========================================= 集合住宅論 2/4====



============================================2001/03/31====

       建築家の自邸に表れた家族意識

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   ──「転用論」からの離脱──


      住空間の戦後史(前)


                    芹沢俊介(評論家)


 「食寝分離」の原則と「隔離就寝」の原則は、いまでは家族の

「住み方」に関する常識になっている。けれど、たった四十年ほど

前まで、これらふたつの原則は、常識でもなんでもなかった。それ

を、大衆の住居を設計する際の必要で不可欠の条件として最初に説

いたのは、西山夘三である。西山はすでに戦争期から、これらふた

つの原則の実現をくりかえし、執ように主張していた。実際には敗

戦までには実現を見なかったけれど、住み方をめぐるこの二原則は、

戦後という時空を得てかえって活力を得てよみがえり、戦後の大衆

の家族の住空間を根本から規定することになったのである。その意

味で、家族の戦後史を住居という場所から敗戦後真先にりードした

のが西山夘三であったと言えるだろう。西山夘三は、昭和十七年の

時点で、「住居建築家」という建築家の新しいカテゴリーを提出し

ている(「住居建築家覚え書」)。これは在来の「施主建築家」に

対立させるようにして、提出されたものである。

 住居建築家というカテゴリーが生まれるには、それなりの必然性

があった。西山によれば第一は、昭和十五年に住宅営団法が制定さ

れ、日本において初めての国家的観点よりなる庶民住宅の大規模な

供給機構が確立されたことである。住宅営団における第一期計画は

五カ年間、三〇万戸とされた。当時、全国の庶民住宅一年問の新築

所要数は三〇万戸と想定され、その五分の一が一個の経営体のもと

で集中的に建てられようとしていたのである。これは画期的な住宅

生産の改革であった。ところでこの大改革が推進されるのは、たん

に生産部面のみでなく、建築家の仕事の性格も一変させるものでな

くてはならないはずだ。すなわち、住宅営団に集っている建築家た

ちに課せられているのは、一個の総合的な生活基地を建設すること

である。そのためには従来のように住宅だけを設計していることは

できない。商店も幼稚園も事務所も必要である。西山夘三は、「こ

のようた形で住居施設の総合建設のあらゆる分野にたずさわる総べ

ての建築家」をさして、「住居建築家」と名づけたのである。もは

や、住宅は特定の個人の住宅ではなく、ある集団の人々を予想して

の集合住宅である。西山が着手したのは、こうした集合住宅の設計

を進めるための基本条件の探求であった。別の言い方をするなら、

住居建築家は、「住宅問題」という政治的、社会的なテーマを背負

うのである。住宅政策にできうるかぎり介入し、都市における大衆

の住宅の量的、質的向上を図らなくてはならない。

 西山夘三は、国防体制下に再び浮上してきた「住宅問題」(それ

以前では関東大震災後の「住宅間題」がある)に、鮮やかな展望を

与えている。量的住宅難の解消という観点からのみ間題に取り組む

だけでは不十分であること。質的な最低水準を維持するといった消

極策ではなく、もっと積極的に「住み方」の向上を主眼にした「新

標準化住宅の最大テンポの合理的建設」でなくてはならないことな

どを打ち出している。住居建築家の社会的任務のひとつの中心的課

題は、標準住宅の深求にある、というのである(「住宅政策への一

展望──建築行政の新展開と建築家の任務── 一九三九年)。

 この「標準住宅」の深求への一歩を歩み出した西山夘三にとって

の最初の障害は、「転用」論であった。西山の立場ははじめから明

快であった。住空間を生活空間として高度に秩序づけるためには、

機能による分割が不可欠であるというものであった。この不可欠で

あるという立場を、不可避性へと導くこと。西山がそのために行っ

たのは、器としての住居の調査と同時に住み方の調査である。その

結果、大衆の家族は、住空間の使用にあたってはっきりと「転用」

論を拒否していること、機能分化への潜在的だが強い欲求が存在す

ることなどを深りあてたのである。これは重要な飛躍を用意するも

