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世田谷一家惨殺事件

2000年(平成12年)12月31日午前10時50分ころ、東京都世田谷区上祖師谷(かみそしがや)の外資系経営コンサルタント会社社員の宮沢みきお(44歳)宅で、みきおと妻の泰子(41歳)、長女で区立千歳小学2年のにいなちゃん(8歳)、長男で区立上祖師谷南保育園の礼ちゃん(6歳)の一家4人が死んでいるのを隣家に住む泰子の母親(当時71歳)が発見した。

みきおは階段の下で首や腕など数ヶ所を刺され、うつ伏せに倒れて死んでいた。階段に血痕が付いていることから階段の上から転げ落ちたものと見られていた。泰子とにいなちゃんは2階の階段近くで、首や顔など数ヶ所刺されて並んで倒れ、床に大量の血が広がっていた。礼ちゃんは3階の寝室(屋根裏部屋)のベッドの上で死んでいた。みきおは外出着で泰子と2人の子どもは寝巻と見られるジャージ姿だった。

現場は小田急成城学園前駅の北約1.5キロに位置し、宮沢宅のある一角は都立祖師谷公園の拡張予定地だった。周りは公園整備が進んで転居した家が多く、西側の仙川と公園に囲まれるように宮沢宅など3軒が残っているだけである。

マスコミは当初、宮沢宅の1階で泰子が学習塾を営んでいると報じたが、1998年(平成10年)夏から姉夫婦宅1階の約14畳の部屋に移っていた。学習塾はフランチャイズ方式の公文教育研究会によるものであり、月曜と木曜に、国語、数学、英語を教え、4歳から高校1年生まで約30人が通っていて、塾は28日が最終日だった。したがって、宮沢宅には生徒やアルバイトの大学生はほとんど出入りしていない。

犯行時間は30日午後11時半から31日午前0時ごろとされている。同時間帯に近所の人が宮沢宅でドスンという音を聞いたからである。

その数時間前、30日午後6時から7時にかけて、泰子が隣家の母親と内線電話で話し、にいなちゃんが母親の家に調味料を借りに行っている。

犯人は持ってきた刃渡り24センチの柳刃包丁で最初にみきおを刺殺。そのとき、包丁の刃が欠けたため、台所にあった文化包丁に持ち替え、泰子とにいなちゃんを襲い、最後に礼ちゃんを殺した。礼ちゃんは絞殺ではなく鼻と口を塞がれたことによる窒息死と見られている。

また、みきおと泰子、にいなちゃんは2本の包丁でそれぞれ十数ヶ所をメッタ刺しにされているが、出血の状態や凝固の仕方などからその半数は死後に刺された傷であることや殺害後も執拗に死体を刺し続けていたことが判明した。

2階の居間では、タンスや机などのほとんどの引出しが開けられ荒されていた。みきおの財布からは札が抜き取られ、泰子の塾の授業料20万円がなくなっていた。だが、預金通帳、キャッシュカードなどは手つかずで、仕事関係の書類が床に散乱していたほか、風呂場の浴槽にも書類が散乱していた。

また、犯人は犯行後に冷蔵庫内を物色し、2リットル入りブレンド茶のペットボトルを一気に飲み干したあと、メロンにかじりつき、アイスクリーム3個を食べたと見られている。冷蔵庫には手の跡のような血痕が残っていたほか、2階の台所からは犯人のものと見られる指紋が付いたアイスクリームの空き箱が見つかっている。犯人は右手にかなりひどい傷を負っていると見られているが、血液型はA型で家族全員の血液型と異なっている。

台所では、犯行に使った血のついた2本の包丁も見つかっている。1本は文化包丁で宮沢宅にあったもの、もう1本は犯人が持ち込んだと見られている新品の柳刃包丁で刃こぼれしていた。また、被害者の傷の状態から、もう1本、刃渡りの長い包丁が使われているという情報もあり、この包丁だけ持ち去った可能性がある。

柳刃包丁は前年の1999年(平成11年)6月、ある刃物メーカーによって約1500本製造され、11月中に世田谷、杉並区内で13本販売されている。犯行前日の29日、宮沢宅から3.5キロの小田急経堂(きょうどう)駅前のスーパーでも別々の客が1本ずつ買っていることが分かっている。

