前回で「住宅論」についての論考は終わりです。これより家族の
変容史に付いての論考を掲載します。芹沢氏の住宅論は当然家族論
です。氏の家族論自体からは見えない細部が見えて、より理解が深
まるのを感じました。例えば「他者性」という概念が「搭の家」の
家族の関係から丁寧に説明されていました。今回の論考では「個体
性」という言葉になっています。また同じように氏の家族論からも
住宅の現在が、そして未来が透けて見えてくることでしょう。


        =============================================2000/07/22====

             建築家の自邸に表れた家族意識

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群像95・2

       分解する家族(1)
                         芹沢俊介


 ずっと以前に家族の戦後史ということを構想したことがある。十分に果たせないまま中断してしまったのだけれど、このテーマをめぐつてあちこち方角を変えながら考えることだけは続けてきた。その一端を以下にメモ風に綴ってみようと思う。

 私の貧しい理解では家族はその核となる理念において戦後、何回かの転換点をへて現在にいたっている。転換点を作り出したのは、分解という時代精神の作業であった。分解をもたらした要因のひとつは、社会構造の変容であり、社会構造の変容が促す家族のメインテーマの移動であり、家族のメインテーマの移動が必然的に引き起こす家族関係の中心位置の変化であった。これらの要因に対して家族はけなげにも、そのたびに新しい家族形態を産み出すというかたちでもって応えたのである。

 分解という観点を導入するとき家族は理念的にみて戦後現在まで、次のような四つの形態の変遷として描き出すことができるだろう。
 (1)多世代同居型家族
 (2)夫婦中心型家族
 (3)個別―同居型家族
 (4)個別―別居型家族
 先行する家族が分解して、あるいは先行する家族の核である理念がその内側にはらんだ矛盾によって家族に分解をもらたす。そして新しく後に続く家族像を産出する契機にそれはなるのだ。そのように図式化することが可能である。

 このような方法からすると、夫婦中心型家族は多世代同居型家族の理念に当たる部分が分解したとき出現し、個別―同居型家族は夫婦中心型家族の理念が分解したとき出現し、個別―別居型家族は個別―同居型家族の理念が分解したときに出現したという理解になる。問題はそれぞれの家族形態の理念とは何かであり、その理念がどのような方向に分解するかである。当然とは言え、理念はこの場合、その家族形態の核になっている要素である。このような方法にもとづいて、四つの家族形態についてそれぞれに簡単なコメントを加えてゆくことにしよう。

(1)多世代同居型家族 この家族形態は、私たちが家族をイメージするときの原郷のように機能しているものである。すなわち三世代ないし四世代が同居してひとつの家族をいとなんでいる家族イメージがそれで、通俗的には一家が囲炉裏を囲む像に集約される。家族の危機が叫ばれるとき、そこで提出される危機回避の方向はかならずといっていいほど、この原郷的な家族イメージに回帰してゆく。それくらい強い吸引力をもっているのであり、いうなら家族のロマンティシズムの核を形成している。
 私たちはこの家族形態に対して、メインテーマが子供を産むことと労働であるという点で「世代的家族」という呼称を与えてきた。このような家族形態は、産業構造の中心が農業にあるような社会が対応している。したがって経済面から見れば多世代同居型世代的家族は労働集約型の農業家族であるといって大過ないであろう。個々の家族構成員は労働力であり、その労働は、家族として土地と結びつけられている。子供を産むというテーマは新しい労働力の誕生であり、それはそのまま土地の生産力と同値される。
 子供を産むというテーマはここでは、儒教的イデオロギーを背骨にもつ〈家〉の婿取りないし嫁入りの動機と区別されることは言うまでもあるまい。〈家〉は、多世代同居型家族が労働集約的に生産に従事するという意味では、生産に従事しないからだ。とはいえ〈家〉型家族という家族の儒教的形態を、理念ないしはイデオロギーとして私たちがごく最近まで保持してきたことは疑いのないことである。そしてこの〈家〉型家族の理念が、多世代同居型家族や夫婦中心型家族を根底から規定し、それぞれの家族のそのほんらいの像を歪んだものにしてきた当の力であったことも否定することはできないのである。
 多世代同居型家族における夫婦の離別の仕方――分解の一形態――は、その本質からして死別であるか蒸発であるか子供を産むという課題に応えられないか、こういった理由が主な要因にならぎるをえないであろう。
 戦後過程においてこの家族形態は、私たちの見るところでは一九五五年ころを境にその主要な家族像の位置から遠ざかっていったのである。


