ナナボシサマ[七星様]・ヒチボシサマなどと呼ばれていて、特定の地域でいくつか の転訛が認められます。
 ところで、北斗七星が北の空を周回する伝承がいくつかあり、寄居町ではナナツボシを見て北の方角を認識していたほか、両神 村でも、ナナツボシの一部を延長した先に北極星があると伝えています。
 なお、おうし座のプレアデス星団にも同じナナツボシの星名があります。

【 ナナチョウ 】
 星の数による星名の一つで、チョウは「星(ショウ)」の転訛形であり、七星の意味と考えられます。東部の加須市で記録された もので、幸手市ではナナチョウボシとなります。いずれも、オリオン座の三つ星をサンチョウボシなどと呼ぶ地域であり、いくつか の特徴的な星群に対して、同じ発想による命名が行われた典型的な事例といえるでしょう。
 加須市では、ナナチョウが明治30年代に生まれた人たちによって使われてきた星名とされており、当時はナナツボシよりも広く 伝承されていたものと推察されます。

【 ヒシャクボシ 】
 星の配列を生活用具などに譬えた星名は少なくないものの、ヒシャクボシほどしっくりする命名はほかに例がありません。4個の 星がつくる斗形に3個の星で柄を付ければ、見事な柄杓の完成です。
 この柄杓は、緯度の高い地域ほど地平線あるいは水平線下に沈むことなく、半時計回りに動きながら水汲みを繰り返しているよう に見えます。ただ、ひとくちにヒシャクといっても、用途によって材質や意匠は異なり、夜空に想い描く姿は見る人によってさまざ まです。
 県内では、西部から中部地域を中心に広く記録があり、地域によっては単にヒシャクと呼ばれるほか、入間市ではさらに簡略化し たシャクが伝承されています。

 

柄杓の用途や形状はさまざま

【 ヒチヨウ 】
 本来はシチヨウで、七曜のことです。いわゆる日曜・月曜・火曜・水曜・木曜・金曜・土曜を表しています。陰陽道の基本的な 思想である五行(水・金・火・木・土)説を基盤として、これに太陽と月を加えた中国伝来の考え方で、仏教の星辰信仰とも深い かかわりがあります。かつて、日月と五星(水星・金星・火星・木星・土星)の運行を観測することは、政ばかりでなく社会を支え る重要な仕事であったのです。密教では、星曼荼羅にも七曜が描かれています。
 県内の伝承地は、秩父市・飯能市・横瀬町・名栗村で、いずれも西部の山間地域です。転訛形としてヒチヨウセイ・ヒチヨノホシ・ ヒチヨウノホシがあります。

【 キタシッチョウ 】
 この星名を初めて聞いたのは1975年のことで、名栗村(現飯能市)の最奥にある白岩の集落を訪ねたときでした。星の民俗に かかわる調査を始めてまだ間もない頃で、急な山道を登り詰めた山間の斜面に、ひっそりと佇む1軒の民家がありました。そこ で暮らす老夫婦から北斗七星の呼称として教えてもらった星名です。
 当初は、シッチョウの意味を解せずにいましたが、その後この一帯では北斗七星をヒチヨウと呼ぶことが分かり、シッチョウは シチヨウが転訛したもので、「北七曜」の意味と判断することができました。同じ七曜でも北という方角を強く意識した命名とな っており、隣接する飯能市でも記録があります。

【 ヒチジョウノホシ 】
 ナナツボシと同じように、星の数をベースとした命名と考えられます。西部地域の東秩父村で1例だけの伝承ですが、『日本星名 辞典』〔文0168〕には群馬県利根郡で「ひちじょーさま」、北甘楽郡に「ひちじょーけんさま」の記録がありました。いずれの土地 も、オリオン座三つ星をサンジョウ(サマ)などと呼んでおり、その発想を北斗七星に応用したのではないかと推察されます。今の ところサンジョウが三星の意味と解釈されているように、ヒチジョウも七星と判断してよいでしょう。
 東秩父村では、この星が北から出て北へ入ると伝承されており、北の夜空を周回する北斗七星の動きに注目していたことが分かり ます。


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か ら す 座
 カラス座は小さな星座です。4個の3等星が四辺形を描いていますが、特に目立った明るい星はありません。この星座を利用 していたのは、県内の中央付近から西側の一帯で、東側では伝承されていないようです。
 人びとが注目していたのは、四辺形を構成する星々の出現とその動きでした。埼玉県では、11月に入ると夜明け前の南東の空に 現れ、夏の夕暮れに南西の空へ没するまで、夜空のどこかでその姿を認めることができます。したがって、かつては製炭業が盛ん であった西部の山間域において、そうした時代の暮らしを支える重要な指標であったのです。

【 カワハリボシ 】
 県内で初めてこの星名に接したのは、名栗村の最奥集落である白岩でした。『日本星名辞典』には、東京都西部の秋川谷で「ム ジナノカワハリ」という報告があり、からす座の四辺形をムジナの皮を張った姿に見立てた呼称とされています。
 ムジナは実在の動物ではなく、タヌキやアナグマの別称として使われることが多く、県内や隣接する東京都西部の山間地域では、 タヌキをムジナと呼ぶことが一般的です。大滝村では、カワハリサマは動物の皮を剥いで干した時の姿をいうと伝承されています ので、この動物にはおそらくタヌキも含まれていたことでしょう。
 この星名は、炭焼き(特に白炭の生産)の生活と深いかかわりがあり、人びとは夜明けを知る手立てとして、からす座の出に注目 していました。大滝村をはじめとして、秩父市や横瀬町・名栗村などでも同様の伝承があり、また呼称の面でもさまざまな転訛形が 記録されています。特に多いのはカアハリ系の事例で、横瀬町のカアハラサマは最も転訛が進んだ事例の一つといえるでしょう。 いずれにしても、人びとはカワハリの星を見て朝食の準備をしたり、炭焼きへと出かけて行ったのです。
 さて、カワハリボシの記録は埼玉県と東京都ばかりでなく、山梨県や神奈川県の一部にも存在します。各地に共通するのは、いず れも山間の地であることと、かつては広く炭焼きが行われてきたという生業の特性です。おそらく、この星名は東京都西部域で生ま れ、製炭業の普及・拡大とともに人びとの交流を介して次第に周辺地域へ伝播したものと推測できます。

地域別にみたカワハリ系の星名分布
 星 名   秩父市   大滝村   横瀬町   名栗村   合 計 
 カワハリ    
 カワハリサマ   
 カワハリボシ       
 カアハリ  
 カアハリサマ     
 カアハリボシ       
 カアハラサマ       
(合 計) 17

【 オゼンボシ 】
 お膳といえば、かつては日常の食事で欠かせない用具の一つでしたが、今では一般家庭で使われることはほとんどなく なりました。県内では、からす座の四辺形をオゼンボシと呼ぶところが皆野町にあります。近隣では、山梨県や神奈川県 で記録されていますが、事例の少ない星名といえるでしょう。
 お膳には、脚付きのものや箱型のものなどいくつかのタイプがあり、目的によって使い分けられていたようです。上から 見ると方形で、これをからす座の4星の並びに見立てたものかと思いがちですが、おそらく高さのあるお膳を横から眺めた 構図が発想の原点ではないかと考えられます。このような見方をすると、最も相応しいのは箱膳で、食卓が一般に普及する まで庶民の暮らしに欠かせない配膳用具だったのです。