また、犯人のものと思われるトレーナーの上着が2階の床に残されていた。このトレーナーはSMAPのメンバーの木村拓哉がテレビドラマ『ビューティフルライフ』(TBS系)で着用したものと同じタイプで「ラグランシャツ」と呼ばれ、若者の間で流行した綿シャツと判明した。血まみれの裏返しになった綿製上着はLサイズで、身長175〜185センチのもの。みきおは身長165センチでMサイズを着ていたことや刃物のあとがないことから犯人のもので、返り血を浴びたために脱ぎ捨てたと見られている。胴部分は白、両腕と丸首の縁取り部分は濃い紫になっており、何度か洗濯した跡がある。このトレーナーはある衣料品メーカーが中国から2200枚輸入、そのうちLサイズは計約130枚で、世田谷では数枚売れただけだという。さらに、後の調べで都内では4ヶ所のスーパーなどで10枚しか販売していないことが判明した。JR荻窪駅前の「西友荻窪店」(杉並区)で3枚、京王線京王八王子駅ビルの「京王八王子ショッピングセンター」(八王子市)で2枚、同聖蹟桜ケ丘駅前の「聖蹟桜ケ丘オーパ」(多摩市)で3枚、京成線青砥駅近くの「ユアエルム青戸店」(葛飾区)で2枚の計10枚。このうち1枚の購入者は判明している。

遺留品として他に、黒いハンカチ2枚や深緑色のヒップバッグがある。黒いハンカチは2枚ともに雑貨販売会社の「良品計画」が自社ブランドの「無印良品」として売っている商品で、結び目があり血液が付着していたことから犯人が怪我をした右手の止血に使ったと見られている。また、このハンカチには「ギ・ラロッシュ」製の「ドラッカー・ノワール」という香水が付着していたことも分かっている。ヒップバッグは製造元は韓国企業だが、1996〜1997年にかけて日本国内にも輸入され、全国の量販店などで2000〜3000円で大量に出回った商品であることが分かっている。ベルトは80センチに調整されていた。また、ヒップバッグの表面から米国など外国の硬水によく溶ける洗剤の成分が検出されている。

室内を踏み荒らした土足の跡から韓国製の28センチのテニスシューズの「スラセンジャー」と判明した。28センチのシューズは韓国で400足製造されただけで韓国国内で完売したということから、犯人はこのシューズを韓国で購入した可能性が高いと見られていた。だが、事件から1年経とうとしている2001年(平成13年)12月中旬になってから、このシューズが日本でも売られていたことや、28センチは27.5センチと同じ外枠サイズであることが判明した。

これらのことから韓国人犯人説が浮上、捜査本部は韓国に2回、捜査員を派遣し、韓国警察庁との協議や靴の入手先を特定する捜査に当った。また、韓国警察庁に指紋照合を依頼する捜査協力を要請したが、韓国側は自動指紋識別システム(AFIS)に登録された指紋の中に一致するものはなかった、と回答してきたという。

さらに、捜査本部はこの時期になって、遺留品がこの他にもあることを明らかにした。黒のLサイズの「ユニクロ」のエアテックジャケットでポケットから小鳥の糞や観賞用植物ヒメザクロかケヤキの微小な花片が検出された。韓国製のクラッシャーハット、黒革手袋で香川県の業者が製造し、国内で販売したもの。緑地に赤とだいだい色の格子模様の長さが約130センチのマフラーで生産元・販売ルートは不明。これらはいずれも宮沢宅の2階から見つかっているが、付着していた汗の成分や頭髪が宮沢一家のものと異なることなどから犯人のものと断定している。また、鑑識の結果、ジャケットのポケットからは米国の砂、ヒップバッグからは横須賀の砂が入っていたことも明らかにした。

巨大掲示板サイトの「2ちゃんねる」の中の「趣味」→「ペット大嫌い」で、「妄想不可★本物の虐待体験のみを語ろう!」と題したスレッドの170番目のレス(投稿日時は下記の通り、事件発覚4日前の<2000/12/27(水)17:03>となっている)は、犯人による「犯行予告」(投稿では<12月31日午後11時59分>が「犯行予告」になっている)だったのではないかと噂され、一部マスコミでも報じられた。おそらく、この事件とは無関係だと思いますが、とりあえず参考までに・・・。(「名前」の欄は無記入にした場合、「黒ムツさん」となる)

