========================================1999/12/28.1/16====

                建築家の自邸に表れた家族意識

        ===============================================03.04/24====


      プライバシー空間の誕生と展開 2
              均質空間について――

                                芹沢俊介

 前項で住宅の空間に出現した均質性について述べた。この均質空
間は、機能主義を超えた空間であるととらえる、という黒沢隆の見
解を紹介した。機能主義を空間と機能がたがいに限定しあうものと
把握するかぎり、空間の無限定性としての均質空間は、機能主義と
は異なり、しかも機能主義を超えるものであると主張することは一
定の有効性をそなえている。
 だが、均質空間は機能主義とは異なりかつそれを超えるものとい
う理解の仕方には、家族の戦後史から戦後日本の住宅を見るとき、
ある留保が必要と思われる。あらかじめ私の考えを述べておくな
ら、均質空間は家族の戦後史においては、戦後住宅が出現するため
の前提なのである。戦後住宅とはここで、主に間取りに表現される
家族の構造が戦後的である住宅をさしている。戦後的な家族の構造
とそこから生まれる生活の仕方が間取りに的確に反映している住空
間をさしている。つまり機能主義が実現されている住宅のことであ
る。したがって空間の均質性は、空間の機能的分割のための条件で
ある。
 このことは、空間の均質性が住宅にどのように実現されるかとい
うことを考えればよく了解できると思う。均質的な空間が獲得され
るためには、家族各人が平等の人格として家族各人に認められてい
なくてはならない。具体的に言えば、妻や子供の生活が夫と同等に
尊重されていることである。住空間は、家族構造がその間取りに直
接に投影されたものだからである。この点から分るように、住空間
の均質性は家族の平等ということと、まったく同じである。家族関
係が平等であるなら、住空間は均質的であり、住空間が均質的であ
るなら家族構造は平等なのだ。均質空間を作るということは、家族
を平等な構造に組み替えることである。たとえは、「日本住宅の接
客本位・主人本位の『封建的性格』が批判され」(註一)るという
ことは家族の不平等性が批判されるということである。
 こうして次のような順で家族およぴ住空間の革命が家族の戦後史
において行なわれたと想定できよう。

 〇封建的性格の家族(私の言う世代的家族)――非機能的に分
  節化された空間
 ○封建的性格の家族の解体=平等的家族(私の言うエロス的家
  族)の誕生――均質空間
 ○平等的家族(エロス的家族)の発展――機能的に分節化され
  た空間

 明らかと思うが平等的家族(エロス的家族)がすでに実践されて
いるならば、住宅の間取りを考えるとき必然的に均質空間から出発
している。すでに均質空間は住居観念の前提となっているのであ
る。戦後住宅が出現するための前提というように均質空間をとらえ
たのは、このような意味である。

 これまでの議論がそれほど独断でないことを示すために、当時機
能主義がどのようにとらえられていたか述べておく必要があろう。
一九五二年に、清家清は次のように書いている。(註二)
「居室が〈居問〉とか〈寝室〉とかその居室の住行為別に呼ばれな
いで単に〈八畳・三畳〉と呼ばれたり、〈客間・女中室〉などと使
用者別に呼ばれることがある。例えば八畳と呼ばれる室が、或ると
きは寝室となり、あるときは居間となる。又日常は寝室として使わ
れながら客間と呼ばれる室もある。これ等は機能主義以前の居間呼
称法であって、機能主義建築に於て居室は空間のもつ機能別に呼称
されるべきである。」
「前者(機能主義以前=評者註)は使用者が独立し、行為が汎用され
ている。後者(機能主義=評者註)は使用者が汎用しているのであっ
て機能空間は独立している。」
 清家はまた、次のようにも述べている。機能主義以前の空間にお
いては「行為の均質」化が行なわれる。たとえば客間においては客
の行為――食う・寝る等――および接客はすべて同一空間で行な
われる。これに対し機能主義的空間は「行為者を均等化する。たと
えば食堂では客も主婦も子供達も同じ食卓をかこむ。」機能主義の
限界は空間を限定することにあるとともに、それが極端な能率主義
をとったときにもあらわれる。
 客も主婦も子供達も同じ時間に同じ食卓をかこむことはいまでは
なんでもないことのように思える。けれども、このようなことが可
能になるためには客と主婦と子供達の関係が平等になっていなけれ
ばならない。客と主婦が平等であるためには、それ以前に夫と妻が
平等になっていなければならない。」こうして家族の各人が価値とし
て均質化されてはじめて、住空間の均質化が、行為者を均質化する
形で、実現するのである。

