天火同人  離下、乾上
「親友との付き合い。同志を募る。」
運気盛大。衆望を得て人の上に立つ。
心を合わせて事に当たるとき。
運気盛大の裏には衰退があり、常に慢心、油断を戒めること。

大吉
「同人(ドウジン)」とは人と志、行動などを同じくする、という意味です。
この卦の形は天上に太陽がある、大変明るい卦です。 また、一つの陰を五つの陽が一致して助けるという象です。
志を同じくする同志と共に大きい目的に向かって進むのが良いでしょう。
なお、仲間と組むに公明正大でなければなりません。裏でこそこそ工作するのは駄目です。
この卦は、一人の女性(陰)が大勢の男(陽)に持ち上げられている象と見ることも出来ます。女性は強く、取り巻く男性は案外ライバル同志かも知れません。
占うことによっては、相手も自分も考えていることは同じだ、ということもあるでしょう。
(概説)
「願いごと」ー成就する。
「商ごと、事業など」ー順調に運びて大利あり。共同でやるのに良い。慢心に注意。
「相場」ー高値圏。この上は少ない。
「受験」ー好成績。慢心に注意。
「病気」ー程なく全快する。ただし油断禁物。重病は要注意。
「就職」ー良い勤めを得る。なお、競争相手が多く先輩などの支援を求めると良い。
「天気」ー快晴。後に崩れる。
「旅行」ーよろし。仲間で行くのがよろし。
「転業、移転」ーよろし。
「失物」ー出る。ただ時間が経つほど出なくなる。
「方角」ー南、西北。
「色」ー赤、白
「初爻変爻」の場合:
  まだ人と組む始めの段階。自信過剰、頑固、独善で失敗しやすい。広い知識、広い付き合いが必要です。
  識者、実力者の意見を聞くのも良いでしょう。
  止めるなら今のうちです。

「二爻変爻」の場合:
  身内や身近な人、気の合った人とだけでグループを作ろうとするのは駄目。真の同志を求めなさい。
  発想も自己流だけでは駄目。正しい道を学びなさい。

「三爻変爻」の場合:
  身の程知らずや、身勝手な野望はいろいろ画策しても、いつまで経っても叶わない。
  話しには裏が有ったり、企みがあったりすることに注意。

「四爻変爻」の場合:
  如何にも無理なことにしがみつかず、適当に見切りをつける方が良い。

「五爻変爻」の場合:
  これまで何かと苦労してきたことに目処がつく。
  積極的に進めば成功する。

「六爻変爻」の場合:
  仲間意識にこだわらないのがよろしい。孤立することもあるがそれで良し。   


人に同じうするに野においてす。亨る。大川を渉るによろし。君子の貞によろし。

彖に曰く、同人は、柔、位を得、中を得て、乾に応ずるを、同人という。
同人にいう、人に同じうするに野においてす、亨る、大川を渉るによろしとは、乾の行いなり。文明にしてもって健、中正にして応ず、君子の正なり。
ただ君子のみよく天下の志を通ずることを為す。

象に曰く、天と火とは同人なり。君子は以って族を類し物を弁ず。

初九。人に同じうするに門に於いてす。咎なし。
   象に曰く、門を出でて人に同じうす、また誰か咎めん。
六二。人に同じうするに宗に於いてす。吝なり。
   象に曰く、人に同じうするに宗に於いてするは、吝道なり。
九三。戎(つわもの)を草むらに伏せ、その高陵にのぼる。三歳まで興(おこ)らず。
   象に曰く、戎を草むらに伏すとは、敵剛なればなり。三歳まで興らず、いずくんぞ行かん。
九四。その庸(かき)に乗るも、攻むる克(あた)わず。吉なり。
   象に曰く、その庸に乗るも、義として克わざるなり。その吉なるは、困(くる)しみて則(のり)に反(かえ)ればなり。
九五。人に同じうするに、先には号(な)きさけび後には笑う。大師克(か)ちて相い遭う。
   象に曰く、同人の先とは、中直なるをもってなり。大師相い遭うとは、相い克つをいうなり。
上九。人に同じうするに郊に於いてす。悔なし。
   象に曰く、人に同じうするに郊に於いてするとは、志いまだ得ざるなり。


(解説)
「人と会う、仲間で集まる、志を同じくする、共同する、こういったことはオープンにしなければならない。そうすれば、大きい目的を達することが出来る。人と和するに志を正しく堅固にしなければならない。」

彖伝(たんでん)に曰く、同人の卦は柔(六二)がしかるべき位置に有り、剛に応じて働く、だから同人と言う。「人に同じうするに野においてす、亨る、大川を渉るによろし」とは(柔が共働した)乾(リーダー)の働きである。「文明にしてもって健、中正にして応ず」のは君子の正道である。天下の志を通すことが出来るのは君子だけかもしれないなあ。

象伝(しょうでん)に曰く、天と日からできた卦が同人である。天と日は同じような性質もあれば異なるところもある。君子は性格や特質をはっきりと区別、整理する。

初九。人と和すに先ずは門を出たところで。咎められることは無い。
   象伝に曰く、門を出るのは同人のまず一歩だから誰も咎めはしない。
六二。仲間内だけでまとまろうとするのは吝(心が小さい、けち臭い)。
   象伝に曰く、人に同じうするに宗に於いてするは、吝の道である。
九三。ライバルを闇討ちにしようと、草むらに兵を伏せ、高台から敵の様子をうかがう。
   そのような邪道な行いは3年待っても実行することは出来ない。
   象伝に曰く、草むらに兵を伏すのは相手が剛健であるからである。
   3年経っても行動に移せないようなことでは、何をしようと言うのか。
九四。相手を倒そうと城壁に上るが、手強くて攻めることが出来ない。結果として危機に陥らずにすめば吉である。
   象伝に曰く、城壁に上るが正義は相手に有るから勝てないのである。
   苦しんだ結果反省して正しい心に立ち返るから吉である。
九五。象伝に曰く、夬めて踏む、貞なれど危うしと言うのは、その地位立場からして正当な行動ではあるが、
   そもそもが危険な事態であるからである。
上九。自分がこれまで履み進んできたところを省りみて祥(善悪、あるいは吉凶の予兆)を考える。
   その上で正しい行いをするようにすれば大いに吉を得られる。
   象伝に曰く、最後に大いに吉であるとは、大いに慶福があるということである。


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