 

からす座とお膳
〈左〉オゼンボシの見方 /〈右〉明治期の箱膳

 箱膳の特徴は、内部に銘々の食器を収納できるという点で、蓋を反転させればそのまま膳として使用できました。当時は、 日々の生業に終われる農家などで、炊事にかける手間をできる限り省きたい、あるいは水を無駄にしたくないという思いが あったことでしょう。箱膳の利用は、そうした生活スタイルに適った用具の象徴として、いつしか星の呼称にまで及んで いったのです。
 からす座の利用が、朝を認識する重要な手段の一つであったことを踏まえると、その星の並びに箱膳が選択された背景が 見えてくるような気がします。

【 シカクボシ 】
 からす座の四辺形を四角形の星と見ていたのは、東秩父村でした。少し歪んだ台形が南の空をゆっくりと移動する様子は、 この星名を連想するのに相応しい光景かもしれません。夜空には、より明るい星(ペガスス座とアンドロメダ座)が描く端 正な四角形もありますが、星の利用という観点からは、広く注目されるまでには至らなかったようです。

【 ヨツボシ 】
 オリオン座のミツボシやおおぐま座のナナツボシなどと同様に、対象となる星群について特徴的な星の数をもとに表現し た星名です。県内の伝承地は、秩父市・大滝村・東秩父村・小川町・名栗村の山間域から西部の所沢市・鶴ヶ島市、さらに 中部の上尾市や鴻巣市などに及んでおり、比較的広範な分布を示しています。このうち、所沢市西部の農家では、ヨツボシ の出現を麦作における播種の時期を見定めるための指標としていました。
 同市は、かつて大麦や小麦など麦類の栽培が盛んであった地域の一つで、毎年6月頃になると多くの畑地で麦秋の景観が 広がっていました。麦を播くのは10月下旬から11月にかけての短い期間で、特に小麦の播種については11月20日のエベスコ (恵比寿講)までに播き終えるというのが、ほぼ共通した認識として伝わっていました。
 ところで、所沢市の午前4時におけるからす座の出現状況をみると、11月10日前後から20日前後にかけて東の空に姿を現 すことが分かります。このとき、同じ時刻において四辺形を構成するそれぞれの星が出現する日数差は、最初のγ星と最後 のβ星で凡そ10日間となります。そこで、人びとはこのような現象を詳しく観察し、「ヨツボシが全部上がってからでは麦 播きはもう遅い」と伝承してきたのです。まさに、先の恵比寿講を基準とした農事暦と一致した見方をしていたわけです。
 麦作においてからす座を利用した事例は、東京都奥多摩町にも伝承されており、その内容も所沢市と同じような捉え方を していました。

からす座の星の出の変化

【 ヨスマ 】
 からす座の四辺形には、星の数や見た目の形状とは異なる別な見方があります。それがこのヨスマで、横瀬町に伝承されて いたほか、飯能市ではヨツマサマと呼んでいました。冬の朝早く、この星の出を見て炭焼きへ出かけて行ったようで、からす 座の4星に間違いありません。
 ヨスマは四隅が転訛したもので、4個の星をそれぞれ方形のカドに相当するとみた表現です。つまり「四つの角をもった星」 という意味と考えられます。一方、ヨツマサマについては、四端という見方もできますが、『広辞苑』によると端は「へり、 きわ、はし」とあって、面的な広がりを感じます。
 点(角)としての集合体であるヨスマと、端で区切られた空間であるヨツマ、いずれも捨てがたい味わいのある星名です。 ただし、ヨスマからヨツマへ、あるいはヨツマからヨスマへと転訛した可能性もあり、命名の真意は分かりません。因みに、 野尻抱影氏はペガスス座の四辺形をヨツマボシ(四隅星)として紹介しています〔文0168〕。

【 ヨツメ 】
 夜空の星を生きものの眼に譬えた星名は、ふたご座の2星に多くの記録があります。2個の眼はたいへん分かり易い表現です が、ヨツメ(四つ眼)とは何を意味しているのでしょうか。この星名は、中北部の川本町で記録されたもので、県内では他に例 がなく東京都奥多摩地方に伝承されているだけです。いずれも、からす座の4個の星を眼とみているわけで、山梨県高根町(現 北杜市)のミツメはオリオン座の三つ星をやはり三つ眼と捉えています。
 東京都の事例では、「ミツボシ・ヨツメ・クヨウボシ」という具合に、暮らしに必要な星々を表現した言葉があり、山梨県で も「ミツメ・ヨツボシ・クヨウボシ」と伝承されていました。星名が一部異なるものの、オリオン座の三つ星とからす座の四辺 形、そしておうし座のプレアデス星団が各地域を代表する星々であったことがよく分かります。
 眼をもって表現された呼称の真意は、生体的な器官を示すだけでなく、おそらく「光り」や「空の孔」などのような信仰面で のかかわりも十分に意識された命名であると推測されます

【 ヨンチョウノホシ 】
 ヨンチョウというのは、星の数に由来する呼称の一つです。中北部の川本町に伝承されており、同地域でいうサンチョウノホ シ(オリオン座三つ星)に倣った見方といえるでしょう。サンチョウが三星の転訛形であるのと同様に、ヨンチョウは四星(ヨ ンショウ)が転訛したものです。これは、おおぐま座のナナチョウにも通じています。意味としてはヨツボシのことですが、周 辺の都県も含めて他に例がなく、貴重な星名となっています。


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さ そ り 座
 さそり座は、夏を代表する星座です。南の夜空で大きなSの字を確認出来たら、それがサソリの姿になります。上方で赤く輝く のは主星のアンタレスで、中国では大火などと呼ばれています。

【 オヤカツギボシ 】
 県内では唯一、さそり座の星名として記録されています。伝承されていたのは西部の横瀬町で、古い炭焼き経験者から聞きまし た。説明によると、3個の星で中央の星は大きく赤い色をしているということですから、アンタレスと両脇の2星です。
 オヤカツギというのは、文字通り「親担ぎ」の意味ですが、中央の星が子で両親を担いでいる姿とみたのでしょうか。それとも、 2人の子が中央の片親を担いでいるとみたのか、真意は分かりません。地域によっては、オヤニナイボシなどとも呼ばれ、オリオ ン座やわし座の3星にも同じような見方が伝わっていますので、注意が必要です。
 横瀬町で、オヤカツギボシがどのように利用されていたのか不明ですが、当地に伝わる星名の多くが製炭業と深いかかわりが あることを考えれば、この星もそうした生業のなかで利用されてきた可能性が高いものと思われます。

 

さそり座の3星
3星は親子の関係 /〈右〉担ぎ棒(天秤棒)


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こ と 座 ・ わ し 座
 

〈左〉こと座の星 / 〈右〉わし座の星

 こと座とわし座は、七夕伝説の星座としてよく知られています。それぞれの主星はベガとアルタイルで、さらにはくちょう座 の主星デネブを加えた夏の大三角形は、夏の夜空をより華やかに演出する主役たちです。
 県内に伝承された星名は、いずれもタナバタにまつわるもので一般的な呼称ばかりです。なお、記録された星名にはベガと アルタイルを併せた事例があるため、一つの項目としてまとめました。

