========================================1999/12/1・11====

                建築家の自邸に表れた家族意識

        ============================================01・02/24====

      プライバシー空間の誕生と展開 1(上)


 家族のイメージを作ろうとするとき、いまなら夫婦と子供二人と
いう家族溝成をまっさきに思い浮べるのではないだろうか。核家族
という言葉が定着して久しいけれど、夫婦と子供二人という家族構
成は、その核家族という言葉に内実を与えるものとみなされてい
る。夫婦と子供二人の核家族は、夫婦中心に構成される。夫婦と子
供は同じレベルにいない。まず夫婦がある。つぎにその夫婦のエロ
スの客観化として子供が生まれる。子供を生むために家族があるの
ではなく、反対に夫婦の生活が第一に確立されなくてはならないの
である。このような近代的な家族は戦後が、正確には家族史が戦後
という時空をえて、実現しょうとした課題と言えた。

 これまで、西山夘三の「食寝分離」と「隔離就寝」の主張を足早
に紹介してきた。それは、この主張が戦後における近代家族の出現
に、決定的な寄与をなしえたものと考えるからである。
 近代家族という課題に立ってみると、西山夘三が「食寝分離」と
「隔離就寝」を主張した理由がおばろげながら見えてくる。「食寝
分離」をねばりづよく説く最大の理由は、食べる空間という集中的
な共同の場と寝ると言う個々への、分散的な行為の場である空間とい
うふたつのまるで正反対の機能空間を、「転用」という形で混合し
たまま、あいまいにしておくことが近代家族の出現を阻むものと思
えたからである。また、「食寝分離」が成立してはじめて「隔離就
寝」が主題にのぼることができるのだ。いまでは寝室と言えば断ら
ずとも夫婦の寝室を意味し、夫婦の寝室以外を寝室と呼ばないこと
は常識になっている。けれどそこにいたるには、最小限ふたつのス
テップが必要だったのである。ひとつは食べる空間と寝る空間の分
離。ついで寝る空間を夫婦と子供で分け、さらに子供のあいだで男
と女に分けること。第二のステップのなかで寝る空間は寝室と子供
室に分離する。ここまできてようやく、住居空間は近代家族にふさ
わしい器として登場することができるのである。


 だが、敗戦といぅ事態は、大衆の住居を西山夘三の理念の方向に
進ませなかった。最大の障害のひとつとなったのは、一九四六年の
臨時建築制限令であり、それによって不要不急の建築は禁止される
とともに、住宅の床面積は一五坪(四九・五m2)に制限された。床
面積は翌年の法令施行の段階で一八坪(五九・四m2)にまで緩和さ
れたのだが。
 黒沢隆の「2DKの意味」という論文(『日常へ。』所収)によると、
こういう制限下および資金、資材等の不足などがあいまって、敗戦
後の住居は、西山夘三の提案を現実のものとしえなかったばかりで
なく、依然として戦前型の住宅であったり、バラックであったりす
るほかなかったのである。


 だが「食寝分離」「隔離就寝」という形での住居の近代化が不可
能であるということのなかから、思いがけない発想が生まれた。一
室住居(ワン・ルーム住居)である。黒沢隆の言葉を借りれば、そ
れはほとんど窮余の一策のように登場してきたのである。「一二坪
の極限的な住宅でも、一室にして間仕切りをつけなければ、二四帖
ものゆったりとした大部屋がとれる。便所や浴室を璧で囲んだとし
ても、まだ、ニ○帖にはなる。あの「ファンスワース邸」のよう
に、タンスや棚を目隠しにしてベッドを配置したりすれば、ある程
度のプライバシーを確保しうるし、だいいち狭さを感じさせないで
すむ。つまり、一室住居への指向とは、『ユニバーサル・スペイス』
への指向とあくまでも通底しているのである。

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                                    ミース  ファンスワース邸 1階平面図




     プライバシー空間の誕生と展開 1(下)



「ユニバーサル・スペイス」は、建築家ミース・ファン・デル・ロ
ーエの方法論である。黒沢隆のさきの論文によると、この方法は機
能主義──機能が空間を決定するという方法。西山夘三の「食寝分
離」「分離就寝」もこの方法に含まれる──に対立し、機能主義を
越えるものであった。「ファンスワース邸」は「ユニバーサル・ス
ペイス」であった。その下ではいかなる機能も想定しうる、団欒も
就眠も、排泄も。また何にでも転用を考えることができる。転用の
みならず家族数の変化や使い方の変化にも対応しうる。なぜなら
「ユニバーサル・スペイス」なのだから。
 奇妙なことに気づくはずだ。ここには「転用」論の再生が認めら
れる。近代家族のための近代住居の誕生を阻害するものとして、西
山夘三が徹底的に批判したあの「転用」論がここに再び登場してき
ているのである。これが「転用」論であることは、黒沢隆が機能主
義を空間と機能がたがいに限定しあうものととらえ、他方「ユニバ
ーサル・スペイス」を「空間の無限定性」と把握していること。こ
の「空間の無限定性」を日本の伝統だと述べていることからも明ら
かである。すなわち日本の空間は伝統的に用途によって部屋と呼ば
れず、ただ一〇畳の間とか八畳の間といった広さで呼ばれ、その空
間はさらに襖や障子などの可動間仕切りで仕切られ、璧によって完
全に仕切られていない。

