==========================================2000/02/06-29====

                建築家の自邸に表れた家族意識

        ===============================================05-06/24====



                         菊竹清訓自邸


       均質空間について――
      プライバシー空間の誕生と展開 3

                          芹沢俊介


 均質空間としてのワン・ルーム住居(一室住居)のもっとも純粋
な形を想定してみよう。この形は具体化されている。私たちの観点
からは、一九五八年竣工の菊竹清訓設計による「スカイハウス」が
それである。「スカイハウス」とは、どんな住居なのであろうか。
平面図を見ることからはじめよう。(註一)まず明らかにワン・ル
ーム(建築面積一〇四u、延床面積九八u)である。就寝およぴ食
事等のプライベート空間とくつろぎや応接のパブリックな空間とは
可動性の収納が隔てている。けれどこの分離はそれほど本質的では
ない。本質的なのは、このワン・ルーム全体が夫婦だけの空間であ
るという点である。
 こう記すと少しだけ問題が出てくる。なぜなら夫婦中心のワン・
ルームの戦後小住宅はなにも「スカイハウス」を嚆矢としないから
である。清家清はすでに「森邸」(一九五一年)、「斎藤邸」(一
九五二年)、「宮城邸」(一九五三年)、「清家邸」(一九五四年)
でワン・ルームを追求しており、広瀬鎌二「SHR−1」(一九五三
年)、丹下健三「丹下邸」もまた同様の試みであったからである。
 ではなぜ、菊竹清訓の「スカイハウス」がこれらの先例からの画
期的な跳躍とみなされるのであろうか。
「スカイハウス」は、ピロティ形式が採用されている。つまり箱形
をした居住部分が四本の壁柱(独立性)によって宙空に支えられて
いるのである。これは住空間が土地から切り離されているというこ
とを意味する。この人工性は新しい家族像の出現を私たちに予想さ
せるに十分である。だがこの新しい家族像がなにかを述べるまえに
生じるであろうひとつの異論に答えておこう。ワン・ルームにピロ
ティ方式を採用したのはこれも「スカイハウス」が最初ではなく、
すでに丹下健三の自邸(一九五三年)において、実現されている。
「スカイハウス」は、清家清や広瀬鎌二や丹下健三の試みをたくみ
に折衷しただけという見方ができるかも知れない。けれどそういう
見解は間違っている。「丹下邸」(註二)のプランと「スカイハウ
ス」のそれを比較してみよう。
 すぐ分ることは、「丹下邸」にはコア・プランが採用されており、
「スカイハウス」には採用されていない点である。コア・プランと
は、空間に均質な無限定性を獲得するために編み出された手法であ
る。
主として衛生関係および台所等の水回りをコアとして集中させ、残
余の部分が無限定な均質空間として確保される。「丹下邸」のプラ
ンを見ると、ビロティ方式を採用したことによって台所・浴室・ト
イレそして玄関を中央部分に集中させることに成功している。残っ
た空間は均質化されている。「丹下邸」の凄さは、この均質性が徹
底的に間取りに投影されていることである。すなわち、寝室と書斎
を除けばすべて居間なのである。その寝室と書斎も固定的ではない。
こうして機能は完全に均質なワン・ルーム空間のなかに溶解してし
まった。にもかかわらずこの空間に統一性が感じとれるのは、この
空間の主人が夫婦であることが前提とされているからである。ビロ
ティ方式をこの点に加味するなら、宙空に成立した夫婦の空間とい
う住宅像を手に入れることができる。住宅における対幻想の実現で
あり、したがってプライパシー空間の純粋な成立をここに見定めて
よいかも知れぬ。だが少し後に触れるように、「丹下邸」はこの点
ではさらに展開の余地を残していたのである。
「スカイハウス」では、そのような「丹下邸」の採ったコア・プラ
ンは排されている。「スカイハウス」がコア・プランを排した理由
を菊竹清訓は以下のように述べている。(註三)
   
 従来のコア−の空間そのものはたしかに生活の必要条件をまとめ
上げた点に意義があった。戦後の新しい社会のなかで、家族像は根
底からくつがえり、新しい夫婦中心の生活が始まったとみてよい。
 この新しい生活に、コアーはピッタリしたのである。少なくとも
ピッタリしたように見えた。就寝分離や、食寝分離はここでは、い
ずれのプランでも、かなりよく解決され、オープンキッチンや、ユ
ティリティ・マルティパーパスルームなどが織り込まれている。
 生活の時間的断面においては、コアープランに矛盾は起ってこな
かった。しかし生活の変化という問題を計算に入れると、必ずしも
コアープランとはなってこないのである。
凸型プランや、パラレルプランはこのためコアーを放棄して求めら
れたのである。
 まして構造体のコアーとこの空間とがダブっている場合さえもあ
ったが、このことは空間を非常に制約しかえって逆効果さえ招いて
いる始末だ。
 ムーブネットはこのようなコアー的な概念を全く取りのぞくこと
のできる新しい解決である。