【 オリヒメとケンギュウセイ 】
 オリヒメ(織姫)はこと座のベガ、ケンギュウセイ(牽牛星)はわし座のアルタイルです。ベガはいわゆる織女のことで、 アルタイルのほうは一般的に彦星として親しまれています。したがって、近世の『和爾雅』に織女/ヲリヒメ・タナハタ、牽牛 /ヒコボシ・イヌカヒとあるように、七夕行事ではオリヒメ・ヒコボシの呼称が定着しています。なお、織女や牽牛は中国伝来 の呼称です。
 天の川を隔てて対峙する両星座の物語は、日本の都市部を中心に農山漁村まで広く伝播しました。特に近世以降は、江戸の町 における七夕竹の普及とともに、五節供行事の定着化が図られる要因の一つとなったようです。ただし、県内の伝承地はいずれ も限られており、富士見市や皆野町などごく一部に過ぎません。

【 オンナボシとオトコボシ 】
 女星と男星で、やはりベガとアルタイルを呼んだものです。近世の『合類大節用集』には、織女(メタナバタ)と牽牛星 (ヲタナバタ)の記述があり、単に性別で呼び分けたというより、タナバタの季節に来訪するとされる神の存在を意識した命名 と考えられます。
 所沢市の伝承では、「8月7日には、タナバタサマ(女星と男星)がササゲ畑で逢うことになっているので、この日はササゲ を収穫してはいけない」といわれます。また、県外では長野県塩尻市に「タナバタに雨が降ると天の川が溢れて女神と男神が逢 えなくなるので、タナバタには雨を降らせたくない」という伝承がありました。
 中国伝来の星合説話は、多分に日本的な文化へと変容したことがよく分かります。

【 メオトボシ 】
 こと座のベガとわし座のアルタイルを夫婦[めおと]とみた星名です。これもタナバタ説話から生まれた呼称と考えられますが、 伝承地の三芳町では特産である狭山茶の収穫時季(5月初旬)によく聞いた星名だそうで、「メオトボシが出るようになると、よ い天気がいく日か続く」と伝承されていました。ベガが東の空に姿を見せるのは5月初旬の夜8時頃であり、翌日の夜明けにかけ て後続のアルタイルとともに天の川を挟んで夜空を華やかに飾ることになります。
 茶摘みの季節は、安定した晴天に恵まれる確率が高いようで、タナバタよりも早い時節に生業の目安とされていたことは注目さ れます。

【 タナバタノホシ 】
 文字通り「七夕の星」ですが、一般的にはベガだけをさす場合が多いようです。ただし、地域によってベガとアルタイル2星を 対象とする事例がみられます。単に七夕説話の星という意味なのか、あるいは日本在来のタナバタ行事の季節によく見られる星々 という意味なのか、真意は不明です。
 タナバタボシやタナバタサマなどとも呼ばれますが、標準的な星名の割には、実際に記録されている事例は多くありません。


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こ ぐ ま 座
 北の空にあるこぐま座で目を惹くのは、何といっても北極星でしょう。今は、地軸(地球の自転軸)の北側の中心付近にあり ますので、ほとんど動かない星のように見えます。おおぐま座の北斗七星とともに、北の方角を知る星として広く知られてきま した。多くは、漁業や航海・廻船などによる利用ですが、海のない県内でも伝承が確認されています。

【 キタヒトサマ 】
 キタは文字通り北ですが、ヒトは人ではないようです。おそらく、ヒトツが転訛した語であると考えられます。北極星は、北 天のほぼ中心に輝く2等星で、付近には特に明るい星がないため、一つ星と呼ぶところが日本各地にあります。同じ一つ星の 星名をもつ金星と呼び分けるために、キタノヒトツボシという事例もあり、北極星を代表する呼称となっています。
 そこで、キタヒトサマは本来「北一つさま」の意味であったと推察されます。伝承地である県西部の山間域において、生業や 暮らしをベースとした信仰的な要素が内包された星名です。

【 ミョウケンサマ 】
 この星名を教えてくれたのは、南西部にある狭山湖(山口貯水池)の湖底にあった旧縄竹村の元住人でした。かつて、年配者 から聞いた星名の一つで、当時は北極星のことを親しみを込めてミョウケンサマと呼んでいたそうです。
 ミョウケンというのは、いわゆる妙見信仰のことで、日本へは奈良時代の前後に中国から伝わったと考えられています。この 信仰は、本来北辰(北極星)を祀ることに意義があり、古くは民間や宮中で北辰に燃燈を献ずることが行われていました。
 密教でも、北極星を北辰妙見菩薩として信仰の対象としましたが、やはり中国から伝来した北斗信仰などと習合するうち、妙 見=北辰・北斗へと変化しました。また、平安期以降は武家による妙見崇拝が広まり、日蓮宗による布教と相俟って妙見を祀る 社寺も各地でみられるようになりました。
 埼玉県では、千葉氏の系譜に連なる平秩父氏によって秩父地方に妙見が勧請され、やがて秩父神社に合祀されて現在に至って います。旧縄竹村では、このような秩父妙見の信仰が伝わり、星名の発生へとつながったのではないかと思われます。

 

北極星と妙見
〈左〉北天の星の動き /〈右〉秩父の妙見宮(扁額)


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ペガスス座
 ペガスス座は、秋を代表する星座で、アンドロメダ座のα星とともに描く大きな四辺形は、秋の大方形としてよく知られて います。ただし、星の利用という面では全国的に伝承は少なく、県内でも宮代町に1例だけの記録となっています。

【 トマスノホシ 】
 トマスとは、計量桝の1種である一斗桝のことです。形状的には口が円形のタイプと方形のタイプがあり、さらに楕円形の 口で桶に似た斗桶と呼ばれるものなど多様です。星の配列からすれば方形タイプが最適で、夜空を仰ぐと天頂にかかる大きな 桝を眺めることになります。
 記録されたのは宮代町で、「秋にトマスノホシが出ると豊作になる」と伝承されています。農業と星の関係を示す事例として、 貴重な星名です。

   

各種の一斗桝
〈左〉把手付方形タイプ /〈中〉検定桝方形タイプ /〈右〉円筒形タイプ


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カシオペア座
 カシオペア座は、北の空にあって主要な5個の星がM形あるいはW形を描いています。北極星をはさんで北斗七星と向き合い、 共に廻る姿は壮観です。ただし、北斗七星に比べると人びとの利用度合いは低く、星名も少ない傾向にあります。
 県内では、星の数を基本とした呼称が一般的で、県西部での記録が目立ちます。

【 イツツボシ 】
 この星名は五つ星で、カシオペア座の主要な5星を端的に表現したものです。星の数による呼称といえば、県内で他に 三つ星(オリオン座)・四つ星(からす座)・六つ星(おうし座)・七つ星(おおぐま座)があり、これに五つ星のカシオペ ア座が加わることで、星名体系の一つのパターンが形成されていることが分かります。
 こうした構図は、関東地方の一部を除いてほとんど類例がなく、埼玉県の重要な星名特性となっています。

