呉海軍墓地について

平成29年(2017)新ホームページへ移転しました

平成29年(2017)2月8日更新
平成13年(2001)3月6日開設






帝国海軍呉鎮守府管轄下の大東亜戦争戦没者約13万余柱の御霊が合祀されている



平成24年(2012)11月15日1500頃時ならぬ驟雨の後、
呉海軍墓地の頭上東北東に二重の美しい「虹」が出現しました。
何か良いことが起きる瑞兆ではなかろうか?



バックに流れているのは「海ゆかば」の旋律です

沿  革

 呉海軍墓地は、明治23年(1890)に海軍軍人の戦没者、殉職者等の埋葬地として広島県呉市長迫町(旧和庄町)に設置されました。
 以来、海軍呉鎮守府の管理のもと、毎年慰霊祭が丁重に行われてきましたが、昭和20年(1945)大東亜戦争の敗戦により慰霊行事等は総て廃止されました。
 また敗戦の年,呉地方は空襲による戦争災害と大水害に襲われ、海軍墓地全体が廃墟と化してしまいました。
そのため、当時の呉地方復員局は、地元有志の協力を得て復旧し「大東亜戦争戦没者の碑」を建立しました。
 その後は、「自分だけが生き残って申し訳ない」との思いにかられる生存者を始め、心暖かい有志の奉仕活動により、清掃と供養が続けられてきました。 
 敗戦後の混乱期を過ぎ、日本経済が安定してきた昭和40年(1965)頃より、先の大戦で、祖国と日本民族の安泰を願って悠久の大義に殉じた戦没者の御霊を、呉海軍墓地にお迎えし、その功績を碑に託してご冥福をお祈りしたいとの願いから、生存者やご遺族の手によって、鎮魂の碑が相次いで建立されるようになりました。
 呉海軍墓地には現在、開設以来120年、各艦船、部隊毎の慰霊碑91基、個人碑157基、英国水兵の墓1基が建立されております。
 その意味から呉海軍墓地は13万余柱の御霊が安らかに眠る聖地であり、また、日本帝国海軍の歴史を刻んだ貴重な史跡遺産でもあります。

※呉海軍墓地保存会から公益財団法人呉海軍墓地顕彰保存会へ

 昭和46年(1971)有志相諮り呉海軍墓地保存会を結成し、毎年秋分の日を式日と定め「合同追悼式」を盛大に行い、英霊の遺徳を顕彰すると共に、清掃と墓地の維持管理に努めてきました。
 平成7年(1995)10月に海軍関係者を中心に募金活動の結果得られた1億円余を基金に、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会」を設立し、梶本光義が初代理事長に就任しました。 平成22(2010)年8月23日付けで公益財団法人として認定され初代代表理事に梶本光義が就任しました。

  旧呉海軍墓地保存協力会(のち呉海軍墓地保存会に改称)発会式記念写真
昭和46年(1971)6月16日呉海軍墓地保存協力会発会式記念↑
前列右から5人目神津初代会長,2列目一番左が梶本現理事長。
この写真に写っている殆どの方は既に故人となられた。鳴呼!



高松宮・同妃両殿下を囲む昼食会記念写真

高松宮・同妃両殿下のご来臨を賜り第15回呉海軍墓地合同追悼式が執り行われた
昭和60年9月23日正午より開催の「高松宮・同妃両殿下を囲む昼食会」の記念写真





海上自衛隊幕僚長 河野克俊海将、呉地方総監 山口透海将と共に
平成25年4月17日1440呉海軍墓地を訪問し、大東亜戦争戦没者の碑に献花し鄭重な参拝をされました。



梶本光義理事長の案内で墓地を巡拝し、戦艦大和戦死者の碑にも丁重な礼拝をされました。




お願い:写真の上にマウスポインターを置いて下さい。もう一枚の写真が見られます。


第44回合同追悼式
平成26年(2014)9月23日(秋分の日)10:30開式
絶好の秋日和に恵まれ、全国より約1,200人の参列を見て、盛大に開催されました。
















護衛艦「いせ」艦長梅崎時彦一等海佐以下28人は、
同名艦「伊勢慰霊碑」と姉妹艦「日向慰霊碑」を清掃して鄭重な参拝を行った。
併せて呉海軍墓地顕彰保存会事務局玄関に「門松」を設えてくださった。
因みに、呉海軍墓地に門松は初めてのことである。




