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北朝鮮日本人拉致事件

【 拉致事件関連年表 】

1977年(昭和52年)  9月19日 久米裕(当時52歳)が拉致される。
  10月21日 松本京子(当時29歳)が拉致される。
  11月15日 横田めぐみ(当時13歳)が拉致される。
1978年(昭和53年)  6月 田中実(当時28歳)が拉致される。
 6月29日 田口八重子(当時22歳)が拉致される。
   7月 7日 地村保志(やすし/当時23歳)と浜本富貴恵(当時23歳)が拉致される。
   7月31日 蓮池薫(当時20歳)と奥土祐木子(当時22歳)が拉致される。
   8月12日 市川修一(当時23歳)と増元るみ子(当時24歳)が拉致される。
    曽我ひとみ(当時19歳)と母親の曽我ミヨシ(当時46歳)が拉致される。
    富山でアベック拉致未遂事件が発生する。
1980年(昭和55年)  1月 7日 『サンケイ』が単独で「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで報道。拉致事件の最初のスクープ。1978年(昭和53年)8月の富山でのアベック拉致未遂事件との類似性から3件の「蒸発事件」に外国情報機関が関与した疑いがあることを報じた。
   6月 7日 石岡亨(当時22歳)、松木薫(当時26歳)が拉致される。
   6月17日 原敕晁(ただあき/当時43歳)が拉致される。
1983年(昭和58年)  7月15日 有本恵子(当時23歳)が拉致される。
1985年(昭和60年)  2月 韓国安企部が原敕晁名義のパスポートを保持していた辛光洙を逮捕。
1987年(昭和62年) 11月 大韓航空機爆破事件発生。
1988年(昭和63年)  1月 金賢姫が北朝鮮工作員によって田口八重子(李恩恵)が日本から拉致されたことを告白。
   3月 梶山静六国家公安委員長が拉致事件に北朝鮮の関与があったことを認める発言。
   9月 石岡亨の手紙がポーランドから札幌の実家に届く。
1990年(平成 2年)  9月 金丸信、田辺誠議員らが訪朝、金日成主席と会談。
1991年(平成 3年)  1月 日朝国交正常化交渉開始。
1992年(平成 4年) 11月 第8回国交正常化交渉で「李恩恵」問題の調査要求。北朝鮮側が反発して交渉中断。
1994年(平成 6年)  7月 8日 金日成主席が死去。82歳だった。
1995年(平成 7年)  5月 朝日放送系列で拉致共犯者の証言を撮影したドキュメンタリー番組『闇の波涛から』放映。
1997年(平成 9年)  2月 朝日放送、産経新聞、『AERA』(朝日新聞社)などが横田めぐみ拉致事件をはじめて報道。
   3月 「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会が結成される。
   5月 警察庁が北朝鮮による拉致疑惑を「7件10名」と発表。
  10月 外務省の阿南惟茂アジア局長が「亡命者の証言以外、証拠がない」と発言。
1998年(平成10年)  4月 野中自民党幹事長代理が「拉致疑惑があるから食糧を送るなという発言が強いが、慰安婦や植民地、強制連行がある」と発言。
 6月 朝鮮赤十字会が「行方不明者は存在しない」と発表。
1999年(平成11年) 12月 外務省の槙田邦彦アジア局長が「たった10人のことで日朝国交正常化が止まっていいのか」と発言。
2000年(平成12年)  4月 国交正常化交渉が7年半ぶりに再開。
11月 自民党・中山正暉日朝友好議員連盟会長が「拉致を前提とすると何も進展しなくなってしまう」と発言。
2001年(平成13年)  5月 金正男と見られる男の不法入国事件が起きる。
12月 朝鮮赤十字会が「行方不明者」調査中止を発表。
2002年(平成14年)  3月12日 「よど号」メンバーの赤木志郎の妻の金子恵美子の東京地裁での公判で同じく「よど号」メンバーの柴田泰弘の妻の八尾恵が有本恵子を北朝鮮に連行したと証言。