【 ゴヨウノホシ 】
 カシオペア座を構成する星のうち、特徴的な配列を示す5星をゴヨウ(五曜)に譬えた星名です。これは、七曜から日月を 除いた火曜・水曜・木曜・金曜・土曜の総称で、陰陽五行の考え方が基になっています。
 五行を星に配当すると、いわゆる木星・火星・土星・金星・水星の5星になり、これらはさらに木曜(星)・火曜(星)・ 土曜(星)・金曜(星)・水曜(星)へと連なっています。
 北斗七星との関係においては、ナナツボシ−イツツボシの対比と同じように、ヒチヨウノホシ−ゴヨウノホシが重視されて いたものと考えられます。いずれも県西部に分布する星名ですが、横瀬町ではゴヨウセイが伝承され、北斗のヒチヨウセイと ともに明確な呼び分けが行われています。


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お う し 座
 スバルが淡く光る星座といえば、分かり易いかもしれません。古い星図では、オリオンに立ち向かうような牡牛の姿が描か れており、その顔の部分にあたるV字の星群がヒアデス星団です。ここに主星のアルデバランが位置し、スバルとして有名な 星の集まりがプレアデス星団となります。
 プレアデス星団は、農山漁村を問わず全国的にも広く利用され、数多くの星名が伝承されています。その多様性は漁業にお いて特に顕著ですが、海のない埼玉県においても西部の山間域を主体として、比較的変化に富んだ星名が記録されました。日 常の暮らしや生業と深くかかわる星名などを中心として、東日本で一般的なムツラボシ(六連星)系もみられます。また、ヒ アデス星団を対象とした星名が1例だけ伝わっています。

【 ムツラボシ 】
 関東周辺地域から北日本にかけてみられる星名です。ムツラは「六連」の意味で、プレアデス星団を構成する主要な6星が 集まった様子を表現したものです。県内では川越市と小川町で記録されていますが、東部ではその転訛形とみられる星名が確 認されています。
 なお、連をツラと読む事例は地名などでも知られており、岡山県倉敷市の連島[つらじま]、長崎県対馬市の女連[うなつ ら]など各地にあるようです。

【 オムツラサマ 】
 東部の幸手市に伝わる星名で、「お六連さま」の意味です。ムツラボシから転訛した事例ではないかと考えられ、類似の星 名が茨城県や栃木県の一部地域にみられます。ただし、茨城県内で確認された六星神社の存在やオムツラサマに餅を供えると いう習俗などを考えると、星にまつわる特別な信仰から発生した可能性があります。一方、県内の場合はそうした信仰の名残 は記録されていないため、単なる転訛事例としておきます。
 なお、幸手市ではオマツルサマという星名も伝承されており、やはりプレアデス星団の呼称です。

【 ムツボシ 】
 六つ星の意味であり、ムツラボシをより単純化した星名です。これも星の数に由来する呼称として知られ、県内の分布域は 所沢市から深谷市に至る中央部で広く伝承されています。
 ところで、秩父市ではプレアデス星団を7個の星とみて、ナナツボシと呼んでいる地区があります。北斗七星の星名と同じ ですが、「すばる七つ」という見方は全国的なもので、各地に分布がみられます。

【 スイノウボシ 】
 この星名は、県西部の山間域で濃密な分布を示しています。スイノウというのは、こうした地域を中心に使用されていた柄 付きの揚げ笊の一種で、通常はエゴノキで外枠を作り、細い竹の皮を編んで笊状に加工したものです。類似の用具は、関東地 方を中心に広く利用されており、呼称も地域によりさまざまです。
 県内では、所沢市など平野部でもスイノウが使われているものの、星名としては伝承されていません。両者の分布が一致し ない理由は分かりませんが、山間域ではかつて製炭業の盛んな時代があり、そうした暮らしとスイノウを必要とした食文化の 特異性が、この星名を生み出す背景として存在したのかもしれません。

プレアデス星団とスイノウ

【 ショウギボシ 】
 スイノウボシの伝承地では、さらに別な用具をプレアデス星団の配列に見立てた事例があります。それがショウギボシで、 白炭の生産で使われる道具を夜空に描きました。ショウギは、片口あるいは丸口の箕や笊に対する古いことばで、ソウケやソ ウギ・ソウビなどと呼ばれることがあります。
 秩父地方のショウギは、いわゆる片口箕タイプのフルイのことで、窯外消火のため窯からかき出された炭にゴバイをかけ、 そこから小さく欠けた白炭などを拾い出す用具です。県内各地の呼称を比較すると、ショウギ系とフルイ系に大別され、前者 ではショウギ以外にもスミショウギを中心にスドリショウギやスミヤキショウギなどがあり、後者はスミブルイが主体です。
 ただし、ショウギボシの伝承は秩父市と小鹿野町でそれぞれ1ヵ所しかなく、用具の分布に比べるとかなり希薄です。製炭 業に特化した用具ということで、かなり古い時代に伝承力を失ったか、あるいはもともと一部の人びとや地域に限定された星 名であったと考えられます。

白炭生産用の篩に関する地域別呼称集計
 記号   呼 称   秩父郡   入間郡   比企郡   大里郡 
 ショウギ    
 スドリショウギ      
 スミショウギ      
 スミッチョウギ      
 スミヤキショウギ       
 フルイ  
 ゴズブルイ    
 スミブルイ    
 タケブルイ      
 ミノブルイ      
 スドリ      
 スミドオシ      
  (事 例 数) 23
 * ショウギ系:A〜Eの16例 /* フルイ系:F〜Jの14例 /* その他:K〜Lの2例

【 オマツボシ 】
 埼玉県西部と東京都北西部では、都県境にある峠を介した一部の地域でよく似た星名が伝承されています。埼玉県側の飯能市 ではオマツボシと呼び、東京都側(青梅市)ではコマツボシと称しています。これらはプレアデス星団のことで、コマツという のは星の集まりを松に見立てた呼称とされています。おそらく、オマツもそうした由来をもつ星名と推察されます。「御松」あ るいは「小松」などを意味する言葉かもしれません。
 この地域に自生する松はアカマツで、炭焼きなどで雑木林が伐採されるとそこに実生が芽生え、やがて幼樹が見られるように なります。里山を代表する樹木が星名と結び付いた事例は稀で、杉や檜の植林が盛んになった時代以前に発生したものと思われ ます。アカマツをめぐる二つの星名は、地域の歴史において生業や文化の共有化が図られてきたことを示唆しているようです。

【 ナナツボシ 】
 プレアデス星団を構成する主要な星々は、一般に6個と捉えられていますが、これを7個あるとみてナナツボシと呼ぶところ が秩父市浦山地区にあります。このような見方は全国各地にみられ、関東地方でも東京・茨城・栃木の各都県で記録されていま す。
 ナナツという言葉には、単なる数の表現だけでなく、縁起のよい陽数(奇数)を充てようとした思いが込められているのかも しれません。北斗七星のナナツボシと同じ呼称なので、注意が必要です。

【 ホウキボシ 】
 ホウキは箒で、基本的な掃除用具の一つです。一般には、彗星の呼称としてよく知られていますが、こちらはプレアデス星団 の星の配列を箒の姿とみた星名で、北日本から近畿地方にかけて広く分布します。
 県内では、秩父市・所沢市・入間市・小川町・大滝村で記録があり、秩父市ではこれを柄の短い座敷箒とみています。一方、 小川町の場合は三つ並んだ星(オリオン座三つ星)の先にかたまった星があるとの見方をしており、かなり柄の長い箒を想定し ていたようです。

