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警官の女子大生殺し事件

 

1978年(昭和53年)1月10日午後4時40分すぎ、年老いた女性の声でアパートで女性が死んでいるという110番通報が入った。通報者は東京都世田谷区経堂(きょうどう)2丁目にあるアパート「東荘」の家主(当時68歳)であった。捜査陣は直ちに現場へ急行した。

東荘は木造2階建てで4号室は4畳半ひと間、ドアに鍵はかかっていなかった。窓際のベッドの下に部屋の借り主である清泉女子大学キリスト教文化学科4年生の長谷川優子(22歳)がうずくまるように倒れていた。首にはストッキングが巻きつき暴行された形跡があった。サッシ戸のガラスは割れ、タンスが荒されて室内には衣類が散乱していた。

被害者が自ら犯人を室内に入れたのはドアのシリンダー錠のロックが開いたままだったことから確かで、そのあと激しく抵抗してガラスが内側から割られたことが判明した。

大家は午後4時半すぎ、用があって外へ出た。ふと、4号室の窓を覗くと若い警官が立っていて、女性が死んでいる、通報して下さい、と言われ、大急ぎで通報したという。

捜査員はとっさにその男はニセ警官に違いないと思った。本物の警官なら異変を知ればすぐに通報しているはずで、それなのに現場にいながら市民に通報を頼んだからだ。

捜査本部は現職警官が白昼、女性の部屋に侵入して暴行殺人を犯したりするわけはないと思いながらも捜査を進めた結果、現場にいたのは北沢署経堂駅前派出所に勤務する巡査のM(当時20歳)であることが確認された。

Mは事情聴取に対し犯行を否認した。パトロール中、アパートから20メートルほどの場所にきたとき、ガラスの割れる音を聞き、現場に駆けつけたと供述した。その時間を訊かれ、4時半ごろだと答えた。

だが、聞き込み捜査で4号室の前の部屋の大学生や近所の主婦たちが4時前にガラスの割れる音を聞いているのが分かっていた。その点を指摘されるとMは腕時計を見間違えたかもしれないと言った。Mはガラスの割れる音を聞いたとき、4号室から約20メートルの距離にいたと言っているが、直ちに駆けつければ、犯人を逮捕できたかもしれない。もし、逃走後であったとしても被害者は首を絞められているのだから、人工呼吸を施すのが常識だ。それなのに死体のそばに棒立ちになって大家に通報を頼んだあと、派出所に戻ってなんの報告もせず勤務に復帰している。

Mが犯人である可能性は大きくなったが、決め手がなかった。取調官はふと、Mの頬に微かな引っかき傷があるのに気付いた。その傷はどうした? このひと言でMはがっくりと肩を落として犯行を認めた。

独り住まいの若い女性は非常に用心深い。めったなことではドアを開けないが、相手が警官で職務上の用件があるとなれば拒むことはできない。そこで優子はドアを開け襲われたのだった。Mが警官でなければ優子も被害を受けなかっただろう。

即日、警視庁はMを懲戒免職にした。マスコミは制服警官によるスキャンダラスな事件を大々的に報じ、世間は騒然となった。

Mは独身寮住まいでおとなしい人当たりのいい若者と見られていた。だが、女性に対する欲望は人並み以上だった。月に2、3回、ソープランドに通い、道で知り合った女性とも関係していた。

Mはパトロール中、不在の部屋を見つけると侵入し、5回、金額十数万円を盗んでいた。

1月19日、国家公安委員会と警視庁は上司の監督責任を問い、警視総監の土田国保(減給・100分の10、1ヶ月)、警視庁幹部3人、北沢署次長兼刑務課長の佐藤交宏(減給・100分の10、1ヶ月)他、8人の上司を処分した。北沢署署長の池上政男が引責辞任した。警視総監が処分を受けたのは戦後、初めてだった。