   3月19日 小泉首相が「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化交渉の妥結はありえない」と発言。
   9月17日 日朝首脳会談。小泉純一郎首相は北朝鮮を訪問し金正日総書記と初の首脳会談をした。日本人拉致問題で北朝鮮側は5人が生存、8人が「死亡」したと伝えた。
  10月15日 生存が伝えられた蓮池薫(当時45歳)、奥土(現姓・蓮池)祐木子(当時46歳)、地村保志(当時47歳)、浜本(現姓・地村)富貴恵(当時47歳)、曽我ひとみ(当時43歳)の5人が24年ぶりに帰国。
2004年(平成16年)  5月22日 小泉首相が北朝鮮を訪問。金正日総書記と首脳会談し家族計5人の「帰国」に合意。蓮池夫妻の長女(当時22歳)、長男(当時19歳)と地村夫妻の長女(当時22歳)、長男(当時20歳)、次男(当時16歳)の5人が「帰国」し、約1年7ヶ月ぶりに両親と再会した。小泉首相は25万トンの食糧や1000万ドルの医薬品などの人道支援を表明。
   7月 9日 曽我ひとみ(当時45歳)がインドネシアで夫で元米兵のチャールズ・ジェンキンス(当時64歳)、長女(当時21歳)、次女(当時18歳)と1年9ヶ月ぶりに再会。
   7月18日 曽我ひとみ(当時45歳)と夫のチャールズ・ジェンキンス(当時64歳)、長女(当時21歳)、次女(当時18歳)の一家4人が政府のチャーター機で帰国・来日した。一家はジェンキンスの病気治療のため、東京都内の病院に入る。
   9月11日 チャールズ・ジェンキンスが米軍から訴追を受けている脱走罪など4件の容疑に関する司法手続きに入るため、病院を退院、在日米陸軍司令部のある神奈川県のキャンプ座間に任意出頭。
  11月 4日 米陸軍のキャンプ座間で開かれた軍法会議でチャールズ・ジェンキンスに対し禁錮30日、不名誉除隊などの刑が言い渡される。
11月27日 チャールズ・ジェンキンスが収監先の米海軍横須賀基地の施設から釈放される。
2006年(平成18年)  4月11日 日本政府が北朝鮮に拉致された横田めぐみの娘・キム・ヘギョンと韓国人拉致被害者の金英男(キムヨンナム/当時44歳)について「血縁関係が存在する可能性が高い」とのDNA鑑定結果を正式に発表。
2009年(平成21年)  3月11日 韓国・釜山市内の国際会議場で田口八重子の兄の飯塚繁雄(当時70歳)と田口の長男の耕一郎(当時32歳)が1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯で、田口から日本語教育を受けた金賢姫元死刑囚(当時47歳)と面会。
 5月21日 蓮池薫と妻の祐木子が長女(当時27歳)と長男(当時24歳)の帰国から翌22日で5年となるのを前に、「それぞれ自立の道を歩む」などとするコメントを柏崎市を通じて公表した。柏崎市によると、長女は上越教育大学大学院(新潟県上越市)の学校教育研究科修士課程を3月に修了、長男は早稲田大学に通う。
2010年(平成22年)  7月20日 長野県軽井沢町で田口八重子の兄の飯塚繁雄(当時72歳)と田口の長男の耕一郎(当時33歳)が1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯で、田口から日本語教育を受けた金賢姫元死刑囚(当時48歳)と再会。
 7月21日 長野県軽井沢町の鳩山由紀夫前首相の別荘で横田めぐみの父の滋(当時77歳)と母の早紀江(当時74歳)が金賢姫元死刑囚(当時48歳)と面会。
2011年(平成23年) 12月17日  金正日総書記が死去。69歳だった。
2014年(平成26年)  3月10〜
14日 
モンゴルのウランバートルで横田めぐみの両親である横田滋(当時81歳)と早紀江(当時78歳)がめぐみの娘のキム・ヘギョン(本名・キム・ウンギョン/当時26歳)と面会。キム・ヘギョンの夫と娘とみられる人物が同席。
2020年(令和 2年)  6月 5日 横田めぐみの父・滋が死去。87歳だった。
2021年(令和 3年) 12月18日 田口八重子の兄・飯塚繁雄が死去。83歳だった。