隊友会会呉支部と水交会呉支部の会員ら90人は
年末の厳しい寒さを厭わず、高所作業にも敢然と取り組み、
新年を迎える呉海軍墓地の清掃整備に奉仕の汗を流した




護衛艦「いせ」の艦長以下12名のスタッフは、
平成24年8月15日0900〜1100、同名艦の戦艦「伊勢」の慰霊碑を、心を込めてブラッシングし、水で洗い流し,見違えように綺麗に磨き上げた。
一行は、お酒を供え頭を垂れて戦没者の冥福を祈った。




晴れて幹部候補生学校を卒業した
第63期初任幹部一行180名は
平成25年4月24日と25日に、2隊に分かれて海軍墓地を訪問し、
梶本理事長から墓地にまつわる海軍の伝統などの話しを聴取し、銘々で墓地を見学した。




海上自衛隊幹部候補生学校を3月30日に卒業の
第62期初任幹部一行200名
は、
平成24年4月25日午後、2隊に分かれて呉海軍墓地を訪問。
梶本代表理事から「呉海軍墓地の由来や海軍の伝統」などの話を聴取し、
銘々慰霊碑などに参拝した。






呉教育隊で准尉として受講中の約100名は、平成24年2月28日午後、呉海軍墓地を訪問。
梶本代表理事の話を聞いた後、ベテランらしくスマートに墓地全域の清掃奉仕活動を展開した





敷設艦「むろと」の乗組員有志染田良弘艦長ほか45名は、
平成24年(2012)2月9日呉海軍墓地を訪問。
清掃奉仕活動に取り組んだ。


海上自衛隊呉教育隊・第354期練習員ほか160名は、
終業式前の平成23年8月17日09:00教育隊司令を先頭に、呉海軍墓地に集まり、
梶本代表理事の話を聞いた後、2時間にわたって全域の清掃奉仕活動に汗を流した。







英国在日駐在武官 アンディー・エドニィー海軍大佐 雨の中「英国水兵の墓」を参拝

平成23年4月15日早朝、アンディー・エドニィー海軍大佐は、「英国水兵の墓」に花束を供えて参拝
「日英同盟100周年記念樹」を鑑賞し大和碑などに参拝された。↑





青少年健全育成活動助成事業展開

公益財団法人呉海軍墓地顕彰保存会では、その事業の一環として、
代を担う青少年の育成のための
事業を展開しています。


青少年の健全育成を目的とし、

@団体(組織)の規約を設けて活動し
A営利を目的とせず
B呉市で青少年の健全育成に有効な事業や活動を行い
C参加者が10名以上の事業や活動を
D2年以上実行している団体(組織)に対し、
年間2万円〜3万円の助成金、若しくは共催負担金
を供与することとしています。
該当する団体若しくは組織でご希望があるときは、
平成29年2月1日から4月15日までの間に、
公益財団法人呉海軍墓地顕彰保存会事務局に申し込んで下さい。

継続申請の場合は、申請書に助成を受けた年度の活動実績及び成果を記載した書類を添え申請して下さい。


助 成 額
      @本年度の助成額の上限:12万円
      A各団体の助成額:年間2万円〜3万円
        (助成額は、団体の規模及び活動内容により決定します。)
      B応募者多数の場合は優先順位は、評議員会及び理事会において決定します。)



申請先(連絡先)
住所:〒737-0031 広島県呉市上長迫町7-25
宛先:公益財団法人呉海軍墓地顕彰保存会
Email:kurekbk@m18.alpha-net.ne.jp
Tel:0823-25-1362

   


第43回呉海軍墓地合同追悼式
平成25年9月23日は絶好の秋日和に恵まれ、全国から、ご遺族を始めご来賓100名など総数約1,200名ご参集の下に、呉海軍墓地に眠る約13万3000柱の御霊鎮魂のための合同追悼式が、荘厳に粛々と行われました。


