もっと簡単な解釈なら、一番上のほうに何か欠陥がある、例えばビルの最上階が問題だとか、組織のトップに問題があるとか、です。
契約や決裁の書類などに問題がある、という見方もありますので、念のため。
「二爻変爻」の場合:
問題が起きぬ様、十分な注意が必要です。思わぬ災難が降りかかることがあります。
「三爻変爻」の場合:
急いでことを進めば失敗します。密かに着実に進める段階です。
「四爻変爻」の場合:
自分が先頭に立たないように、強い者の後ろから付いて行けば運気が開けます。
「五爻変爻」の場合:
親しい者や得意のことで失敗することがあるので注意して下さい。
「六爻変爻」の場合:
危険がすぐそこまで迫っています。十分な注意が必要です。
今が災難の渦中なら、もう少しで終わります。
彖に曰く、夬は決なり。剛の柔を決するなり。健にして説(よろこ)び、決して和す。王庭に揚ぐとは、柔五剛に乗ればなり。まことあって号(さけ)び、危うきことありとは、それ危ぶむときはすなはちおおいなるなり。告ぐること邑よりす、戎につくによろしからずとは、尚(たっ)とぶところすなはち窮まるなり。往(ゆ)くところあるによろしとは、剛長ずればすなはち終わればなり。
象に曰く、沢の天に上るは夬なり。君子以って禄を施して下に及ぼし、徳に居ることはすなはち忌む。
初九。趾(あし)を前(すす)むるに壮(さか)んなり。往きて勝たざるを咎となす。
彖伝に曰く、夬とは決である。剛(正しき事)が柔(間違ったこと)を決去するのである。その結果、皆のものが健(すこやか)に喜び、仲良くすることができるのである。
王庭に揚げるのは、柔(間違い、邪悪)が剛(正しき事)の上にいて押さえつけているからである。
まことあって号(さけ)び、危うきことありとは、正しいことを主張するも相手は権力があるから危険な目に合う、ということである。
戎につくによろしからずとは、武力を使う、力づくで行うのは、力を頼みにしても行き詰まるということである。
往(ゆ)くところあるによろしとは、剛(陽)がどんどん成長してきて最後の柔(陰)を追い出す流れに乗って、これを遂行するのは問題ないからである。
象伝に曰く、この卦は沢が天(乾)の上に乗っている形、すなはち沢に溜まった水が増え続けて決壊せんとする、あるいは地上に有った水が天に上り、雨となって降り注ぐ形である。
君子はこの象にのっとり、禄を下々に及ぼし、徳育も自分だけではなく下々に及ぼすように心がける。
初九。行動を起こそうとまず足を力強く前に出す。しかし一番下位の者で力不足、意気込んで進んでも勝てず、咎めがある。
象伝に曰く、勝てないと判りながら往くのは咎である。
九二。進むこと慎重にして、大きい声で仲間に警戒を呼び掛ける。このようであれば、暮れ時の敵襲にも心配なく対処できる。
象伝に曰く、戎あれども恤うるなかれとは、無理押しせず中道を保っているからである。
九三。血気盛んで、頬(原典は九頁でツラボネ、顎骨)がピクピクしている。敵に察しられて危ない。
君子は決すべきときは決すが、その心構えが顔に出るようなことはない。
一人で冷静に決去すべき者を決去するが、他者からはその気がないのではないかと疑われたりし、
濡れ衣を着せられ怒りを受けることがあるが、咎は無い。
象伝に曰く、君子は決すべきときは決する、最後は咎めは無い。
九四。尻の皮膚が剥けて落ち着いて座れない。行こうとしても行悩む。
このような時は、羊を先に行かせ後ろから追っていくとうまく進むように、
有能な者を前に立たせて後ろからついていくようにすれば悔い亡ぶが、
その忠告を聞いても信じないから悔いることになる。
象伝に曰く、その行くこと次且たりとは、その地位に相応しくないからである。言を聞くも信ぜずとは、聡明さが無いからである。
九五。見陸(原文は草カンムリに見ー山ごぼう)のように、根の部分で決去すべき者(上六)と親しみ繋がっている。
しかし決すべきは決しなければならない。中庸の行いであれば咎めは無い。
象伝に曰く、中行なれば咎なしとは、まだ中庸の徳が大きくないからである。
上六。決去されるべき者が泣き叫んでも無駄。終には凶である。
象伝に曰く、泣き叫んでも無駄なのは、その運命が終わろうとしていて長くないからである。