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新潟少女監禁事件

2000年(平成12年)1月28日、新潟県柏崎市四谷の自宅2階で9年2ヶ月に渡る少女監禁事件が発覚した。1990年(平成2年)11月13日に新潟県三条市で行方不明になった当時小学校4年生(当時9歳)がこの日、柏崎市保健所職員により発見、保護された。少女は19歳になっていた。一緒にいた佐藤宜行(当時37歳/犯行当時28歳)は精神的に不安定で病院に入院した。

地元の週間新聞紙『越後タイムス』は柏崎有史以来の衝撃的な事件として被害者が監禁されていた自宅の住所が四谷となっていたところから「四谷怪談」と揶揄した。

1996年(平成8年)1月ごろ、宜行の母親が柏崎署に息子の暴力のことで相談したが、保健所にたらい回しされたことも判明する。

2000年(平成12年)1月12日、宜行の母親が再び柏崎保健所に相談。1月19日、保健所職員らが佐藤宅を訪ねたが、宜行に会えず、母親が往診を依頼。1月28日、佐藤宅を訪ねた医師らが女性(当時19歳)を9年2ヶ月ぶりに発見、保護。

発見時、K新潟県警本部長がN関東管区警察局長を温泉旅館で麻雀接待していたことが判明する。

2月10日、佐藤宜行はその事件の1年前の1989年(平成元年)6月13日、佐藤宜行が当時26歳のとき、柏崎市で下校中の小学4年(当時9歳)の女児に乱暴しようとして逮捕され、9月19日、新潟地裁長岡支部で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けていた。それにもかかわらず、この日、新潟県警は犯罪者リストから佐藤宜行の名前が漏れていたことを明らかにした。登録がされていたら女児が行方不明になった時点で佐藤宜行が最重要人物として浮上していたはずである。

この新潟少女監禁事件の前後に次のような特異な事件が起きている。1988年(昭和63年)8月〜1989年(平成元年)6月にかけて東京と埼玉で起きた宮ア勤幼女連続殺人事件や1988年(昭和63年)11月、16〜18歳の複数の少年によって女子高生(17歳)を誘拐し、41日間に渡って自宅に監禁してリンチした上で殺害した、いわゆる女子高生コンクリ詰め殺人事件である。

2月11日、佐藤宜行が未成年者略取・監禁致傷の疑いで逮捕される。

2月17日、新潟県警が女性が発見されたときの発表に虚偽があったことを認める。

2月26日、K県警本部長が引責辞任。

2月29日、N関東管区警察局長が引責辞任。

3月2日、県警と国家公安委員会が刑事部長ら虚偽発表などに関わった9人の処分を発表。

3月3日、佐藤宜行が新潟地検により起訴される。

3月7日、県警が初動捜査ミスに関わった5人の処分を発表。

4月27日、接待麻雀に参加した幹部3人の追加処分を発表。

5月23日、新潟地裁で初公判があり、佐藤宜行は起訴事実を全面的にほぼ認めた。弁護側が精神鑑定を請求する。

6月26日、新潟地検が佐藤宜行を窃盗罪で追起訴。

2001年(平成13年)9月6日、精神鑑定を行った医師らが、佐藤宜行の刑事責任能力を認める鑑定結果を新潟地裁に提出した。

2002年(平成14年)1月22日、新潟地裁で判決公判が開かれ、榊五十雄裁判長は求刑・懲役15年に対し懲役14年の実刑判決を言い渡した。

榊裁判長は判決理由で「思春期や青春時代という成長にとって最も重要な時期を被告によって奪い取られた結果はあまりにも重大。犯行は法が想定した刑期をはるかに超えた最悪のもの」と断罪した。犯行の動機についても「か弱い女児を自己の意のままにしたいとの欲望を抑え切れず犯行に及び、身勝手極まりない」と厳しく指摘した。

検察側は未成年者略取・逮捕監禁致傷と窃盗との併合罪で最高となる懲役15年(逮捕監禁致傷の最高である懲役10年の1.5倍)を求めたが、窃盗の被害が弁償済みであることなどから「量刑にはおのずと限界がある」とも説明し、検察側が論告で「未決拘置日数を刑期に1日も算入すべきでない」と異例の意見を述べたが、判決は350日を刑期に算入した。

判決によると、佐藤宜行は監禁した上にナイフや高圧電流銃(スタンガン)で脅して行動を制限し、両脚に筋力低下などの傷害を負わせた。また、1998年(平成10年)10月に北蒲中条町のスーパーで、女性に着用させる衣類4点(約2500円相当)を万引した。