 

【 日本政府が認定している拉致被害者12件17人 】

拉致された日  氏名
(拉致当時の年齢)
拉致当時の職業 拉致された場所 拉致後の結婚 北朝鮮が伝える
「死亡」日(未確認)
帰国
1977.9.19 久米裕(52歳) 三鷹市役所
警備員
石川県
能都町(のとまち)
宇出津(うしつ)
 
1977.10.21 松本京子(29歳)   鳥取県
米子市
 
1977.11.15 横田めぐみ(13歳) 中学生 新潟県
新潟市
DNA鑑定の結果、韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)と結婚した可能性が高い 1993.3.13  
1978.6 田中実(28歳) 元飲食店店員 神戸市 北朝鮮で結婚し妻子がいることを
北朝鮮が日本政府に伝えた。
 
1978.6.29 田口八重子(22歳) 飲食店店員 新潟県? 1984.10.19
田口&原敕晁(ただあき
/拉致被害者)
(結婚していない可能性もある
1986.7.30  
1978.7.7 地村保志(やすし/23歳) 大工
見習い
福井県
小浜(おばま)市
 
1979.11.25 地村&浜本   - 2002.10.15
浜本富貴恵
(現姓・地村/23歳)
被服店
店員
1978.7.31 蓮池薫(20歳) 中央大学
法学部3年生
新潟県
柏崎市
1980.5.15 蓮池&奥土
奥土祐木子
(現姓・蓮池/22歳)
化粧品
会社社員
1978.8.12 市川修一(23歳) 電電公社
(現・NTT)職員
鹿児島県
吹上町
 
1979.4.20 市川&増元  1979.9.4  
増元るみ子(24歳) 事務員 1981.8.17  
1978.8.12 曽我ひとみ(19歳) 佐渡総合病院
看護婦
新潟県
真野町
1980.8.8 北朝鮮に入国した元米軍兵士のチャールズ・ロバート・ジェンキンスと結婚 - 2002.10.15
曽我ミヨシ(46歳) 主婦
(曽我ひとみの母親)
 
1980.6.7 石岡亨(とおる/22歳) 日本大学
農獣医学部生
オーストリア
ウィーン?
1985.12.27
石岡&有本恵子(拉致被害者)
1988.11.4  
松木薫(26歳) 京都外国語大学
大学院生
スペイン
マドリード?
1996.8.23  
1980.6.17 原敕晁(ただあき/43歳) 中華料理店
調理師
宮崎県
宮崎市
1984.10.19
原&田口八重子
(拉致被害者)
(結婚していない可能性もある)
1986.7.19  
1983.7.15 有本恵子(23歳) 神戸外国語大学生 デンマーク
コペンハーゲン
1985.12.27
有本&石岡亨(とおる/拉致被害者)
1988.11.4

看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

当初、蓮池薫、奥土(現姓・蓮池)祐木子、地村保志、浜本(現姓・地村)富貴恵、曽我ひとみの5人が生存と伝えられ、横田めぐみ、田口八重子、市川修一、増元るみ子、原敕晁(ただあき)、有本恵子、松木薫、石岡亨の8人が「死亡」と伝えられた。だが、その死亡は確認されておらず、その死亡原因とされている病死や事故死、災害死、自殺による死亡、またその日付けについては疑問である。久米裕と曽我ミヨシ(拉致された曽我ひとみの母親)の2人は不明のままである(拉致された日や場所、「死亡」日などは上の表を参照)。

