6日目(サマルカンド)
人口は昨日シャブリサーブスからサマルカンドへ着き、夕食後、ホテルの近くのレギスタン広場へ行く。
ライトアップされた3つのメドレセが美しかった。
38万人でウズベキスタン第二の都市。今日も快晴。バスと徒歩で世界遺産「サマルカンド歴史地区」を
観光する。
1.レギスタン広場
3つの巨大メドレセが建つ名所
1.ウルグベク・メドレセ:広場の西側に1417年に建てられた。
入口のアーチには青い星をモチーフにしたタイルとモザイクの
文様が描かれている。
ウルグベク・メドレセ
2.ティラカリ・メドレセ:広場の北側に1660年に建
てられた。ティラカリとは「金箔された」という意
味。中庭に入り左手の青いドームの下に礼拝所があ
る。金色に輝く天井の美しさ、壁面は星、植物、ア
ラビア文字をモチーフに飾られている。
ティラカリ・メドレセ
金箔の天井
壁面
3.シェルドル・メドレセ:広場の東側に1636年に建てられた。
シェルドルとは「ライオン」の意味。入口には子鹿を追うライ
オンとそれを眺める王が描かれている。
シェルドル・メドレセ
2.グリ・エミール廟
タジク語で「支配者の墓」の意味。ティムールと息子や孫が眠る霊
廟。ドームのブルータイルは、青の都の中でもとりわけ鮮やかに映る。
内部の壁を覆う金の華やかさも素晴らしい。金を3kgも使用したとか。
グリ・エミール廟
3.シャーヒ・ジンダ廟
アフラシャブの丘の南にある壮大な霊廟建築群。青を基調とす
る美しいタイルと細かいモザイクの霊廟とモスクが14カ所一直
線に並んでいる。
シャーヒ・ジンダ廟
4.ピピハニム・モスク
中央アジア最大のモスク。ティムールが1398年に、第一婦人の為に、国内外か
ら職人200人、労働者500人、象95頭を集て建てたという。ティムールの死後
3年後に完成。
ピピハニム・モスク
5.ジャブ・バザール
干しぶどう、干しあんず、アーモンド等のナッツ類、野菜、肉が並ぶ生活市場。魚の販売は無く、滞在中
の食事に魚料理は一度も無かった。川魚も獲れないのだろうか?
7日目(タシケント)
サマルカンド6:35発の高速鉄道アフラシャブ号でタシケント(8:45着)へ。今日も快晴。バスで
タシケント市(首都、人口220万人)を観光。
1.日本人墓地
新市街南西のムスリム墓地の一角にあり、地元の3世の方がきれいに管理されている。阿部首相がウズベ
キスタンを訪問した時の写真も見せられた。ソ蓮の捕虜となりここで亡くなった79名が眠る。墓標と記念
碑が置かれ、全員一人ずつ線香をもらい墓標に鎮魂を祈る。日本人墓地は墓地の一番奥にあったので途中、
地元の人々の墓碑に、その人の顔写真を刻んでいるのが標準らしい?。
2.アムール・ティムール広場
新市街の中心にあり、広場の中央にティモールの騎馬像が建っていた。
3.ムスタキーリク広場(独立広場)
モノレールの様な門の上にコウノトリの像。地球儀の下のモニュメントには幼子を抱いた婦人の彫刻。
周囲には国会議事堂、官舎等、政治の中心地。
日本人墓地
ムスリム墓地
ティムール広場
独立広場
モニュメント
4.ウズベキスタン歴史博物館
2階には石器時代から20世紀までの歴史が展示されている。見ものは、テルメズ近郊から出土したク
シャン王朝(1〜3世紀)時代の仏像とか。一級のガンダーラ仏だ。3偕は帝政ロシアの制服以降の歴史。
ウズベキスタン歴史博物館 ガンダーラ仏
4.ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
第二次世界大戦でソ蓮の捕虜となりタシケントに抑留されていた日本兵が強制労働により建てた劇場。
5.日本庭園
タシケント北部、JICA、日本センターの入っている国際ビジネスセンターのビルの近くにある。
1997年に開園され、築山、石庭、太鼓橋等がある。ここは、新婚カップルの記念撮影スポットにな
っているとか。今日も一組写真撮影中。お幸せに。
6.バラクハーン・メドレセ
ウズベキスタンのイスラム教本庁が置かれたバラクハーン・メドレセは、16世紀シャイバニ朝のバラ
クハーンによって建てられた。入口のアーチには、美しいモザイク模様とアラビア語の文様が描かれている。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
日本庭園
バラクハーン・メドレセ
7.地下鉄体験乗車
プラスチックのコインをゲートで挿入し、バーを回転させて通過。ホームの端には電車が出発してからの
時間が表示されていた。比較的明るくきれいだが、モスクワの地下鉄の駅の絵には及ばない。
夕食を取り、タシケント空港へ向かう(30分)。タシケント22:05発で成田へ向け出発。成田空港へは
9:55に着く(7時間50分のフライト)