『歴史評論』2011年4月号(第732) 定価 860円

時代の奔流と向かい合って生きた歴史家たち

 現代は羅針盤を失った舟が嵐の中を彷徨っているような時代です。何時の頃からか歴史学も同様の危機に陥っています。新自由主義の悪しき成果主義を受けて、歴史学が商品のごとく貫目(論文・著書の数)で売られる時代となり、そうした潮流に抗えない事態が慢性化しています。かつて時代の嵐の中で少数ではあってもそれに抗して烈々とした光を放った学問がありました。職を失っても、誤解を受けても、今書かねばならないことだけを必死に認めた時代がありました。
 実証主義的研究ゆえに、帝国大学教授の職を追われた久米邦武。侵略戦争に邁進する日本の愚挙を警告しつづけた在米比較法制史家朝河貫一。皇国史観に独自のスタイルで対抗した西岡虎之助。歴史学と転向という問題を考えさせずにはおかない清水三男。戦後「国民的歴史学運動」を主唱した石母田正とその運動に翻弄された網野善彦。
 その誰もが、「全き善意や惜しみなき献身が裏目に出る不幸な時代」(高橋昌明)に生きながらも、時代の矛盾に果敢に立ち向かい、結果として予期せぬ事態をまま招くことがあったとしても、それに背を向けることなく自己の学問に忠実であろうとして生きた歴史学徒たちでした。彼等の困難な経験から私たちは今、何を学び取ることができるでしょうか。本特集が時代との緊張の感覚にかげりが見えていると思われる現在の歴史学にとって大きな糧となることを願ってやみません。(編集委員会)
   *    特集にあたって 編集委員会
 論  説   久米邦武事件  ―黎明期史学の受難― 竹内 光浩
 論  説   朝河貫一と比較封建制論 序説  ―個人資料に基づく史学史研究の試み― 佐藤 雄基
 論  説   西岡虎之助と『新日本史叢書』 今井  修
 論  説   清水三男の学問  ―戦時下の歴史研究と「国家・国民」への思い― 久野 修義
 論  説   石母田正の一九五〇年代 高橋 昌明
 論  説   網野善彦の転換 盛本 昌広
 投  稿   近世「壱人両名」考  ―身分・職分の分離と二重身分― 尾脇 秀和
 文化の窓  『月刊 歴史』「ワタリ歩ク庄園」のことなど  ―現場に立って考えるA― (連載) 木村 茂光
 書  評  古市晃著『日本古代王権の支配論理』 河内 春人
  

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