世界遺産 コトル
ドブロブニクから海岸線を南下し、国境を越えモンテネグロに入る。この国にある5つの世界遺産の一つ
である。フィヨルドによる美しい海岸線のコトル湾沿いに走る事1時間。コトル湾の最奥部にある天然の良
港、高度な航海技術を誇り、スラブ諸国で最初に航海士学校が開かれた等の歴史を持ち、中世の交易商業都
市として栄えた港町である。背後には標高1749mのロヴツェン山が控え、海と山に挟まれた天然の要塞
だ。全長4kmに及ぶ幅10mの銃眼付の城壁が、けわしい裏山の斜面に残っているのが確認された。城壁
を入ると、小さな広場、迷路の様な狭い曲がった道、中世の遺産である聖トリフォン大聖堂、聖ニコラス教
会等8つの教会、5つの修道院と大小9つの宮殿が、一辺500m程の三角形の中に密集している。人が大
勢居たらスラム街だ。
コトル湾のカキの養殖 山肌に造られた城壁 入口 聖トリフォン大聖堂 聖ニコラス教会
世界遺産 モスタル
見学を始めると曇っていた空から雨が降り出し、今旅行初めて傘をさす。バスを
降りると、すぐそばの無人の家には無数の銃弾穴があり、放置されていた。西郷隆
盛と官軍が戦った田原坂の戦いの遺物として銃弾の痕の建物が保存されていたのを
思い出した。天候と合わせて暗い気持ちになった。
オスマン帝国時代の15〜16世紀に発展した旧市街。狭い石畳の道を歩き、ネ
ルトバ川の河原に下りる。そこからモスタルの遺産の象徴ともなった石橋“スタリ スタリ・モスト橋
・
モスト”を現地ガイドが紹介。1990年代の内戦時、ムスタリ系住民とクロア
チア系住民が橋の両側に対峙して戦い橋は崩壊した。川に落下した石橋のかけらを
拾い集め当時の石橋を再現したとか。他のモスク等多くが破壊されたが、戦後多く
の人の協力で見事に街は復興し、2005年に世界遺産に指定された。ボスニア・
ヘルツェゴビナの唯一の新しい世界遺産となった。
破壊する時は一瞬で、復興は多大の金と時間と労力を必要とした。何の進化も無
い物の建造に。この近くにも銃撃跡の残る無人の建物が存在していた。自分達の恥ず 橋上から旧市街
べき行動の印を何故観光客に晒すのか、わからない。
腹が立って昼食時に注文したビールがモスタル産で、少しは気が休まった。
石橋の上 旧市街から石橋 銃弾跡の無人の家 モスタルビール 小さなモスク
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