刑法47条(併合罪と刑の加重)・・・併合罪のうちに2つ以上の有期の懲役または禁錮に処すべき罪があるときには、そのうちで最も重い罪について定められた刑の期間の上限にその半数を加えたもの(つまり1.5倍)をその併合罪の刑の期間の最高限とする。ただし、それぞれの罪について定められた刑期の上限の合計を超えることはできない。

刑法220条(逮捕・監禁)・・・正当な理由がないのに人を逮捕または監禁した者は3ヶ月以上5年以下の懲役に処する。

刑法221条(逮捕・監禁により死傷の結果を生じた場合)・・・前条(220条)の罪を犯しそれによって人を死傷させるに至った者は傷害の罪に比較し刑の重いほうに従って処断する。

刑法204条(傷害)・・・人の身体を傷害した者は10年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料に処する。

刑法235条(窃盗)・・・他人の財物を窃取した者は窃盗の罪として10年以下の懲役に処する。

1月24日、弁護側が判決を不服として控訴した。

2月5日、この日は控訴期限の日だったが、新潟地検は控訴を断念した。佐藤宜行が既に控訴しているため、裁判の舞台は東京高裁に移ることになる。しかし、新潟地検が控訴しないことで、刑事訴訟法402条の規定により、控訴審は新潟地裁が言い渡した懲役14年の量刑の範囲内で争われることになる。

刑事訴訟法402条・・・被告人が控訴をし、または被告人のため控訴をした事件については、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできない。

12月10日、東京高裁の山田利夫裁判長は「(併合罪の)法律解釈は誤りと言わなければならない」として1審判決を破棄、懲役11年を言い渡した。

争点のひとつだった逮捕監禁致傷罪と窃盗罪の併合について、東京高裁は「原判決は逮捕監禁致傷罪を法定刑の上限である懲役10年より重く評価しているが、刑法解釈に誤りがある」と判断。「同罪については被害の重大さに照らして最も重い刑で臨み、窃盗については同種事件との均衡も考慮した」と述べた。その上で「逮捕監禁致傷罪の刑の上限が10年で軽いとするならば、将来に向けて法を改正するしかない」と言及した。

量刑理由では「被害者は3年近くたった今でも、普通の生活で足腰を痛めるなど苦労を強いられている。被害者や家族の処罰感情が峻烈なのは当然」と指摘。一方で、S被告に重度の強迫性障害などがあり「被害者への悲惨な処遇は、すべて害意に基づいているとはいえない」とも認めた。

12月24日、検察側が判決を不服として上告した。弁護側も判決を不服として上告した。

2003年(平成15年)7月10日、最高裁で深沢武久裁判長は懲役11年の東京高裁判決を軽過ぎるとして破棄し、新潟地裁の懲役14年判決を支持する判決を言い渡した。

最大の争点だった「併合罪」の解釈について、判決は「各罪について個別の量刑を合算するのは法律上認められない。全体を統一して処罰すべきだ」との初判断を示した。

2015年(平成27年)ころ、佐藤宜行が刑務所を出所後、新潟県内には戻らず、千葉県内のアパートで一人暮らしを始めた。定職には就かなかった。

2017年(平成29年)ころ、佐藤宜行が自室で倒れているのが発見された。検視により病死が確認されたが、病名は不明。50代半ばだった。事件当時一緒に暮らしていた母親は佐藤宜行が受刑中に亡くなっている。

参考文献など・・・
『新潟少女監禁事件』(新人物往来社/毎日新聞新潟支局編/2000)

『カプセル 新潟少女監禁事件 密室の3364日』(主婦と生活社/松田美智子/2002)

『少女監禁 「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社/佐木隆三/2003)
『少女はなぜ逃げなかったか 続出する特異事件の心理学』(小学館/碓井真史/2000)
『14階段 検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件』(小学館/窪田順生/2006)

『新潟少女九年二ヵ月監禁事件真相はこれだ!!』(ブイツーソリューション/登道烈山/2006)
『毎日新聞』(2001年9月11日付/2002年1月22日付/2002年1月24日付/2002年2月6日付/2002年12月10日付/2002年12月24日付/2002年12月25日付/2003年4月17日付/2003年7月10日付)
『新潟日報』(2020年1月23日付)
『デイリー新潮』(2021年2月5日付)

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