蓮池薫と地村保志の北朝鮮での職業はともに社会科学院民俗研究所資料室の翻訳員。

横田めぐみ・・・1977年(昭和52年)11月〜1986年(昭和61年)7月まで招待所で朝鮮語などを研究していた。入国直後、曽我ひとみと一緒に暮らしていた事実がある。DNA鑑定の結果、韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)と結婚した可能性が高いと日本政府が発表。

田口八重子・・・1978年(昭和53年)6月29日、東京都新宿区高田馬場のベビーホテルに3歳と1歳の幼児を預けたまま拉致された。1988年(昭和63年)のソウルオリンピック阻止目的の1987年(昭和62年)11月29日の大韓航空機爆破事件(乗員乗客115人全員死亡)で逮捕された金賢姫(キム・ヒョンヒ)の自供により「李恩恵(リ・ウネ)」という日本語教育係がいたことが判明。その後、李恩恵の本籍、出生地など60項目以上の合致から日本政府は李恩恵は田口八重子であると断定。2人は1981年(昭和56年)1月〜1983年(昭和58年)3月まで同居生活を送っていた。1998年(平成10年)8月9日、北朝鮮元工作員の安明進(アン・ミョンジン)は「田口さんは金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官だった」と話した。浜本富貴恵は1978年(昭和53年)7月に拉致された直後から約9ヶ月間、同年6月に拉致された田口とともに同じ招待所で生活し、朝鮮語などを学んだ。浜本は田口の朝鮮名「コ・ヘオク」は知っていたが、大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫元工作員の教育係とされる「李恩恵」の名は知らなかったらしい。2010年(平成22年)7月21日、韓国の北朝鮮拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」の崔成龍代表は田口八重子が現在、平壌の万景台区域にあるアパートで暮らしていると北朝鮮関係者から聞いたことを明らかにした。

金賢姫(キム・ヒョンヒ)・・・1962年(昭和37年)1月27日、北朝鮮平壌生まれ。1977年(昭和52年)、金日成総合大学生物学部に入学。予科1年修了。1978年(昭和53年)、平壌外国語大学日本語学科に入学。在学中の1980年(昭和55年)、朝鮮労働党中央委員会の工作員に選抜される。1987年(昭和62年)、同じく工作員の金勝一(キムスンイル)とともに日本人を装って大韓航空機を爆破。2日後、バーレーンで拘束された金勝一(パスポートは「蜂谷真一」)はもっていた青酸カリを飲んで自殺。金賢姫(パスポートは「蜂谷真由美」)も自殺を図るが失敗。その後、韓国当局に拘束され、1989年(平成元年)4月26日、死刑判決で確定。翌1990年(平成2年)、大統領特赦で死刑免除。1997年(平成9年)、元国家安全企画部(現・国家情報院)職員だった男と結婚、2児をもうけた。

金賢姫の著書に 『金賢姫は告白する』(徳間書店/趙甲済編著/池田菊敏訳/1989) / 『真実 金賢姫独占インタビュー全記録』(アイベックプレス/インタビュー&監修・五島隆夫/1991) / 『いま、女として 金賢姫全告白 上』(文藝春秋/池田菊敏訳/1994) / 『いま、女として 金賢姫全告白 下』(文藝春秋/池田菊敏訳/1994) / 『愛を感じるとき』(文藝春秋/池田菊敏訳/1992) / 「『忘れられない女(ひと) 李恩恵との二十ヶ月』(文春文庫/池田菊敏訳/1997) / ビデオに 『金賢姫 「私と北朝鮮」』(文藝春秋/1994) / 『金賢姫 北朝鮮を語る』(文藝春秋/1996)がある。