170 名前:黒ムツさん 投稿日:2000/12/27(水) 17:03
俺は3歳のガキの頃から鼠を刺し殺し、又はては烏に与え、これを13歳に成った今でも続けている。其れと並行して犬も殺すことを7歳の頃に覚えた。最初に殺すのもあまり躊躇いは無かった事が鮮明に記憶に残っている。俺に突然噛み付きかかって来た体長約60cmの少し大き目の犬だった。一発蹴るとまだ噛み付きかかって来やがるので、俺は犬の腹を引き続き蹴った。何発蹴ったのか覚えていない。死んだ時には其の犬は口から大量の血を流し、腹からは内臓が少し食み出ていた。勿論今でも此れは野良犬を見掛けるとやる。いまでは蹴る力も倍増し、手でバラバラにする事さえ躊躇わないようになった。悪臭がするがそんなこと気に為ない。猫にも時々同様のことをやる。猫を顔を含め包帯でぐるぐる巻きにした上で、内臓を切り裂いて取り出し、道路に放り出して置く。すると烏が咥えて持って行ってしまうか、自動車に引かれて余計に悲惨な光景に成る。が、其れがまた快感だ。友達とどちらの結果に転がり込むか賭けをしたことさえある。最近では人間を切り裂いて内臓を見たいとも考える。あの歌舞伎町で起きたビデオ屋爆破事件の容疑者の少年が供述していたように。今では隣の幸せそうな家族を見るとあの大分一家殺傷事件のようにしてしまいたいとも思う。決行日は12月31日午後11時59分だ。21世紀がやって来る前にちゃっちゃと殺ってしまおうか考えている

[ 歌舞伎町ビデオ店爆破事件 ] 2000年(平成12年)12月4日午後8時20分ごろ、栃木県岩舟町の県立の農業高校2年の男子生徒(当時17歳)が新宿区歌舞伎町1のビデオ店「マック」に火をつけた手製爆弾を投げ込んだ。店内には従業員の男1人と客1人いたが、店内に転がり込んできた黒い物体が「シュー」と音をたてているのに気付き反射的に外に飛び出したため、幸いケガはなかったが、店の壁や天井が崩れていた。その後、少年は自首した際、猟銃などを持っていたため銃刀法違反容疑などで逮捕された。犯行動機について「毒物劇物の試験に失敗し、むしゃくしゃして人をやっつけてやろうと思った」「人間は裏でとんでもないことを考えている。だからバラバラに壊したかった」などと供述した。宇都宮家裁栃木支部は「少年に責任能力があるのは明らか」としながらも、「比較的長期間の矯正教育が必要」として中等(現・第1種)少年院送致の保護処分を決定した。

[ 大分一家殺傷事件 ] 2000年(平成12年)8月14日未明、大分県野津町で、高校1年生の男子生徒(当時15歳)が近所の農業を営む岩崎萬正(当時65歳)宅に侵入し、寝ていた家族6人をサバイバルナイフで刺し、妻の澄子(66歳)、その娘の智子(41歳)、智子の子どもの潤也(13歳)の3人を殺害し、主人の萬正と智子の子どもの長女(当時16歳)と次男(当時11歳)の3人に重傷を負わせた。智子は離婚後、1993年(平成5年)から自分の子供3人とともに両親と同居していた。犯人の少年は「下着を盗んだことがバレればここには住めなくなる」と動機を供述した。大分家裁は少年を医療(現・第3種)少年院送致とする保護処分を決定した。

関連書籍・・・『その時、殺しの手が動く−引き寄せた炎、必然の9事件』(新潮文庫/「新潮45」編集部/2003)

『週刊新潮』(2001年8月16・23日夏季特大号)、『新潮45』(2002年1月号/2002年2月号/2002年3月号/2003年4月号/2006年3月号)には、この事件のことを取り上げた記事が掲載されている。そこには、次のような鑑識の詳細な分析の結果、明らかになったことが記されているが、これまでとはまったく違う犯人像が浮かび上がっている(<>内)。

『新潮45』(2002年1〜3月号および2003年4月号、2006年3月号)ではジャーナリストの一橋文哉がこの世田谷の事件について執筆しているが、一橋の著書には『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』『三億円事件』 (ビートたけし主演でドラマ化された) / 『オウム帝国の正体』 / 『宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ』 / 『「赤報隊」の正体 朝日新聞阪神支局襲撃事件』 (共に新潮社)などがあり、いずれも『新潮45』で連載していたものに加筆修正を加えて単行本化したものである。著者の一橋文哉は1954年生まれ。本名・広野伊佐美(ひろの・いさみ)。ペンネームは元『毎日新聞』記者・『サンデー毎日』副編集長であったことから一ツ橋に本社のある毎日新聞社の記者→「一ツ橋のブン屋」→「一橋文哉」とした。

<犯人は単独犯ではなく複数犯である可能性が高い。その根拠として、現場からある特殊な皮製のブーツから落剥した薄黒色の皮革が採取されたことである。これはブレイデッド・タスラン・ブーツというもので歩くときに足音が出ないように作られているという。そのためなのか、軍隊が好んで使用するらしい。