のであった。

 西山夘三によると「転用性」という慨念を提出したのは、前田松

韻であった。転用性とは、空間の共同・併用・兼用のことである。

西山が批判せざるをえなかったのは、大住宅であるならどのように

も機能分化の思想を間取りに反映させることができるが、小住宅で

はそれが不可能ではないまでも困難をきわめること、この困難さを

補うものとして転用という慨念が、小住宅の間取りの機能分化の不

可避性を穏すように、あるいは転用論を正当化するように、機能し

ていたことによる。西山夘三が抱いていた当時の住空間の機能につ

いての理念は、次のようなものであった。「空間の本当の機能は、

『食事』とか『裁縫』とか『就寝』とか、コマ切れにされた生活過

程の断片を拾うことでなしに、その組みたてられたつながり=生活

様式の中に、それと住空間全体の抱き合わされ方の中につかまえら

れねばならない。」

 具体的に言うと、現実の都市住宅をみると部屋はほとんどたんな

る畳敷きの空間で、何ら機能分化していない。転用論は、極端な言

い方をれば、畳敷きの部屋はいろいろに使えるから便利であるとい

う形で、この貧しい住空間の現実を正当化しかねない、と言うので

ある。これでは、空間を適切に機能分化し、そのつながりを有機的

に組み立ててゆくという動線論=建築組織論は、生きる場所を得る

ことが不可能である。




     ──「転用論」からの離脱──


       住空間の戦後史(後)に続く


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============================================2001/05/22====

       建築家の自邸に表れた家族意識

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   ──「転用論」からの離脱──


      住空間の戦後史(後)



                    せりざわ しゅんすけ


 西山夘三は、なぜ「転用」論が非生産的で、「住み方」が住宅に

とって重要な問題となるのかを、次のように述べている。

 「『住み方』が住宅にとって重要な問題となるのは、わが国にお

ける住宅形式・生活様式の特殊な形態にも関連している。周知のご

とくわが国の庶民往宅における住居空間は畳を敷きつめられた『住

居面』が中心をなしているのであって、この住居面は特別な家具や

設備をはじめから常備しているのではなく、さまざまの生活はそれ

に必要な道具・家具などを持込んだり抽き出したりして行なわれて

いる。

すなわち一つの住居面がさまざまの用途に供せられている。このよ

うな室の使用を、家具によってその使用方がほとんど定まっている

外国の例と対比して『室の転用』といわれる。そこでは、住空間は、

個々の用途を持った空間というよりも床面の平面的の拡がりとして

使用されている。私はこのような住生活の仕方を『住面生活様式』

と呼んでいる。」「このような住居空間の構成においては個々の住

居面がどのように使用されようと、直ちにうごきがとれなくはなら

ない。だから『転用』をさまざまに考えることによって、人はどの

ような生活過程の混乱をしいていても見のがしがちになる。とくに

現在の庶民住宅の計画は主として建築家が従来の大・中住宅の建設

・計画において長期に蓄積してきた断片的経験によって行なわれて

いるのであって、真の庶民の住生活全体にたいする認識によって指

導されているとはいい得ないから、この危険は大きい。ここに『住

み方』の調査を通じて庶民の住生活の実情を明確につかむことが特

に必要となってくるのである。」「『転用性』というような考え方

は、かつて建築家のとりあつかった中・大住宅の範囲では羅列的な

室配列を規制する点においてある種の合理的な意義をもっていた。

しかしそれを何の批判もなしに小あるいは極小住宅に導入すること

はきわめて危険である。住居内における生活に本当に高い文化的な

秩序をあたえるためには、建築家は『ただ寝床だけは充分に敷ける

』という畳面をあたえるだけであってはならない。住居面を分割使

用する真の必要性を明らかにし、それに適合した空間分割をあたえ

ることが必要だ。住み方の調査・生活方式の研究は、このような探

求に最も重要な手段を与えてくれる。」(「住み方調査の意義につ

いて」一九四一年)