1982年(昭和57年)11月、2審の東京高裁は1審の東京地裁での無期懲役判決を支持した。のちに被告側が上告したが、取り下げて刑が確定した。

1983年(昭和58年)9月27日、都議会(警務消防委員会)はMが東京都の地方公務員ということで、国家賠償法1条に基づいて被害者の両親に4360万円の損害賠償金の支払いを決定した。

国家賠償法1条・・・国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

現職警官および元警官による殺人事件は他にもあり、こちらの調べで分かっている事件を取り上げてみると・・・↓

1951年(昭和26年)4月18日、東京都原宿署の巡査部長(25歳)が離婚話で口論となった妻と仲裁に入った姑に拳銃を発砲。自分も頭を撃ち抜いて自殺した。妻は1ヶ月の重傷となり、姑は死亡した。遺書には<食べ物の差別をされるのが何よりもくやしく、もう我慢できない>とあった。

1958年(昭和33年)1月20日、新潟県松之山町で酔っ払った巡査(22歳)がウサギの密猟話から激昂して拳銃で1発ずつ頭を狙い3人を射殺、1人に重傷を負わせた。自分も頭を撃ち抜き自殺した。

1961年(昭和36年)3月2日、大阪府高石署の巡査の宮口道雄(当時37歳)には妻と子どもがいたが、この日、愛人(32歳)が別れ話を持ち出したことに腹を立て拳銃で射殺した。その後、妻とともに逃亡したが、6月16日、神戸で逮捕された。

1967年(昭和42年)11月16日、千葉旭署の巡査(23歳)がふざけて拳銃を撃ち、元すし屋店員の女性(20歳)に命中し死亡させてしまった。巡査も自殺した。

1975年(昭和50年)12月12日、大阪府四条畷(しじょうなわて)署の巡査の加藤敏哉(当時29歳)が2日前の夫婦喧嘩に耐え切れなくなって実家に帰っていた妻(28歳)のところへ行って、拳銃を3発撃ち込み、即死。続けて巡査は自ら胸に銃口を向け2発発射するが、命を取りとめ、逮捕後に病院に収容された。だが、愛人(当時33歳)の手引きで脱走した。

1983年(昭和58年)10月1日、大阪府淀川署の巡査部長(当時34歳)が愛人のホステス(27歳)を拳銃で射殺し、死体を車のトランクに入れたまま京都の金閣寺の近くに放置した。1984年(昭和59年)2月、京都地裁で懲役10年の判決が下った。
「115号事件」
警察庁広域重要「115号事件」 1984年(昭和59年)9月4日、郵便局強盗で逮捕され、8月30日に出所したばかりの京都市上京区西陣署の元巡査部長の広田雅晴(現姓・神宮/当時41歳)が京都市北区船岡山公園を巡ら中の鹿野人詩巡査(20歳)を襲い、拳銃を奪って射殺。3時間後、大阪市都島区のサラ金を襲撃して店員の鈴木隆(23歳)を射殺し、現金53万円を奪い逃走。翌5日に逮捕された。1997年(平成9年)12月19日、最高裁で死刑が確定した。警察庁広域重要指定事件
山中湖連続殺人事件
1984年(昭和59年)10月11日、(山中湖畔連続殺人事件) 東京都東村山署の警官を退官後、開店した料理店の経営に失敗し、1億5000万円の負債を抱えた澤地和夫(当時45歳)が不動産業の猪熊武夫(当時35歳)、朴竜珠(当時48歳)と共謀して、「厚木の大金持ちを紹介する」と誘い、山中湖で宝石商の太田三起男(36歳)を殺害し、6000万円相当の貴金属を奪った。さらに、25日にも金融業の滝野光代(61歳)を絞殺し、5000万円を強奪した。11月23日、3人が逮捕された。澤地は1、2審ともに死刑判決で、上告したが、1993年(平成5年)7月、上告を取下げ、死刑が確定した。猪熊は1995年(平成7年)7月3日、最高裁で1、2審の死刑判決を支持して死刑が確定した。朴は1987年(昭和62年)、1審で無期懲役の判決だった。2008年(平成20年)12月16日、東京拘置所で澤地が胃がん治療中だったが、多臓器不全のため死亡した。69歳だった。