 菊竹清訓が「コアー」から「ムーブネット」への移行を説く根底
には、清家清や広瀬鎌二や丹下健三が把握し、具現した住空間の非
限定性という概念が依然として不完全であるという認識がある。か
れらの機能主義には徹底性が不足しているというわけである。もう
少し詳しく説明すると、菊竹清訓はコアープランによっては、いま
の計画の不可能な時代に対応できない、十年先にも計画の基準を置
くことが不可能なほど「社会・料学・技術の変化、進歩はスピード
を増しているのだ」と主張した。清家や広瀬や丹下の機能主義には、
変化とか多様性という考え方が含まれていないと言うのである。だ
が、すでに見てきたように清家清や広瀬鎌二や丹下健三の機能主義
の概念のなかに変化や多様性という観念ははっきりと含まれている。
「丹下邸」のプランに具体化しているように、あらゆるところが
「居間」である。この場合の居間は、機能的に限定された空間とし
てのいわゆる居間ではなく、非限定的な空間としてとりあえず「居
間」とされただけにすぎないことは、明瞭に理解できる。菊竹清訓
が変化とか多様性という言葉で言い当てようとしたのはもっと別の、
時間ということであったと考えるべきなのだ。それなら清家や広瀬
や丹下の機能主義の概念のなかには含まれていなかった。少なくと
も、十分には時間という概念は、その住空間のなかに定着されてい
なかったのである。
 菊竹清訓は、住空間を二つの異質な空間に分解する。一方は便所、
浴室、厨房、収納部などの必要な空間である。これは料学的に独立
して分析でき、したがって進歩しうるものである。この空間はだか
ら建築空間というよりむしろ「器具」と言った方が適切である。規
格化し、機械化した生産工程にのせて量産できる部分である。もう
ひとつは、その他の個性の入り込む余地のある空間であり、これは
料学の範囲をはるかに超えている。住居は、このような二要素が結
びついた空間である。明らかなように、必要で普遍的な空間はそれ
までコアーとして処理されてきた箇処である。だが、ここではコア
ーという空間性は意味性を剥奪され、「器具」にまで無機化されて
いるのが目撃できる。「ム−ブネット」とは、空間の器具への解体
を意味している。器具ならば、手軽に買いかえることができるし、
あるいはこの器具に必要なアタッチメントを取りつけることで、多
目的な用途を生み出すことができる。こうして「変化する家の機能
に素早く反応できる」というのである。「スカイハウス」にはこう
した観点に立って、台所、浴室、収納が「器具」(ムーブネットと
名づけられた。いまで言う「ユニット」に近いものを想い浮べれば
いい。)化され、住空間に組み込まれたのである。(註四) こう
した可変性や可動性の追求と獲得が均質な無限定空間の完全性と徹
底性を保証したという証拠はない。またそうした議論はこの論のテ
ーマからはとりあえず不要である。私たちが抽出したいのは、コア
ーからムーブネットへの移行の提唱のなかに隠されている時間概念
である。「スカイハウス」によって、住居における家族像のなかに
はじめて時間が導入されたのを見ることができるのである。黒沢隆
は次のように書いている。(註五)「東京・文京区・音羽のほとん
ど崖地に、四枚の璧柱によって高々ともちあげられた箱。それが
「スカイ・ハウス」だった。三〇坪にも達するワン・ルームが、そ
の箱の中身である。しかしワン・ルームとはいっても、ひと昔前の
ワン・ルームとは違っている。菊竹の友人でもあり先輩でもある川
     添登によれば、そのワンルームは「夫婦愛の空間」であるという。
ふたりが早稲田大学でともに学んだ故今和次郎の提唱する夫婦愛の
姿を、そっくリ建築としてワン・ルームにした。子供ができれば、
プレハブの子供部屋をつくって、高く広い床下にブラ下げて住まわ
せればいい。子供が成長して独立したら、このプレハブを外して捨
てればいい――。(改行)ちなみに、丹下健三がその自邸でミース
・ファン・デァ・ローエを強固に意識したように、菊竹は、丹下自
邸をあきらかに強固に意識していた。ミースと丹下をつなぐ空間の
無限定性が、建築の内部分割(間仕切の移動や増設)による(社会
的)変化への対応だったとすれば、菊竹の意図は、外にプレハブを
つけたり外したりするような、増殖による変化への対応にあった。
そのための具体的な方法がたとえばプレハブ子供部屋であって、菊
竹は、それを「ムーブネット」と呼ぶ。」 ここには「ムーブネッ
ト」という概念の思想的な意味が建築的に的確にとらえられている。
コア一プランが建築の内部分割によって社会的変化へ対応しようと
いう試みであったのに対し、ムーブネットは、それを外にあずけ