侵入方法については、犯人が玄関の合鍵を持っていた、あるいは玄関に鍵がかかっていなかった、とされていたが、犯人は改造錠解器具がついたスイスアーミーナイフ(万能ナイフの一種)を使って、玄関ドアの施錠を開けている。シリンダー孔についていた微妙な傷によって判明した。(捜査本部では2階のバスルームの小窓の鍵がかかっていなかったため、これを開けて侵入したものとみている)

遺留品のヒップバッグには包丁の刃先によって開いたと思われる穴があることから、凶器として持ち込まれた柳刃包丁を入れていたと見られている。また、このヒップバッグの中には、2つの「物証」が発見されている。ひとつはチタン酸バリウムという特殊な白い粉末で、これは電子機器のコンデンサーに使われる劇薬物の一種で、一般の人が入手できるものではない。もうひとつは印刷機の汚れ防止用に使われる特殊フイルムの破片で、このフィルムは印刷機のシリンダーに巻き付けて使うもので、50ミクロンのガラス球が1平方センチのフィルム表面に約2万個も接着してあり、このガラス球がインクと反発するために汚れを防止し、きれいに印刷する仕組みになっている。

一家4人が死体となって発見されたのは、12月31日午前10時50分だが、犯人はその約20分ほど前まで宮沢宅にとどまっていたことが、インターネットの接続記録から判明している、と当初は報道されたが、その後の調べでパソコンのマウスが机から落ちていたことから警視庁が再現実験を行ったところ、パソコンはマウスが落下するなどの衝撃で自動的に接続されることが分かったという。このため、午前10時ころに接続されたのは、何らかの接触でマウスが動いたためで、犯人が接続していない可能性が高まったという。午前1時すぎにも接続記録があったが、こちらは最初のページから別のページに移動するなどしているため、犯人が操作したとみられている。

当初の報道では、劇団四季のホームページにアクセス(これが午前10時ころの接続?)していたと一部で伝えられたが、犯人はその前(これが午前1時すぎの接続?)に、ある大学の化学研究室のホームページと科学技術庁の科学技術振興のホームページにアクセスしていた。

犯人は刺殺する際に、右手に大きな傷を負っているが、現場で治療している。ラテックスゴムという主に軍隊が使う特殊な止血帯とベンゼドリンという麻酔作用のある痛み止めの専門錠剤を服用している。その微細な遺留物が鑑識によって確認されている。>

2002年(平成14年)7月1日、事件発生から1年半が経過したのを機に成城署捜査本部は犯人が宮沢方から盗んで着て逃げた可能性があるトレーナーを公開した。トレーナーはデサント社製で灰色、Lサイズ。胸に魚をデザインした「DIVE」、背中にアルファベット26文字があしらってある。みきお愛用だったが、見当たらなくなっているといい、捜査本部は、犯人が現場に残した自分のトレーナーのかわりに着て逃げた可能性が高いとみている。

12月16日までに、成城署捜査本部の調べで遺留品のヒップバッグの中の砂に放射性物質の「モナザイト」が混入されていることが分かった。鑑定の結果、1億4000万年以上前のものと判明、この時代にモナザイトは日本列島に存在しないことから砂は日本のものでないことが分かったという。この他、肉眼では判別不能な金属シリコン、ニッケル、銅などの鉱物など約1600粒が見つかっている。

同日、みきおの父親の良行(当時74歳)が、容疑者逮捕に結び付く有力情報の提供者に200万円の懸賞金を出すことにした。期間は16日から1年間。ポスター5万枚を作製した。また、住民や学生60人で支援する会を発足。その後、メンバーは150人になり、メール( setagayasien@infoseek.jp )やファクス(03・3222・8660)で情報を集めている。

2003年(平成15年)12月22日、成城署捜査本部は63人態勢で捜査しているが、犯人につながる有力な情報は得られていない。事件発生以来の情報提供は約7600件に上った。前年に被害者の遺族が200万円の懸賞金を用意したが、この1年間では約600件が寄せられた。遺族はさらに1年延長し、情報提供を訴えている。

同日、「世田谷事件」被害者・遺族を支援する会が、「亡くなった2人の子どもの代わりに、子どもたちの夢を実現する手伝いをしたい」として、2人の名前を取った「にいなちゃん、れいくん基金」を創設した。

