10 大石田〜天童〜山寺 大石田〜新庄
・平成13年7月20日(金) 大石田〜村山〜天童
山形新幹線に乗る。東北新幹線を引っ張り、最大速度275キロの速度で運行する。福島駅で切り離し、奥羽本線の線路に入り、最大速度130キロに速度を落とす。
住宅街を過ぎて、両側に広がる果樹園の間を走る。右へ曲がり、標高755mの板谷(いたや)峠を越えるため1、000m進む間に38mの高さを増す38パーミルの急勾配の坂を登る。奥羽本線の電車は、平成2年までスィッチバック方式で登っていた。
杉林の中を力強く登る。木立の間から、遥か遠くに広がる緑豊かな田畑が見える。杉林が終わり視界が開ける。右手に鉢森山(1,003m)が聳えている。左手に長根沢の渓谷が見えてくる。奥羽本線の板谷、峠、大沢の各駅に、豪雪からレールを守るために建てられているスノーシェットの中を走り抜ける。
萩原朔太郎(1886〜1942)が大正14年に発表した詩集『純情小曲集』の中の「旅上」を思い出す。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月(さつき)の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
大石田駅で降りる。駅の構内にあるそば屋「ふうりゅう」に入る。
天ぷら板そばを注文する。先にお茶と、そばを揚げたものが小皿に入って出てくる。「かりんとう」のようなものである。
天ぷらは揚げたて、そばは長方形の浅い箱に入っている。説明書に「10割そば」と書いてある。小麦粉、やまいも、卵等のつなぎを使わないそば粉100%のそばである。そば本来の味がわかる。
天ぷら板そば
6月に歩いた国道347号線の同じ道を逆に歩く。2キロ程歩き国道13号線へ入り、右へ曲がる。ここからほぼ真っ直ぐに南下することになる。
1キロ程歩き村山市へ入る。3キロ程歩き、土生田で国道13号線と別れ旧道の羽州街道を歩く。美しい緑の稲田が両側に広がる。
まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
本飯田、楯岡を通り、10キロ程歩いて東根市へ入る。
1キロ程歩く。東根温泉の旅館やホテルが見えてくる。温泉街の入り口にある公衆浴場「巽の湯」へ入る。公衆浴場だが温泉である。中は明るく、広い。ナトリウム・塩化物のお湯は茶褐色で熱い。暑い中を歩いて汗をかいていたので熱い湯がかえってさっぱりする。待合室でしばらく休んでまた歩き出す。
六田、神町(じんまち)を通り、8キロ程歩いて天童市へ入る。「芭蕉が歩いた道」と記された表示が立っている。
5キロ程歩き、天童駅前の予約していた天童セントラルホテルの前へ出る。チェックインする。
天童温泉の共同湯「ふれあい荘」へ行く。ホテルや旅館が並ぶ温泉街を20分程歩いた所にある。硫酸塩泉のお湯は無色透明である。熱いのでゆっくり入る。待合室で休んでホテルに戻る
ホテルで夕食を摂る。一切れだが大きなスイカがついていた。甘くておいしい。尾花沢のスイカだろうか。
・同年7月21日(土) 天童〜山寺
ホテルを出て、ホテルの前の道を昨日と同じように南へ向かって歩く。1キロ程歩いて旧東村山郡役所(現・旧東村山郡役所資料館)に着く。
旧東村山郡役所は、明治12年建築、塔屋とバルコニーを持つ木造2階建。県の有形文化財に指定されている。玄関ポーチの上部、2階バルコニーの上部の雲形の飾り、バルコニーの手すりの擬宝珠等和風の意匠が見られる擬洋風建築である。内部の造りは質素である。
昭和61年、解体復元工事を行い、塔屋を設け創建当時の姿を復活させた。外壁の下見板張りはなくなった。
500m程歩く。右に、地酒「出羽桜」の醸造元である出羽桜酒造が運営する出羽桜美術館が建っている。蔵を展示室として利用しているようである。
美術館の前を通る。十字路を越え左へ曲がる。ここから山寺街道が始まる。