2003年(平成15年)4月1日午後9時から約2時間に渡って、日本テレビ系列で大韓航空機爆破事件を再現したドラマ『完全再現!真実の物語 金賢姫キム・ヒョンヒ 大韓航空機爆破事件〜北朝鮮のシナリオ』が放送された。同日午後6時55分から約2時間に渡り、TBS系列でも「実録!犯罪ミステリー みのもんた女の事件簿」で『大韓航空機爆破事件 金賢姫16年目の真実』と題したドラマが放送された(他に埼玉本庄市保険金殺人事件についての再現ドラマも)。

2007年(平成19年)12月15日午後9時から2時間10分に渡って、『極秘指令〜金賢姫拘束の真相』(NHK出版/砂川昌順/2003)を原作としたドラマがフジテレビ系列のテレビ番組「土曜プレミアム特別企画」で『大韓航空機爆破事件から20年・金賢姫を捕らえた男たち〜封印された3日間〜』と題して放送された。

安明進(アン・ミョンジン)・・・1968年(昭和43年)8月26日、北朝鮮黄海北海平山郡生まれ。黄海北海沙里院外国語学院に入学し、のちに江原道元山外国語学院へ。1987年(昭和52年)、北朝鮮のスパイ養成機関ともいうべき金正日政治軍事大学に入学。特殊工作員として6年間の厳しい教育と訓練を受け、1993年(平成5年)5月、朝鮮労働党3号庁舎作戦部所属の715連絡所に配属。9月、韓国へ侵入任務中に亡命。1997年(平成9年)初め、「新潟から少女を拉致してきた教官」の話を証言し、日本で「横田めぐみ拉致問題」が論じられるきっかけとなる。ソウル在住。

安明進の著書に『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店/安明進/金燦訳/1998)がある。

原敕晁(ただあき)・・・大阪市生野区鶴橋の中華料理店で店員をしていた原敕晁が突然、失踪した。1985年(昭和60年)2月、韓国安企部は国家保安法違反(スパイ容疑)でソウル市内のホテルで辛光洙(シン・ガンス)を逮捕。その後の供述で原の失踪は辛による拉致事件であることが判明する。1980年(昭和55年)6月17日、辛は宮崎県の青島海岸まで原を誘い出し北朝鮮工作員に引き渡した。辛はその後、完全に原になりすまし原名義の旅券、運転免許証を習得していた。韓国で逮捕された辛は無期懲役囚として収監されていたが、恩赦によって、1999年(平成11年)12月31日に釈放、北朝鮮に送還された。2004年(平成16年)1月20日、「北朝鮮に拉致された日本人を救出する大阪地方議員の会」は、辛らからの拉致の協力を求められた中華料理店経営の在日朝鮮人に対する国外移送目的略取容疑などの告発状を府警に提出。受理された。根拠は1985年(昭和60年)11月、韓国の国家保安法違反罪などに問われた辛をめぐるソウルでの裁判の判決文だという。

有本恵子・・・2002年(平成14年)3月12日、東京地裁で旅券法違反事件で「よど号」ハイジャック事件のメンバーの赤木志郎の妻の金子恵美子の公判が開かれたが、検察側証人として「よど号」メンバーの柴田泰弘の元妻で、元スナック店主の八尾恵(当時46歳)が出廷し、メンバー・リーダーの故・田宮高麿(1995年11月死去)の「25歳ぐらいまでの若い日本人女性を何人でも獲得せよ」という指示で、19年前の1983年(昭和58年)、ロンドンで留学していた有本恵子(当時23歳)を騙して北朝鮮に連れ出したと証言した。証言によると、同年5月ごろ、有本に「北朝鮮の市場調査をしないか」と誘い、7月14日にデンマークのコペンハーゲンで、貿易関係者を装った「よど号」メンバーの安部(現姓・魚本)公博と北朝鮮工作員のキム・ユーチョルに引き合わせ、翌15日、有本とキムがモスクワ経由で北朝鮮に向かったという。