12月28日、宮沢の遺族を支援する市民団体が「事件の悲惨さだけでなく家族の輝いている姿を思い出してもらい、事件風化を防ぐきっかけにしたい」と宮沢の家族を撮影した写真展が東京都渋谷区で開かれた。

2006年(平成18年)5月3日、犠牲となった泰子の姉の入江杏が事件を題材にした絵本を出版し、東京都台東区の東京国立博物館で記念講演をした。「(亡くなった人たちと)いつもつながっているという思いが、前に進む力をくれる」と語った。出版した絵本は『ずっとつながってるよ』(くもん出版)。殺害された姪のにいなちゃん、甥の礼ちゃんが大切にしていたクマのぬいぐるみ「ミシュカ」が主人公。突然の家族4人との別れから、ミシュカが立ち直る姿を描いている。入江は事件後、ショックから立ち直れずにいたが、絵本を声に出して読むことで次第に心が癒やされたという。講演会で入江は、にいなちゃんが読んだ絵本「スーホの白い馬」を朗読。馬のなきがらで作った楽器が人々の心をうつストーリーを事件に重ね、「自分も妹(泰子)たちの遺志をくみとり、社会につなげたい」と話した。

『ずっとつながってるよ』

5月12日、警視庁は虚偽の捜査報告書を作成したなどとして、小平署地域課の警部補(当時57歳)を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で書類送検し、停職3ヶ月の懲戒処分とした。警部補は周辺住民から任意で指紋を採取するなどしていたが、自分や妻の指紋を添付した報告書を提出していた。同日、警部補は辞職した。調べでは、警部補は捜査本部がある成城署に生活安全課員として勤務していた2001年(平成13年)5月〜2004年(平成16年)6月の間、現場周辺の聞き込みや指紋採取の報告書を偽造し、捜査本部に提出した疑い。提出された報告書は35通で、住民ら延べ44人に対する虚偽の聞き込み内容と採取指紋が添付されていた。指紋は自分と妻のものだったという。「住民が不在だったり、捜査への協力が得られないことがあった。放置すると全体の捜査が遅れると思った」と動機を供述しているという。

6月22日、東京地検は虚偽有印公文書作成などの容疑で書類送検された元警視庁警部補について起訴猶予処分とした。

7月20日、成城署は防犯カメラの設置を促進する集会を開いた。防犯カメラの設置は世田谷の事件を契機として進めてきたが、管内100ヶ所に205台のカメラを設置。2006年(平成18年)上半期の侵入窃盗は138件で昨年同期に比べ半減、被害額も1億円余り少ない約2700万円に激減した。さらに録画から乗用車を傷つけた犯人を割り出し、2件の器物損壊事件を解決したという。

12月15日、犯人が現場に残したハンカチには、包丁の柄が通るくらいの小さな切り込みが入っていたことが新たに分かった。包丁の柄を包み、手がすべりにくくするための細工とみられる。警視庁成城署捜査本部は、細工の特異さに注目。犯人の職歴や生活環境に関連する可能性があるとみている。このハンカチは、宮沢方で見つかった黒色の2枚のうち1枚で、45センチ四方。捜査本部によると、布の中央に長さ3センチほどの切り込みがあり、その脇の部分の布が切れ込みを通して裏の方に押し込まれ、袋状に突出した状態で発見された。ハンカチには犯人と宮沢らの血液が大量に付着しており、凶器の柳刃包丁がそばで見つかった。もう1枚のハンカチは三角形に折られ、両端を絞ったような状態で見つかった。犯人が覆面として使用したか、バンダナのように頭に巻いていた可能性があるという。

[12月27日、宮沢一家に宛てた2000年(平成12年)正月の年賀状が、室内から見つかっていないことが新たに分かった。前年までの数年分の年賀状はいずれも残っており、2000年分は持ち去られた可能性が高い。成城署特捜本部では、犯人が、宮沢一家との接点を隠すために、特定の年賀状だけを処分した疑いもあるとみて調べている。]・・・と報じられたが、のちに、事件発生直後に宮沢一家の交友関係を調べるため、聞き込みを担当した捜査員が「翌日までに返す」との約束で年賀状を持ち出したが、そのまま返却されなかったということが判明。初期段階での捜査が混乱していたことを浮き彫りにした。