緩やかな坂が続く。気温が上がっている。両側の側溝を流れる農業用水の水音が涼しさを感じさせてくれる。3キロ程歩く。両側に果樹園が広がる。直売店もあり、ぶどう、イチゴ、リンゴ、サクランボの看板が出ている。
3キロ程歩き地蔵堂の集落を過ぎ、更に2キロ程歩き立谷川(たちやがわ)に架かる橋を渡る。山寺に登るのは8月を予定しているので仙山線の山寺駅へ行く。
山寺駅の駅舎は、寺社を模した造りになっている。
山寺駅
駅から山寺を見る。宝珠山(ほうじゅさん)の断崖絶壁の巌を樹木が覆い、堂宇が見え隠れしている。左の岩が「天華岩」、その右下の岩が「香の岩」と名付けられている。岩からせり出して建てられているのが「五大堂」で、柱で支えられている。右は「開山堂(かいざんどう)」である。
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天華岩と香の岩 | 五大堂と開山堂 |
仙山線は高い場所を走っているので、階段を上がってホームへ行く。ベンチに座って、宝珠山を見ながら山形行きの電車を待っていると、山から涼しい風が吹いてくる。
山形駅前の予約していたホテルに泊まる。
・同年7月22日(日) 山形
山形市内の近代建築を訪ねる。
ホテルを出て40分程歩く。旧山形師範学校(現・県立博物館教育資料館)に着く。明治34年建築、塔屋付きの木造2階建て。昭和48年、国重要文化財の指定を受けている。
塔屋の左右に設けられたドーマ(屋根窓)、2階正面上部の半円形のぺディメント(破風)のいずれも曲線を多用し、建物に優雅な印象を与えている。
山形県東田川郡黄金村(現在の鶴岡市)出身の藤沢周平(1927〜1997)は、昭和21年から3年間この学校で学んだ。
休館日だったため内部は見学できなかった。
20分程歩く。旧山形県庁舎(現・山形県郷土館)の壮麗な建物の前に出る。隣接するレンガ造の建物は、旧県会議事堂である。
旧山形県庁舎、旧県会議事堂は、大正5年6月建築、いずれも昭和59年、国重要文化財の指定を受けている。文翔館(ぶんしょうかん)と呼ばれている。
旧山形県庁舎は、玄関ポーチ、バルコニー、時計塔を持つレンガ造の3階建。外回りの壁面を花崗岩で覆っている。この石張りが、壮麗な外観に落ち着きと気品をもたらし、カントリー・ハウスと呼ばれる英国貴族の館を彷彿させる。
荘重な玄関ポーチに入る。2本のイオニア式円柱を含む6本の柱がバルコニーを支えている。
旧山形県庁舎(現・山形県郷土館)
玄関ポーチ
3階の正庁(講堂)は華麗な部屋である。天井の花や果実の優美な漆喰彫刻は、外国人の建築家による意匠と比べても遜色のないものである。
入館する時にいただいた案内書によると、国の重要文化財に指定された後、昭和61年から修理工事を始め、10年間かけて当時の工法を基に忠実に復原された、とある。同時に復元されたシャンデリア、家具、カーテン、壁紙、絨毯等も華美に流れず、美しく調和している。
建築当時に関する正確な知識と理解、創建当時そのままと思わせる高度な技術に驚嘆するばかりである。
正庁(講堂)
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貴賓室、知事室も優雅な雰囲気に満たされている。
廊下から中庭を見下ろす。赤レンガの壁に囲まれた中庭は、修道院の中庭を思わせる。
1階の渡り廊下を通って、旧県会議事堂に入る。
議場ホールは、豪華な部屋だった。半円形の高い天井の美しいガラスを通して柔らかな照明がホールを満たし、ドリス式の柱が天井を支える。演台の後は舞台のように高い場所を設け、左右に設けられた傍聴席も高くしている。
コンサート会場として貸し出しているようで、器材が運ばれ、準備をしている人たちが忙しそうに動き回っていた。
20分程歩いて、山形城二の丸跡を整備した霞城(かじょう)公園に行く。旧済生館(さいせいかん)本館(現・山形市郷土館)が公園の一隅に建っている。