てしまった。ただしこの外にという意味は、黒沢隆の述べるように
建築の外にということではない。むしろ家族の外に、つまり企業に
というのが正確であると思う。ムーブネットは器具となることによ
って、資本主義を家族のなかに引き込んだのだ。家族の意志のおよ
ばぬ世界を家のなかに引き込もうという意図を体現しているという
点で、ムーブネットは反家族的であったのである、機能主義の論理
の行き着く先でもそれはあった。
 だが同時に、このことと同じくらいかそれ以上に重要なことを「
スカイハウス」は実現していたのである。家族の時間性を、プラン
のうえに具体化したのである。黒沢は「私生活の館」という文章(
註六)のなかで、「スカイハウス」が「二人で一組の巨人の生活空
間」であることを指摘している。この二人一組というのは夫婦のこ
とで、ここでの夫婦は「夫は外に出て仕事を持ち、妻は家庭にいて
家事に専念する。ともに、単独では生活能力をもたない」、そうい
った近代社会の夫婦をさしている。つまり、「スカイハウス」とい
う巨大なワン・ルームはこの巨人の個室である。個室というプライ
バシーははじめからこの国では個人のものではなく、夫婦の占有空
間であったことを伝えている。
 だがそれだけならすでに書いてきたように清家清や広瀬鎌二、丹
下健三といった人たちも実現している。「スカイハウス」の独自性
は、この「夫婦愛の空間」にたとえ子供であっても一歩たりとも入
ることができないという原則をプランとして具現していることによ
るのである。夫婦愛はその空間を得て持続されることによって、や
がて夫婦愛を客観化できる存在の誕生を促す。つまり、夫婦愛とい
う戦後の新しい家族像は、ワン・ルームという空間を獲得しただけ
ではなく、その空間はさらに時間性を帯びるのである。これまでの
「スカイハウス」以前のワン・ルームはこの時間性=子供部屋のた
めに、ワン・ルームの一部を割いてきた。したがって無限定空間は
そこから侵されざるをえなかった。なぜなら、そこにはいままでプ
ランとして夫婦ないし家族の時間性が組み込まれていなかったから
だ。あるいは黒沢隆が指摘するように、ワン・ルームの内部を分割
し、事態をしのごうとしたと言ってもいい。菊竹清訓が「スカイハ
ウス」でとったのはこれとまったく逆に、ワン・ルームを内部分割
することを拒否したのである。このことがかえって、家族の時間性
の必然として子供と住空間における子供部屋を、プランとして解く
ことを可能にしたのである。プランに時間概念を導入することに成
功したと言える。どのようにか?「子供ができれば、プレハブの子
供部屋をつくって、高く広い床下にプラ下けて住まわせれぱいい」
というようにだ。子供部屋を床下にぶら下げるということは、ワン
・ルームの外ではない。それは、ワン・ルームの時間化した姿なの
だ。
 ここから私たちは重要な示唆を受けとることができる。家族の戦
後史における住空間における個室ということの意味の二重性につい
て。ひとつはワン・ルームに象徴される夫婦の空間――これは寝室
だけでなく夫婦が支配するすべての空間――もうひとつはその夫婦
空間の時間化した姿としての子供室である。この個室の二重の意味
は「スカイハウス」の出現をまって、明確になってきたのである。
 住空間のなかに、このような意味以外の意味をもった「個室」概
念が生まれてくるのは、それからまだ十年の歳月を閲する必要があ
ったのである。


註一、註二、「スカイハウス」「丹下邸」の平面図は「昭和住宅史」
   (「新建築」一九七六年臨時増刊)による。
註三、菊竹建築研究所「住空間の方向」へ「建築文化」一九五九・
   一)。
註四、こうした発想を菊竹清訓や黒川紀章らは人間の代謝作用に見
   たて「メタポリズム」と名づけ、ここからひとつの建築運動
    を開始した(一九六〇年)この点についてはここでは記述す
    る用意はない。
   「ムーブネット」を理解するにあたっては、「現代建築用語
    録」(宮脇檀、コンペイトウ共著 彰国社)を用いた。
註五、「二DKの意味」へ(「日常へ」所収)。
註六、「日常へ」所収。



                 せりざわ しゅんすけ(評論家)




                     (4)へ続く
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  ■ 建築家の自邸に表れた家族意識         (月2回発行)
     発行者     :武田稔
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