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横浜浮浪者襲撃殺人事件

終戦後、横浜には、桜木町駅前界隈を中心にして浮浪者が目立ち、風太郎(ぷうたろう)と呼ばれていた。「くじら横丁」で安い食事をとり、仕事にありつけなければ、簡易宿泊所ではなく公園や駅の構内で寝るといった調子で、風まかせの生活をしていた。1960年代の高度経済成長に入る頃から、風太郎は姿を消すが、再び、ぽつぽつと目立ち始めてくるのは1973年(昭和48年)のオイルショック以降のこと。とりわけ、1979年(昭和54年)頃から増えてくる。

1982年(昭和57年)12月の中頃から、中学をさぼったり、ゲームセンターで遊んでいるうちに、顔見知りになった10人の少年たちが「風太郎狩りゲーム」を思い付いて、次々に襲い始めた。

10人の少年たちは、横浜市立金沢中学、同じく共進中学、川崎市立京町中学などに籍を置く中学2年生(当時14歳)3人、3年生(当時15歳)が2人、横浜市立横浜商業高校定時制1年に籍を置く高校生(当時16歳)1人、その他、無職少年(当時16歳)4人であった。

10人の少年たちは全員、補導歴、非行歴をもっており、家庭状況をみると、2人が片親、残りの8人は両親が揃っているとはいっても大半が離婚や再婚、別居あるいは復縁など大人のごたごたを幼少年期に経験している。中には、両親の離婚のため、中学を半年間も休学させられたり、長いこと親類に預けられっぱなしになっていた少年もいる。10人全員が小・中学校を何度か転校、両親がいても共稼ぎだったり、夫婦げんかが絶えなかったりで、落ち着いた家庭生活ではなかった。

10人の少年たちのうちの1人である無職のA(当時16歳)は、横浜市南区内にアパートを借りており、ここがメンバーのアジトになっていたという。

1983年(昭和58年)2月5日午後10時ころ、10人の少年たちは横浜市中区の山下公園内で寝ていた、青森県生まれの須藤泰造(60歳)に、突然、集団で殴る蹴るの暴行を加え、さらに、動けなくなったところを、数人がかりで抱き上げて、ゴミカゴの中に投げ入れ、転がしたり引き回したりし、物をぶっつけたりしてそのまま放置して逃走した。

須藤のうめき声にびっくりした通行人の通報によって救急車で病院に収容。飛び蹴りなどで肋骨を4本も折られており、その上に内臓破裂というもの凄さで、2月7日午前5時過ぎ、死亡した。

少年らは、須藤を襲った直前にも、横浜スタジアムで寝ていた浮浪者9人に次々に襲いかかり重軽傷を負わせていたのだが、「もう少しやっつけねえと気分がスカッとしねえなあな」というので、山下公園まで足をのばしたという。

2月12日、少年10人が傷害致死の疑いで逮捕された。

逮捕のきっかけは、このグループの中学生の1人が、「風太郎狩りって、金がかからない上、スリルがあって面白いぜ。この間も1人ぶっ殺してやったんだ」と、女友達に得意気に喋ったからであった。この少女が驚いて母親にこのことを告げ、母親が少年の両親に伝えたことで大騒ぎになり、警察に届け出ることになった。

取り調べに対して、少年たちは「乞食なんて、生きてたって汚いだけで、しょうがないでしょう」「乞食を殴ったくらいで、なぜこんなに騒ぐんです。こんな程度で警察までガタガタするなんて、ヘンじゃないですか。本当はみんな、乞食が減って喜んでいるくせに」「相手は無抵抗で、面白いからやった」「もやもやした気分がはれて、スッキリした」「スリルがあった」などと言っている。

被害者の証言によると、グループに女性が加わったときもあったようで、他に幾つか浮浪者狩り集団があったらしい。

3月31日、横浜家裁は9人を少年院へ、1人を教護院(現・児童自立支援施設)へ送致する保護処分決定をした。

児童自立支援施設・・・法務省管轄で矯正教育が目的の少年院とは違い、児童福祉法上の支援をするために各都道府県に設置が義務付けられている厚生労働省管轄の福祉施設。不良行為をしたり、家庭環境などに問題がある少年を入所させる。また、少年を保護者のもとから通わせて、職員が生活を共にし、生活・学習の指導などを行うケースもある。国立、民間も含め全国に58施設ある。感化院→少年教護院→教護院→児童自立支援施設と名称が変わってきた。

2003年(平成15年)7月1日夜、長崎市で中学1年の男子生徒(当時12歳)が大型電器店から幼稚園児(4歳)を連れ出し、そこから4キロ離れた立体駐車場の屋上から全裸にして20メートル下に突き落として殺害するという事件が起きたが、9月29日、長崎家裁はこの男子生徒を児童自立支援施設へ送致する保護処分を決定した。

2004年(平成16年)6月1日、長崎県佐世保市で小学6年の女子児童(当時11歳)が自分が通う小学校内で同級生の女子児童(12歳)をカッターナイフで殺害するという事件が起きているが、9月15日、長崎家裁佐世保支部はこの女子児童を児童自立支援施設へ送致する保護処分を決定している。佐世保小6同級生殺害事件

横浜での事件が起きた直後の2月15日、今度は東京都町田市内のマンモス校(約1450人)の忠生中学で体の不調を訴える被爆者の英語教師の八木義人教諭(当時38歳)が、「原爆病!」とからかわれ、襲いかかってくる生徒を恐怖のあまりナイフで刺して逃げるという事件を起こしている。

「浮浪者」という言葉は差別用語で、現在は「ホームレス」という呼び名になってますが、あえて当時の呼び名にしてあります。

参考文献・・・
『戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇』(講談社/赤塚行雄/1985)

『現代殺人事件』(河出書房新社/福田洋/1999)

『少年少女犯罪』(東京法経学院出版/安田雅企/1985)

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