「二爻変爻」の場合:
身内や身近な人、気の合った人とだけでグループを作ろうとするのは駄目。真の同志を求めなさい。
発想も自己流だけでは駄目。正しい道を学びなさい。
「三爻変爻」の場合:
身の程知らずや、身勝手な野望はいろいろ画策しても、いつまで経っても叶わない。
話しには裏が有ったり、企みがあったりすることに注意。
「四爻変爻」の場合:
如何にも無理なことにしがみつかず、適当に見切りをつける方が良い。
「五爻変爻」の場合:
これまで何かと苦労してきたことに目処がつく。
積極的に進めば成功する。
「六爻変爻」の場合:
仲間意識にこだわらないのがよろしい。孤立することもあるがそれで良し。
彖に曰く、同人は、柔、位を得、中を得て、乾に応ずるを、同人という。
象に曰く、天と火とは同人なり。君子は以って族を類し物を弁ず。
初九。人に同じうするに門に於いてす。咎なし。
象に曰く、門を出でて人に同じうす、また誰か咎めん。
六二。人に同じうするに宗に於いてす。吝なり。
象に曰く、人に同じうするに宗に於いてするは、吝道なり。
九三。戎(つわもの)を草むらに伏せ、その高陵にのぼる。三歳まで興(おこ)らず。
象に曰く、戎を草むらに伏すとは、敵剛なればなり。三歳まで興らず、いずくんぞ行かん。
九四。その庸(かき)に乗るも、攻むる克(あた)わず。吉なり。
象に曰く、その庸に乗るも、義として克わざるなり。その吉なるは、困(くる)しみて則(のり)に反(かえ)ればなり。
九五。人に同じうするに、先には号(な)きさけび後には笑う。大師克(か)ちて相い遭う。
象に曰く、同人の先とは、中直なるをもってなり。大師相い遭うとは、相い克つをいうなり。
上九。人に同じうするに郊に於いてす。悔なし。
象に曰く、人に同じうするに郊に於いてするとは、志いまだ得ざるなり。
彖伝(たんでん)に曰く、同人の卦は柔(六二)がしかるべき位置に有り、剛に応じて働く、だから同人と言う。「人に同じうするに野においてす、亨る、大川を渉るによろし」とは(柔が共働した)乾(リーダー)の働きである。「文明にしてもって健、中正にして応ず」のは君子の正道である。天下の志を通すことが出来るのは君子だけかもしれないなあ。
象伝(しょうでん)に曰く、天と日からできた卦が同人である。天と日は同じような性質もあれば異なるところもある。君子は性格や特質をはっきりと区別、整理する。
初九。人と和すに先ずは門を出たところで。咎められることは無い。
象伝に曰く、門を出るのは同人のまず一歩だから誰も咎めはしない。
六二。仲間内だけでまとまろうとするのは吝(心が小さい、けち臭い)。
象伝に曰く、人に同じうするに宗に於いてするは、吝の道である。
九三。ライバルを闇討ちにしようと、草むらに兵を伏せ、高台から敵の様子をうかがう。
そのような邪道な行いは3年待っても実行することは出来ない。
象伝に曰く、草むらに兵を伏すのは相手が剛健であるからである。
3年経っても行動に移せないようなことでは、何をしようと言うのか。
九四。相手を倒そうと城壁に上るが、手強くて攻めることが出来ない。結果として危機に陥らずにすめば吉である。
象伝に曰く、城壁に上るが正義は相手に有るから勝てないのである。
苦しんだ結果反省して正しい心に立ち返るから吉である。
九五。象伝に曰く、夬めて踏む、貞なれど危うしと言うのは、その地位立場からして正当な行動ではあるが、
そもそもが危険な事態であるからである。
上九。自分がこれまで履み進んできたところを省りみて祥(善悪、あるいは吉凶の予兆)を考える。
その上で正しい行いをするようにすれば大いに吉を得られる。
象伝に曰く、最後に大いに吉であるとは、大いに慶福があるということである。