国旗・軍艦旗掲揚↑ 海上自衛隊儀仗隊敬礼↑


追悼式実行委員長梶本光義式辞↑ 小村和年呉市長追悼の辞↑



長迫小児童代表追悼のことば↑ コーラス丘の上ら追悼歌「長迫の丘」合唱↑



三木伸介呉地方総監献花↑ 胡中翠陽追悼吟詠↑




儀仗隊弔銃発射↑
手を合わせ心からの冥福を祈って献花する参列の皆さん↑



合祀碑外大東亜戦争戦没者名碑除幕式・慰霊祭

既存の合祀碑に刻銘されていない英霊で遺族の希望される御英名を
碑に刻んで永久に残そうと、約120柱の御英名を刻んだ
「大東亜戦争戦没者名碑」の除幕式と第1回の慰霊祭が、
3月21日(春分の日)12:00より、ご遺族約60名参加してしめやかに開催された。

巡洋艦「筑摩」飛行長で戦死された齋藤 仁様始め120柱の英名を刻み込んだ「
大東亜戦争戦没者名碑」の除幕



除幕式に続いて慰霊祭が行われた。小野忠明発起人代表が祭文を切々と読み上げ、
梶本光義理事長が追悼のことばを目を潤ませて述べた。
法眼寺住職の読経で、岐阜県や愛知県など遠隔の地から参加された遺族たちは、
積年の深い感慨を秘めて全員が焼香して、霊を弔った。



呉教育隊第112期初任海曹候補学生90名は、
住田副長引率の下に平成22年3月12日0915呉海軍墓地を訪れ、
梶本理事長の講話を聴取した後、
緻密な計画に従い墓地全域の清掃奉仕活動を行った。





就役10周年を迎えた訓練支援艦「てんりゅう」の
笹野艦長以下乗組員は、

平成22年2月、10日と24日の2陣に分かれ、緻密な計画の下に
呉海軍墓地の清掃整理の奉仕活動を展開した。
当日は、梶本理事長から旧海軍のことなどの説明を聴取し、
同名艦初代「天龍」の慰霊碑に献花・参拝した。




駐日英国大使館防衛武官ギャレス・デリック海軍大佐

平成21年(2009)4月15日、第六潜水艇殉難100回追悼式に参列のため来呉されたデリック大佐は、
同日0920、アリソン夫人と長男エドワード君を伴い、呉海軍墓地の「英国水兵の墓」に参拝された。


梶本理事長と平岡事務局長が出迎え、案内した。↑敬礼し準備した花束をお供えする大佐夫妻↑


海上自衛隊各部隊の清掃奉仕活動相継ぐ

海上自衛隊・護衛艦「やまゆき」乗組員80名は、平成21年3月27日14:00から約2時間、
呉海軍墓地の雑草刈りなどの清掃奉仕活動を展開した。

「やまゆき」の乗組員80名にお礼の挨拶をする梶本理事長↑
平素手の届かない雑草刈りをする「やまゆき」乗組員たち↑




訓練支援艦「てんりゅう」艦長中村早速二等海佐以下95名は、平成21年2月18日1300から
呉海軍墓地に乗組員一同からの寄付金を贈呈。清掃奉仕活動をした後、天龍の慰霊碑に献花し、
黙祷を捧げました。

写真は梶本理事長からお礼の挨拶を受ける「てんりゅう」乗組員一同↑
2枚目は、天龍慰霊碑に黙祷参拝する95名の乗組員↑


掃海隊群司令松本幸一郎海将補が
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問


平成21年2月13日、呉港に集結された掃海隊群の司令松本幸一郎海将補は、
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問され
同群の隊員一同120名は、翌14日0900Fバースから徒歩で呉海軍墓地に到着、
清掃奉仕活動を展開された。


平成21年2月13日、財団法人呉海軍墓地顕彰保存会に表敬訪問された松本幸一郎掃海隊群司令↑
2枚目は、翌14日0900、呉海軍墓地の沿革などについて梶本理事長の挨拶を受ける掃海隊群一同↑

隊友会呉支部会員と呉水交会会員とが一体となり
勝山 拓元海将,山本 效元海将補以下100名は、平成20年12月14日(日)0900より1100までの2時間、約1万坪に垂んとする呉海軍墓地の全域の清掃を行った。幸いにも好天に恵まれ、折しも膨大な落ち葉に埋もれ尽くした聖地を、総員が心を込めて清掃作業に当たり、新しい年を迎えるに相応しい状態に整備された。

約2時間の清掃作業が終わって梶本理事長からお礼の挨拶を受ける参加者一同↑
清掃作業中の女性を含む参加者(↑2枚目)


第12護衛隊(司令・小林 磨 1等海佐)

