==========================================2000/03/05-21====

            建築家の自邸に表れた家族意識

     ===============================================07-08/24====


   「個室群住居」について――  

   プライバシー空間の誕生と展開4

                       芹沢俊介



 一九六八年、黒沢隆は「個室郡住居とは何か」という論文を発表

する。(註一)そこで黒沢隆は「近代住居の二大特質すなわち『単

婚家族』と『私生活の場としての住居』およびそれが収斂する『夫

妻の一体性』などの諸要素が、ひとつひとつこの日本で無効になり

つつある」という認識に立って、新しい住居像を提出している.そ

れは「近代住居」に対し、「現代住居」とされる。黒沢は近代住居

の我が国における典型を菊竹清訓の「スカイハウス」に認め、「ス

カイハウス」の根底にある「夫婦一体性」の家族像をすでに崩壊し

つつあるものと規定する。かわって登場してきた新しい家族像を黒

沢は「集個的」という言葉でとらえる。現代住居を構想する際の、

現代家族像を集個性と把握し、「集個性こそ現代家族の理念であろ

うと思われる」と述べる。(註二)「集個性」とは、社会的一単位

としての個人の集合という意味である。近代住居およびその基礎と

なる近代家族像においては、夫婦は一組で一単位であり、その夫婦

を抽象的な個人とみなし住居を計画してきた。だが、夫婦を一体と

みなし、そこから家族像を描き出すことはもはや時代の間尺にあわ

なくなっている。「個室群住居」という概念は、そうした近代家族

像の亀裂の隙間から生まれてきたもだと言える。黒沢隆の「個室群

住居」という概念は、黒沢自身によってもかなり混乱した説明がな

されている。これでは家族にかわるものとしてコミュニティを考え

ているだけではないかという批判も可能であり、その性急な議論は

意外とつまらない場所へ入りこんでしまったように思える。けれど、

私たちはこの観点がいまなら、家族の戦後史にとってとてつもない

新しさを備えていたことが分かる。

 黒沢隆が、「個室群住居」と言う概念を打ち出したのは、一九六

六年である。(註三)この時点で黒沢は菊竹清訓の「スカイハウス

」に対し、ふたつの方向から疑念を表明する。ひとつは近代的な家

族像に対してであり、もうひとつはそれにもとづいた家屋構造の近

代的な一般解に対してである。

「まず問題にしたいこと、それは「夫婦の一体性」とはいっても、

まったく異なった二つの人格が、完全な「一体」でありうるだろう

か、という大きな疑問である。(中略)異なったふたつの人格が、

愛ということだけで、完全に一体でありうるのか、私にはそうは思

えないのだ。」

 黒沢は「夫婦の一体性」という近代家族像あるいは近代家族の理

念を幻想であると述べ、この幻想のもとで妻は家事と育児のために

一日中家に縛りつけられてしまうという現実を指摘する。「夫婦と

いう社会的な一単位にあって、あらゆるプライベートなこととして

雑役と苦役はすべて妻に集中されてくるのである。<一体的>であ

ることの代償として、こういう生活を当の妻は、はたして幸福と感

じているのだろうか。」だがいまや、こうした一体性という幻想を

もってしては、家族を作ることも、維持することもできなくなって

きている。現に日本の世帯のほぼ1/4を占める世帯は共稼ぎ所帯

であり、その数は年々増加の傾向にある。こうした現象は、夫婦の

一体性という幻想を消滅させる大きな契機になるであろうというの

である。黒沢の主張にやや早すぎるフェミニズムを読みとることが

できるが、むしろ「夫婦の一体性」という理念の破棄を述べるため

に援用したというのがほんとうのところだと思う。

 もうひとつ「スカイハウス」に浴びせかけられた批判の矢は家屋

構造、すなわちプランの一般解をめぐってである。黒沢隆は、近代

住居の家屋構造は<LR+ΣBR>(L+nB)を一般解とすると

いう前提に立つ。ここでLRは居間、BRは寝室である。つまり近

代住居はひとつの居間と幾つかの寝室を基本構造に成立していると

いう考えである。

 だがこの<LR+ΣBR>(L+nB)を一般解として、戦後日

本の住宅史を出発させることはできない。また、黒沢はこのような

一般解を集個的家族像をもとに<Σ個室>と書き替えるのであるが、

黒沢がコミュニティへと足をとられるとき、個室群はひとつのパブ

リックスペースを要求することになり、そこでは、<LR+Σ個室

>という解が導かれてしまう。だとすれば、<LR+ΣBR>と基

本的に区別がつかなくなってしまう。なぜなら、近代的な家族像を

限界にまで引っ張って行くなら、後に東孝光の「塔の家」に触れる

ところでみるように、家族関係は対等の個の関係を、親子、夫婦、

兄弟の関係と同等に含み込まぎるをえない地点にむかわざるをえな

いからである。そこでは<ΣBR>は<Σ個室>と理念的には同一

のレベルに達するはずである。むろん、このレベルが家族内でつね

に踏まえられているということであって、それがプランや個室内の

設備等に反映し、固定的な相をとらなくてはならない、という要請

は受けているわけではない。黒沢の「個室群住居」は、このレベル

を固定化し、逆にこのレベル、即ちΣBR=Σ個室の次元から家族

像を組み立てなおそうという試みであると考えるべきなのだ。した