【 クヨウセイ 】
 カシオペア座のゴヨウ(五曜)やおおぐま座のシチヨウ(七曜)に連なる九曜が原意です。これは七曜に羅ごう[らごう]と 計都[けいと]を加えたもので、密教の星曼荼羅では重要な構成要素となっています。クヨウが九曜であることは理解出来ると しても、なぜプレアデス星団の呼称となったのでしょうか。
 陰陽道では陽数(奇数)が尊ばれ、その中の最も大きな数字が9です。かつて、旧暦9月9日の重陽は9が重なる日として 最も重視されてきました。プレアデス星団の星々は、通常肉眼で6〜7個見えますが、地域によってはそれ以上の星が集まって いると伝えています。したがって、このような見方が陽数の最大値によって意味づけられたとしても違和感はないでしょう。
 9が九曜と結び付いたのは、信仰上の理由ばかりではありません。野尻抱影氏が指摘するように、家紋に現れた意匠などから も影響を受けているのではないかと考えられます〔文0168〕。主要な九曜紋に関しては、いずれも星の集まりを連想させる存在 として、人びとの暮らしに深くかかわっていたことでしょう。
 一般的にはクヨウボシと呼ばれますが、県内の伝承は川本町のクヨウセイが1例だけです。

【 ロクチョウボシ 】
 県東部の一部地域で伝承された星名です。星の数を基準とした一連の星名系に連なるもので、チョウは「星(ショウ)」を意味 しています。他にサンチョウ(オリオン座)・ヨンチョウノホシ(からす座)・ナナチョウ(おおぐま座)などがあり、ロクチョウ (六星)は、プレアデス星団を6個の星として捉えている点が命名の源です。

【 クロケシ 】
 この星名は、名栗村の炭焼き経験者から記録しました。プレアデス星団の呼び名として教えてくれたもので、クロケシというのは 黒炭のことです。同様に白炭はシロケシと呼ばれます。
 では、プレアデス星団と黒炭の間にどのような関連があるのでしょうか。聞きとりの内容を整理すると、黒炭を生産する際にクド (窯の煙出し)から出る煙の色の変化が重要なポイントであることが分かりました。黒炭では、窯内消火といって焼けた炭をその ままにして火を止めますが、そのタイミングを見極めるのが煙の青い色なのです。つまり、この色を夜空のプレアデス星団の青白い 輝きに譬えたのではないかと推察されます。白炭を含め、製炭業が盛んであった地域ならではの発想といえそうです。

 

クロケシは煙の色
〈左〉炭焼きの煙 /〈右〉プレアデス星団

【 ツリガネボシ 】
 県内では、ヒアデス星団に対する唯一の星名です。この星団は、夜空で見える位置によって「>」形や「V」形に変化しますが、 これを釣り鐘の姿とみたのがツリガネボシの由来となっています。釣り鐘は、寺院の梵鐘から火の見櫓の半鐘まで、その名の通り 「∩」の形が本来の姿ですが、残念ながら夜空のツリガネはそのように眺めることができません。
 県内でこの星名を伝承しているのは名栗村の1例だけですが、隣接する東京都の山間域にも記録があります。


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オリオン座 
 冬の夜空を代表する星座で、その心地よい響きは、星に興味のない人でも何度か耳にしたことがあるでしょう。古い星図 に猟師として描かれた雄姿もさることながら、さまざまな1等星で賑わう星座群においても、やはり格別な存在といえます。 特に、ベルトにあたる3個の2等星は、三つ星という呼称が全国的な標準和名として定着するほど、生業の種類を問わず広 く利用されてきました。
 オリオン座で日本の星名の対象となる星(群)は、主として以下のように分類されます。
 @ 三つ星あるいは小三つ星単体
 A 三つ星と小三つ星を合わせた6星
 B Aの6星にさらにη星を加えた星の配列
 C その他の星
 県内の記録をみると、@の見方が圧倒的に多く、ほかにはBが一例あるだけです。埼玉県の歴史や生業の主体が農業である という特性を考えれば、星の見方やその利用形態に大きな変化がみられないのは当然のことかもしれません。比較的変化に富 んだ星名をもつおうし座との違いは、製炭業における利用の有無が影響しているものと思われます。
 ただし、オリオン座の場合は、代表的な星名系に地域特有の転訛形が多く確認されており、表現の多様性が認められます。

※ 県内の記録を集計した 埼玉県の三つ星呼称 を参照する

【 ミツボシ 】
 これほど単純明快で、親しみやすい星名はないでしょう。オリオン座以外でも、わし座のアルタイルを含む3星やさそり座 のアンタレスを中心とした3星を同じようにミツボシと呼ぶことはありますが、均整のとれた3連の配列は季節や出没の具合、 夜空での動きなど、どれをとってもオリオン座に勝る指標はみあたりません。
 県内におけるミツボシの分布は、入間郡と秩父郡を中心としてほぼ全域に及んでおり、しかもより年齢の若い人たちに伝承 が広がっている傾向を示しています。『埼玉県方言辞典』〔文0408〕のデータにみられるように、本来は県南西部の主要な星名 でしたが、その後東部地域のサンチョウ系や北部地域のサンジョウ系が消失する過程において、次第にミツボシ系への置換が 進んだものと推察されます。これは、本県ばかりでなく全国的にみられる現象です。
 なお、西部の山間域には、ミツボシサマと呼ぶ事例が広く分布しています。

【 ミツラボシ 】
 ミツラは、文字通り三連星を意味し、オリオン座の三つ星をありのままに表現した星名といえるでしょう。東日本では、おう し座のプレアデス星団をムツラボシ(六連星)と呼びますが、それと同じ発想です。
 ただし、伝承地は県北東端に位置する北川辺町の1例だけです。

【 サンジョウサマ 】
 県内では、大里郡・比企郡西部・児玉郡、それに秩父郡の一部で顕著な分布を示しています。さらに、利根川をはさんで群馬 県や福島県の一部にも広がっており、北関東の西部では三つ星を代表する星名です。
 サンジョウは「三星」の意味で、明星と同じ捉え方で命名されています。近世初期の『易林本節用集』には「七星(シッシ ャウ)」とあり、『訓蒙図彙』にも「星(せい・しゃう)」と記されるなど、当時は一般的な字音仮名遣として用いられたよう です。また、この星名にはいくつかの転訛形があり、サンジョサマ(児玉郡や大里郡)をはじめ、サンジョウボシ・サンジョウ ノホシ・サンジョボシ・サンジョノホシ(いずれも大里郡)が記録されています。