「やまゆき」64名、「まつゆき」26名、「せとゆき」5名、合計95名の乗り組員の皆さんは、
平成20年11月6日14:00〜16:00の2時間にわたって、呉海軍墓地の清掃奉仕作業を行われた。


作業開始前に、梶本理事長から呉海軍墓地の沿革などについての話を聞き↑
95名は岩永3尉、市来先任伍長らを先頭に墓地内広範囲に分散して作業に当たった。↑




公益社団法人呉シルバー人材センター
呉海軍墓地の剪定作業奉仕

呉シルバー人材センターの舩尾忠満理事長始め49人は、9月4日午前中,
3時間余にわたり、呉海軍墓地の樹木剪定作業奉仕活動を行った。
平均年齢70歳を超えると思われる一行は、高所作業をも厭わず、
プロ顔負けの見事な仕上がりぶり。
9月23日に合同追悼式を迎えるに当たり、
参列者の目を一段と楽しませてくれるものと思われます。↓



写真は「ロールオーバー効果」。マウスポインターを写真の上に置いて2枚目の写真をご覧下さい


海上自衛隊第1期一般海曹候補生清掃奉仕活動
第1期一般海曹候補生128名は、8月8日の修業式を前にした4日、
午前と午后の2班に分かれ、
呉海軍墓地の清掃整備の奉仕活動を行った。

清掃活動前に管理棟内で梶本理事長や平岡常務理事
から呉海軍墓地の沿革など旧海軍の伝統について講話を聞いた。





長迫小学校児童の清掃奉仕活動

梅雨晴れの6月12日午后、長迫小学校6年生の児童28名は、校長以下3名の教師と共に、
清掃用具持参で一所懸命、清掃奉仕活動を行い、心地よい汗を流した。↑


呉海軍墓地に「呉市観光案内板」が設置された。↓



呉海軍墓地に合祀碑がある艦船の写真・画像展示と
呉海軍墓地鎮魂のあゆみ展を、
平成19年5月23日から開設しました。
開館時間は平日の13:00〜17:00、土日祝日は10:00〜16:00




呉海軍墓地(長迫公園)内に管理棟が呉市によって建設され、
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会事務所は管理棟内に4月1日に移転しました。


海軍兵学校の生徒館・呉鎮守府の庁舎をイメージした建築↑
平成19年4月4日11:00より,
小村和年呉市長、竹川和登呉市議会議長ら来賓をはじめ52名が出席し,
「財団法人呉海軍墓地顕彰保存会事務所開き」を行った。

(ロールオーバー効果2枚目の写真)


事務所開きを祝って、当日は、国旗と軍艦旗を掲揚した。呉海墓の桜は爛漫と咲き乱れていた。↑


呉鎮潜水艦戦没者合同慰霊祭

呉鎮守府合同潜水艦35隻約3,000柱の御霊鎮魂の平成18年慰霊祭は、4月23日13:00より約80名参加し、慰霊碑前で仏式により開催された。

幸いにも好天に恵まれ、僧侶の読経の後、高見俊作会長の式辞、遺族代表の追悼の言葉、元乗組員の追悼の辞などが心を込めて述べられた。呉鎮合同潜水艦の会も解散し、来年からは、4月23日10:00に自主参拝ということになった。↑



戦艦大和61周忌慰霊祭

戦艦大和61周忌慰霊祭は、全国各地から自発的に集まってきたご遺族や関係者ら約60人が、積もる思いを込め銘々が合掌して鎮魂の祈りを捧げていた。

戦艦大和の慰霊祭は、「大和会」が解散したため、慰霊碑世話人の高本廣登さんらが進んでお世話していた。当日は櫻満開で大和戦没者3,000の御霊をお慰めしていた。↑


呉海軍墓地追悼歌「長迫の丘」歌碑除幕式

呉海軍墓地追悼歌「長迫の丘」の歌碑除幕式は、3月21日10:30春季慰霊祭に先立って関係者約100参加
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会主催によって厳粛盛大に開催された。