(2)夫婦中心型家族 この家族形態は(1)の多世代同居型家族が分解して出現してきたものである。多世代型家族の何が分解したのだろうか。前世代の家族における多世代同居というあり方である。多世代同居という核が分解して、単世代同居が出現したのである。世代分解的あるいは脱世代的という点で単世代同居型の家族は必然的に、夫婦中心型にならぎるをえない。
 私たちはこうして生まれてきた家族形態に対してこれまでエロス型家族という名称をとりあえず与えてきた。それほど適切だとは思えないけれど、それでもこのような命名には二、三この家族の特徴と思われるものを示す意味が含ませてある。
 まず夫婦の和合ないし一体性をメインテーマにしているということを明示するという狙い。それゆえこの家族は子供を産むこと、いいかえれば世代を作るという課題を第一義的に要請されていないということを明示するという目的。
 つぎに連続性が断ち切られていることを伝えるために。
夫婦のそれぞれは、それぞれの出自である親の代が形成した家族から切れているのである。この点からすれば、現行民法がこれまで夫婦同姓主義をとってきたことと、この家族とは理念的に矛盾することになるだろう。また別姓主義とも矛盾する。別姓主義はむしろこの後に述べる個別―同居型家族の方がその実質に対応しているとみられる。夫婦中心型家族には、福沢諭吉の唱えた夫婦新姓主義――結婚を機に新たな姓を作ること――が相応しいということになろうか。
 もう一点、書きとめておきたいことがある。それは夫婦中心型家族では、世代を作るという課題から解放されているゆえに、いまや夫婦が夫婦として直接に向き合うことになるという点である。この点は多世代型家族の夫婦が子供―世代を介して向き合っていたことと比較して際立った差異をなしている。このとき性は生殖から分離され、夫婦の性愛つまりエロスの実現というテーマとして新しく家族のまえに現われることになる。理屈としても現実としてもこのような家族形態になってはじめて、家屋は内部に主寝室(夫婦の独立した寝室)を構造として組み込むということが生じる。
 経済学的に言うなら、夫婦中心型家族は、土地に家族のすべての労働力を集約的に投下するかたちの生産中心(生殖中心)主義が基本的に解体した社会を基盤にしている。産業構造の主役は農業から製造業へとその中心を移している。土地に代わって工場が家族の労働力を吸収するのだ。農村人口はこぞって、都市へと移動した。たとえばまず長男だけを残して、二、三男以下が出郷するというかたちで農村家族は収縮しはじめ、次の段階で残った長男の代におけるその子供が農村家族の後継者になることを拒むのである。こうして農村家族つまり多世代同居型の世代的家族は終焉を迎えたのだ。
 ただしひとびとは確かに土地を離脱したのだけれど、生産労働を離脱したわけではない。生産労働の場が工場に移ったその結果、家族生活の場と労働の場が分離した。言い換えれば、新しい家族においては少なくとも家族構成員の半分は生産労働の場を離脱することになったのである。それが女性(妻)と子供であった。夫は企業労働へ妻は家事労働へという性別役割分担が生まれ、子供もまた肉体的な児童労働から勉強という精神的児童労働へとその役割を移した。そしてその状態が固定化して行くのである。家事労働を中心的に担う主婦というカテゴリーがこの家族を象徴するようになる。
 夫婦間のエロスがメインテーマとなるような家族においては、子供をめぐってこれまでにない状況が浮上してこざるをえない。一言で「家族計画」という概念で表されるような状況が生まれてくるのである。家族計画とはどんな考え方であろうか。それぞれの家族が何人の子供をどのくらいの間隔で産むのかというように言い表すことができる。家族計画は、夫婦間のエロスの実現というテーマと対応している。子供の数は、夫婦のエロス、夫婦の和合という目的によって、おのずから限定されるのだ。夫婦のエロスの実現を阻むような子供数は無意識のうちに制限されるのだ。適切な子供数は二人である。二人という数値は、正確には二・一人だけれど、その社会の人口が増えもしなければ減りもしない出生率とも一致している。だが二人という数値も一九七四年を境に適切であるという位置を失ってゆくのである。この夫婦中心型家族の時代はその点で一九七四年ころを境に終わりを告げることになる。


                   分解する家族(2)に続く 

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■ 建築家の自邸に表れた家族意識         (月1回発行)
     発行者     :武田稔
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