【 サンチョウボシ 】
 ミツボシ系やサンジョウ系とともに、県内の三つ星呼称を代表する星名系の一つです。東部の北埼玉郡・北足立郡・南埼玉郡・ 北葛飾郡に分布し、大里郡の一部を除いてサンジョウ系と明確な対比を示しています(分布図参照)。県外においても、利根川 を介して群馬県や栃木県の一部、さらに茨城県から千葉県にかけて広く分布し、サンジョウ系とはやはり一線を画した棲み分け を確認することができます。
 近世のことばを解説した『物類称呼』〔文0198〕に「三ちゃうの星」と記述され、東国(この場合は関東地方が主体)におけ る三つ星の代表的な呼称となっています。これまでは、一般的な解釈として「三丁」の意味ではないかと考えられてきましたが、 助数詞としての丁の使い方を考慮すると適切とはいえません。丁は本来偶数を示す語であり、仮に三丁の星であれば6個の星を 表現していることになります。また、『物類称呼』の記載内容をみると、「ちゃう」という語は何らかの転訛形であることが分 かります。
 県内では同じ発想と思われる星名として、イッチョウボシ(金星)やヨンチョウノホシ(からす座)・ロクチョウボシ(おう し座)・ナナチョウ(おおぐま座)が記録されており、数の違いはあるもののチョウの意味はどれも同じと捉えてよいでしょう。 さらに、ミョウチョウボシ(金星)の事例からは、明星をミョウチョウと呼ぶことで「星(ショウ)」からの転訛を示している と認められるのです。基本的にサンジョウ系と同じ「三星」を原意とし、転訛の多様性や三つ星と小三つ星の呼び分けなど、互 いに共通項が多いのも注目される事象といえます。
 サンチョウ系での転訛事例は、サンチョウをはじめサンチョウボシ・サンチョウサマ・サンチョウノホシなどがあり、地域に かかわりなく分布しています。

県内の主な三つ星呼称分布

【 ジョウトウヘイノホシ 】
 星名の由来は「上等兵」で、その徽章が3個の星であったことから発想されたようです。戦争を繰り返した時代の世相が反 映された星名は僅かですが、この呼称は全国に点々と記録があります。おそらく、戦地を含めたそれぞれの地で実にさまざま な想いが交錯しながら伝承されてきたことでしょう。
 県内の記録は比企郡の1例のみで、子どもの頃に使っていた星名とされています。果たして、戦時下の子どもたちによる 発想なのか、それとも大人社会の呼称がそのまま子どもたちへ伝播した結果なのでしょうか。いずれにしても、戦前から戦中・ 戦後と生き抜いた人たちにとっては、過去の辛い想いに直結する星名であることに変わりはありません。

【 オオサンチョウ 】
 この星名は「大三星」で、大きなサンチョウボシという意味です。いうまでもなく三つ星の呼称で、わざわざ「大」の字を 付したのは、類似する小さな3星との呼び分けが必要となったからにほかなりません。ここでいう小さなサンチョウボシとは、 三つ星の近くにある小三つ星のことをさしています。
 東部の幸手市だけにみられる事例で、隣接する群馬県にはオオサンジョとコサンジョが伝わっています〔『日本の星名事典』 文0310〕。

【 コサンチョウ 】
 オオサンチョウ(三つ星)に対比する星名として生まれました。意味は「小三星」であり、標準的な星名が小三つ星なので、 文字通りの呼称といえます。
 伝承地の幸手市では、「チョウ」の付く星名が多いという特徴がありますが、そうした土壌から生まれた一対の星名として 貴重な存在です。

【 ヨコサンジョウ 】
 コサンチョウと同様に、小三つ星の呼称として記録されています。伝承地は秩父郡東秩父村で、三つ星をサンジョウサマと 呼んでいる地域です。
 ヨコというのは横のことで、つまり「横になっている三つ星」という意味になります。これは、東の空に現れるときの三つ 星との位置関係を示したものです。三つ星がほぼ縦一文字に昇ってくるのに対し、小三つ星は斜め横向きになって昇ることから、 その状態をヨコと表現したようです。

【 カンムリボシ 】
 この星名は、ことばの響きばかりでなく、発想の由来や歴史的および信仰的な背景に至るまで、さまざまな要素が一体とな って解明されためずらしい事例です。しかも、埼玉県だけに伝承されているという点において、たいへん貴重な記録でもあり ます。
 出会いは、1997年の春でした。所沢市北野地区を訪ねた折、70代の農家の女性から聞きとりをする機会があり、これが多く の人にその存在を知らしめるきっかけとなったのです。話を聞いた女性は入間市金子の出身で、実家の近くにある新久の観音 さまでは、毎年12月10日と翌年1月10日に朝祭(あさまち)があり、両日ともお参りすればご利益があるといわれてきました。
 カンムリボシの話を母親から教えてもらったのは10歳(昭和12年)の頃で、ちょうど朝祭のときでした。西空に大きく傾 いたオリオン座のミツボシサマは横並びとなり、その左右には八の字形に連なる星が見えます。この様子が、観音さまの頭上 にある冠に似ていることから、カンムリボシと呼ぶようになりました。何ともすばらしい話で、長い歴史をもつ観音信仰が いつの頃か星の名として姿を変え、親から子へと引き継がれてきたのです。
 ところで、カンムリとはいったい何を指しているのでしょうか。おそらく、観音菩薩が頭上に戴く宝冠と宝髻[ほうけい] のことであろうと思われます。すると、三つ星の辺りを宝髻台としてその上部が宝冠となり、小三つ星およびη星に連なる ラインが宝髻となりそうです。当初は、η星からさらに延長してエリダヌス座α星まで想定してみましたが、これでは宝髻が 長過ぎるようです。
 新久の観音さまというのは、武蔵野三十三観音霊場の一つで、第二十番龍円寺のことです。本堂(本尊は虚空蔵菩薩)とは 別に観音堂があり、千手観音が祀られています。朝祭は、今でも朝観音と称して継続していますが、参拝者はだいぶ少なくな りました。12月上旬の朝4時から5時といえば、観音堂の上にオリオンがかかり、三つ星は横並びの姿です。信心深い参拝者 であれば、そこに観音の姿を見出すことは容易で、誰が言うともなくカンムリボシの呼称が生まれ、次第に定着していったの ではないかと推察されます。
 残念ながら、龍円寺周辺で行った聞きとり調査では、この星名は確認できませんでした。誕生の時代も特定されていません が、少なくとも観音信仰という地域の絆によって生み出されたことだけは確かです。

 

カンムリボシの見方
〈左〉オリオン座と観音菩薩 /〈右〉龍円寺のカンムリボシ


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金 星 
 金星は、太陽系内で地球の内側、つまり太陽により近いところを廻っています。したがって、地球から見ると太陽から大きく 離れることがないため、特徴のある動きがみられます。たとえば、夕暮れの西空高く真っ先に輝く星は、太陽の東側で最も離れ た頃の姿であり、いわゆる一番星と呼ばれる宵の明星にほかなりません。また、夜明け前の東の空高く昇ってくる大きな星は、 太陽の西側にあって最も離れた頃の金星(あけの明星)です。
 このように、一定の周期をもって異なる景観を演出する惑星ですが、最大の特徴は他の星の追随を許さない強い輝きにありま す。いつ、どのような場所にいても、常に人びとの目を惹き付ける存在であったのです。
 金星には実に多くの星名があり、基本形は明け方と夕刻の呼び分けによって構成されています。さらに、双方のそれぞれに特 有の見方などが加わり、総体として多様性に富んだ星名体系であることが分かります。

 

姿を変える金星
〈左〉夜明けの明星(右上の星)/〈右〉宵の明星(左側の星)

《 明け方の金星 》

【 アケガタノミョウジョウ 】
 明け方に出る金星(明星)の意味です。『広辞苑』によれば、「夜が明けようとする頃。夜明け方」とありますので、単なる 夜明けの意味ではなく、夜明けを迎えるある限られた時間帯を指していることになります。
 県内の伝承地は3ヵ所で、岩槻市・伊奈町・小川町に記録があります。