関連書籍・・・『死刑と無期の間 山中湖畔連続殺人事件』(三一書房/佐藤友之/1991) / 『手錠 ある警察官の犯罪』(講談社文庫/宍倉正弘/1990)

澤地の著書に 『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(彩流社/1987) / 『監獄日記 東京拘置所の四季』(彩流社/1989) / 『なぜ死刑なのですか 元警察官の言い分』(柘植書房新社/澤地和夫/2006) / 『東京拘置所 死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(彩流社/2006)がある。

警察庁広域重要「118号事件」 1991年(平成3年)5月1日、千葉県市原市の塗装業者(当時53歳)が誘拐され、身代金2000万円が奪われた事件で、福島県郡山市の塗装工の迫康裕(当時50歳)らが逮捕された。自供により、郡山市の塗装会社社長(48歳)を誘拐し、1700万円を奪って殺害したことも判明。また、1986年(昭和61年)7月には、盛岡市の金融業者も殺害していたことが判明。福島、盛岡の事件では元岩手県警警官の岡崎茂男(当時38歳)が絡んでいた。1996年(平成8年)3月、共犯の名郷根が病死で公訴棄却。2003年(平成15年)4月24日、最高裁が石森郁緒の上告を棄却して無期懲役が確定。共犯の菅原勝治郎と熊谷光輝も無期懲役が確定(裁判所&判決日不明)。迫康裕と岡崎茂男と熊谷昭孝の3人は2004年(平成16年)6月25日、最高裁で上告を棄却して死刑が確定した。2011年(平成23年)1月29日、熊谷昭孝が病院で死亡(67歳)。2013年(平成25年)8月15日、迫康裕が宮城刑務所の医療棟で死亡(73歳)。2008年(平成20年)、仙台拘置所から移送された岡崎茂男が2014年(平成26年)6月26日、病死(60歳)。警察庁広域重要指定事件

2007年(平成19年)8月21日午前10時40分ごろ、東京都国分寺市のアパートの一室で、この部屋の住人とみられる飲食店従業員の佐藤陽子(32歳)が、腹部と胸など計3ヶ所を拳銃で撃たれて死亡しているのが見つかり、そばに警視庁立川署地域課の友野秀和巡査長(40歳)が左胸から血を流して死んでいた。友野巡査長が佐藤を射殺したあと自殺したものと見られている。

2014年(平成26年)4月12日午前5時10分ごろ、埼玉県狭山市新狭山のマンション敷地内で、このマンション3階に住む警視庁蔵前署地域課の関口卓弥巡査(24歳)があおむけに倒れて死亡しているのが見つかった。関口巡査の自室では田無署地域課の間宮陽子巡査(24歳)が腹から血を流して倒れ、すでに死亡していた。関口巡査と間宮巡査は前年から交際中で、2014年(平成26年)3月に結婚する予定だったが、関口巡査の業務上のトラブルから延期になっていた。関口巡査の自室のベランダには血痕が残っており、埼玉県警は関口巡査が間宮巡査を刃物で刺殺した後、飛び降り自殺したとみて詳しい経緯を調べている。

参考文献・・・
『警察官の犯罪』(三一書房/佐藤友之/1984)
『20世紀にっぽん殺人事典』(社会思想社/福田洋/2001)
『終身刑を考える』(インパクト出版会/2001)

『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)

『ドキュメント日本人10 法にふれた人』(学芸書林/谷川健一・鶴見俊輔・村上一郎責任編集/1969)

『毎日新聞』(2007年8月22日付/2008年12月16日付/2014年6月26日付)
『産経新聞』(2014年4月12日付)

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