2007年(平成19年)6月20日正午から警視庁はNPO法人が運営するインターネットのサイト「ポリスチャンネル」( http://www.police-ch.jp/ )を通じ、凶器の包丁や犯人が着ていたとみられるシャツなど遺留品の詳細を説明したビデオ映像を公開する。現場に残っていた黒いハンカチに、犯人の顔を覆ったようなしわが残っていたという新事実も明らかにしており、改めて情報提供を呼びかける。NPO法人「POLICEチャンネル」(東京都品川区)が作成したビデオ映像は約18分間で、成城署特捜本部の捜査員が、帽子やシャツ、手袋、ジャンパーといった遺留品を示しながら、「シャツは全国で130着販売され、そのうち東京では4店舗で10着しか売られていない」などと解説。2枚の黒いハンカチのうち、宮沢宅の中2階から見つかった1枚については、三角に畳んで両端にしわが残っていたという新たな事実を指摘し、「マスクにしていたのではないか」との見方を示している。警察当局がNPOと連携して、捜査資料を公表するのは異例。

12月、犠牲となった泰子の姉の入江杏が『この悲しみの意味を知ることができるなら 世田谷事件・喪失と再生の物語』(春秋社)を出版。

『この悲しみの意味を知ることができるなら 世田谷事件・喪失と再生の物語』

12月14日、警察庁は殺人など重要未解決事件に公費で懸賞金を支払う対象事件としてこの世田谷一家4人殺害事件など3事件を新たに指定した。期間は各1年で、懸賞金は上限300万円。公費での懸賞広告は5回目で、対象事件は計20事件となった。

2008年(平成20年)5月25日付の『毎日新聞』より・・・

警視庁成城署捜査本部が犯人の血液を詳しくDNA鑑定したところ、父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた可能性が強まった。捜査本部は、遺留物などから、犯人やその近親者が海外渡航していたとみており、ICPO(国際刑事警察機構)を通じ外国捜査機関に協力を求めている。しかし、中央アジアでは歴史的に欧州系民族との婚姻があり、日本でも江戸時代に交流が一部あったことなどから、曽祖母以前の婚姻もありうる。このため、犯人の国籍の特定は難しく、「先入観を持った捜査は、かえって犯人からそれる可能性もある」と指摘する捜査幹部もいる。

12月27日、入江杏が世田谷区の玉川区民会館で「悼む心 つながるいのち」と題して講演した。「4人の命の鮮やかさは、15年という(時効の)区切りで色あせることはない」と殺人事件の時効撤廃を訴えた。

2009年(平成21年)2月28日、殺人事件被害者遺族の会として「宙(そら)の会」の結成総会が東京都千代田区の明治大学であった。

殺人事件の時効撤廃・停止の実現と時効が成立した遺族への国家賠償などを求める。時効問題に特化した犯罪被害者の会の結成は初めて。

宙の会には国内外の16事件の遺族20人が参加。この世田谷一家惨殺事件で長男一家4人を失った宮沢良行(当時80歳)を会長に1996年(平成8年)9月に起きた柴又上智大生刺殺放火事件で次女を殺害された小林賢二(当時62歳)を代表幹事に選んだ。会によると、「宙」には「無限」という意味があり、時効の撤廃・停止の願いなどを込めたという。

活動目的として(1)時効制度の撤廃・停止の実現(2)遺族の権利確立(3)啓発活動の推進などを掲げた。刑事訴訟法を改正して時効の撤廃を求めるほか、時効成立後、国が容疑者逮捕などの責務を果たしていないとして民事上の責任を求めていく。海外の時効制度との比較や国民の意識調査などの情報を発信し啓発活動も進める。

12月14日、捜査本部は犯人が遺留したジャンパーの中にあった砂は三浦半島の海岸のものである可能性が高いことやヒップバッグの中から検出された砂は米国カリフォルニア州のモハーベ砂漠の砂と酷似していると発表した。また、犯人が現場に脱ぎ捨てたトレーナーなどから検出された「ローダミン」と呼ばれる粉末状の蛍光染料を報道陣に公開したが、塗料メーカーによると、ローダミンは赤茶色の粉末で、水に溶かすとピンク色に発色する。主に中国とインドから年間数トンが輸入され、国内メーカーが印刷用インキや道路標識用ペンキ、看板に使う蛍光顔料に加工して販売している。一般の人が入手することは困難で、捜査本部は3種類ものローダミンを扱うのは研究施設や染色工場、インキ製造業者、舞台用の造形物制作関係者などに限定されるとみている。また、捜査本部が2008年8月ごろに宮沢宅1階の車庫を調べたところ、車庫内の木製の収納物に、同じ3種類の染料が付着しているのが確認された。捜査関係者によると、事件当時、車庫はシャッターが閉まったままで犯人が出入りした形跡はなかった。