久米裕・・・1977年(昭和52年)9月19日、東京都の三鷹市役所で警備員をしていた久米裕(当時52歳)は石川県の宇出津(うしつ)海岸から北朝鮮に拉致された(宇出津事件)。久米の足取りは宇出津海岸の旅館で途絶えており、久米をその旅館まで連れて行った在日朝鮮人が外国人登録法違反容疑で逮捕され自白した。「北朝鮮工作員から52、3歳の日本人男性で身寄りのない者を北朝鮮に送り込むこと。頭の程度は問わない。戸籍謄本を取らせて9月19日の夜、宇出津海岸で待っている工作員に引き渡せ」と指令を受け、金に困っていた久米に近づき、密貿易を手伝わないかと騙して工作員に久米を渡した。このとき逮捕した在日朝鮮人の自宅から乱数表、暗号解読表などの証拠も押収されているが、この在日朝鮮人は「出国時の意思」を久米から確認できていないことを理由に起訴は見送られ、外国人登録法違反でも不処分のまま釈放されている。

松本京子・・・1977年(昭和52年)10月21日、鳥取県米子市の松本京子(当時29歳)が失踪した。2013年(平成25年)5月30日、韓国紙の『東亜日報』は北朝鮮を脱出し中国からラオスに入った後、身柄を拘束され、北朝鮮に送還された男女9人の中に1977年に失踪し日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定した女性の息子がいると報じた。『東亜日報』は女性を匿名で報じたが、日本政府が松本京子とみている。7月16日、韓国の情報機関の国家情報院は松本京子が数年前まで北朝鮮北東部の清津に住んでおり、現在は平壌に居住しているとの見方を明らかにした。10月16日、韓国の拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」の崔成竜代表は松本京子とみられる日本人1人と韓国人拉致被害者約50人らが金正恩第1書記の指示により、平壌市の順安区域に集団で住まわされ、特別監視下に置かれているとの情報を明らかにした。2016年(平成28年)10月16日配信のTBS系(JNN)によると、松本京子が視力障害により、平壌の病院に入院しているという情報があることがわかった。これは、韓国の拉致被害者家族の団体の代表が北朝鮮の消息筋から聞いた話として明らかにしたもので、真偽は不明だが、この情報は日本政府も把握している。

田中実・・・神戸市内の飲食店に出入りしていた田中実(失踪当時28歳)が北朝鮮からの指示を受けた同店の店主である在日朝鮮人の甘言により海外に連れ出された後、北朝鮮に送り込まれた。2019年(平成31年)2月15日配信の共同通信によると、田中実が北朝鮮で結婚し、妻子とともに生活していることを北朝鮮が日本政府に伝えていたことが分かった。同じ飲食店の店員だった金田龍光(失踪当時26歳)にも「妻子がいる」と伝達。日本政府は田中と金田の帰国意思は「ない」と説明した。

2013年(平成25年)3月25日、「よど号」ハイジャック事件のメンバーや妻らによる欧州ルートの日本人拉致事件は金正日がメンバーらに下達した書簡を受けて実行された疑いがあることが関係者の証言で分かった。書簡はグループの勢力拡大の必要性を説いていたとされ、「よど号」犯グループはその後、海外で日本人獲得に動いていた。書簡は、1978年(昭和53年)5月6日に示された「日本革命に関する根本問題(56書簡)」。「主体的力量の準備」や「暴力革命の準備」などと記されていたという。関係者によれば、「よど号」犯グループのリーダーだった田宮高麿は「主体的力量の準備」について「(日本革命のために作った)自主革命党を発展的に成長させるため、メンバーを増やさないといけない」と話し、「よど号」犯メンバーの妻たちに欧州での日本人獲得を指示。書簡が出た翌年の1979年(昭和54年)から妻たちは頻繁に欧州各国に出入りし、その後、「よど号」犯メンバーの行動も確認されるようになった。

[ 警察がICPOを通じて国際手配を行い、外務省を通じて北朝鮮に対し身柄の引渡しを要求している事案(○印) ]

