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柴又上智大生刺殺放火事件

1996年(平成8年)9月9日(月)午後4時39分、東京都葛飾区柴又3丁目の隣家からの119番通報で金町消防署がはしご車など14、5台出動。午後6時ころ、鎮火したが、木造2階建てモルタル造り約90平方メートルの家屋は全焼した。
消防署の調査が開始されてまもなく、2階の両親の寝室の6畳間から小林賢二(当時50歳)の次女で上智大学外国語学部4年の順子(21歳)が遺体で発見された。順子は白い横しまシャツに黄色の短パン姿で、口と両手、両足を粘着テープ、さらに両足をストッキングで縛られていた。検死解剖の結果、死因は右頸部静脈切断による失血死であることが判った。凶器は傷口の形状から刃渡り約8センチ、刃幅約3センチの小型ナイフなどの鋭利な刃物と見られており、首の傷は6ヶ所、右側に集中していた。幅6センチ、深さ4センチに達する傷もあった。下半身にやけどを負っており、粘着テープで縛られた両手には争ったときにできる刃物傷が複数あり、犯人に襲われた際に激しく抵抗したと見られているが、着衣の乱れや乱暴された形跡はなかった。順子は横向きに寝かされ、上半身には頭から夏用の掛け布団がかけられていた。
また、室内に物色の跡はなかった。順子が倒れていた6畳間のタンスなどにあった預金通帳、隣室にあった順子のリュックサックの中にあった1200ドル相当のトラベラーズチェックや約6000円の現金(合わせて約14万円)などはそのまま残っていた。犯人の遺留品はほとんどなく、凶器は見つからず、焼け残ったドアやノブからは指紋も検出されなかった。犯人が残していったものは口や両手足を縛る際に使用した粘着テープのみだった。この粘着テープを用意していることからも犯人の計画性が分かる。なぜか父親の賢二が1階でしか使わないスリッパが順子が倒れていた2階の部屋の前に揃えてあった。犯人がこのスリッパをはいて2階に上がった・・・?
小林宅は4人家族で、事件当時、父親の賢二は福島に出張中、母親の幸子(当時50歳)と姉(当時25歳/中央区内の病院に勤務)も仕事に出かけており、順子ひとりだった。朝から雨が降っており、午後3時すぎから雨足が強くなった。午後3時50分ころ、母親が港区内の美容院のパートに出かける際に順子に声をかけると返事があり、玄関の鍵をかけずに外出した。犯人はその直後に侵入して順子を殺害し、1階和室の押し入れや1階にあったパソコンに火をつけて逃走したと見られている。検死解剖の結果、順子のノドから煤(すす)が検出されなかったことから殺害後に放火したことは明らかとなった。出火は午後4時35分ころと見られ、わずか45分間(母親が出かける午後3時50分〜出火の午後4時35分)の凶行となった。
実は順子は事件2日後の11日から米国・シアトル大学に留学(10ヶ月)する予定だった。大学時代は、1年のときから地方の中学生に英語を教える「サマー・ティーチング・プログラム(STP)」というサークルに所属し、ゼミでは「東南アジアの文化」を専攻。成績はほとんど「A」で留学の選考試験も上位に入り、第一志望のシアトル大学にすんなり決まっていた。当時、順子はアメリカに留学中の先輩と3年越しの交際が続いていた。また、家庭教師の他にも地方放送局でアルバイトをしており、明るい性格で人に嫌われるような女性ではなかったという。
警視庁では事件当時から特捜本部が設けられたが、ある捜査関係者は、「通りすがりの犯行でも、普通のモノ取りでもない。亡くなった女子学生と犯人との間には何らかの因果関係があるのではないか」と語った。その根拠として次の4点を挙げた。
(1)モノやお金は盗まれておらず、乱暴された形跡もない。
(2)人目につきやすい夕方にかなり短時間で犯行を行っており、事前に被害者の家の状況を把握していた可能性がある。
(3)遺体に布団をかけているのは犯人の被害者に対する良心のとがめや可哀想だからという気持ちの表れ。
(4)殺害後の放火には証拠隠滅という目的もあるが、殺害した上に焼いたという行為には被害者に対する犯人の強い感情も窺われる。
こうした点から順子への怨恨による顔見知りの犯行という線で捜査を進めていたが、その一方で、ストーカーによる犯行説も浮上した。
2001年(平成13年)1月、小林宅に小学校5年生当時の順子が「つくば万博」(会期・1985年3月17日〜9月16日)の開催に際し、15年後の自分宛てに送った手紙が届いた。未来の自分をイメージして書かれた文章とイラストが描かれていたが、結婚し、子どももいて、きっと幸せな生活を送っているはず、というような内容だった。