宮沢はCI(企業のイメージ戦略)などを手掛ける会社に勤務。仕事で蛍光染料を使うことはなかったが、大学時代に演劇サークルに所属していた。捜査本部は犯人が宮沢と蛍光染料を使って演劇の造形物を制作するなど、顔見知りだった可能性もあるとみて調べている。また、捜査本部は犯人が脱ぎ捨てたジャンパーのポケットから見つかった木の葉の破片はケヤキと柳だったと発表。柳はしだれ柳とは別種だが、特定されていないという。

死刑になる殺人などの公訴時効は2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。

また、改正刑事訴訟法は施行時点で時効未成立の事件にも適用されるため、この世田谷一家惨殺事件も公訴時効廃止事件の対象となる。

2010年(平成22年)12月19日、遺留品のヒップバッグの中から短い毛髪が見つかっていたことが捜査関係者への取材で分かった。毛髪のDNA型を鑑定したところ、現場に残された犯人のものと一致。毛髪は長さ数センチで色は黒く、2階の居間に残されたヒップバッグから見つかっている。

2階居間にあったソファの端にはクッションが置かれ、頭が乗せられたようにくぼんだ跡が残っていた。宮沢夫婦はきちょうめんな性格とされ、整頓しないで放置したとは考えにくく、捜査本部は犯人が仮眠した疑いがあるとみている。道路に面した窓のカーテンには外を確認したように隅をめくり上げた跡もあったという。トイレには大便が一部残っており、鑑定したところ、野菜のごまあえが見つかった。一家の食事や胃の内容物とは異なり、犯人が用を足したとみられる。

2011年(平成23年)12月23日、JR静岡駅で犯人が現場に残したものと同じトレーナーについての情報提供を呼びかけた。犯人が現場に残したものと同じトレーナーは全国の14都道府県で130着売られたが、このうち52着は静岡県内で販売されたという。130着のうち購入者が特定できたのはこれまでにわずか12着。

12月28日、宮沢宅のスリッパに付着していた皮膚や汗などの微物を鑑定したところ、犯人のものとみられるDNA型が検出されていたことが捜査関係者への取材で分かった。事件当日、犯人は土足で室内を歩き回ったことが足跡などから確認されており、犯人が事件前から宮沢と面識があり、宮沢宅を訪れた際にスリッパを使った可能性がある。また、犯人が現場に残したヒップバッグやトレーナーに付着していたインクやペンキの材料となる蛍光染料は宮沢宅の車庫にある木製収納家具にも付着。事件当時、犯人が車庫に立ち入った形跡はなく、宮沢が染料を扱っていた事実も確認されていないことから、染料についても事件前に犯人が宮沢宅に出入りした可能性を裏付ける重要な証拠とみている。

12月29日、染料が検出された犯人の遺留品のトレーナーは複数回洗濯されていた。胸付近に微量の染料2種類が付着していたが、付着した後には洗った形跡がなかったことが捜査関係者への取材で分かった。犯人は事件直前に染料を扱ったとみられ、仕事や趣味などで染料を使う人間が関与した疑いもあるとみて調べている。検出された染料は水に溶けるとピンク色に発色して繊維などを染色する性質がある。付着は肉眼では確認できず、特殊なライトで照らして判明した。溶けた形跡がなかったことから、染料が付着した後に洗濯した可能性は低いという。

2012年(平成24年)9月6日、この世田谷一家惨殺事件の被害者遺族で、殺人事件の遺族らで結成した「宙(そら)の会」の会長も務めた宮沢良行が肺炎のため死亡した。84歳だった。

2013年(平成25年)12月18日、警視庁は事件発生から13年を迎えるのを前に、現場を立体的に再現し捜査員の理解を深めるのを狙いとして最新の「3D(3次元)プリンター」で制作した宮沢宅の模型(縮尺28分の1)を報道各社に公開した。2階建て住宅の図面と現場写真を基に精密に作られ、家具や4人が倒れていた場所も正確に復元されている。現場を知らない若い捜査員の研修に使うほか、自宅に出入りしたことがある知人らに見せて記憶を喚起するという。3Dプリンターは警視庁が2010年(平成22年)に導入。遺体の傷を復元し、凶器と照合するなどしている。

2014年(平成26年)12月6日、警察庁はこの世田谷一家4人殺害事件など計5事件で解決につながる情報の提供者に支払う公的懸賞金(捜査特別報奨金)の情報受付期間を1年間延長することを決めた。懸賞金の上限はいずれも300万円。世田谷区の事件はこれとは別に民間団体が700万円の私的懸賞金を設けており、16日に1700万円に増額するため、合わせて2000万円になる。他に延長するのは、京都市左京区の男子大学生殺害(2007年)、愛知県豊田市の女子高校生強盗殺人(2008年)、神戸市北区の男子高校生殺害(2010年)、石川県加賀市のコンビニ店長強盗殺人(2010年)。