明治11年、済生館病院として市内に建てられ、昭和41年、国の重要文化財に指定された後、昭和44年、現在の場所に移築された。
木造下見板張り、一部3階建ての建物は、1階八角形、2階十六角形、3階八角形となっている。玄関ポーチの軒下は雲形の飾りを施され、バルコニーを備えた擬洋風建築である。病院として建てられたとは思えないほど、明るく、軽快な建物である。
1階の回廊に面した円形の中庭は、石が配され日本庭園となっている。らせん階段を上った2階には、当時の医療関係の資料、医療器具が展示されている。
山形市郷土館
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玄関ポーチ | バルコニー |
山形駅に戻り新幹線に乗る。米沢駅を過ぎて車内販売がまわって来た。ワゴンの中を見ると、見慣れない「牛串弁当」が一個入っていた。それを買う。食べて驚いた。とてもおいしい。サイコロ状の牛肉4個が串に刺してあり、2本の串がご飯の上にのっている。醤油、砂糖で味付けされた肉は柔らかく、口に入れるとふわっと融ける。醤油と牛肉の味がバランスよく溶けこんだ煮汁がご飯に沁みてこれがまたおいしい。
牛串弁当
肉をレアにステーキした後に煮込んだのではないかと想像する。
米沢の松川弁当店の「牛串弁当」は、駅弁を越えたレストランの味だと思った。
・同年8月14日(火) 山寺
山形新幹線に乗る。米沢駅を過ぎて車内販売がまわって来たので「牛串弁当」を尋ねると、「牛串弁当」は車内販売はしていない、と言って、「乗るときに言っていただければ米沢駅で積み込みます。」と言う。そうすると、7月にワゴンに残っていた1個は予約のキャンセル分だったのだろうか。
山形駅で仙山線に乗り換え、山寺駅で降りる。
駅を出て右へ曲がる。50m程歩いて左へ曲がり、立谷川(たちやがわ)に架かる朱塗りの宝珠(ほうじゅ)橋を渡る。立谷川は、川底の岩盤が露出して渓谷の趣がある。橋を渡りながら、対岸の左手にある対面岩と名付けられている巨岩を見る。
橋を渡って右へ曲がる。両側にみやげ物屋が並び、おおぜいの観光客や参詣者が行き交う門前町を通る。店先で売っている「力こんにゃく」を食べる。醤油で煮た丸いこんにゃく玉が4個、団子のように串に刺してある。
80m程歩く。左に「登山口」と書かれた標識が立っている。石段を登る。
山寺の正式名は、宝珠山(ほうじゅさん)立石寺(りっしゃくじ)。天台宗のお寺である。
本堂である根本中堂(こんぽんちゅうどう)の前に出る。国の重要文化財に指定されている。
立石寺 本堂(根本中堂)
左へ曲がる。左側に木陰に憩う芭蕉と曾良の像があり、その右に「閑さや」の句碑が立っている。
山門を潜る。ここから1、015段の石段が始まる。
姥堂(うばどう)が建っている。その側の岩の間から水が湧き出ている。洞窟があり、奇岩が迫ってくる。迷路のように左右へ曲がりながら続く石段を登る。両側から岩が接近して狭い道がある。おおぜいの登る人と下る人で狭い石段が混雑する。
樹木に囲まれたせみ塚の前に出る。せみ塚は、江戸時代中期に建てられ、塚の下に芭蕉の書いた短冊が埋めてあるといわれている。
せみ塚
岩と杉木立の間の石段を登り続ける。登るにつれて岩に佇む堂塔、岩に刻まれた墓碑、数多くの石仏、石塔が現れる。
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閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声
セミが鳴いているが、声が小さく弱々しい。数も少ないようである。夏の暑さの盛り、よく晴れているのに、か細い声を聞いていると、山寺で鳴くセミの声はいつもこういうふうに聞えるのではないかと思った。
現代は、芭蕉の句と眺望の良さにおおぜいの人が訪れるが、観光客の喧騒を掻き消すほどの蝉時雨が聞えることはないだろう。