                    或る官舎平面図

          植松氏の住宅(立体最小限住居) 設計池辺陽
                        1階                               2階


 これらのことはこうも言いかえられる。
 食堂という空間が、行為者を均質化しうるのは、それ以前に家と
いう住空間全体がそこでの行為者を均質化しているからである。つ
まり家族各人が平等化されているからである。これを機能主義的空
間と呼ぷことができる。反対に機能主義以前の空間は、家族が平等
化されていないため、当然住空間全体も均質化されることは不可能
である。清家清は、「或る官舎」の平面図と池辺陽が設計した「植
松氏の住宅」の平面図とをかかげ、前者の夫婦関係の対等という近
代性の欠除と後者の近代性を指摘している。平面は、この点をはっ
きりと語っている。「或る官舎」の間取りは、ふたつの点から機能
主義以前の住空間であることが理解できる。第一は、住空間の呼称
法が使用者中心であることであり、第二は、太線を境に住空間が真
二つに分割できることである。(A)の部分だけ見ると、この間取
りは機能主義的に見える。空間に行為中心の呼称法がとられている
からだ。けれど二階を含めた(B)の部分はこれと正反対である。
客間、応接間、書斎、女中室というように客中心、主人中心の間取
りに見られるように使用者を限定し、行為を均質化することを狙い
とした機能主義以前の空間である。そして重要なことは、この「或
る官舎」が、(B)が住空間の主役で(A)は(B)に付属し、
(B)を補助する形に設計されている点である。明らかに、この家
族では夫は主人として妻や子供の上に君臨し、その夫と客との付き
合いが住生活のメインであるというような生活形熊がとられている。
これに対し、「植松氏の住宅」の間取りには、このような近代以前、
機能主義以前の空間の特徴を見出すことはできない。ここでは少な
くとも、「或る官舎」の間取りからうかがえるような、家事労働を
「奴隷労働」とみなすような家族構造はとられていないし、各室は
機能主義的に行為によって分割されている。
 浜口ミホが日本住宅の封建性の克服を唱え、「玄関という名前を
廃めよう」と訴えたのもこの点に関っている。(註三)
 浜口ミホは、玄関とよばずに出入口とよぶとするならば、機能的
性格を露出させ、合わせて格式的な性格の温存を許さないことにな
ろう。「玄関は座敷につらなり、座敷は床の間を要求する。日本住
宅における、これら一連の格式的・封建的要素の制覇は、他方にお
いて台所その他の家事廻りの機能的要素を一層惨めなものとし、家
庭の女性を圧し虐げ−−ひいてそこに育つ子供達、さらにはとも
に生活する男性を曳きずりおろし−−われわれの人間性の幸福な
発展を妨げずにはおかないであろう。」
 浜口ミホはこう主張するだけでなく、実際に大衆の住宅の戦後化
に、大衆とともに同じ場所でつまり中小住宅の設計・相談という形
で苦闘した建築家であった。後に触れるようにこのことは一方でラ
ジカルに近代化・機能主義化を唱えながら、他方においてなぜ住宅
の機能主義化が大衆的規模とレベルで進展しないかを問う姿勢には
っきりとあらわれている。