 この転用論は、一九四一年の「日本建築学会の庶民住宅基準」に

おける「平面計画について」のひとつの中心的な考え方であった。

そここは、居住室の「種類および使用方法」として、「居住室は全

部寝室として使用し得るものとし、昼間は種々の目的にこれを転用

するものとす。」と述べてある。この場合、居住室数の標準は、家

族四人(但し、乳児・児童の多き家族は五人以上にても可とするこ

とあり)で三室、総畳数約一七畳であり、五人(但し、乳児・児童

の多き家族は六人以上にても可とすることあり)で四室、約二一・

五畳である。

 西山夘三はこうした転用論の批判を核に新しい標準住宅を生み出

そうとしていたのである。このような「転用」論批判の正しさを検

証することになったのが、都市住宅における大衆の「住み方」に関

する調査であったった。そしてここから取り出してきたのが、大衆

の家族の住み方に見られる「食寝分離」の強い傾向であり、またそ

のことがもたらしている「集中就寝」という現実であった。これら

ふたつの事実は、大衆の家族が、自分たちの住空間を「転用」の原

理によって使うことを肯定してもいなければ、求めてもいないとい

うことを伝えていた。機能分化の正当な要求をもっていること、し

かしながら狭い空間のなかで「食寝分離」という形で機能分化を実

現しようとすれば、必然的に別の面に貪しい現実が顔を出すという

こと、つまり「集中就寝」という事態をもたらしていること。西山

の課題はそれゆえ、このような袋小路に新しい通路を開き、方向づ

けを行なうことであったと言える。言いかえれば、「食寝分離」の

原則を取り出すこと、「集中就寝」を「隔離就寝」へと転換するこ

と、これらふたつの原則を住空間に統一すること。このことの実現

のためにも、「転用」論は批判され、克服される必要があったので

ある。

西山は振り返って述べている。「『転用』といった概念は大邸宅計

画から出発して住宅を縮めていくという考え方をする場合にでてく

る発想であって、現実は一つの空間構成に対応する一つのまとまっ

た生活の型が対置されること、その生活を要素的『過程』に分解す

るまえに、まとまり方の構造をつかむことが大切であることに気づ

いた。(中略)住宅の使用のし方、あるいは実生活の型は、それぞ

れの規模(居住者層の段階に特有のものをもち、そこに別々の法則

性が支配している。そして一二〜一五畳をモードとする大衆の住宅

では食寝分離という原則、就寝密度を引下げるための分散よりも隔

離就寝の要求が先行すること──など、住み方の若干の法則を検出

することができた。(改行)こうした法則はむろん住宅の規模、つ

まり居住者の階層によって変化するが、住宅営団が主としてとりく

んだ、そして当時の建設の中心的であった小住宅の領域では、まち

がいのない法則であると思われた。この確信から出発して、同潤会

時代とは質的にちがった住宅営団の規格住宅の計画基準がつくられ

たのである。」(「すまいをおいつづけて──私の研究生活──」

一九五八年)「転用性」という貪しさから離脱するとともに、「食

寝分離」と「隔離就寝」のふたつの原則を大衆の家族の住空間に、

「標準住宅」として実現すること。このことは、大衆の家族の小住

宅が大邸宅の縮小ではなく、その機能とつながりにおいて独自な組

み立てをもっていることを示しうるこであった。住宅における戦後

史は、ここにすでに開始されていたことを知ることができる。先に

進むまえに「食寝分離」と「隔離就寝」のふたつの原則が敗戦前に、

どのような状況にあったか、この点について少しこだわっておこう。



              ──就寝空間について(前)に続く



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 芹沢俊介・藤井東「ファクス書簡」再開とご購読お願いのお知らせ


 評論家の芹沢俊介と学習塾自営の藤井東が、「山梨日日新聞」に

「ファクス書簡」と題し、子どもを核に、家族・学校・教育・事件

などに象徴される社会現象に対し、リアルタイムで考察、言及して

きました。その間、阪神大震災、オウム・サリン事件、神戸の少年

事件などが起こり、時代や私たちの精神の基底部に大きな衝撃があ

ったことは、まだ記憶に新しいことと思います。

 1993年4月から2000年7月までの約7年4カ月に亘る新

聞連載は終了しましたが、芹沢の新著『ついていく父親』にありま

すように、「家族のエロス(=受けとめる力)が枯渇」している現

在、私たちは未知の課題に直面しているのを感じます。このような

現在の未知に、思考停止に陥らずにできるかぎりフットワークよく

ことばを届かせられるよう、「ファクス書簡」を再開いたします。

引き続き、また新たにお読みいただけたらと思い、ご案内させてい

ただきます。

 なお、発表の形式ですが、往復書簡を通信スタイルで、年5〜6回

発行する予定です。

一つのテーマについて、1回2往復の計4便(1便・400字×4

〜5枚程度)をまとめて郵送いたします。



★購読料は6回分1000円です。(後日、郵便振替口座を開設し

ますが、切手でも可です。)

☆ご購読希望の方は、下記までご連絡ください。


    〒400−0015 甲府市大手1−4−6  藤井東

       電話&FAX 055−252−4249

       E−mail:

              haru55@be.mbn.or.jp

 P.S. 第1回目のテーマは「『虐待』について」です。5月末発

行予定です。なお、数カ月先になるかと思いますが、ホームページの

   作成も検討しています。

   発表スタイルを模索していきたいと思っています。

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  ■ 建築家の自邸に表われた家族意識 (月1回発行)

     発行者  :武田稔

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HP:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/mirutake/serizawa00.html

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