芭蕉が訪れた頃は参詣者も稀だったと思われる。
「岩に巖(いはほ)を重ねて山とし、松栢(しょうはく)年旧(としふ)り、土石老いて苔滑らかに、岩上(がんしやう)の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。岸を巡り、岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂寞(じやくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ。」『おくのほそ道』
「閑さや」の句は、森閑とした佇まいにセミの声も吸収され、山内は深い静寂の中にある、と句の言葉そのままに理解していいのではないかと思う。
急な石段を登り仁王門を潜る。ここまで来ると石段の幅が広くなり、歩きやすくなる。奥の院である如法堂(にょほうどう)に着く。ここまで約30分かかった。
仁王門
下山する。石段を下りて、仁王門の手前から右手に延びている平坦な道を歩く。納経堂(のうきょうどう)、開山堂(かいざんどう)が並ぶ場所に出る。
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納経堂 | 納経堂と開山堂 |
開山堂の前を右へ曲がり、石段を登る。岩に挟まれた狭い道を通り、五大堂に着く。
断崖の上に立つ五大堂の、せり出した舞台から雄大な景色を眺める。
奥羽山脈の山々は、同じ形の山が重なり、美しい姿を見せる。仙山線の電車が鉄橋を渡っている。谷間の集落の家は互いに寄り添っているように見える。涼しい風が吹き、汗が引いていく。
山を下り、仙山線の電車に乗り山形駅で降りる。駅前のホテルに泊まる。2泊予約していた。
・同年8月15日(水) 大石田〜新庄
新幹線に乗り、大石田駅で降りる。
7月、大石田から山寺に向けて南下したが、今日は、大石田から新庄まで北上することになる。
駅を出て右へ曲がり、線路に沿って歩く。1キロ程歩き丹生(にう)川に架かる丹生川大橋を渡る。6キロ程歩く。聳える杉の木が続く。周りに松を巡らした大きな屋敷がある。
福原で最上川に近づく。大河の風格を持った美しい流れである。
国道13号線に合流する。登り坂になる。気温が上がり、暑くなってくる。
4キロ程歩く。猿羽根山(さばねやま)トンネルの前に出る。全長433mのトンネルの中を歩く。中はいくぶん温度が低いようだ。トンネルを出ると舟形町に入る。坂を下る。
1キロ程歩き、小国川に架かる舟形橋を渡る。5キロ程歩き、鳥越で国道13号線と別れ奥羽本線の線路を越えて反対側を歩く。2キロ程歩いて新庄駅に着く。
新幹線に乗り山形駅に戻る。
・同年8月16日(木) 蔵王温泉(寄り道)
山形駅の前から「蔵王温泉」行きのバスに乗る。バスは、繁華な通りを抜けて、カーブの多い道路を登って行く。眼下に市街地が広がる。途中、道路に架かる朱塗りの鳥居の下を潜り、約40分で蔵王温泉駅に着く。
酢川に架かる蔵王橋を渡る。酢川の流れは、巨岩、巨石の間を奔流し、水音を轟かせている。100m程歩いて左へ曲がり、坂を登る。雪が積もったら登れないような急坂である。20分程登って平な場所に出る。
「蔵王温泉大露天風呂」と看板が出ている門を潜る。一度川(いちどがわ)の川岸の石段を下る。硫黄の匂いが漂ってくる。河原に造られた大きな露天風呂が現れる(注・11月中旬から4月中旬迄は休業)。
上下二段に分かれている。石を巧みに配置して自然に存在していたように見える。清潔な湯が溢れる中で手足を伸ばし、渓流の水音を聞き、川の両岸に繁る樹木を見る。紅葉や新緑の頃はなおいいだろうなと思った。
坂を下りバスに乗る。
山形駅の手前の停留所で降りて、創業150年のそば屋「庄司屋」に入る。真っ白な更科そばが合い盛りになっている「更級合い盛り板そば」を食べる。
芙蓉