 では「ワン・ルーム住居」あるいは一室住居は「転用」論への退
行であり、したがって反動であったのだろうか? 家族の戦後史の
表出であるはずであった「食寝分離」「隔離就寝」を実現した多室
型の近代住居からの後退であったのであろうか? 確かに「転用」
論という点で退行であり、後退であった。

 けれども、この後退は実は同時に、いっきに家族における戦後的
なもの、近代家族の原理を居住空間のあり方にもたらしもしたので
ある。近代家族の原理は冒頭に述べたように夫婦中心の家族であ
り、夫婦中心に生活する家族である。ユニパーサル・スペイスとし
ての一室住居=ワン・ルーム住居に、この近代家族の理念をいっき
ょに実現してしまったのだ。すなわち、ワンルーム全体が夫婦中
心、夫婦中心の生活によって規定されることになったのである。空
間が均質化されることがそれを示している。


            
                                 丹下自邸 2階平面図




 黒沢隆は前掲の論文で、ミース・ファン・デル・ローエの「ファ
ンスワース邸」(一九五〇年)と日本の丹下健三の「自邸」(一九
五三年)とを比較しながら、書いている。
『ファンスワース邸』を乗り超えること、おそらく、それだけが
丹下がその自邸に意図したことのすべてであった。その意図は、
『ユニバーサル・スペイス』を、『ファンスワース邸』以上に、徹
底させることによってのみ達成されることを、丹下は知りつくして
いた。『ファンスワース邸』の最大の欠陥は、『ユニバーサル・スペ
イス』が間取りの上で完全に成立していないことにある。それは、
テラスのあり方と入口ドアの位置関係に起因している。プランを見
て欲しい。いくら「ユニバーサル・スペイス』とはいっても、入口
ドアを開けたところに寝るわけにはいかない。あの辺が居間になら
ざるをえない。また、ベッドも図面の位置にしか置くことができな
い。したがって、『ファンスワース邸』の空間は均質ではなく、その
下であらゆる機能を満たしうるはずの『ユニバーサル・スペイス』
は成立しないのである。そこで、丹下は主階をピロティ(高床)で
持ちあげる方法を採用する。そして便所や浴室や台所などの配管の
集まる諸室を集めた『コア』のなかに、階段を登ってアクセスす
る。こうすれば、コア以外の部分は均質になり、どうにでも使え
る。(改行)つまり、『ユニパーサル・スペイス』は確立する。」
黒沢隆の記述は、私たちに、住宅建築を家族の議論に接続させる
ポイントがどこにあるのかを指してくれている。間取りである。間
取りを分析することは、その住居と家族のむすびつきを明らかにす
るということを。
 黒沢隆の言っていることは少しも、あいまいなところはない。も
し「ユニバーサル・スペイス」であるなら、どこにでもどんな機能
を据えても問題はないはずだ。空間と機能が相互に限定しあうこと
はないはずである。だが現実は間取りにあらわれている。「ファン
スワース邸」は、入口ドアを開けたところに寝る場所をとることは
できない。ベッドの位置もどうやら固定的である。つまり空間は機
能から自由になっていない。「丹下邸」はどうか。高床にし、水回
りを「コア」として集中させ、そこに入口をもってきた。するとこ
の「コア」の部分だけが機能的になるが、残りのすべての空間に機
能性から解放され、均質性を獲得する。言いかえれば、どのように
間取りを考えることも自由になる。



 もっと重要なことが見えてくる。空間が均質性を獲得し、その均
質空間を自由に使用できるということは、その空間が夫婦の支配下
に入ったことを意味する。このことは、夫婦と子供がいる家族であ
っても、夫婦だけが実在し、子供はその夫婦のエロスの客観化とし
て存在してはいるのだけれど、まだその独立性を主張しえないとい
うことを語っている。均質な空間の一部を夫婦が子供の場所として
分与したとき、はじめて子供は独立的なものとして、家族のなかに
位置をうることができる。他の同居人も変らない。均質な空間の一
部を夫婦に分与されてはじめて、その家族に位置をうるのだ。

 まだ分節化されていない均質な空間というとき、それは均質な空
間の支配者がいないということではない。住宅においてそれは家族
論的に言って、夫婦の支配下にある空間ということ以外ではない。
ワン・ルーム住居という形態が、機能主義空間の不可能性のなか
で探り当てられたことの家族史的な意味は、この点にこそある。ひ
るがえって「食寝分離」「隔離就寝」の実現過程から、どんな家族
像が浮びあがってくるかを想像してみよう。非物質的な空間へ、い
ちども自覚的な物質化の過程を経ずにむかうとき、私たちの家族の
戦後史が出会ったのは、昭和三十年以降の団地の姿であり、そこで
の家族のあり方である。
              (せりざわ・しゅんすけ 評論家)



    参考HP
           有名建築CGギャラリー (大分大学工学部建設工学科 建築環境工学研究室)
ファンズワース邸http://www.arch.oita-u.ac.jp/a-kan/cg/farns/farns.htm

One of the greatest "modern" architects ever : Ludwig Mies van der Rohe (1886-1969).FARNSWORTH HOUSEhttp://studwww.rug.ac.be/~jvervoor/architects/mies/index.html



                               (2)へ続く
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  ■ 建築家の自邸に表れた家族意識         (月2回発行)
     発行者     :武田稔
     発行システム:まぐまぐ http://www.mag2.com/  ID:0000020587
              :MACKY http://macky.nifty.ne.jp/index.htm
  ■ HP:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/index.html
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