○蓮池薫と祐木子夫妻拉致の実行犯である北朝鮮工作員の通称・チェ・スンチョル、共犯者の自称・韓明一(ハン・ミョンイル/通称・ハン・クムニョン)、同じく通称・キム・ナムジンの3人。

○地村保志と富貴恵夫妻拉致の実行犯である北朝鮮工作員の辛光洙(シン・ガンス)

○曽我ひとみと母・ミヨシの拉致の実行犯である北朝鮮工作員の通称・キム・ミョンスク。

原敕晁(ただあき)に成り替わった容疑の北朝鮮工作員の辛光洙(シン・ガンス)。2006年(平成18年)4月に新たに拉致容疑の主犯として、また、拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても国際手配していたが、2018年(平成30年)3月13日に死亡。90歳だった。

○有本恵子拉致の実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓・安部)公博。

○石岡亨と松木薫の拉致の実行犯である「よど号」犯人の妻の森順子(よりこ)と若林(旧姓・黒田)佐喜子。

久米裕が拉致された宇出津(うしつ)事件で主犯格である北朝鮮工作員の金世鎬(キム・セホ)。

事件関係者の著書など・・・
『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社/横田早紀江/1999)
『謝罪します』(文藝春秋/八尾恵/2002)
『奪還 引き裂かれた二十四年』(新潮社/蓮池透/2003)
『家族』(光文社/北朝鮮による拉致被害者家族連絡会編/2003)
『薫へ 届かなかった手紙』(新潮社/蓮池秀量&蓮池ハツイ/2003)
『ブルーリボンの祈り』(いのちのことば社ふぉれすとブックス/横田早紀江&斎藤真紀子&真保節子&牧野三恵/2003)
『妹よ 北朝鮮に拉致された八重子救出をめざして』(日本テレビ放送網/飯塚繁雄/2004)
『奪還 第二章』(新潮社/蓮池透/2005)
『告白』(角川書店/チャールズ・R・ジェンキンス/2005)
『めぐみ<前編>』(双葉社/横田滋・早紀江/2005)
『めぐみ<後篇>』(双葉社/横田滋・早紀江/2005)
『地村保 絆なお強く 別離の苦難を乗り越えて』(主婦の友社/地村保&岩切裕/2005)
『母が拉致された時 僕はまだ1歳だった 北朝鮮拉致事件ドキュメンタリーコミック』(双葉社/原作&監修・飯塚耕一郎/作画&構成・本そういち/2006)
『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』(かもがわ出版/蓮池透/2009)
『半島へ、ふたたび』(新潮社/蓮池薫/2009/第8回新潮ドキュメント賞受賞)
『夢うばわれても 拉致と人生』(PHP研究所/蓮池薫/2011)
・・・NHKBSで放送中の人物ドキュメント番組「100年インタビュー」で語られた蓮池薫の言葉を単行本化したもの。
『拉致と決断』(新潮社/蓮池薫/2012)
『蓮池透講演録 拉致問題の真相を語る』(DVD/2009)

『めぐみと私の35年』(新潮社/横田早紀江/2012)
『「ただいま」も言えない「おかえり」も言えない』(高木書房/特定失踪者家族会/2020)

蓮池薫が翻訳した書籍(一部)・・・
『ハル 哲学する犬』(ポプラ社/クォン デウォン/2006) / 『君がそばにいても僕は君が恋しい』(綜合社/リュ シファ/2006) / 『2015年のサムスン』(光文社/成和/2006) / 『孤将』(新潮社/金薫/2005) / 『冬ソナと蝶ファンタジー』(光文社/咸 翰姫&許 仁順/2006) / 『韓流熱風 映画・テレビドラマ・音楽 強さの秘密』(朝日新聞社/ユ サンチョル他/2006) / 『走れ、ヒョンジン!』(ランダムハウス講談社/朴美景/2005) / 『成功への道 お金持ちになる「心得71」』(産経新聞出版/ハン チャンウク/2005) / 『母よ ヘギョンの愛した家族』(ワニブックス/キム ヘギョン/2006)