【 アケボシ 】
 一般的にはアケノホシ(明けの星)と呼ばれますが、さらに簡略化して明け星になったものと思われます。ユウボシ(夕星) と対をなす呼称で、ここでも呼び分けの基本が貫かれているようです。
 この星名を伝承していたのは、西部の飯能市と東秩父村、東部の庄和町の3ヵ所となっています。

【 アケノミョウジョウ・ヨアケノミョウジョウ 】
 東天に輝く金星の代名詞ともいえる星名で、県内のほぼ全域に伝承されています。アケもヨアケも呼び方が異なるだけで、基 本的には同じ星名です。また、ミョウジョウに関しては転訛形が多く、多様性豊かな星名群が形成されています。
 転訛の基本は、ミョウジョウがミョウゾウあるいはミョウドウなどに変化するもので、ごく一部の地域ではミョウボウ(ニョ ウボウ)という特殊な事例もみられます。

【 アケノミョウジン 】
 ミョウジンは、明神のことと考えられます。明星を神格化した星名といえるでしょう。夜明け前の東天で、他の星を圧倒する 輝きに神々しさを感じることは、ごく自然な見方かもしれません。
 県内では4ヵ所(加須市・越谷市・松伏町・吉川町)で記録がありますが、すべて東部地域に限られています。

【 トビアガリ 】
 比企郡滑川町には、「明け方山の上にトビアガリが出たら夜が明ける」という伝承があります。トビアガリは金星のことで、 飛び上がるように出る星という意味です。農山漁村のそれぞれにおいて、夜明け前に忽然と現れる様子は、まさに飛び上がる 星そのものです。
 大里郡寄居町ではトンビアガリと呼んでいますが、この星は天神山の南側から昇ってくるとされ、主に時刻を知る目安として いたようです。時計がなかった時代には、滑川町と同様に「トンビアガリが出たから、もう夜が明ける」といって朝食の支度に とりかかったと伝えていました。
 いずれも、この星がもつ特別な輝きと夜明け時の動きが、命名の原点になっていることは間違いないでしょう。

【 ヨアケノヒトツボシ 】
 ヒトツボシは文字通り一つ星の意味で、金星や北極星などに対する呼称として知られています。これにヨアケが付加されるこ とにより、金星固有の星名であると理解できます。次第に白みゆく東天にあって最後まで光を放ち、その存在感を主張する姿は、 孤高の星そのものです。
 県内唯一の伝承地である秩父郡両神村では、「星のめぐりのなかで、いちばん明るい星」と伝えられています。

《 夕暮れの金星 》

【 クレノミョウジョウ・ヒグレノミョウジョウ 】
 クレは「暮」のことで、日暮れや夕暮れなどと同じ意味をもっています。『広辞苑』では、「日が入ろうとしてあたりの暗く なる時」と説明していますので、いわゆる「宵」よりも早い時間帯をさしているようです。こうした状況から推察すると、広く 一番星として認知された金星に焦点をあてた命名かもしれません。
 この系列は、秩父・比企・入間のほぼ各郡で伝承されており、転訛形も多様です。これまでに、クレノミョウゾウ・クレノミ ョウゾウサマ・ヒグレノミョウゾウ・ヒグレノミョウゾウサマ・ヒグレノミョウドウサマなどが記録されています。

【 クレノミョウジン 】
 暮の明神の意味で、アケノミョウジンと同様に夕空の金星を神格化した星名といえます。この場合も、真っ先に輝き始める 姿に神々しさを感じたのかもしれません。北葛飾郡で1例だけ確認されています。

【 ヨイノミョウジョウ 】
 夕空の金星に対する全国的な標準和名です。夜明け(あるいは明け)との呼び分けによって、金星がもっている二面性をよく 表現しています。『広辞苑』によると、宵の定義は「日が暮れてからまだ間もない時。またゆうべと夜中の間」とあります。 これは、日暮れのあとに訪れる時間帯ということになり、西の空が次第に黒さを増していく状態ではないかと想定されます。
 つまり、一番星である金星に続いて、明るい恒星が1個、2個と見分けられる光景が相応しいようです。何気なく使われて きたヨイノミョウジョウという星名ですが、そこには刻々と移りゆく夕空の描写がみられ、自然の機微を実感できます。
 転訛形としては、ヨイノミョウジョウサマやヨイノミョウゾウがあり、これらを含めて県内の分布はほぼ全域に及んでいます。

【 ヨイノミョウジン 】
 宵の時間帯に現れる金星を明神と呼び、信仰の対象とした星名の一つです。おそらく、ミョウジンの系列は他の事例も含め て、ミョウジョウ系とかかわりなく独自に生まれた呼称ではないかと考えられます。
 県内の伝承地は加須市・越谷市・松伏町の3ヵ所で、いずれも東部地域に分布します。

【 ユウノミョウジョウ 】
 ユウは、夕暮れや夕方などと同じ意味をもち、暮から宵の時間帯を併せたようなイメージではないかと思われます。日常的な 用語としては夕暮れが一般的なので、ユウノ〜という呼び方は特別な用法といえるでしょう。
 県内の伝承地は、坂戸市の1例だけです。

【 ユウヒノミョウジョウ 】
 心地よい響きをもつ星名ですが、夕日の明星とはいったいどのような意味でしょうか。おそらく、夕暮れの状況を夕日に置換 えて表現したものと考えられます。
 県内の事例は1ヵ所のみで、秩父郡横瀬町に伝承されています。

【 ユウボシ 】
 夕星とは、何と味わい深い星名でしょう。夕空の星を代表する呼称として、最も相応しい気がします。金星の存在感を間接的 に表現しているようで、夜明け前なら朝星と呼んでみたくなるような感覚です。
 ただし、伝承地は1ヵ所のみで、秩父郡東秩父村に記録があります。

【 ヨイノヒトツボシ 】
 文字通り、宵の時間帯に1個だけ光る星という意味です。その情景を思い浮かべるだけで、金星の明るさを改めて実感させて くれる星名といえます。
 伝承地の秩父郡両神村では、ヨアケノヒトツボシとともに呼び分けていることが分かります。

《 その他の星名 》

【 イッチョウボシ 】
 星の数に由来する呼称の一つで、サンチョウボシ(オリオン座三つ星)をはじめとする系列に連なる星名です。イッチョウは 「一星(ショウ)」が転訛したもので、いわゆるヒトツボシの意味と理解することができます。伝承地は幸手市だけですが、同 地域の星名体系は、ほぼ「チョウ」を基本として展開されており、特徴的な伝承事例となっています。

【 ヒトツボシ 】
 地域によっては、こぐま座の北極星をさす場合がありますが、県内の事例はすべて金星をヒトツボシと呼んでいます。夜明け には、白みゆく空に最後まで輝きを失わない星として、また暮れゆく西空においては真っ先に輝きはじめる星を象徴する命名で あり、いずれの姿も深い味わいがあります。
 伝承地は所沢市・小川町・岡部町の3ヵ所で、所沢市の場合は単にヒトツと呼んでいます。

【 ミョウジョウ 】
 夜明けと夕暮れの金星を呼び分けることなく、単に明星と呼ぶ事例は全国各地にみられます。県内では6ヵ所で記録があり、 転訛形としてミョウジョウサマ・ミョウゾウサマ・ミョウドウボシ・ミョウチョウボシが記録されています。最後の事例は、 「星(ショウ)」がチョウへと転訛したもので、特異な存在といえるでしょう。