がって、黒沢隆が「個室群住居」を手近にイメージするために、ア

パートをひとりで一部屋借りて住む夫婦を例にあげるのは正しいが、

ホテルの一室を例にあげるのは勇み足なのである。なぜなら、「個

室群住居」は、家族像を組み替えるというモチーフのなかに位置づ

けられてはじめてその衝撃性を発揮しうるのであるから。




 日本における家族の戦後史という観点からも<LR+ΣBR>と

いう一般解を採用することには留保が必要である。すでに述べてき

たように、戦後の集合住宅(公団等)のプランは、食寝分錐と隔離

就寝を基準に設計されてきた。そこではようやく食べる場と寝る場

が分離され、親子別寝が配慮されるようになったにすぎない。居間

は生まれておらず、それゆえ寝室との対立性相補性として出現して

こないのである。私たちの馴染みの形に一般解を直すと<DK+Σ

BR>ということになる。黒沢隆の議論は、ミースのユニヴァーサ

ルスペースを出発点に丹下健三、菊竹清訓と繋いできたため、近代

住居の日本における特殊解を無視しえたのである。

私たちは日本における近代家族像と住居の一体化を菊竹清訓の「

スカイハウス」に実現されているとみて、そこへと特殊解が解消し

て行くものと考えていいように思う。黒沢は、菊竹の「スカイハウ

ス」の思想をまず、<LR+BR+子供室>と書き、すぐにこの式

を<(LR+BR)+Σ子供部屋>と書き改めている。これはすぐ

れた抽出である。「スカイハウス」は、夫婦のワンルームの住居で

ある。そこにはまだ子供はいない。けれど子供はプランのなかに想

定されている。プランのなかで子供部屋ははじめて家族の時間性と

して把握されたのだ。式のなかの(+)記号は空間の並列を意味す

るのではなく、時間化を意味している。変化する家族の時間性の増

殖と成熟がその意味である。ただ<LR+BR>は夫婦の一体性の

空間であり、あくまで子供の侵入を拒否している。だから、「スカ

イハウス」にみられるような家屋構造――これが戦後日本のエロス

的家族における住居の一般解とみなしていい――における最初の対

立は、夫婦の個室と子供の個室とのあいだに生じたのである。



 だが「スカイハウス」においては、一体性にもとづく夫婦という

個人と子供という個人の対立がどのような経過をたどるかという点

までは計算に入っていない。幼児期の従属的な親子関係から離脱し

てゆく子供への眼差しとその対応がプランに組み込まれていなかっ

た。一九六七年に完成した東孝光の自邸「塔の家」は、スカイハウ

スから出発した夫婦、親子関係が成長してゆく過程が鮮やかにプラ

ンの内部に導入された例と言える。別な言い方をすれば、新しい親

子関係の構図を生み出す力に、住居がなった例である。「塔の家」

とはどんな住居なのであろうか。東孝光・節子・利恵の著した『「

塔の家」白書』でその概要をつかむことができる。

 家族/夫婦十子供(小学校一年生女子)
 所在地/東京都渋谷区神宮前三丁目
 敷地面積/二〇・五六u(六・二二坪)
 建築面積一一・八○u(三・五七坪)
 延床面積六五・〇五u(一九・六八坪)
 地階(収納・作業室)/一五・五〇u(四・六九坪)
 一階(駐車スペース・玄関ポーチ)/九・四五u(二・入
       六坪)
 二階(居間・食堂・台所)/二・入○u(三・五七坪)
 三階(浴室・便所)八・五六u(二・五九坪)
 四階(主寝室)/一一・八○u(三・五七坪)
 五階(子供室+屋上テラス)/七・九四u(二・四〇坪)


 宮内康は、この「塔の家」を「スカイハウス」以来の傑作だと称

揚した上で、次のように述べた。「それは極めて素朴で単純なアイ

デア――部屋を一単位ずつ積み重ねること――によって生み出され

た。部屋を積み重ねたら、あとは出来るだけ狭さを感じじさせない

ように開放的な軽い階段でつなげばよかった。」(註四)

 部屋を一単位ずつ積み重ねること。それを開放的な軽い階段で繋

ぐこと、「塔の家」には、便所まで含めいっさいドアーがつけられ

ていないのだ。この「塔の家」を、黒沢が抽出した「スカイハウス」

の構造<(LR+ΣBR)+Σ子供室>に乗せてみよう。そこに

私たちは、戦後の家族像と住居の成熟した表情を見ることになる。



 註一「都市住宅」一九六八・五
 註二「家庭の消滅」(「建築」一九六六・九)
 註三「現代住居の問題性」(「建築」一九六六・五)およ
       ぴ「家庭の消滅」において。この二本の論文は連続
       している。
 註四『「塔の家」白書』(住まいの図書出版局)所収。


               せりざわしゅんすけ(評論家)







                   (5)へ続く
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  ■ 建築家の自邸に表れた家族意識         (月2回発行)
     発行者     :武田稔
     発行システム:まぐまぐ http://www.mag2.com/  ID:0000020587
              :MACKY http://macky.nifty.ne.jp/index.htm
  ■ HP:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/index.html
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