 戦後住宅の展開におけるこうした機能主義的な本質あるいは近代
性は必ずしも、円滑に大衆のなかに浸透したわけではなかった。早
川文夫は、「現代の住居の要件」すなわち戦後住宅の要件をふたつ
あげている。第一は、寝室の独立性、第二に食事室や居間を板敷に
し、あるいは台所を南側に持ってくる等、主婦の働き易いような配
慮である。早川文夫は、これらの現実化を大衆が好む住宅の間取り
のなかに探っている。(註四)
 早川文夫が例にとったのは、住宅金融公庫編「木造住宅平面図
集」(一九五一年)である。「木造住宅平面図集」は毎年増補され、
早川文夫自身も一九五五年から編集に参加している。とりあげてい
るのは、五年間で平面図集とともに売れた青写真二千組であり、そ
の申込みの多い順ベストテンである。十例を分析した結果はそれほ
ど芳しいものではなかった。まず共通していえることは畳敷の室が
多い。プランが選ばれる傾向にあること。次に、台所・食事室を北側
にとったものが選ぱれる傾向にあること。第三に家族中心というよ
り接客を想定した間取りを選ぷ傾向にあること。さらには、これは
図面を引く側の問題であるのだが、寝室の独立性が十分に配慮され
ていないこと、等々である。これらを一言であらわせば。均質空間
がいまだ獲得されていないことを語っている。むろん一二坪から一
八坪のあいだという狭小空間に限定されており、入居希望者の経済
力の低さがここに絶対的な壁として立ちふさがっていることは指摘
されている。こうした点が限定されることの少ない非機能的な畳敷
の部屋が選ばれる主な要因になっている。また居室の快適さを志向
するあまり、台所を北側に配するという形で主婦を冷遇する傾向も
露骨にあらわれている。これらは、戦後住宅が観念や制度の改革だ
けでは実現不可能であること、もっと住宅に関する大衆の経験があ
らゆる点で貧しい状態に置かれ続けていたことに関係があることを
伝えている。

 浜口ミホは一九五八年時点で依然として、なぜ社会の一般の施主
が近代的な住宅の間取りを欲しがらないで、ありきたりの間取り
(機能主義以前の間取り)を欲しがるかと問い、それに答えて次の
ように述べている。
「ひとりの人間の生きてゆく状況は経済的に見て三つの時期に分
たれる。第一期は親がかりの時期、第二期は世帯をもった「生活
給」の時期、第三期は蓄財とそれにひきつづいて息子たちによりか
かる時期。近代的な間取りが想定しているのは第二期の家族であっ
て、現実に施主となる第三期の人たちではない。「普通の施主にと
って、近代的住宅の間取には、その家族が人的構成上はいりきらな
いというだけでなく、特にいずれくる将来を考えて老後の自分たち
自身がはいらないのである。これは痛いように切実な問題であっ
て、祉会保障の十分ゆきわたっていないいまの日本の現実では、そ
うした冒険をおかしてまで自身の住まいをモダンにできる人は少な
いのは当然として特に苦労して「蓄財」の時期をとおってきた施主
たちにとっては、なおのこと避けたいところであろう。」

 ここにはふたつのことが出現している。ひとつは、戦後の大衆の
家族は、前近代的家族(世代的家族)から近代的家族(エロス的家
族)へ移行しつつあり、その過渡期の苦しみを体験しているという
こと。もうひとつは、機能主義的な空間が、人間がたどるライフス
テージ全体を包括しきれないのではないかという問題。ふたつが寄
り合わさって、戦後住宅という機能主義的で均質な空間を生むこと
を阻んでいるのである。

 こうして私たちは再度、黒沢隆の指摘した空間と機能が相互に限
定しあうことのない「ユニバーサル・スペイス」という均質空間に
戻ってきたのである。

                       せりざわ しゅんすけ(評論家)

 註一 鈴木成文「庶民住宅の過去が教えるもの」
(「国際建築」 一九五四・一)
 註二 清家清「住宅−−平面について」
(「新建築」一九五二・五)
 註三 浜口ミホ「玄関という名前を廃めよう」
(「建築文化」一九四七・九)
 註四 早川文夫「大衆に好まれる住宅平面について」
(「新建築」一九五六・九)
 註五 浜口ミホ「住宅間取論(1)」
(「近代住宅」一九五八・三)





                               (3)へ続く
===============================================================
  ■ 建築家の自邸に表れた家族意識         (月2回発行)
     発行者     :武田稔
     発行システム:まぐまぐ http://www.mag2.com/  ID:0000020587
              :MACKY http://macky.nifty.ne.jp/index.htm
  ■ HP:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/index.html
===============================================================

   ■ 掲示板です。なんでも書き込んで下さい。
    
   ■ このメールマガジンへのお問い合わせ感想などは
     


 back to home 

Hit!Graph