歌詞を認められ感謝状を受ける書家の宮川清圃氏。除幕式で「長迫の歌」を合唱する「コーラス丘の上」の皆さん↑

以下の写真は「ロール・オーバー効果にしております。画面の上にマウスを当て、もう一枚の写真もご覧下さい

この度、呉海軍墓地の追悼歌「長迫の丘」の歌碑を建立いたしました。
この追悼歌は、軍艦「球磨」の元乗組員・松岡清徹さんが作詞したものを、實輝長良さんによって作曲されました。海上自衛隊呉音楽隊の演奏により合同追悼式などで合唱されています。


海軍墓地誌「海ゆかば」出版

平成17年(2005)は、日本海海戦100周年、終戦60周年の記念すべき節目の年にあたり、我が財団法人呉海軍墓地顕彰保存会にとっても、創立35周年、任意団体から財団法人成りして10周年。の合同追悼式は第35回目を数え、真に大きな節目の年の記念行事の一つとして平成17年7月1日に、呉海軍墓地誌「海ゆかば」(B5版370頁)を出版いたしました。
「海ゆかば」には、嘗っての呉海軍鎮守府管轄下の艦船や陸上部隊で、呉海軍墓地に建立されている合同慰霊碑90基の艦船や部隊などの戦歴や艦影、慰霊碑の写真などと、個人墓碑158基を合わせ35,377柱のお名前とを掲載しています。
「海ゆかば」は非売品ですが、ご希望の方には実費(\2,000郵送料は別)でお分けいたします。
財団法人呉海軍墓地顕彰保存会あてのメールkurekbk@m18.alpha-net.ne.jpか、
電話&FAX0823-25-1362(平日の13:00〜1700)でお申し込み下さい。
既に1,500部が頒布されました。ご協力に深謝申し上げます。
この上とも呉海軍墓地にたいし、一層のご理解とご支援の程をお願いします。

中国新聞平成17年7月2日朝刊記事↓


呉海軍墓地誌「海ゆかば」出版記念パーティー盛大に開催
(マウスポイントを画像の上に置くと二枚目の写真が見られます)

梶本光義理事長の挨拶↑ 小笠原臣也呉市長の祝辞↑
平成17年7月26日呉森沢ホテルに於いて小笠原臣也呉市長を始め約90名出席し盛大有意義に開催した。

鎮魂歌「長迫の歌」を二部合唱する金光、長原、小林三夫人↑ 祝吟を吟ずる胡中翠陽さん↑


戦艦大和命日60周年慰霊祭で深い鎮魂の祈り

古今東西史上、空前絶後の「海上特攻作戦」に第二艦隊旗艦として出撃し、沖縄に向かう途中、米艦載機延べ千機の攻撃と潜水艦の魚雷10発によって、昭和20年4月7日14::23東シナ海の海底深く沈没。伊藤整一司令官、有賀幸作艦長以下2,736人が「大和」と運命をともにした。平成17年4月7日あれから60周年の命日に当たる。数少ない生存者の石田直義、高本廣登、八杉康夫の3氏を始め約100名のご遺族らが集まって、敬虔な鎮魂の祈りを捧げた。


戦艦大和戦死者の碑前で深い鎮魂の祈りを、映画「おとこたちの大和」に出演の俳優と東映会長・常務にかこまれての生存者の石田さんと八杉さん↑↓


焼香する遺族の皆さん、60年前「大和沈没時の実相」を語られる石田直義さん↑



航空母艦信濃第60回忌慰霊祭
航空母艦信濃戦没者慰霊祭が、「軍艦信濃戦没者の墓」の前で、第60回忌命日の平成15年11月29日0930より北海道、東北、関東方面からから遺族、戦友たち58名が参加し、神式により厳かに執り行われた。





戦艦扶桑戦没者第60回忌慰霊祭

「戦艦扶桑戦没者」1、637柱の60回忌慰霊祭が、命日に当たる平成15年10月25日絶好の秋日和に恵まれ、慰霊碑前で全国より遺族たち約110名参列ししめやかに仏式により営まれた。


戦艦扶桑60回忌慰霊祭↑




呉海軍墓地の春 
H14年4月1日撮影:梶本光義

 
平成14年3月21日(春分の日)10:30より、日英同盟締結100周年記念植樹が行われました。日英グリーン同盟から贈られた「イングリッシュ・オーク」(別名:ブラウン・オーク)の苗木1本を植樹いたしました。因みに、呉海軍墓地には「英国水兵の墓」1基があり、日英親善に大きな役割を果たしています。