北朝鮮による拉致事件を元に製作されたドラマや映画に次のようなものがある。

2003年(平成15年)5月14日午後8時54分から2時間40分に渡ってテレビ東京で著書『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』を原作として、「ドキュメントドラマ特別企画」として、『希望と絶望に揺れる26年・・・今明かされる拉致の恐怖 家族たち苦闘の真実』(出演・竹下景子&加藤剛&・・・)と題して放送。

2003年(平成15年)9月12日午後9時10分から11時2分までフジテレビ系列で金曜エンタテイメント枠で、『完全再現! 北朝鮮拉致“25年目の真実”消えた大スクープの謎』(出演・石黒賢&堺正章&布施博&市毛良枝&・・・)と題して放送。

2003年(平成15年)9月17日午後9時20分から日本テレビ系列で、著書『奪還 引き裂かれた二十四年』を原作として、『“奪還”〜拉致された日本人の役割と北朝鮮秘密工作ナゾを解く完全再現〜』と題して放送。

2004年(平成16年)5月17日午後10時から約1時間に渡って日本テレビ系列で『妹よ 北朝鮮に拉致された八重子救出をめざして』を原作として、スーパーテレビ情報最前線枠で、『妹よ! 李恩恵の兄・飯塚繁雄26年の戦い』と題して放送。

2006年(平成18年)10月3日午後9時から約2時間に渡って日本テレビ系列で報道ドラマスペシャルとして『再会〜横田めぐみさんの願い〜』(出演・福田麻由子&片瀬那奈&風間トオル&・・・)と題して放送。

映画では『アブダクション(=拉致) 横田めぐみストーリー』(監督&製作=クリス・シェリダン&パティ・キム)があり、この作品は2006年(平成18年)、アメリカ・ユタ州で開催されたスラムダンス映画祭のドキュメンタリー部門で、観客が最も評価したという「観客賞」を受賞した。後にDVDとして発売=『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』(2007)

参考文献など・・・
『SPA!特別編集ブックレット メディアが黙殺した[拉致事件]25年の封印を解く!!』(扶桑社/2002)

『金賢姫全告白 いま、女として 上』(文藝春秋/金賢姫/池田菊敏訳/1991)
『金賢姫全告白 いま、女として 下』(文藝春秋/金賢姫/池田菊敏訳/1991)
『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店/安明進/金燦訳/1998)
『20世紀名言集 大犯罪者篇』(情報センター出版局/犯罪心理研究所/2001)

『「拉致疑惑」と帰国 ハイジャックから祖国へ』(河出書房新社/よど号グループ[著]/鳥越俊太郎[検証]/2013)
『毎日新聞』(2001年9月18日付/2002年3月12日付/2002年3月20日付/2002年9月17日付/2002年10月2日付/2002年10月15日付/2003年2月14日付/2003年2月17日付/2003年2月18日付/2003年5月30日付/2003年12月2日付/2004年1月20日付/2004年5月22日付/2004年5月31日付/2004年7月9日付/2004年7月18日付/2004年9月12日付/2004年11月4日付/2004年11月27日付/2006年1月28日付/2006年4月11日付/2006年7月5日付/2006年10月9日付/2009年3月11日付/2009年4月5日付/2009年5月21日付/2009年5月25日付/2009年7月2日付/2009年7月4日付/2010年7月20日付/2010年7月21日付/2011年12月19日付/2014年3月16日付/2020年6月5日付/2021年12月18日付/2022年10月24日付)
『産経新聞』(2013年3月25日付/2013年7月17日付)
『共同通信』(2013年5月30日付/2019年2月15日付)
『時事通信』(2013年10月16日付)
『TBS系(JNN)』(2016年10月16日付)

関連サイト・・・
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
北朝鮮に拉致された日本人を救出する滋賀の会

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