はじめに



注連寺


 昭和49年、26歳のとき、森敦の『月山』を読みました。


 「ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山(がっさん)がなぜ月(つき)の山と呼ばれるかを知りませんでした。そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、この世ならぬ月の出を目(ま)の当たりにしたようで、かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。しかも、この渓谷がすでに月山であるのに、月山がなお彼方に月のように見えるのを不思議に思ったばかりでありません。これからも月山は、渓谷の彼方につねにまどかな姿を見せ、いつとはなくまどかに拡がる雪のスロープに導くと言うのをほとんど夢心地で聞いたのです。」


 『月山』の冒頭です。何もない、無垢の心を持つ人が見た月山の美しい姿です。
 月山の麓の
注連寺で雪に閉ざされ、幽明の界(さかい)が判然としない時間の中で冬を越す男の物語を読んだとき、私も月山を見たい、注連寺を訪ねたいと強く思いました。また、以前から関心を持っていた「奥の細道」と合わせ、昔の人のように歩いて旅をして月山へ近づいていければ尚面白いだろうと思いながら23年がたちました。
 平成9年、50歳になったとき、今、始めなければ出来なくなると思い立ち、翌10年7月から「奥の細道」の旅を始めました。


 (歩き方) 
 前回歩き終わった地点に戻り、そこから、また先へ歩くという方法です。一度歩いた道と「奥の細道」に関係のない場所の「寄り道」は乗り物を使いました。休日を利用しての旅ですから、天候や私の体調により順序が入れ替わったところもありましたが、道は切れ目なく歩きました。
 歩き始めた頃、「奥の細道」の歩き方の本がなく、バイクで全行程を回った人の本を見つけ、それを参考にして予定を立てました。石堂秀夫氏の
『「おくのほそ道」全行程を往く』(三一書房)という本です。これは、「奥の細道」の各地の歴史、神社、寺、旧道、古道、句の解釈、句碑等「奥の細道」に関連する全ての事柄が詳細に、それでいてわかり易く、飽きのこない文章で書かれています。この本がなければ私の「奥の細道」の旅は平板なものに終わったと思っています。三一書房さん、石堂秀夫さん、ありがとうございました。

 旅日記の中に載せている句は、『おくのほそ道』に収められている芭蕉の50首の句です。
 市町村名は当時のままにしています。
 参考文献は最後に明記します。

 大分前置きが長くなりました。それでは、平成10年に遡り、東京と14の県にまたがる「奥の細道」の旅へ出発します。
 1日目の7月18日は、梅雨はまだ終わってなくて涼しい日でした。



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