2015年(平成27年)12月6日、警察庁はこの世田谷一家4人殺害事件など計5事件で解決につながる情報の提供者に支払う公的懸賞金(捜査特別報奨金)の情報受付期間を1年間延長することを決めた。他に延長するのは、昨年同様、京都市左京区の男子大学生殺害(2007年)、愛知県豊田市の女子高校生強盗殺人(2008年)、神戸市北区の男子高校生殺害(2010年)、石川県加賀市のコンビニ店長強盗殺人(2010年)。

2018年(平成30年)8月3日、現場に犯人が残したバッグの中から毛髪が見つかっていたと発表した。犯人の毛髪とみられ、現場で採取された血痕ともDNA型が一致しているという。毛髪は2本で、長さ約2.5センチと約1.5ミリ。いずれも犯人の遺留品のヒップバッグの内側から見つかり、黒っぽい色だった。約1.5ミリの毛髪はバリカンのようなもので刈られた跡があったが、当時の髪形は特定できないという。捜査本部はまた、犯人が履いていたとされる靴の3D画像を警視庁ホームページで新たに公開した。靴跡から、27.5センチの韓国製スニーカー「スラセンジャー」と既に判明している。同サイズは当時日本で販売されておらず、犯人は靴を韓国で購入したり、個人輸入されたものを手に入れたりした可能性がある。27.5センチは韓国では「KOR280」と表記され、靴の内側のタグにサイズの記載があるという。

2019年(令和元年)12月13日、捜査本部は現場で見つかった包丁の柄を包んでいたとみられるハンカチについて、フィリピン北部の一部地域で同様の包み方があるとの情報が寄せられたことを明らかにした。この包み方は軍人が使用したり、現地の儀式にも使われていたりするとされ、捜査本部は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて情報収集するなど確認を進めている。捜査本部によると、現場の台所から見つかった約45センチ四方の正方形の黒いハンカチは、中央に3センチほどの切り込みがあり、ハンカチの一端が差し込まれて袋状になっていた。近くからは被害者の血液が付着した包丁も見つかっており、捜査本部では袋状にしたハンカチに包丁の柄を差し込んで使用したとみている。捜査本部はこれまで「中国の水産加工場で似たハンカチの使用方法がある」としていたが、今年に入り、フィリピン北部のイロコス地方やイサベラ州で使われているとの情報が複数人から寄せられた。この包み方は刃物を使う際に血が付かないようにするなどの目的で軍人やギャングが用いるほか、現地の儀式にも使われているとみられる。

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参考文献など・・・
『毎日新聞』(2000年8月14日付/2000年12月31日付/2001年1月1日付/2001年1月5日付/2001年1月9日付/2001年1月12日付/2001年1月13日付/2001年12月17日付/2002年3月28日付/2002年7月1日付/2002年12月16日付/2002年12月30日付/2003年12月22日付/2003年12月28日付/2005年8月1日付/2005年11月21日付/2006年5月4日付/2006年5月12日付/2006年6月22日付/2006年7月20日付/2006年12月15日付/2006年12月27日付/2007年12月14日付/2008年5月25日付/2008年12月27日付/2009年2月28日付/2009年12月14日付/2010年4月27日付/2011年12月23日付/2012年9月6日付)
『読売新聞』(2007年6月19日付/2013年12月18日付)
『産経新聞』(2010年12月20日付/2011年12月29日付/2019年12月13日付)
『時事通信』(2010年12月24日付/2011年12月30日付/2015年12月7日付/2018年8月3日付)
『共同通信』(2014年12月7日付)
『週刊新潮』(2001年8月16・23日夏季特大号)
『世田谷一家殺人事件 侵入者の告白』(草思社/斎藤寅/2006)
『世田谷一家殺人事件の真実』(九天社/山元泰生/2007)
『Kの推理 世田谷一家殺人事件 上智大生殺人放火事件』(文芸社/竜崎晃/2009)
『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(角川書店/一橋文哉/2015)
『世田谷一家殺人事件 銘肌鏤骨(めいきるこつ)』(青志社/齋藤寅/2020)
『新潮45』(2002年1月号/2002年2月号/2002年3月号/2002年11月号/2003年4月号/2006年3月号)

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