2006年(平成18年)9月7日、捜査本部の調べにより、順子の両足がストッキングで「からげ結び」という特殊な結び方で緊縛されていたことや小林宅から現金旧1万円がなくなっていたことや物色されていたことが判明。「からげ結び」は竹垣の竹の固定などに使用される結び方で、造園業者の技能検定2級の試験課題のひとつ。また、和服着付けなどで使用されることも多いという。捜査本部は犯人が業務などで、この結び方を習熟していた可能性もあると見ている。
9月9日、未解決のまま事件発生から10年を迎えた。更地となっている現場で、順子の両親が出席して、警視庁亀有署捜査本部主催の献花式が開かれ、地元住民や捜査員ら約50人が白い菊を遺影に手向けた。
2009年(平成21年)2月28日、殺人事件被害者遺族の会として「宙(そら)の会」の結成総会が東京都千代田区の明治大学であった。
殺人事件の時効撤廃・停止の実現と時効が成立した遺族への国家賠償などを求める。時効問題に特化した犯罪被害者の会の結成は初めて。
宙の会には国内外の16事件の遺族20人が参加。世田谷一家惨殺事件で長男一家4人を失った宮沢良行(当時80歳)を会長に、この柴又上智大生刺殺放火事件で次女を殺害された小林賢二(当時62歳)を代表幹事に選んだ。会によると、「宙」には「無限」という意味があり、時効の撤廃・停止の願いなどを込めたという。
活動目的として(1)時効制度の撤廃・停止の実現(2)遺族の権利確立(3)啓発活動の推進などを掲げた。刑事訴訟法を改正して時効の撤廃を求めるほか、時効成立後、国が容疑者逮捕などの責務を果たしていないとして民事上の責任を求めていく。海外の時効制度との比較や国民の意識調査などの情報を発信し啓発活動も進める。
死刑になる殺人などの公訴時効は2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。
また、改正刑事訴訟法は施行時点で時効未成立の事件にも適用されるため、この柴又上智大刺殺放火事件も公訴時効廃止事件の対象となる。
2010年(平成22年)9月8日、警視庁亀有署捜査本部の調べで順子を縛った粘着テープに複数の犬の毛が付着していたことが分かった。捜査本部は犯人が愛犬家の可能性があるとみて毛の鑑定を進めている。犯人が放火した際に使ったとみられるマッチ箱が玄関から見つかり、付着していた血液の鑑定で犯人の血液型はA型であることが既に判明しており、同じA型の順子のものとは異なるDNA型が検出されている。また、事件直前の3時50分からの5分間、大雨の中、傘もささず、小林宅の表札を見つめる不審な男が近所の人に目撃されていたが、男が着ていたのは茶色のレインコートだったことも判明。男は身長約160センチ(「165センチ」としているメディアもある)で30代後半(「40代」としているメディアもある)だったという。
2011年(平成23年)9月7日、警視庁亀有署捜査本部の調べで犯人のものとみられる血液が付いていたマッチ箱に繊維片が付着していたことが取材で分かった。この繊維片は軍手のような手袋の一部である可能性が高く、指紋が残ることを警戒した犯人が入念に準備したとみて調べている。
2014年(平成26年)に入り、2階の現場で遺体に掛けられていた布団に付着した血液を最新の技術で鑑定したところ、犯人のものとみられるDNA型が検出されていたことが分かった。1階で発見され、犯人が放火する際に使用したとみられるマッチ箱に付着した血痕のDNA型とも一致。
警察庁は解決に結び付く有力な情報の提供者に上限300万円の公的懸賞金を出すことを決めている。遺族が実施する上限500万円の懸賞広告と合わせて最大で800万円が支払われることになる。
参考文献など・・・
『殺人者はそこにいる』(新潮文庫/「新潮45」編集部編/2002)
『別冊宝島Real053 迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相』(宝島社/田宮榮一ほか/2003)
『Kの推理 世田谷一家殺人事件 上智大生殺人放火事件』(文芸社竜崎晃/2009)
『「洗脳」プロファイリング 重大未解決事件の犯人を追え!』(宝島社/苫米地英人&本橋信宏/2009)
『毎日新聞』(2006年9月7日付/2006年9月9日付/2009年2月28日付/2010年4月27日付/2010年9月8日付/2014年9月4日付)

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