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木 星
 金星には及ばないものの、木星の輝きも人びとに注目されてきました。ただし、夜空での動きが把握しにくい上に、金星と 接近してみられる機会もあるなど、特別な存在といえる対象ではなかったようです。
 多くの人が注目したのは、基本的に金星が姿をみせない夜中に、空高く輝く大きな星のイメージでした。こうした想いが、 命名の基盤となっているのです。

【 ヨナカノミョウジョウ 】
 県内では、木星の星名として唯一記録されました。ヨナカは夜中のことで、文字通り夜更けを意味します。金星が見られな い時間帯であり、夜中でも金星のように明るく輝く星があることを強く意識した発想となっています。
 伝承地は、飯能市・名栗村(2地点)・小鹿野町・東秩父村の5ヵ所で、転訛形としてヨナカノミョウゾウがあります。


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流 星
 昔も今も変わらぬ身近な天文現象ですが、県内における流れ星の伝承は、どちらかというと希薄です。調査のなかでナガ レボシの名はよく耳にしましたが、あくまでも一般的な知識としての範囲であり、伝承を伴うものではありません。記録さ れた呼称も数例に止まっています。

【 ヨバイボシ 】
 清少納言の『枕草子』に「星はすばる ひこぼし ゆふづつ よばひ星 すこしをかし・・・・・・」と記された星のことです。 その基とされる『倭名類聚抄』では「和名与八比保之」と記され、近世に至る多くの古典資料にもヨハヒホシあるいはヨバ ヒホシとして取り上げられています。また、『広辞苑』ではヨバイを婚とし、求婚することを第一義に解説しており、一般 的な古語辞典でも婚ひは「呼ばふ」から出た語との記述がみられます。
 このように、古い時代の呼称が日本の広範な地域で伝承されてきたのは、すばるやひこぼしとともに特別な存在であった ことを示唆しているようです。流れ星は、夜空をさっと流れて消えてしまうのが通例で、こうした儚さがヨバイを連想させ たのかもしれません。
 県内では、西部の秩父市・日高市・横瀬町・名栗村で記録され、日高市の場合はヨベエボシと転訛しています。

【 トビボシ 】
 流れ星を単に「飛び星」と表現した星名で、いたって素朴な発想から生まれています。流星の出現に関する古記録をみる と、事例は少ないものの「飛もの」という表現がみられ、古い時代からの発想であることが分かります。
 伝承地である秩父市の浦山地区では、「今夜はトビボシが出た」などと言っていたそうですが、特別な言い伝えなどは記 録されていません。


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彗 星

コホーテク彗星(1974年・所沢市)

 流星と同じように、非日常的な存在を代表する星といえるでしょう。古くから記録があり、その出現は国家の政にかかわる 一大事として捉えられ、初期の古典資料にも多くの出現記録を見出すことができます。
 ハレー彗星は、周期的に回帰する大彗星としてよく知られていますが、県内では伝承者の年代構成の関係などから、この彗 星にまつわる話と推察される事例を多く記録しています。

【 ホウキボシ 】
 箒星のことで、ほぼ全国的に伝承された星名です。箒の古語はハハキで、平安期の『和名類聚抄』にも「和名八々木保之」 として記載され、その形が箒のようだと説明されています。
 県内ではほぼ全域で記録があり、子どもの頃に大きなホウキボシを見たという証言やそれを伝え聞いた話が各地に伝わって います。これは、おそらく1910年(明治43)に回帰したハレー彗星のことをさしているものと思われます。この時代、地球が 彗星の尾の中を通過するということで、世界的な混乱を招いた経緯がありました。
 大彗星の出現が不吉な予兆であるという先入観は古くから存在したようですが、1910年の騒動を契機として、ホウキボシの 呼称とともに民衆の間にも広く流布したものと考えられます。

【 タケボウキボシ 】
 屋外で使用する箒といえば、やはり竹箒がその代表格です。直径3〜4cmの竹の棒を芯にして、一方に細い竹の枝を束ねた もので、現在も各地で使われています。全体の形状が尾をひいた彗星の姿によく似ており、成る程と思わせる命名です。
 伝承地は、南西部に位置する三芳町の1ヵ所のみで、全国的にも類例がなく貴重な記録といえるでしょう。


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不特定の星

月の剣先に現れたチカボシ

 星名としては容易に理解できても、該当する星を特定できない場合があります。そうした現象の一つが、明るい星と月の 接近です。特に金星や木星・火星などの明るい惑星は月と接近する機会が多く、なかでも金星の場合は夕暮れ時や夜明け前 に一際大きな輝きを放ち、人目につきやすいという特徴がみられます。したがって、実質的には金星と月の接近が主要なパ ターンであると考えてよいでしょう。
 県内の伝承地は県西部に集中し、呼称には多様性が認められます。

【 チカボシ 】
 最も一般的な星名で、月に近い星という意味からチカボシと呼ばれています。月と明るい星の接近は、非日常的な現象の最 たるもので、彗星と同じように不吉な予兆とみなされてきました。具体的には、天候の変化や火災の発生・人の死など、暮ら しのなかの身近な部分に大きな影響を及ぼすものと捉えられていたのです。
 このような現象に関する俗信は、チカボシも含めて日本の各地に伝承されていますが、県内の記録は飯能市と小川町の2ヵ 所です。

【 ソエボシ 】
 星を月の添えものとみて「添え星」と呼びました。場合によっては、供えるなどの意味があったかもしれません。この星 名は、秩父市と両神村の2ヵ所で記録されています。

【 ツキボシ 】
 ツキの意味は、いくつか考えられます。まずは、月そのものを示す「月星」ということばです。特に違和感はないものの、 他の命名が現象そのものを説明していることを考慮すると、何か物足りなさを感じます。そこで、現象面の捉え方として月 に星が付いている状態を考えてみました。つまり「付き星」という見方です。「近い」や「添える」などの事例からみても、 「付く」という発想が適当と思われます。
 県内の伝承地は、秩父市をはじめ飯能市・東松山市・横瀬町・名栗村・大滝村・東秩父村の7ヵ所で、最も多い記録とな っています。

【 ツキソイボシ 】
 ツキボシに準ずる見方で、より人間的な発想が感じられます。星が月にやさしく寄り添っているとみて、「付き添い星」 と名付けたようです。
 秩父市の浦山地区で記録されています。

【 ツレボシ 】
 月が星を引き連れているとみたのでしょうか。あるいは、両者が連れ立って夜空を移動していくと考えたのかもしれませ ん。ただし、命名の柔軟さとは裏腹に、現象そのものは災いを生ずる源と捉えられていたのです。
 県内の伝承地は、飯能市・大滝村・荒川村の3ヵ所です。

【 ショイボシ 】
 ショイというのは、ショイカゴやショイバシゴなどのように、何かを背負うという意味です。したがって、ショイボシは 月が星を背負っている姿に見立てた星名であることが分かります。
 小鹿野町(2ヵ所)と両神村で記録があり、小鹿野町ではショイボシサマとも呼ばれています。

【 クソボシ 】
 入間郡三芳町に伝わる星名で、月の周りにたくさん出る星のこととされています。また「クソボシが出ると雨が3日続く」 との俚諺もあり、何か特別な状況のもとで現れる星々のようですが、詳しいことは分かりません。クソの意味についても不 明です。


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