在日英国大使館付き武官ジェームズAボイド海軍大佐夫妻がH15.4.15呉海軍墓地を訪問され、
「イングリッシュ・オーク」で記念撮影。



昭和20年(1945)4月7日、超弩級戦艦「大和」に乗り組み、空前絶後の「艦隊特攻」に参加し、帝国海軍軍人として任務を全うし、若い命を散華された二千七百余柱の御霊の鎮魂を祈った。


第58回忌戦艦大和戦没者慰霊祭↑


八杉康夫氏(生存者)藤本黎時氏(遺族)梶本理事長 ↑  大和生存者の石田直義副会長、細田久一会長



呉海軍墓地に平成14年3月21日(春分の日)に、新たに「鎮魂の鐘」が式殿右前に設置されました。早速、当日開催の広島県海交会主催の「春季慰霊祭」で、開会時刻11:00に6点鐘が打たれ、また、慰霊祭後の直会の12:00には8点鐘が打たれました。
今後、参拝者が御霊鎮魂の思いを込めて「鎮魂の鐘」を打てることになります。
また、追悼式や慰霊祭に際しては有効に使用し、一層荘厳さを加えることになるでしょう。


航空母艦飛鷹慰霊碑が、平成14年(2002)4月17日、和歌山県白浜町から呉海軍墓地に移設された。同碑は昭和58年8月8日建立されたが,この度事情があって呉海軍墓地に仲間入りした。呉海軍墓地では89番目の合祀碑となる。↓
 



呉海軍墓地に眠る13万余柱の御霊に新たに飛鷹戦没者704柱の戦友の御霊を迎えた。
 

航空母艦飛鷹慰霊碑の移転建立祭並びに戦没者慰霊祭は、58年目の命日に当たる平成14年6月20日0945より、呉海軍墓地において、ご遺族、元乗組員ら約60名参加し、神式により開催され704柱の御霊の冥福を祈った。↑

駆逐艦東雲の慰霊碑が平成14年(2002)5月17日付、呉海軍墓地に建立された。東雲は、大東亜戦争開戦劈頭の昭和16年12月17日ボルネオ島ミリー沖で敵と交戦沈没し、艦長笹川 博(海兵50期)以下237名の乗組員全員が戦死された。この度艦長夫人笹川智恵子さん始めご家族の61年間の切々たる熱い思いが叶い、慰霊碑建立実現を見たものである。同艦は恐らく大東亜戦争での水上艦沈没1号と思われる。呉海軍墓地では90番目の合祀碑となる。
同艦戦没者237柱の姓名が不詳であったが。この度靖国神社のご協力によって詳細が判明しました。↓

 

 
駆逐艦東雲・笹川 博艦長の長男・笹川 泝氏によって除幕↑ H14.6.4




駐日英国大使館付武官ジェームス・ボイド海軍大佐は、梶本理事長の案内で英国水兵の墓を参拝。
田枝常務理事、平岡事務局長、ふれボラ隊代表らが出迎えた。↑H13.4.15


戦艦大和戦没者第57回忌慰霊祭で生存者・渡邊英昌氏(海兵70期)を囲んで
景山 崇(海兵74期)副理事長と梶本光義(海兵76期)理事長↑H13.4.7


小笠原呉市長と海軍墓地ガイドの長迫小「ふれぼら隊」女子児童たち↑H13.3.7


呉海軍墓地の追悼歌「長迫の丘」(潮路はるかに)が、
平成13年7月29日開催の合同追悼式実行委員会で、
採用決定され、今後の合同追悼式で合唱することになった。

作詞:松岡 清徹氏、作曲:實輝 長良氏


LINK

HOMEPAGEの各頁へLINK

摘要

合同慰霊碑命日・碑建立日一覧の頁へ

呉海軍墓地にある合祀碑の命日が解ります

梶本光義のHOMEPAGEへ

梶本光義のMy Home Pageへどうぞ!

呉海軍墓地の全合祀碑説明の頁へ

呉海軍墓地合同慰霊碑全部の詳細説明です

【公益財団法人 呉海軍墓地顕彰保存会事務局】

〒737-0031 広島県呉市上長迫町7-25  理事長:梶本 光義  事務局長:平岡 武夫
 電話&FAX 0823-25-1362

kurekbk@m18.alpha-net.ne.jp.(公益財団法人呉海軍墓地顕彰保存会のメールアドレスです)